2007年05月31日
コミック戦記
-300(6月9日公開=米)-
私の世代にありがちだが、小、中学生のころ、よく戦記ものを読んだ。中でも好みだったのが「楠木正成の難攻不落の千早城」や「真田幸村の大阪の陣奮戦記」である。地の利や知略によって少数が多数を翻弄する逸話が不思議なほど好きなのだ。心理学的に分析した場合に、変なことになってしまわないといいのだが、フェチといっていいくらいこのテのものにひかれる。
だから、今回の作品は無条件で受け入れてしまう。わずか300人のスパルタ兵が100万ともいわれるペルシャの大軍に立ち向かったテルモピュライの戦いを描いているからだ。
ヘロドトスの「歴史」第7巻に記述されているこの戦いは紀元前480年、ギリシャ軍とアケメネス朝ペルシャの遠征軍の間で行われた。テルモピュライは海と切り立った崖に挟まれており、街道は狭いところで15メートルの幅しかない。ギリシャ側が大軍を食い止めるにはこれ以上ない地勢である。
「歴史」によれば、スパルタの重装歩兵300を始め当初ギリシャ軍は5200を数えたのだが、戦いの終盤、ペルシャ軍が抜け道を発見し、敗色が濃厚になった時点でスパルタ兵以外は続々と撤退を開始する。結局は決して敵に後ろを見せないスパルタ兵が残り、玉砕に至る。
原作はアメリカン・コミックス界のスター作家で、現代的な視点を吹き込んだといわれるフランク・ミラーだ。「デアデビル」(03年)や「シン・シティ」(05年)など彼が関わった映画の印象から、個人的にはダークなイメージを抱いている。といっても悪い意味ではなく、「スターウォーズ」のダースベイダーのような“魅力的なダーク”を表出する人である。
スパルタの王レオニダス(ジェラルド・バトラー)、歴戦の兵士たちはもちろん、ペルシャ王ら登場人物は文字通り劇画的に誇張がほどこされている。メリハリが効いている。スローモーションやクローズアップが多用された戦闘シーンは、ポイントを抜き出して提示する“パソコン機能”を駆使した印象だ。作品全体の流れを守りながら随所に殺陣を織り込んでいく従来型のアクション映画とは異質といえる。が、特殊技術を使い切ったようにみえる戦闘場面には思わず目を見開く。
前段で登場する子育ては、「スパルタ式」とは何たるかを改めて印象付ける。文字通り“戦闘マシーン”“戦争オタク”の製造過程である。映画が戦闘シーンに差し掛かるころには300が文字通りの少数精鋭であることをしっかりと認識させられる。
フランク・ミラーは製作総指揮も兼ね、監督はミュージック・ビデオで異彩を放っているザック・スナイダーだ。劇画的なキャラの中でスパルタ王妃にふんしたレナ・へディーの魅力が生々しい。総じて知名度の高くないキャストといえるが、その分「戦記もの」の極みを自然体で楽しめる。
2007年05月24日
「歯痒い」好演
-アヒルと鴨のコインロッカー(6月下旬公開)-
「広辞苑」にはこう書いてある。―【歯痒い】《形容詞》思うままにならないで心がいらだつ。もどかしい。じれったい―バラエティー番組では、しばしば笑いのきっかけになる“状態”だし、映画やドラマでも随所にまぶされる要素である。
実は今、日本一歯痒さを表現するのが上手い俳優だと勝手に思っているのが濱田岳である。放送中の「プロポーズ大作戦」(フジテレビ)でも、主演・山下智久の親友役として、やはり相当にじれったい。最初に彼に注目したのは04年の「3年B組金八先生」第7シリーズなのだが、このときから際立ってじれったく、それでも憎めない生徒役にはまっていた。
役柄の性格上、視聴者は「憎めない」とは思うのだが、好演、それも突き抜けた、という風には受け止めにくい。今作でも観客の目はどうしてもW主演の瑛太の方に行ってしまうだろうし、実際この映画の瑛太は年度末の各映画賞候補は間違いない、と思うくらいメリハリの効いた演技である。作品に巡らされた様々な仕掛けに関わることになり、楽しみを半減させかねないので詳述できないが、瑛太に騙され、魅せられる作品と言ってもいい。が、今回は常々気になっていた「歯痒さ」の方にあえて注目したいと思う。
原作は伊坂幸太郎氏の同名小説。大学進学とともに仙台に越してきた椎名(濱田)は、独特の雰囲気を持った隣人の河崎(瑛太)から声を掛けられる。「一緒に本屋を襲わないか」。同じアパートに住む引きこもりの留学生ドルジに「広辞苑」を贈りたい、という。買ったのでは意味がない、とも。
