2007年10月25日
J・フォスターの魅力
-ブレイブ・ワン(11月1日公開=米)-
優れた作品には後味良いものとガツンとくるものがある。美しい女優とガツンとくる女優がいる。ジョディ・フォスターはガツン派である。
14歳で出演した「タクシードライバー」(76年)の少女娼婦役のインパクト。「告発の行方」(88年)のレイプ被害者のドロドロ加減。「羊たちの沈黙」(91年)のFBI捜査官の強さと脆さの同居ぶり。多彩である上に一発毎のパンチ力が並外れている。
3歳でコパトーン・ガールとしてテレビCMに出演してからの40年余り、「女優」としての高い評価が揺るがないのは、このパンチ力あってのことだと思う。
製作総指揮の立場も兼ね、文字通り先頭に立った今回の作品もインパクトという点で申し分ない。さらには彼女のハッとするような美しさも改めて印象付けられた。
ラジオ・パーソナリティのエリカ(フォスター)は、婚約者の医師と散歩中の公園でチンピラ3人組に襲われる。瀕死の重傷から病院で目覚めると婚約者はすでに死んでいた。
引きこもりがちになり、通りの人影にもおびえる彼女は、違法と知りながら護身用の銃を買う。ある日運悪くコンビニ強盗に出くわし、これを射殺。動揺は隠せないが、証拠となる監視カメラのテープは抜き取った。肝が据わったというべきなのか、後日、地下鉄で遭遇したチンピラ2人組にナイフで脅されると、これもあっけなく射殺した。
捜査に当たるマーサー刑事(テレンス・ハワード)は、犯罪者ばかりを“裁く”この“処刑人”に微妙な共感を抱く。同時に取材で訪れたエリカには好意を持つ。
一方で、彼女はしだいにエスカレート。正当防衛のワクを越えて“悪”を裁くようになる。少女に監禁する買春男、マーサーが追い続けた組織のボス―。ついには婚約者と自身を襲ったチンピラも突き止める。処刑人=エリカと確信したマーサーもそこに急行するが…。
結婚を間近にした幸せモードのエリカはナチュラルメークで確かに美しい。対照的に瀕死の重傷メークはリアルだ。指先に至る傷、その痺れたような動きまで痛々しい。フォスターにとっては何度か演じた設定だが、ますます真に迫っている。で、2度目の“処刑”を終えた後、トイレの鏡でメークを整えた後が際立っている。文字通り一線を越えてしまった後の顔だ。正義を執行するために“悪”に手を染めた、簡単に言ってしまうと元も子もないが、ようするに開き直りの顔である。冒頭の幸せメークよりやや濃いめくらいなのだが、“悪の華”の匂いといったらいいのだろうか、禁断の美しさという感じだ。美貌ばかりを売り物にしている女優ではないはずなのだが、ジョディ・フォスターってこんなきれいだったっけ、という驚きがある。
「クライングゲーム」(92年)以来、オリジナリティと手堅さを両立させてきたニール・ジョーダン監督がフォスター自身のたっての願いでメガホンを取っている。全体の完成度はもちろん、このシーンだけで女優フォスターとしては懇願したかいがあるというものだ。
エリカの行動を本当に許せるのか? 繰り返し問いかけてくる映画でもある。
2007年10月18日
時代の鏡となる原作
-インベーション(10月20日公開=米)-
ジャック・フィニィの古典的SF小説「盗まれた街」の4度目の映画化である。過去3作はいずれも手練の名匠の手に掛かっており、当時の社会状況を色濃く反映していた。
小説には宇宙からの“静かな”侵略が描かれている。地球外生物がひそかに侵入して人間の複製を作り、次々に住民と入れ替わる。気付いてみれば周囲は異星人だらけで…。
原作発表の翌年に製作された第1作(56年)はドン・シーゲル監督。周囲が異星人一色に染まっていく様子を観客は当時の“赤狩り”の強風に重ねたようだ。第2作(78年)はフィリップ・カウフマン監督。社会そのものへの疑心暗鬼を描いた作品は、ベトナム戦争終了後の混沌とウォーターゲート事件による政治不信を映し出した。3作目(93年)のアベル・フェラーラ監督は、その作品でカンヌ映画祭パルムドールに輝いている。その年、クリントン政権が誕生して景気が上向く米国だが、まだまだ銀行破綻による金融不信が市民の間に色濃かった。
「暗い」という共通項はあるものの、半世紀にわたって時々の鏡となった稀有な原作小説である。加えて映画化された作品はそれぞれに手堅く仕上がり、公開時にそれなりの話題になっている。
今回の作品は「ヒトラー最期の12日間」(04年)のオリバー・ヒルシュビーゲル監督、ニコール・キッドマン主演の組み合わせ。イラクの泥沼化による厭戦の空気や新種の“伝染病”への恐怖といった「今」が巧みに織り込まれている。
