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相原斎「新作チェック!」

2007年06月28日

12年ぶりの不死身の男

-ダイ・ハード4.0(6月30日公開=米)-

 前作から12年。回を重ねる毎に目に見えてスケールアップしているシリーズであり、最近では一番楽しみにしていた作品である。シリーズを振り返ってみた。

◎ダイ・ハード(88年)■舞台 ロスのハイテクビル ■相棒 ベトナム帰りの巡査 ■対メカ ハイテクビル ■終盤の機転 残された2発の銃弾で… ■妻との関係 彼女の出世を羨む ■敵役 重火器武装のテロリスト ■その狙い 6億4000万ドル

◎ダイ・ハード2(90年)■舞台 ワシントン・ダレス空港 ■相棒 空港チーフエンジニア ■対メカ 767の翼にのる ■終盤の機転 ライターで767撃墜 ■妻との関係 旅客機から救出 ■敵役 麻薬王と米特殊部隊 ■その狙い 麻薬王の奪還

◎ダイ・ハード3(95年)■舞台 ニューヨーク市 ■相棒 家電修理店主 ■対メカ 高性能爆弾 ■終盤の機転 爆破船舶から脱出 ■妻との関係 離婚 ■敵役テロリスト+爆弾のプロ ※女殺し屋登場 ■その狙い 連邦準備銀行の金塊

◎ダイ・ハード4.0(07年)■舞台 全米・主に東部 ■相棒 ハッカー ■対メカ 最新鋭機F35 ■終盤の機転 自らを撃つ? ■妻との関係 娘にも拒絶され… ■敵役 サイバーテロリスト ※悪役美女もさらに手強く ■その狙い 全米資産

 規模拡大の歴史は、各作品の「舞台」に顕著だ。ハイテクビルという限定空間だった第1作に始まり、第4作は全米にまで拡大している。

 ジョン・マクレーン警部補(ブルース・ウィリス)は前作同様に情けない姿で登場する。大学生に成長した娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)がボーイフレンドと一緒にいるところにストーカーまがいに現れ、拒絶されたのだ。やり切れない思いのところに緊急指令。近くに住むハッカー青年マット(ジャスティン・ロング)の身柄確保である。実は、交通、通信、電力、水道など全米のインフラを監視するシステムにハッキングが仕掛けられ、FBIのブラックリストに載るハッカーの一斉確保指令が出たのだ。

 容易に思えた仕事は、マットに武装集団が襲い掛かったことから一変する。目的を教えないまま全米のハッカーを利用した上で抹殺し、すべてのライフラインを支配下に置こうとする大規模なサイバーテロが進行中だったのだ。利用されたハッカーのうち生き残ったのはマットだけ。不死身のアナログ男マクレーンと名うてのハイテク青年マットの珍コンビが強大なテロ集団に立ち向かうことになるのだが…。

 マクレーンの相棒は毎回個性的だが、今回のハッカー青年は格別だ。文字通りひ弱なオタクとして登場するが、マクレーンとともに修羅場をかいくぐるうちに少しずつタフになる。これまでの作品同様友情が芽生えていくのだが、今回は異質の2人が互いに畏怖するような不思議な空気も面白い。青年が師と仰ぎ、「スターウォーズ」のヨーダになぞらえる“ハッカーのカリスマ”も現れ、このユニークな個性が作品に奥行きを与える。

 テロの親玉(ティモシー・オリファント)の片腕となる美女マイ(マギー・Q)は、高度なIT知識に加え、マクレーンもたじろぐカンフーの使い手であり、敵方のキャラもますます濃い。香港在住時代に「コスモポリタン」や「マリ・クレール」のモデルをしていたというマギー・Qの東洋的顔立ちは日本受けしそうだ。

 「メン・イン・ブラック」(97年)や「インディペンス・デイ」(96年)の美術に関わったというレン・ワイズマン監督は、構図的にユニークなアクションを連発し、ユーモアの交え方も巧妙だ。「走り」がテーマになっていた第3作ではやや間延びした印象もあったが、今作は1、2作以上に密度が濃い。息をつかせない。

 また、詳細は控えるが、第2作の「妻」同様に最後まで「娘」がストーリーに絡んでくる。

 私が見た披露試写の時点では「まだ“青”の色調整が完全ではない状態」との説明があった。そのお陰でかえって気になったのかもしれないが、随所でパソコン画面の淡い光が人の顔はねかえる微妙な「青」が印象的に感じられた。製作者はやや冷たく感じるIT時代の象徴カラーとして色調整にこだわったのかもしれない。

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2007年06月21日

臨死体験への旅

-図鑑に載っていない虫(6月23日公開)-

 小中学校の図画工作の時間に“コラージュ”を制作したことを覚えているだろうか。画用紙に雑誌広告やチラシの切り抜きをちりばめる貼り絵の一種である。程よい中間色を配した「LIFE」など洋モノの切り抜きを使うと何となくカッコ良くなるが、原色丸出しのスーパーのチラシを素材にすると、どうもおさまりが悪かった。私にとっては30年以上前のことだから例えが古くなったことをお許しいただきたい。