この矛盾だらけの申し出の意味、裏側がストーリーの進行に従って明らかになっていく。実はタイトルも含めて作品全体が細密な判じ物となっており、作り手側が観客にパズルのピースをひとつひとつ渡すように物語は進む。渡すピースの順番が作品の成否を決めるといっていい。脚本も兼ねた中村義洋監督は何よりそこに優れている。終着点までしっかり興味をつなぐ。見終わった後にはどうしようもないせつなさが心に残る。狙い通りなのだろう。
試写を見た時点で原作は読んでいないのだが、作品資料の原作者×監督の対談をみると、伊坂氏が本気で映画を気に入っていることが分かる。想像するにそもそも映像化の難しい作品だろうし、その仕掛けの数々を映像処理した上に何ともいえない空気のようなものも全編に漂わせた手腕に、原作者も感服したのだと思う。
で、ようやく本題の濱田についてだが、突き詰めるとこの空気というか、作品全体のバランスがそもそも彼に依っている、と思うのだ。瑛太を始め、関めぐみ、松田龍平、田村圭生、大塚寧々と彼を取り巻くキャストはしっかりとそれぞれに登場人物の強烈なキャラを際立たせている。そして皆の受けに徹しているのが濱田だ、と思う。煮え切らない表情、ときに気圧されたように尻すぼみになるセリフの発声。相手を生かしながら、そこに自分を絡めていく感じで、その辺が上手い。眉毛を下がり気味にし、声にはまだ変声期のようにかすれたところがある。持ち味を存分に活かしている。
ヒントを言い過ぎると、観賞の妨げになるが、瑛太が濱田に最初に声を掛ける「ディラン?」というセリフがポイントであり、見る側は否応なく反すうすることになる。あとは瑛太がいつも手にしているタバコ(パーラメント)もしっかり見てほしい。これくらいのヒントなら、きっと楽しみを減らすことにはならない、と思う。
2007年05月17日
本物のスナイパー
-ザ・シューター(6月1日公開)-
マーク・ウォールバーグはおそらくベストの配役なのだろう。「ボーン・アイデンティティー」(原作・暗殺者=02年)のマット・デイモンと同様である。タフな男のイメージがあり、この作品に出演するまでは印象を決定付けるような代表作がない。さらにスター俳優としては外見は“地味”で、群衆の中に溶け込めそうな感じがする。ブラッド・ピットやディカプリオのように必要以上にオーラを放つ心配はない。
今作(原作・極大射程)の原作者スティーブン・ハンターも「ボーン―」のロバート・ラドラムも細部までこだわるリアリティーを身上としている。決して目立たず、強靭な肉体と意志で強大な敵を倒すプロ中のプロをリアルに体現するためには、2人のようなキャラクターでなければならないのだと思う。
さらに撮影に先立つ訓練の段階でウォールバーグのスナイパーとしての才能も明らかになっている。米海兵隊の現役スナイパー、パトリック・ギャリティの指導を受けた彼は2日間の訓練で1100メートル先の人間大の標的に命中させる腕前になったという。「トリビアの泉スペシャル」(5月13日放送)に登場した旧ソ連のスナイパーが、ライフルでボーリングのストライクを狙った(結果は9ピン)―くらいで驚いてはいけない。軍事アドバイザーとしてクレジットされているギャリティは「“本物の偵察スナイパー”を映画で見せることができる」と満足したそうだ。
海兵隊特殊部隊の元スナイパー、ボブ・リー・スワガー(ウォールバーグ)は偵察任務中に親友を失ったことをきっかけに山中でひっそりと暮らしている。そこに退役大佐のジョンソン(ダニー・グローバー)が新たな特殊任務を持ち込む。大統領暗殺計画が進行中であり、これを阻止する方法をスナイパーの目から考えてほしいというのだ。スワガーは生来のスナイパーとして本能によって依頼を断ることができない。が、これは彼を暗殺犯に仕立て上げる周到なワナだった。容疑者として窮地に追い詰められたスワガーは反撃に出るのだが―。
舞台が原作より十数年後となる現代に設定されている関係から、スワガーがその実力を見せつける“伝説のン十人狙撃”を行う地はベトナムからアフリカの角に置き換えられている。その他にも様々な設定変更がなされている。