キッドマン扮するのは精神科医。中年女性が「夫が別人になってしまった」と信じられないような相談を持ちかけてきたり、自身の別居中の夫が突然柄にもない内容の電話を掛けてきたり、妙な出来事が重なって起こる。さらに、人身事故にも表情を変えないドライバーを目撃、その模様を伝えようとした警察官に無視されるに至り、周囲の異変は無視できないものになる。
知り合いの医師の見立てでは、未知のウイルスの感染症であり、睡眠中に発症。翌日目覚めたときには感情を失った“別人格”になってしまうという。実はスペースシャトルが不可解な墜落事故を起こしており、原因は不明のままだ。彼女の夫がこの事故の調査委員であり、墜落事故とウイルスは明らかにリンクしているようだ。
しだいに“真相”が明らかになる中で、幼いひとり息子を夫の元に預けてしまった精神科医は必死の決意で“奪還”に向かうが…。
前作の印象が強いからかもしれないが、ビルシュビーゲル監督は限定された時間、空間の中でのドラマ作りがうまい。発症を避けるために眠ってはいけないヒロインにとって時間は限られたものになるし、人間に憑依するウイルスの狙いも当面は限定区域の“制圧”に向けられている。ルールに縛られたいい意味でのゲーム感覚のスリルなのだ。バリエーションの豊富なチェイス場面、ギリギリの救出シーンは「24」をほうふつとさせる。
発症、つまり憑依された人間は無感情だが、非好戦的でもある。「我々の一員になれば、もう殺し合うこともない」。逃げ疲れ、いっそのこと向こう側に…。イラク泥沼化の厭戦的空気が反映されているような部分である。
最近、多様な作品に出まくっている感のあるキッドマンだが、今回は抑え目な服装にかえってルージュの色が映えて、実に艶やかである。共演は新007のダニエル・クレイグ。
2007年10月11日
傑作!!久々のスリル
-ヒートアイランド(10月20日公開)-
この作品を見ながら、かつて胸を躍らせた過去の2作品を思い浮かべていた。
1作は「ウォリアーズ」(79年)である。ニューヨークのストーリート・ギャングの総元締殺しの罪を着せられた“ウォリアーズ”が、他の全グループの追撃を縫いながら縄張りのコニー・アイランドに帰還するまでが描かれた。
もう1作は「アポロ13」(95年)。アポロ11~16号までの月面探査計画で唯一月に到達できなかった13号の絶体絶命の危機と生還の実話の映画化だ。
どちらも命懸けの生還劇であり、失地の挽回、つまりマイナスをイーブンにもっていく過程に娯楽的な要素が盛り込まれている。いわば“守備的映画”である。
同じ娯楽作品でも攻撃的なそれより、むしろ守備的なほうが味わい深いものだ。晩年の黒澤明監督にインタビューする機会があったのだが、アメリカンフットボールが大好きだった監督はこう言った。「見始めたころはオフェンス中心に見ていたが、だんだんとディフェンス主体に見るようになった。ディフェンス側から見たほうが深みも面白みもあるんだよ」。アメフトをアクション映画の味わいになぞらえている、ような気がした。
今回の作品は、ひょんなことで「危ない大金」を手にしてしまった若者たちが、いかにしてこれを無事返還するかが描かれる。命懸けという点で前出の2作に重なり、失地挽回のあの手この手で楽しませる。文字通り黒澤監督の言う、守備の面白さが満載である。
東京・渋谷の街を肩で風切るアキ(城田優)が主人公だ。6人組のグループ「ギルティ」のリーダー。この街を遊び場にする少年たちの憧れの存在であり、知り合いが経営するバーを会場に週1回ファイトパーティ(自由参加型の喧嘩ファイト)を開催して、これを資金源にしている。
一見順風だったが、地元ヤクザの麻川組がこの“興行”に目を付けているし、「ギルティ」のメンバー2人が酔って騒ぎを起こした上に覚えの無い大金の入ったボストンバッグを持ってくる。関西から進出したヤクザが運営するカジノから奪われたものらしい。組の大金を奪うくらいだから盗んだ一味も根性の据わった連中に違いない。すでに裏社会には情報が飛び交い、近くに根を張る南米系の組織まで動き出した。高校球児がメジャーリーガーに取り囲まれたような大ピンチをギルティはいかにしてしのぐのか…。
「やべえ」といいながら常に次の一手を読む。「ワルボロ」で、図体の割にひたすら気弱な男を演じていたアキ役の城田は、一転視線をピリッと相手に当て、不思議なほど聡明に見える。知恵袋、元力士などそれぞれ個性的なグループメンバーをまとめ、彼らの絆は「ウォリアーズ」をほうふつとさせる。アキの硬軟併せ持ったリーダーシップで危機を乗り切るところは、「アポロ13」で「さあ、全員を生還させるぞ!」と、あきらめムードのスタッフを奮い立たせたエド・ハリス演じる管制官を思い出させた。
