ヨシネーのひとりごと

プロフィル

★本名:保坂淑子(ほさかよしこ)。秋田県出身。★経歴:日刊スポーツ出版社在籍中は、「プロ野球ai」「輝け甲子園の星」のデスク担当。平成14年、退社しフリーに。現在は「プロ野球ai」デスク担当。「輝け甲子園の星」では“ヨシネー”として連載を持つ。甲子園には春5回、夏10回(記者として)出場!?プロ野球、アマチュア野球を中心に執筆中。

2007年03月
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2006年04月04日

おめでとう横浜ナイン!福田主将の涙が象徴する日本一の横浜の強さ、チームワーク。

4-1.jpg マウンドでの優勝の喜びの輪が解けると、キャプテンの福田永将君(捕手・3年)に川角謙君(投手・3年)が駆け寄って言いました。「ありがとう」と。福田君の目からは涙が止まりませんでした。(左、写真が福田君)
チームメートも一人ずつその頭をなでていきました。
「今日ほどみんなの手があったかく感じたことはあっただろうか…」
そう思うとまた涙がこぼれてきました。
「泣きながら、これまでの辛かったことを思い出していました」と福田君。

「私のこれまでの指導歴の中でも、これほどまでに個性的な選手の代はなかった」とベテラン渡辺監督も言う今年の横浜ナイン。打ちたい気持ちばかりで、細かいプレーには身が入らない。チームプレーができない。そんな個性派軍団の主将を任されたのが福田君でした。
「気の毒なくらいマジメな子。本当ならば、主将という重荷を背負わせずに、好きなバッティングを思い切りやらせてやりたいんですよ。でも、この子でなければこのチームの主将はつとまらないのです」と監督。
いつも、選手の矢面に立って怒られました。みんなに意見をしても、選手たちは言うことを聞いてくれません。
「去年の秋は、自分がチームで浮いているのがわかるんです。でも、自分が投げたら終わりだと言い聞かせました」(福田君)
 甲子園に来た当初も状況はほとんどかわりませんでした。迎えた初戦の履正社戦。福田君がサインの見落とし。試合は1対0で勝ったものの、ちょっとしたミスで負けかねなかった。その日の夜。全員の前で、監督が福田君を怒鳴りつけたそうです。
「チームプレーができないオマエに選手の資格はない」、と。
これまでガマンしていた涙が、目からポロポロとこぼれてきました。
初めてミーティングで見せた福田君の涙。選手たちは、大舞台でのチームプレーの大切さを知りました。「勝ちたい」そのためには、どうしたらいいのか。選手一人一人が福田君の涙をきっかけに真剣に考えました。
4-2.jpg2回戦の八重山商工戦からは見違えるようにチームプレーに徹しました。大振りしないでコンパクトに振る。塁に出たら、次の塁、次の塁へと果敢に挑む。監督が言い続けてきた「つなぐ野球」。選手たちはそのための細かいプレーの重要さを肌で感じました。そして、バッティングの調子が悪い福田君には全員が声をかけました。
「楽にいけ!」と。マウンドの川角君にも「大丈夫だ」と声が飛びました。
 1戦1戦、チームワークを育み、強さを増していった横浜。主将、福田君の涙が象徴する横浜の野球。この春、優勝のうれし涙は甲子園でひときわ強く輝きました。
頑張ってきてよかったね、福田君。おめでとう横浜ナイン!
【写真は、左から下水流昴君(中堅・3年)、橋本勝輝君(補欠・3年)白井史弥(横浜・二塁・3年)、岡田龍明(横浜・一塁・3年)、川角謙(横浜・投手・3年)、後ろは深田将史君(補欠・3年)】

4-3.jpg「夢みたいです! ビックリっていうか…信じられないです。佐賀から出てきて本当によかったです。最後の打球が自分のところに飛んできて、そういうことを全部考えました。今まで逃げずにやってきてよかったな~って言う思いを最後の送球にこめて一塁に投げました!」
 遊撃手の高濱卓也君(横浜・3年、左写真)は笑顔でそう話してくれました。その右足は、痛そうに引きずっていました。3月中旬の練習で右ヒザの裏の軟骨を痛めました。その前に疲労骨折した右足甲をかばって負担がかかってしまったのです。このセンバツはケガをおしての出場。試合前には痛み止めの薬を飲みます。でも、試合後半になると薬が切れて再び痛みが走ります。
「ベンチの中を歩くのも、足を引きずって歩くくらい。でも、不思議とプレーが始まると痛みを忘れられるんですよ」集中力が痛みを和らげていました。
 今日の決勝戦では6打数4安打5打点。初球から積極的にミートしてとらえる。今大会は、4割1分7厘の大活躍でチームを優勝に導きました。
 小さい頃から、佐賀工で野球経験のある父親との練習が日課。小学生4年の夏にはテレビで夏の甲子園の横浜対PL、延長17回の試合を見ました。
「すごいな…」言葉が出ませんでした。
「僕も横浜で野球をしたい」野球少年の心は決まりました。父親の果たせなかった夢、甲子園出場を憧れの横浜で叶える。その一心で、佐賀から上京。遠く親元を離れての慣れない寮生活。厳しい練習の毎日。
――ここで野球をするために来たんだ。横浜のユニホームを着て甲子園に出るんだ――
そう心に言い聞かせて耐えてきました。
「逃げずにやってきてよかったです」
この春、横浜高校がセンバツの頂点を決めた最後の1球。一塁への矢のようなスピードの高濱君の送球。そこに込められた高濱君の熱い思い。
野球少年の夢は今、現実のものとなりました。そう、夢は努力で叶うんだよね。おめでとう、高濱君! でも…足を引きずる姿は、本当に痛々しかったよ。早く足を治して、夏はもっと万全な状態で甲子園を走りまわれますように…。

April 4, 2006 08:17 PM