映画鑑賞にはむしろ“余計”ともいえる原作との違いにすぐに思い当たったのも、「極大射程」は数年前の発売直後に、文字通りむさぼるように読んだ作品だからだ。ワシントンポスト紙の映画批評家でもあるハンターの作品は、映像が頭に浮かぶような克明な描写の連続で読み始めから虜になった。続編も次々に読破し、スワガーの父アールを主人公にした“スピンオフ”シリーズも全部読んでしまった。というわけで映画を見る前から、ボブ・リー・スワガーに関しては(その父親に至るまで)自分なりの“人物像”がすっかり出来上がっていた。ベトナム戦争の英雄でもあり、地獄も見た男という動かし難いイメージも頭を離れない。ウォールバーグは間違いなくはまっているのだろうが、どうしても「貫禄不足」に見えてしまうのだ。
映画を見てから原作を読んだ「ボーン・アイデンティティー」の場合とは全然印象が違う。映画鑑賞後に「ボーン―」の原作を読んだときは、主人公のジェイソン・ボーンはまさにマット・デイモンのイメージで私の頭の中を駆け巡っていた。
80年代に角川映画のキャッチフレーズとして有名になった「読んでから見るか、見てから読むか」の2つのアプローチが実は全然違うことを今頃になって実感したわけである。純粋に映画を楽しむためには、むしろ原作を読まない方がよかったと思う。
付け足しのようになってしまうが、「トレーニング・デイ」(01年)のアントワーン・フークア監督は“男の生き様”にスポットを当てたしっかりとしたドラマに仕上げているし、スワガーの相棒役のマイケル・ペーニャの好演も光っている。
2007年05月10日
画面からはみ出るキャラ
-スモーキン・エース(5月12日公開)-
渋谷のパルコ劇場で上演された(5月6日まで)「コンフィダント・絆」を見た。三谷幸喜さんの舞台は「温水夫妻」(99年)以来である。久々だからかもしれないが、今回は予想していたより笑いの頻度が少なく、ひりひりした末にじわっと胸が熱くなった。「友情」に真正面から取り組んだ作品だった。
19世紀末のパリを舞台にゴッホ、ゴーギャン、スーラ、シェフネッケルという4人の画家が薄汚れたアトリエに集う。無名時代の彼らはうわべは友情で結ばれているが、互いにライバルであり、嫉妬心も見え隠れする。モデルとして彼らの前に現れた女性が触媒となって、彼らの愛憎は表面化し…。
そもそも登場人物が個性的な芸術家である上にキャストもそれぞれ強烈なキャラを立てている。中井貴一、寺脇康文、生瀬勝久、相島一之、堀内敬子である。文字通りゴッホの絵の勢いのように舞台狭しというか、はみ出す熱演が交錯する。
劇中、一心不乱に背景の色を塗り重ねていくゴッホ(生瀬)に点描画で知られるスーラ(中井)が「まだ塗るのか?」と呆れたように語り掛ける場面があるのだが、ゴッホの創作に重なるこのトゥーマッチな感じが舞台を象徴している。同様にあふれ返るように個性が集い、油絵のようにコテコテと塗り重ねたイメージが今回の「スモーキン・エース」にはある。主要な登場人物だけで約20人。試写を見てから数週間を経ても、一人一人のキャラは克明に思い出されるほど濃い。映像の中に渦巻く大量のエネルギーを否応なく感じさせられる一編だ。
人気マジシャンのエースは興行の裏側を知り、やがてそこを仕切るマフィアの真似事を始める。だが、派手な動きはFBIにマークされ逮捕。司法取引でマフィアの根幹を揺るがす証言をする怖れが出てきた。マフィアのボスはエースの首に100万ドルの賞金を懸け、各地から選りすぐりの殺し屋がやってくる。証人保護の側も腕利きのFBI捜査官、ボディガードが登場し…。だが、エースとボスの裏にはとんでもない秘密が…。
ターゲットに限らず、殺すことにまったくためらいのない劇画調の3兄弟や、大砲のような威力を持つ50口径の狙撃ライフルを操る女性スナイパー…。ジョー・カーナハン監督の指示でキャストそれぞれが強靭な肉体作りから始めたという銃さばきの巧みさ、その重さを意識した速過ぎない微妙な動きが生々しい。それぞれがコミック誌から抜け出たようなキャラにも関わらず、不思議なほどリアルに見える。銃以外でもマジシャンのエースにふんしたジェレミー・ピヴェンはトランプマジックの特訓を重ね、実際に一流クラブのステージに立って実演してみたというから念が入っている。追い詰められ、コカインで目を血が滲み出たように赤くするシーンも静かな迫力だ。指先の動きまで克明に脚本に書き込むカーナハン監督(兼)の仕事ぶりがうかがえる。
前作「ナーク」(02年)で注目され、トム・クルーズから「Mi:3」(06年)の監督を依頼されながら断ったというカーナハン監督のこだわりは尋常ではない。舞台は観光地と暗黒街の2面性を持ち、「ゴッドファザー2」(74年)でも重要な役割を果たしたタホ湖。実は監督が育った地でもあり、まさに格好のホームグラウンドなのだ。「Mi:3」を断っても撮りたかった今作への熱が、個性派ぞろいのキャストに伝染しコテコテに厚(熱)い作品に仕上がった。
