2005年08月18日
「泥くさく」日大三、全員野球で完全燃焼の夏
日大三には、監督、コーチ、部長。そして、選手たちが認める選手がいます。工藤洋平君(写真右)です。チームイチの元気者で盛り上げ役。そして、甲子園では練習の手伝いから、用具を運んだり、と裏方として大活躍でした。工藤君は今年の春までベンチ入り。しかし、夏の西東京大会前のメンバー発表で外れてしまいます。メンバーに入れなかった選手を集めて監督が説明をしているときのことを工藤君は忘れません。「いつもは目を見て話してくれる監督が、この時だけは目を逸らして話していた。監督の辛い気持ちも伝わってきました」泣きながら立ち上がって言いました。「僕にできることがあれば何でもやります!」以来、甲子園では裏方の仕事を先頭を切ってやってくれました。監督、コーチ、部長、そして選手たちは感謝でいっぱいです。「日大三での2年半の野球は僕の一生の宝物です」と、宇部商に敗戦後に言ってくれました。甲子園ではベンチ横でボールボーイ。工藤君の存在は、裏方なんて言葉じゃ現しちゃダメだね。ベンチの一番近くで選手たちを見守る19番目の選手なのです。
こうして、ベンチ入りも控えも、一緒に戦った日大三。このチームを一つにまとめたのは主将の中山怜大君(写真右、二塁・3年)でした。「昨秋は、チームをうまくまとめられなくて悩みました」中学時代の主力ばかりが集まったチーム。それだけに個性が強い。「人から注意されるのは面白くないでしょう。よく意見がぶつかりました」センバツ出場も逃しました。夏を目指すために信頼関係を築きたい。そこで、怜大君は一歩も引かずとことん話しあうことに。時には夜中の3時近くまで語りあったこともあります。こうして一つ一つ築き上げてきた絆。ベンチもベンチ外の選手も一つになって戦った甲子園。準々決勝の宇部商戦、怜大君は最後の打席で一塁にヘッドスライディングで体中、泥だらけ。試合後、怜大君と握手をしました。「ありがとうございました」と。私の手に残った甲子園の土。それは、日大三の野球を完全燃焼した主将の証に感じました。
August 18, 2005 09:30 AM
