2005年08月21日
駒大苫小牧、奇跡の夏に~
「今日は楽しくやれればいいと思っていた」と香田監督。今年の駒大苫小牧の選手たちの合言葉は「楽しむ」でした。
昨夏、手にした優勝旗。その栄光と引き換えに手にしたものは「連覇」という重いプレッシャーでした。どこに行ってもたくさんの人の目と期待。「何かに踊らされている野球だったし、見世物の野球をしているみたいで辛かった」と青地君【下段写真左から田中将大君(投手)、青地祐司君(左翼)、小山佳祐君(捕手)】
今春のセンバツでは2回戦敗退。春季北海道大会では初戦で敗退。ベストな状態の夏はあるのか。監督の葛藤と不安は練習量に比例しました。朝、昼、そして夜間練習。1日中ボールを追いかける日々が続きます。6月。ふとグラウンドを見ると、去年のチームのように打ち勝つ野球をしようと必死な選手の姿がありました。今年の選手たちらしさを失っている。このままじゃいけない。
「センバツも出たからいいじゃないか。夏も出たいなんて贅沢を言わないで自分たちの野球を楽しくやろう」と監督。
これがこのチームの奇跡が始まりでした。選手たちは泥臭く執念でボールを追いかけました。甲子園出場を果たし、「全員で優勝旗を返しに行くこと」が実現。「僕の一つの仕事は終えた。この後はお祭りです。楽しんで野球をやって欲しい」と監督。その言葉通り、選手たちは自分たちらしく甲子園をかけまわりました。準決勝まで無失策。最後まであきらめない野球は、準々決勝の6点の大逆転劇を生みました。強豪大阪桐蔭が相手でも、臆することなく真っ向勝負。決勝戦、試合にでた選手11名のユニホームは土で真っ黒。例えゴロでも一塁までは全力疾走で頭から滑り込み内安打4本を生みました。
もがき苦しんだ分、強いチームができていた。辛い思いをたくさんした分、笑顔で野球を楽しめる。駒大苫小牧、奇跡の夏は笑顔で幕を閉じました。
August 21, 2005 09:46 AM
2005年08月20日
優勝旗に負けない強さ~駒大苫小牧、林裕也君
「みんな最高だ!」5万人の大観衆の前で叫びました! 応援してくれた観客への挨拶。そして何より一番に「最高だ」と伝えたかった相手はチームメートでした。【写真左から五十嵐大君(三塁)、林裕也君(二塁)、本間篤史君(中堅)、辻寛人君(遊撃)】
辛かった。苦しかった。全国制覇を果たし、周囲の目は一変しました。チームが一新したにもかかわらず、秋季大会に優勝すると「夏、春連覇」と期待されました。センバツでは2回戦敗退。しかも8回まで無安打に抑えられる屈辱的な敗退。その後の春の全道大会1回戦で白樺学園にも敗退。勝てない。でも、何かをしなければ。この時期、精神的に追い込まれ7kgも体重が落ちました。パワーも落ちて打てない日々が続きました。すべてが悪循環。そんなとき、チームメートの提案で選手だけのミーティングを開きました。一人一人名指しで直して欲しいところを言い合う。一歩間違えると中傷でチームが崩壊し兼ねません。でも、そうでもしないと何も見えない。もちろん林君も言われました。
「一人で背負うな」「一人で悔しがるな」、と。
みんなで支える。
協力するから一人で背負うなよ。
みんなが林君の肩を優しくたたきました。自分で引っ張っているつもりだったチームが、気がつけば友が自分の背中を押していたのです。
「もう一度みんなで頑張ろう」そう気持ちを新たにして夏の大会に向かいました。そして、南北海道大会優勝。「正直、プレッシャーもありました。一人で帰しに行くのはかっこい悪いと思ったり。もう勝てないんじゃないかと思っていました…」そう言って泣き崩れました。
「いいキャプテンになりました。夏になって重荷がとれたんでしょうね。甲子園では生き生きとしています。自分のプレーだけしようと思っているんでしょう。でも、それが結局、チームを引っ張っているんですね」と香田監督も頼もしく成長した林君を見つめました。
去年の主将、佐々木孝介君(現駒大・1年)から譲り受けた数珠は試合の時以外は肌身離さず持ち歩いています。プレーでチームを引っ張る姿は、今でも尊敬しています。苦しくなると、桑島優君(現愛知学院大・1年)に電話をします。唯一、弱音を吐ける存在。「4月に電話があったときは、小さい声で“辛いです”って言っていました。精神的に参っていたんでしょう。それが全道大会で打ったときには真っ先に電話をくれました。”打ちましたよ“っていう裕也の元気な声は、まるで去年の夏のアイツを思い出させるようでした。もう大丈夫でしょう」と桑島君。
先輩たちから受け継いだのは、重い優勝旗だけじゃない。野球への精神も受け継ぎました。そして、チームメートに支えられてここまできた。そんな思いが、「みんな最高だ!」にこめられていたのです。