ベン・アフレック、アンディ・ガルシア、レイ・リオッタら、主演クラスでありながら腹にイチモツ持ったイメージの面々が集い、これがまたあっけなく死んでしまったり、相当に脇っぽい位置に甘んじていたりする。監督の熱に強引に納得させられてしまったのだろう。R&B歌手で今回殺し屋の一人としてスクリーンデビューしたアリシア・キーズの美しさは特筆ものだ。「ドリーム・ガールズ」のビヨンセに勝っている。
2007年05月03日
歌のチカラ
-歌謡曲だよ、人生は(5月12日公開)-
久々、耳について離れない、という経験をした。下北沢の雑貨店兼レコードショップで流れていた「夜空ノムコウ」のカバーソングである。矢野顕子の舌の丸まりをやや伸ばしたような歌い方が、思いきりキレを良くしたリズムセクションと弦楽器を中心としたアレンジと相まって不思議なくらい心地よいのだ。
そのときは、予定していた別のアルバムを買って帰ったのだが、後から気になって仕方がない。が、アーティストもアルバムタイトルも分からない。この年齢で若い店員さんに「あの『夜空ノムコウ』のカバーで――」などとたずねるのは気後れする。後日出かけた銀座のレコードショップでは一人途方にくれて一度は退散した。それでも諦められず、思いつくままのワードを入れて検索を繰り返し、ようやくSotteBosse(ソットボッセ)の「イノセント・ビュー」であることを突き止めた。ネット上の書き込みを見ると実は私と同じような思いにとらわれた人は少なくない。そして、3度目のレコードショップ通いでようやく、このアルバムと前作「エッセンス・オブ・ライフ」を手に入れた。
ようするにヒット曲をレゲエやボサノバにアレンジしたオールカバーのアルバムなのだが、改めて2枚のアルバムを聞いて、ウケる理由が分かった気がした。ボーカルCanaの歌には押し付けるところがまったくない。“間”のある弦楽器中心のアレンジが、歌詞の耳通しを良くし、内容が明解に伝わってくる。本末転倒のようだが、それぞれのオリジナル盤では歌手の“個性”に押されて気付かなかった歌詞の良さにしみじみさせられるのだ。
この映画はいい歌なら必ずそなえている、そんな“吸引力”を根源としたオムニバス作品だ。もう少し素直だった幼年期に聞いたせいもあるのだろうが、今回題材となっている昔の歌謡曲は昨今のヒット曲よりダイレクトに胸に響いていた、気がする。込められた思いやストーリーもくっきりしていた。ソットボッセのような“解読フィルター”は必要なかった。
映画は昭和のヒット曲12曲をモチーフに別々の監督がメガホンを取った12パートからなっている。面白かったのは園まりの「逢いたくて逢いたくて」とロス・プリモスの「ラブユー東京」だ。
「逢いたくて―」はアパートに越してきた夫妻(妻夫木聡、伊藤歩)が、前の住人(ベンガル)の大量の手紙を発見したことから始まる。それは、あて先不明で返送されたラブレターの束だった。ストーカーまがいの男か? そんなところにその男が挨拶にやってくる。慌ててその束を隠し、体よく男を送り出した夫妻だが、その直後にハガキが届く。差出人は男が手紙を送り続けていた女性だった。そしてその中身は? 男を乗せた引越しトラックはまさに出発しようとしていたが…。
じんとくるちょっといい話である。「スウィングガールズ」(04年)の矢口史靖監督が原曲に込められた強い「思い」を生活感のあるエピソードに絡めて小技を効かせている。
「ラブユー―」は太古の昔と今をリンクさせた恋の物語。それが男同士ということで…。「スウィングガールズ」のメーキングを担当した片岡英子監督がめいっぱいスケールを広げて笑わせる。原曲のネオン街のパープルがかったイメージもしっかり重ね合わせており、「それでもボクはやっていない」(07年)の裁判官役が印象的だった正名僕蔵の“怪演”が光る。
他では、漫画家の蛭子能収さんが監督した「いとしのマックス」(荒木一郎)の漫画の作風そのままのぶっ飛びぶりも見ものだ。
冒頭、ソットボッセの吸引力に“紙幅”をさいてしまったが、この映画と重なっているのは「歌の力」だけではない。作り手が原盤(曲)を心の底から敬愛している文字通りのトリビュート作品であることだ。だからこそ、強くひかれるのだと思う。