 そもそも無関係のパーツを寄せ集めるわけだから、どうしても抽象的な作品になってしまうのだが、図工の先生は、全体のイメージから自然とテーマ(平和、自然…など)が浮かび上がる作品こそ出来がいいと言った、気がする。

 今回の映画をこれになぞらえると、パーツ(それぞれのエピソード)は典型的な“スーパーのチラシの切り抜き”である。それもコテコテ、原色刷りだ。が、全体の印象は不思議なほどまとまりがある。さらにコテコテのパーツひとつひとつも十二分に味わいが引き出されている。

 原色そのままのインパクトの強いエピソードが次々に繰り出され、一見バラバラなそれらが、見終われば出来のいいコラージュのようにきちんと1本の作品に結実しているのである。

 フリーライターの俺(伊勢谷友介)が相棒のオルゴール職人エンドー(松尾スズキ)、偶然出会ったSM嬢サヨコ(菊池凛子)と共に、それを使えば仮死状態を体験できるという虫“死にモドキ”を求めて旅する物語である。

 そもそも鬼のような編集長(水野美紀)から仮死体験をルポするように命じられての旅なのだが、旅の途中ではヤクザの目玉のおっちゃん(若松了)、その弟分のチョロリ(ふせえり)、同様の取材中に行方不明になったはずのカメラマン真島(松重豊)、臨死体験ショーの半分男(村松利史)、その師匠(三谷昇)、持つ煮込み屋の親父(笹野高史)、船長(渡辺裕之)、サヨコの母(高橋恵子)と次々に“変な人”が現れる。

 三木聡監督は「ごっつええ感じ」や「笑う犬の生活」に構成作家として関わった人である。誇張された設定やキャラが独特の空気というか空間を作り出し、エピソードそれぞれがバラエティの1コーナーのように笑わせる。

 例えば水野ふんする美人編集長が「ブリッ!」という音の後に「今の私」。間を置かずに「ミが出ちゃったかもしれないからトイレ行っていい?」。外見とセリフのギャップ。これが異様に長い机や異様に奥行きのある部屋という映画ならではの“スケール感”の中で繰り広げられる。対照的に背景は薄っぺらく見えるのに、重々しく感じるのがカメラマン真島の登場場面だ。“ホームレスの島”で一行を待ち受けるところは「地獄の黙示録」(79年)のカーツ大佐(マーロン・ブランド)そのものではないか。

 改めてエピソード毎に字にするとやはり脈絡がない。

 が、“変な人”それぞれのこだわりが妙に理解できる気がして、心に引っ掛かる。いつの間にか「俺」の旅にひき込まれ、「死にモドキ」の正体を知りたくなる。仮死体験という山場に向かってそれぞれのエピソードの連なりが見えてくる。終わってみれば気持ちのいい満腹感がある。このえも言われぬ“まとまり感”こそ、三木監督の力なのだろう。

 個性派の中でも、ふせえりの「チンピラを究極に軽くした感じ」が秀逸だった。

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2007年06月14日

形のない恐怖

-ストレンジャー・コール(6月16日公開=米)-

 ホラー映画には“慣れ”というものがある。どんな異形のモンスターでもいったん姿を見せてしまえば、時間の経過とともにインパクトは薄れていく。

 登場する場所もそうだ。例えば「リング」系の作品では、寝具の中に顔を突き合わさんばかりの距離で亡者が現れた。本来かぶって身を守る、最後の拠りどころである布団の中に、である。が、こんな荒業も2度目以降は“想定内”となる。

 特撮技術がいかに長足の進歩を遂げようと、モンスターに形がある限り、観客の“慣れ”のスピードには及ばない。では、それが形のない恐怖だったら…。想像の中で膨らんでいく、古来の暗闇に対するそれのような恐ろしさが今作では描かれる。

 81年に公開され、ホラー映画好きの間でもてはやされた「夕暮れにベルが鳴る」(キャロル・ケイン主演)という作品をご存知だろうか。ベビーシッターの若い女性が連続殺人犯の脅威にさらされる物語である。前半は殺人犯からの“脅迫電話”とその末の幼児惨殺までが描かれ、後半は7年後に名士夫人となったヒロインが再び同じ犯人の影に脅かされる。

 「夕暮れに―」をもとにした今作は、オリジナル作品でも怖さが際立っていた前半部分に焦点を当てており、犯人とヒロインの心理戦は文字通り息が詰まるようだ。犯人が姿を現す終盤までの「見えない恐怖」が持ち味である。