小さい頃はどこへ行くにもお母さんと一緒。近所の公園ですら一人で遊ぶことのできなかった内気な少年が、全国の頂点に立ちました。野球が、林君を大きく成長させた。重い優勝旗に押しつぶされそうなくらい、小さい人間だったのかもしれません。しかし、この1年間で大きく成長して、その重さをしっかりと支えられる人間性を身につけた。もう優勝旗の重さになんて負けない。「1年間の自信」を胸に、また新たに歩き始めます。
August 20, 2005 09:42 AM
2005年08月19日
東北・松山真也君、病気を乗り越えての甲子園
「弟が試合に出て頑張っているんですよ」7月下旬に連絡をくれたのは、3年前、智弁学園の主将として甲子園に出場した松山哲也君(現中京大)でした。弟とは、東北の背番号5番松山真也君(左写真)。哲也君が喜んでいたのにはワケがありました。それは、3月初旬のこと。急に真也君の手足がしびれ始めボールまで握れなくなりました。病名は、「ギランバレー症候群」。筋肉を動かす運動神経が傷害されて力が入らなくなる病気です。完治するまでは半年から1年かかると診察。夏は間に合わないかもしれない。病院のベットの上で涙。消灯後も眠れない日々が続きました。
「お箸も使えない弟を見てショックでした」と兄の哲也君(左写真)。お母さんもまた、病気で苦しむ息子を目の前に、「東北で野球をやりたい、と奈良から仙台へ出しましたが、こうやって一人、仙台で苦しんでいる真也を見ると、親元から離さなければよかったと思うんですよ」と自分を責めました。そんな真也君を再度、やる気にさせたのは、兄の一言と両親の支えでした。「オマエも夏の甲子園に出て俺を超えてみろ!」2年連続で夏の甲子園に出場している兄。小さい頃からケンカばかりしてきた兄の叱咤激励が心にしみました。やれるだけやってみよう。真也君のリハビリがスタート。その後の驚異的なスピードで回復。5月から練習開始。握力0からのスタートでした。夜間練習では、10時過ぎまでバットを振り続けました。県大会では、チームイチの12打点。そして甲子園でも15打数5安打3打点の活躍でした。病気を乗り越えて甲子園を一緒に戦った兄と弟、そして両親。深い家族の絆が生んだ松山君の甲子園でした。
August 19, 2005 09:35 AM
2005年08月18日
「泥くさく」日大三、全員野球で完全燃焼の夏
日大三には、監督、コーチ、部長。そして、選手たちが認める選手がいます。工藤洋平君(写真右)です。チームイチの元気者で盛り上げ役。そして、甲子園では練習の手伝いから、用具を運んだり、と裏方として大活躍でした。工藤君は今年の春までベンチ入り。しかし、夏の西東京大会前のメンバー発表で外れてしまいます。メンバーに入れなかった選手を集めて監督が説明をしているときのことを工藤君は忘れません。「いつもは目を見て話してくれる監督が、この時だけは目を逸らして話していた。監督の辛い気持ちも伝わってきました」泣きながら立ち上がって言いました。「僕にできることがあれば何でもやります!」以来、甲子園では裏方の仕事を先頭を切ってやってくれました。監督、コーチ、部長、そして選手たちは感謝でいっぱいです。「日大三での2年半の野球は僕の一生の宝物です」と、宇部商に敗戦後に言ってくれました。甲子園ではベンチ横でボールボーイ。工藤君の存在は、裏方なんて言葉じゃ現しちゃダメだね。ベンチの一番近くで選手たちを見守る19番目の選手なのです。
こうして、ベンチ入りも控えも、一緒に戦った日大三。このチームを一つにまとめたのは主将の中山怜大君(写真右、二塁・3年)でした。「昨秋は、チームをうまくまとめられなくて悩みました」中学時代の主力ばかりが集まったチーム。それだけに個性が強い。「人から注意されるのは面白くないでしょう。よく意見がぶつかりました」センバツ出場も逃しました。夏を目指すために信頼関係を築きたい。そこで、怜大君は一歩も引かずとことん話しあうことに。時には夜中の3時近くまで語りあったこともあります。こうして一つ一つ築き上げてきた絆。ベンチもベンチ外の選手も一つになって戦った甲子園。準々決勝の宇部商戦、怜大君は最後の打席で一塁にヘッドスライディングで体中、泥だらけ。試合後、怜大君と握手をしました。「ありがとうございました」と。私の手に残った甲子園の土。それは、日大三の野球を完全燃焼した主将の証に感じました。
August 18, 2005 09:30 AM
2005年08月17日
今野球が楽しい!駒大苫小牧・林裕也君
「奇跡ですね。途中で泣きそうでした」お立ち台で林裕也君(駒大苫小牧・二塁・3年)は、ホッと一息ついて笑顔を見せました。まさに「奇跡」の試合。7回に6点差を逆転したパワーに、一番驚いていたのは、監督と選手たちでした。「選手はすごい。見ていて涙が出てくるようだった」と香田監督も声を震わせました!
