ヨシネーのひとりごと

プロフィル

★本名:保坂淑子(ほさかよしこ)。秋田県出身。★経歴:日刊スポーツ出版社在籍中は、「プロ野球ai」「輝け甲子園の星」のデスク担当。平成14年、退社しフリーに。現在は「プロ野球ai」デスク担当。「輝け甲子園の星」では“ヨシネー”として連載を持つ。甲子園には春5回、夏10回(記者として)出場!?プロ野球、アマチュア野球を中心に執筆中。

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2005年08月19日

東北・松山真也君、病気を乗り越えての甲子園

0819-1.jpg「弟が試合に出て頑張っているんですよ」7月下旬に連絡をくれたのは、3年前、智弁学園の主将として甲子園に出場した松山哲也君(現中京大)でした。弟とは、東北の背番号5番松山真也君(左写真)。哲也君が喜んでいたのにはワケがありました。それは、3月初旬のこと。急に真也君の手足がしびれ始めボールまで握れなくなりました。病名は、「ギランバレー症候群」。筋肉を動かす運動神経が傷害されて力が入らなくなる病気です。完治するまでは半年から1年かかると診察。夏は間に合わないかもしれない。病院のベットの上で涙。消灯後も眠れない日々が続きました。
0819-2.jpg「お箸も使えない弟を見てショックでした」と兄の哲也君(左写真)。お母さんもまた、病気で苦しむ息子を目の前に、「東北で野球をやりたい、と奈良から仙台へ出しましたが、こうやって一人、仙台で苦しんでいる真也を見ると、親元から離さなければよかったと思うんですよ」と自分を責めました。そんな真也君を再度、やる気にさせたのは、兄の一言と両親の支えでした。「オマエも夏の甲子園に出て俺を超えてみろ!」2年連続で夏の甲子園に出場している兄。小さい頃からケンカばかりしてきた兄の叱咤激励が心にしみました。やれるだけやってみよう。真也君のリハビリがスタート。その後の驚異的なスピードで回復。5月から練習開始。握力0からのスタートでした。夜間練習では、10時過ぎまでバットを振り続けました。県大会では、チームイチの12打点。そして甲子園でも15打数5安打3打点の活躍でした。病気を乗り越えて甲子園を一緒に戦った兄と弟、そして両親。深い家族の絆が生んだ松山君の甲子園でした。

August 19, 2005 09:35 AM