ひと昔前にはオヤジ狩りも頻発して、渋谷の若者へのイメージは決して良くないのだが、オヤジ世代の私にもギルティの連中のカッコ良さが妙なほど印象的だった。原作は垣根涼介の同名小説。「木更津キャッツアイ」の監督・片山修、脚本・サタケミキオコンビが映像化した。文字通りの“今風”であることは間違いない。
木村了、北川景子らメンバーを始め、周囲を固めるキャストは豪華といっていい。特に初出演の伴都美子と無表情のパパイヤ鈴木がいい。
2007年10月04日
花火師の生き様
-未来予想図(10月6日公開)-
花火が文字通りの主役となる花火大会があるのは日本だけだそうだ。他国ではイベントの“一環”であったり、大会最後の“華”として打ち上げられたり…添え物的存在に止まっている、という。日本人の花火に対する思いは図抜けて強いということになるのだろう。
ここ2年ばかり、小社主催の神宮花火大会を見て、遅まきながら私もそんな思いを実感している。一瞬の瞬きに吸い込まれるような感覚、一拍置いて会場から沸きあがる歓声…。言ってしまえばその繰り返しなのだが、“花”の咲き方のバリエーションで飽きさせない。文字通り、花火職人の腕の見せ所である。
ところで、花火職人が主要キャストに登場する作品は意外と少ない。最近で思い当たるのはNHK朝のテレビ小説「こころ」(03年)くらいだ。
大会当日、スイッチ盤の後ろで打ち上げ操作を行う花火職人の姿は、コンサートの音響スタッフのように垢抜けて見えるが、この映画にも登場するように日常作業はいたって地味であり、ドラマにはしにくいということなのだろう。
確かに、火薬と炎色剤を注意深く混合し、出来上がった「星」と呼ばれる小さな玉を大きな玉殻の中に丁寧に均一に並べ、これを天日干しするという作業は緻密で時間がかかる。派手な動きは一切無い。だが、この細心さの度合いに比例して一瞬の輝きが増すというところにこの仕事の醍醐味があり、カッコ良さがあるのだ、と思う。孤高の仕事である。周りは見えにくくなる。
だからだろうか。「こころ」の場合も今回の作品も仕事にのめり込むのに比例して、家庭はギクシャクする。崩壊寸前となる。だが、一瞬の輝きが、そんな状況を氷解させる。花火職人にまつわるドラマッチックな展開は決まってこのパターンを踏むことになる。
今作の花火職人・井上(原田泰造)は、「恋の叶う花火」の作り手として伝説化された存在である。上記のパターン通り、妻(西田尚美)との間は冷え切っているが、そもそも“伝説”を生み出すきっかけは、かつて妻への思いを込めて作り上げた花火にあったというところがミソになっている。愛する人への思いがこもった花火だからこそ、これを「一緒に見た恋人同士は必ず結婚する」という“秘めたるパワー”が込もっているというわけだ。
主人公は、大学時代の恋人同士さやかと慶太(松下奈緒、竹財輝之助)。就職後、それぞれの多忙の中で疎遠になっていくのだが…という本筋に絡み、花火職人井上は、雑誌記者となったさやかの取材対象として登場する。取材嫌いの彼が、さやかの熱意にほだされ、しだいに心を開く過程で井上の家庭環境も明らかになり、やがてはさやかと慶太、井上夫妻の2組がオーバーラップしていく構成だ。ラストシーンの花火大会で、2組の行く末が絡み合ったまま大団円を迎える。
井上夫妻のエピソードはサブストーリーなのだが、ネプチューンの一員としてよりもピンの俳優の方に将来性を感じさせる原田と巧者西田の組み合わせには思わず引き込まれる。パターンといえばそれまでだが、花火職人を巡るエピソードは実に丁寧に作り込まれ、見ていて心地いい。
このエピソードに限らず、今作は全編にわたって井上作の花火のように丁寧だ。最初はふわふわと立ち上がり、やはり試写の選択を誤ったか、と思ったのだが-サブタイトルは「ア・イ・シ・テ・ルのサイン」であり、とても私のような年齢の男が能動的に劇場に足を運びたくなる作品ではない-単純そのものに思えた本筋にしだいに様々なエピソードが絡み、シンフォニーのような厚みとなる。定型のラブストーリーと決め付けられない巧みさがある。助監督としては主に平山秀幸監督に師事した蝶野博監督は、このデビュー作で“職人技”を感じさせる。
タイトルはご存知ドリカムのヒット曲。これを原案にスペインのロケシーンもふんだんに登場。きちんと作られた娯楽作品はやっぱり気持ちいい。