7回、1点を返し一死二三塁でバッターボックスに立った林君は、「奇跡」の予感をかすかに感じていたそうです
「ふと、去年の決勝戦で、佐々木孝介さん(前主将、現駒大)の打球がレフトの頭を越えていく打球を思い出した。あの決勝戦、それが口火で逆転しましたからね」その思い通り。レフトの頭を越える2点を返す2ベースヒット。
「思い通りのバッティングができました。決勝での孝介さんのバッティングを見て、ずっと同じ打球を意識してやってきた。その成果がでましたね」
「奇跡」を起こす原動力がもうひとつありました。6回裏、ベンチ前での円陣で監督が選手たちに言いました。「6点差もあるんだ。もう開き直っていこう。ガンガン打っていけ!」それまではつなぐバッティングを全員が意識していました。この一言で選手たちも開き直り、振っていきました。それが岡山君の二塁打を皮切りに5長短打、打者11人の猛攻につながったのです!
2点先制された1回裏には、レフトスタンドへのソロホームラン。5回には内安打。あと一歩で2年連続のサイクルヒットの活躍です。
「連覇? いえ、今は野球が楽しい!」
満面の笑みは、今年の駒大苫小牧の強さを物語っていました。
August 17, 2005 09:28 AM
2005年08月16日
努力の成果の1打席~青森山田高橋浩二君。
「何試合も打席に立たせてやれなくて、ごめんな。この2年半やってきたことを思い切りぶつけてこい!」 今日の第1試合、青森山田対東北。9回表、青森山田の先頭バッターに代打のコール。背番号15番の高橋浩二君(写真、一塁・3年)は渋谷監督からそう言われ、元気よくベンチから出てきました。
この夏の甲子園で初めての打席。カウントは2-3。見逃したら四球かもしれない。でも、高橋君の頭の中には、監督の言葉が残っていました。『思いをぶつけてこい!』。
「みんなには申し訳ないけど、三振でもいいから思い切り振ろうと思いました」ここで高橋君は思い切り振って二塁ゴロに。 「思い切り振った結果。納得しています」
甲子園のバッターボックスに立てたのだから。打球が飛んだのだから。ゴロでも、手には、いつまでもその打球の感触が残っていました。(2対4で敗退)
センバツのこの日記でも書いたのですが、高橋君はセンバツでは背番号3でした。昨年夏は、県大会登録選手が20名から、甲子園登録メンバーは18名に絞るとき、外れた一人が高橋君でした。スタメンになりたい。試合に出たい。その一心でこれまで練習に励んできました。
センバツ、初戦の沖縄尚学戦では一塁手としてスタメン出場。しかし、初回からエース柳田将利君が打ち込まれ、2回から降板して一塁の守備へ。高橋君はバッターボックスに一度も立つことなくベンチへ戻りました。敗戦の試合後、「バッターボックスに立ちたかった。今までやってきたことをやろうとしていたけど…出ないことには意味がない。悔しい…」と、涙が止まりませんでした。(3対16で敗退)「夏は必ずバッターボックスに立つ」みんなよりも多く練習しなくては、と練習が休日の日も、一人でバットを振り続けました。
そして、この夏。やっと手にした背番号は15。努力の成果の背番号。
「やるだけのことはやったんです。監督は見ていてくれた。とてもうれしいです。この2年半、高校野球をやりきったと思います」
試合後に見せてくれた笑顔は充実感でイッパイでした。
たくさん泣いて、たくさん悔しい思いをして。そして人一倍練習してきた。
そのご褒美のたった一度の甲子園のバッターボックス。がんばってきてよかったね、高橋君。
August 16, 2005 06:47 AM
2005年08月15日
赤…黒…青。帽子は成長の証。鳴門工・藤良裕君!
「ホームランは軽く振ったら入りました。僕怪力なんで」鳴門工の藤良裕君(一塁・3年・写真右から2番目)は、試合後、平然と言いのけました。え! 軽くなの? ホームランを軽く放り込んだの~?