 オリジナル作から時を経て、今様に改められた部分がさらなる恐怖のタネとなっている。電話は据え置きから携帯に変わった。ベビーシッターが幼児とともに留守番し、恐怖の舞台となる邸宅はハイテク装備である。

 携帯電話のお陰で犯人もヒロインも通話しながら自在に移動できるし、電波障害に悩まされることもある。通報した警察署の担当者がようやく突き止めた脅迫者の位置は? 扉を開けると通話中の彼がそこにいた、なんていう携帯ならではのシチュエーションがドラマやCMで多用されているが、据え置き電話ではあり得ない状況が脅かしネタとして次々に繰り出されるのだ。

 邸宅は全館がオートロックされるシステムだが、安全のように見えて逆にヒロインの脱出を阻害する原因ともなる。ほとんどが強化ガラスで覆われた屋敷を外から映すアングルは、ヒロインをかごの鳥のように見せる。これも強化ガラスで囲まれた中庭は、自動噴霧器によって視界ゼロにもできる。ホラー映画にありがちなゴシック調の館とはまったく違う“新感覚ビックリハウス”の趣なのだ。

 ヒロインは06年にプラダのモデルともなったカミーラ・ベル。オリジナル版とは異なった結末にふさわしく、濃い眉の気の強そうな顔で運命を切り開く。監督は「コン・エアー」(97年)「トゥームレーダー」(01年)など、手堅い娯楽作品の作り手というイメージのサイモン・ウェスト。

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2007年06月07日

のめり込む男たち

-ゾディアック(6月16日公開=米)-

 インタビュー記事で取材対象の表情を「遠くを見るような目になった」と、表現することがある。たいていは将来のことや夢を語った場面で使う。物理的には、目の焦点が遠くに結ばれている状態、つまりボーッとしている様を指すことになる。誰でも時々はそんな目をする。決して悪いことではない。だが、ずっとそんな目をし続けたら―。

 この作品の主要な登場人物たちは、いずれもそんな目をし続けている。

 60年代の終わりから70年代にかけて米西海岸で実際に起きた連続殺人事件「ゾディアック事件」が描かれる。未解決のこの事件は「劇場型」の走りで、犯人は挑発するようにメディアに犯行予告や暗号文を送り続けた。糸口をつかんだつもりで、手繰っていくとそこには必ず反証があって袋小路となる。が、すぐに別の突破口となるヒントが犯人から提供され、謎解きを止められない。事件解明にとりつかれた男たちは他のことには目もくれない。遠くを見る目をし続ける。

 一昨年暮にも同様の「目」を見た気がする。ジェイコム株の誤発注で20億円儲けたネットトレーダーの青年である。ジェイコム株を巡る騒動で注目された青年は、天才的ともいえる市場を読む目でコンスタントに利益を上げていた。すでに一生かけても使い切れない貯えが出来ているはずである。が、テレビ番組のインタビューの中では「そこに巨額の儲けがあると思うと止めたくても止められない」といった趣旨のことを辛そうに語っていて、意外な気がした。市場が開いている間は食事もカップ麺などで済ませながらコンピューターの画面に釘付けになってしまうという。遠くを見るような目、それも気のせいか寂しそうなのが印象に残った。億単位の儲けをうらやましくない、と言ったらウソになるが、彼にも“とりつかれた者”の苦しみがあるようだ。

 ゾディアック事件の虜になり、映画の中で主要な登場人物となるのは新聞社の風刺漫画家、敏腕記者、地元サンフランシスコ市警の担当刑事の3人。事件にのめり込んで周りが見えなくなった彼らは、妻に見捨てられたり、酒とドラッグに溺れたり…生活は崩壊していく。

 風刺漫画家は「ブロークバック・マウンテン」(05年)のジェイク・ギレンホール、記者はロバート・ダウニーJr.、刑事は「エターナル・サンシャイン」(04年)のマーク・ラファロ。それぞれに遠くを見る目が似合う人ばかりである。ギレンホールはそもそも純に思い詰める雰囲気だし、ダウニーJr.は巧みに狂気を宿してみせる。理詰めで追求するラファロ刑事の表情にも後半焦燥感があらわになる。三者三様のずしりとくる“競演”である。

 「セブン」(95年)のデビッド・フィンチャー監督もとりつかれたように細部にこだわり、人物描写はもちろん、事件と時代背景も濃密に描かれている。

 偶然にもこの作品と同じ日に、やはり遠くを見るような目をした男が主演する映画が公開される。スーパーマン俳優、ジョージ・リーブスのナゾの死に迫った「ハリウッドランド」。主人公の私立探偵にふんするエイドリアン・ブロディが「戦場のピアニスト」(02年)に劣らない好演だ。こちらの時代背景は「ゾディアック」の約10年前だが、米西海岸で実際に起きた“事件”を題材にしているところは共通している。「弾よりも早く…」のTVシリーズを見た世代には興味津々の作品である。

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