ヨシネーのひとりごと

プロフィル

★本名:保坂淑子(ほさかよしこ)。秋田県出身。★経歴:日刊スポーツ出版社在籍中は、「プロ野球ai」「輝け甲子園の星」のデスク担当。平成14年、退社しフリーに。現在は「プロ野球ai」デスク担当。「輝け甲子園の星」では“ヨシネー”として連載を持つ。甲子園には春5回、夏10回(記者として)出場!?プロ野球、アマチュア野球を中心に執筆中。

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2005年11月06日

亜細亜大学、一部昇格。4年生の熱い思い。

1106ajia2-a.jpg--一生、忘れられない涙--今日の亜細亜大学の選手たちにとって、その涙は、一生忘れられない涙だったでしょう。東都大学野球リーグ入れ替え戦で中央大学に連勝し一部昇格を果たした亜大。部内の不祥事で春は出場停止。秋のリーグ戦は降格した2部で優勝しての今日、この入れ替え戦でした。
 私が輝け甲子園の星秋季号の取材でグラウンドに行ったのは9月30日。
「今はただ結果を出すことだけ。秋には必ず一部に昇格するんだ」
選手たちの気迫のこもる練習には、その気持ちが伝わってきていました。中でもこの入れ替え戦への思いが深かったのは4年生だったかもしれません。大学野球最後の年、春はリーグ戦に出られず。そして、最後の秋のリーグ戦は二部からのスタート。でも、亜大の4年生たちは、「後輩たちと一緒に1部に昇格することが、僕らの最後の役割」と、チームを引っ張ってきました。

事件が起こっていろいろな情報が飛び交い、練習が自粛される中、寮に閉じこもっていた間も、励ましあった仲間たちと--。
春のリーグ戦に出られず目標を失いかけていた頃に声をかけあって一緒に練習した仲間たちと--。
1球1球、ベンチから身を乗り出して全員が声をかけ、内野ゴロでも一塁に滑り込む。泥だらけになりながら、必死に勝ち取った一部への切符でした。そして一部昇格を決めて、抱き合いながら流す涙は、彼らにとって一生忘れられない涙になったことでしょう。

試合直後、選手全員が涙。記者として感情的になって涙を流すのは失格だけど、今日だけはゴメン、泣いてもいいよね?って自分に言い聞かせてウルウル… (T_T) 
キャプテンの松田君とともにチームを支えてきた大河原君、今日、逆転のタイムリーを打った1年生の岩本君、今日、リリーフ登板した鶴川君。そして、いつもチームを影から支え続けてきたマネージャーの横田君。みんなとの握手。ぎゅっと握ってくれるその力強さに、みんなの喜びが伝わってくるようでした (T_T)…。

1106asia1-a.jpg控え室前で、選手たちが出てくるのを待っていると、最初に出てきたのは1,2年生…そして次に3年生。ふと、中をのぞくと4年生がその控え室の掃除をしていました。そっか、みんなにとって最後の神宮球場なんだね。
1年から3年までは当たり前のように使っていた1部の球場、神宮球場。4年になってからはこの入れ替え戦でしかプレーできなかった。最後の「ありがとうございました」の気持ちのこもった掃除でした。4年生のみんなお疲れさま。そして、最後まで気持ちのこもったプレーをみせてくれてありがとう。(写真は、控え室の前での亜大の4年生)

球場の外で最後に私と笑顔で握手してくれたのは、今回の入れ替え戦でベンチに入れなかった2年生の沖田浩之君でした。それまで握手をした誰よりも、厚く、そしてマメでガチガチになっていました。メンバー外の選手も、決して手を緩めない練習の毎日なんだね。4年生のみんなが築きあげた亜大の歴史と、そしてこの1部の座は、後輩たちがしっかりと守ってくれるよ。
そう、今日、入れ替え戦で1部昇格を果たしても、亜大にとってはこれが終わりではないのです。
来春から、1部で本当の強さを見せることが完全復活と言える。
亜大の戦いは、今始まったばかり。頑張れ、亜大!


November 6, 2005 03:32 AM

2005年11月04日

トライアウトへ~平岡政樹選手

1106-hira.jpg「元気ですよ」どんな声をかけていいのか。ドキマギしていた私に、平岡政樹君から声をかけてくれました。今日は、プロ野球aiの取材で巨人のファーム取材に行ってきました。
ほとんどの若手選手は1軍秋季キャンプへ。ケガでリハビリ中の選手たちと調整中の若手選手だけが残って練習しています。その中に、今季、戦力外通告を受けた2年目の投手、平岡政樹君がいました。1年目は高卒ルーキーながら1軍に7試合登板。そして2年目の今年は右肩を痛めイースタンに6試合。わずか81/3回に出場。その回復の目途が立たないということで、戦力外通告を受けたのが10月24日でした。
「最初は、さすがに落ち込みましたよ。どうしてだろう、ってね。でも、まだプロ野球選手でいたい。先輩や周りの方々からもたくさんの声をかけてもらいました。今はもうやるだけです」
プロ2年目の苦しい現実。やるだけ、というのは11月7日のトライアウトです。
戦力外通告を受けてからも、巨人ではトライアウトまでは寮での生活と、2軍選手との練習も認めてくれています。
「病院の診断は、完治している。まだ投げると痛みがあるのは、精神的なものや、フォームによるものだと思う。だからこそ、まだまだできるんです、僕は」
決定的な診断が下されたわけではない。まだ可能性は残されている。トライアウトでも、本来の速球を投げるまでは回復はしていないけど、その可能性を見て欲しい、と平岡君は言います。
「速球を投げるのが自分らしさ」高校3年の春、センバツで147kmを記録。一躍、甲子園に速球派投手としての名前をとどろかせてからわずか3年。もう一度、あの速球を。そして、マウンドでの笑顔が見たいな。


November 4, 2005 03:22 AM