4回、相手の失策で同点とした直後、左前へ勝ち越し2点打。5回、左中間へ特大の2ラン! 9回にはダメ押しの適時打を右前に。これが自身、公式戦15号ホームラン。
鳴門工はみんなたたきつけるバッティングをしているチーム。それをホームランなんだから、よっぽどのパワーなんだね。
「ホームランなんて狙っていませんでした。たたきつけたつもり。スタンドに入ると思わなくて、思い切り走っていました。審判が手を振ってやっと気がついたんですよ」そういって、ようやくエガオを見せてくれました。
チームイチのパワーの持ち主。ベンチプレスは105kg!
「入学時からそのパワーはお墨つき。でも、放っておくと練習をしない。尻を突かないとやる気を起こさないんです」と高橋監督。体は大きくても大人しいからグラウンド内のどこで何をやっているかわからない。気がつけば練習中でも部室でボーっとしている…なんてことも。気がつけば「おい、藤はどこ行った?」が監督の口癖に。
そこで、高橋監督はどこにいてもわかるようにと藤選手だけに赤の帽子をかぶらせました。そして、白い帽子の選手たちに混じる赤帽子の動きを常に見張りました。「一人だけ帽子の色が違うでしょう。しかも、体も大きい。よく遠征に行くと“コーチですか?”って聞かれるんですよ(笑)」と監督も笑います。
その赤帽子藤君。昨年末、7チーム合同の和歌山合宿。その間に行われたアームレスリング大会で見事優勝。その景品が黒のスタッフ帽子でした。
「おい、藤。赤帽から黒帽に昇進してええぞ」と監督。以来、黒帽で練習に励んできました。そして、今夏県大会優勝で監督からのご褒美は青帽子。甲子園に来てからは青帽子で練習をしていました。
パワーだけだった赤帽球児の藤君。赤から黒。そして青に変わった帽子は藤君の成長の証。振り込んだ成果のスピードも身につけて、今、うずしお打線の主砲として甲子園を暴れています!
(写真は左から、柳田隆宏君、西林太樹君、田中暁君、藤良裕君、猪上雄斗君)
August 15, 2005 08:23 PM
2005年08月14日
1球の大切さを学んだ~沖縄尚学の野球。
1球1球。ファールで粘る。沖縄尚学対酒田南。沖縄尚学は9回表。1対4で3点の差が離れていても、決してあきらめることなく1球、1球に食らいついていきました。2つの四球に2本の長短打で1点を返し、1アウト満塁、逆転を信じて選手たちは戦いました。
そんな1球に対するひたむきな姿を見て、ふと選手たちに聞いた「1球の大切さ」の話を思いだしました。
3年前、今の3年生が入学と同時期に、角田監督が監督に就任。1からチーム作りを始めた角田監督が選手たちに一番口うるさく言ったのは、道具を大切にすることでした。
「バットの置き方など、1から教わりました。道具の管理からできないと野球もプレー、1球の大切さを理解できない、と監督がいつも言っていたんです」と、主将の小泉友哉君(左翼・3年)。
前日の練習で片付け忘れていたボールがグラウンドに残っていたことがありました。すぐに全員集合。グラウンドを10周走らされました。練習試合で、バットケースを他チームに間違えて持ち帰られたときには、「大切に管理ができないのは、1球の怖さを知らないからだ」と、全員がベンチ前に一列に並んで3時間も正座。
「当時は、なんでこんなことで怒られるんだろう?って思ったんですけが、今になって思えば、ボールはもちろん、用具を大切にすることで1プレーを大切にできるようになったと思うんです」と小泉君。
「両親が働いて買ってもらっている。それを当たり前だと思うな。その大切さを知らないとダメだ。グローブにしても見ればつやがあるものや、スパイクもわかるんだ。汚れているものは感謝の気持ちがない証拠。プレーにもそれはつながるんだぞ」そう、角田監督は言い続けてきました。
そういえば。センバツも今大会中も。沖縄尚学の宿舎に行くと、選手たちは暇さえあれば野球用具の手入れをしていたっけ。グローブも、スパイクもピッカピカだったなぁ。(写真は、今大会中、夜、素振りの時間に、野球用具の手入れをする沖縄尚学の選手たち)
「与えてもらうことが当たり前だと思うことが普通だと思う選手が多かったんですけが、用具を大切にすることで1球を大切にプレーすることを学びました。角田監督に教わったことが、今、こういう結果につながっていると思います」と小泉君。
今日の1球1球を大切に、戦うみんなの姿は、こういう日々の積み重ねからだったんだね。
「最後まで本当によくやってくれました。どんな球でも食らいついていってくれた。がむしゃらな気持ち。気迫が感じられてうれしかった。一人一人、1球を大切にする心をもって戦ってくれた。このチームは私の集大成。私の指導の中で思い出に残るチームです」試合後、角田監督はこう言って胸を張りました。そして、お立ち台をすっと降りて、選手一人一人と握手。「ありがとう、本当によくやってくれたな」
こらえていた涙が選手たちの頬を伝いました。技術よりも、大切なことを学んだ選手たち。彼らの人生はこれから。この経験が、この先の彼らが生きる道にに大きく生きてくるのでしょう。
試合には負けたけど、沖縄尚学のピカピッカの用具たちが、誇らしげに選手たちに寄り添っていました。「この選手たちは日本イチだよ」そう言っているように見えました。
August 14, 2005 07:42 PM
2005年08月13日
無心で戦う東北高校。天まで届け大きな花!
「実は…今日、甲子園の土を入れる袋を持ってきちゃったんですよ」と東北の加藤信吾君(写真右、中堅・3年)。「あ! 僕もです!」隣にいた坂本良太君(写真左、投手・3年)。ええ~! ホントに? “今日は、負けるかも!”なんてこと考えてたの?
「勝てると思ってなかったんですよ。それは初戦からそう。去年のチームと違って弱い弱いといわれていた。甲子園に出れて恩の字。だから、甲子園では無欲。みんなで笑顔で楽しもうってそれだけ。今、野球が楽しいですよ!」と加藤信吾君。
そんな話を聞いていた後ろで、今日、タイムリーを打った山田豪君(左翼・3年)がお立ち台の上から、「信じられない! 無心でやったらこの結果。うれしいです!」という声が聞こえてきました。ホントにみんな、無欲だったんだね。7回表、一死二三塁のピンチに打たれたレフト前ヒットを山田豪君がホームへ好返球。本塁で刺したシーン。実は、ベンチの選手たちは「ウソだろ!」って思ったんだって。何しろ、山田君は肩が弱くて、しかも守備もあまり上手じゃない。「あれは絶対に豪にとって一生に一度のプレーだね」と試合後も選手たちは大笑いしてました!
去年はエースダルビッシュ有君を中心に、真壁君と采尾君の3枚看板投手。攻撃陣も家弓、大沼、横田、そして今年の主将加藤政義君、と強力打線。優勝候補筆頭に上げられていたっけ。彼らが卒業して残された2年生。秋の新チームから「今年の東北は弱い」といわれ続けてきました。
春の東北大会で初戦敗退(専大北上に3対6)。その晩のミーティングで、一人一人が反省と課題を言い合いました。そこで一番多かった反省点が守備面。「チームとして、もっとスキのない野球をしないといけない、と話あったんです」と加藤政義君(遊撃・3年)
翌日から、1から守備練習を徹底しました。内野、外野、ポジション別に別れノック、フライの入り方、カットの仕方、クッションボールの対応。1日約1時間。基本を叩き込んだのです。守備からリズムを作り攻撃につなげる。この基礎練習が、今年の守りの東北野球を作りあげたのです。
「先輩たちが築いた伝統や歴史がある。それを忘れることなく、もう一度0からスタートをきる。できること。当たり前のことをからしっかりと。基礎を固めて土台を作って前進したいと思っています」今年1月。取材に行ったとき。五十嵐監督はそう話てくれました。冬の間はボールを握らずに地道にトレーニング。そのときの合言葉は「冬にしっかり根を伸ばせ」。春にはそれを基本に守備の芽が生え。そして今、甲子園で大きな花を咲かせながら、選手たちは1勝ごとにすくすくと天に向かって伸びています。
「去年はどうしても前評判が高くて受身だったのかもしれません。今年はチャレンジャーとして無心でぶつかっている。それがいいのかもしれませんね」と、坂本良太君。
もっともっと。大きく咲け、東北高校!
August 13, 2005 07:11 PM
2005年08月12日
樟南~パワーの源は喜界島黒砂糖!、 花巻東~笑顔を教えてくれた友達と一緒に戦った甲子園
「これ、僕らのパワーの源です。よかったら食べてください」
先日、樟南の宿舎に取材に行ったときのこと。帰り際に選手たちが、「喜界島黒砂糖」を一袋くれました。
これは甲子園入り前にOBの方が差し入れしてくださったそうで、以来、甲子園入りした選手たちは毎日の練習後にひとかけら口に入れるのが習慣に。「バテないし、疲れが取れちゃうんです!」と北方誠君(写真左)と納沢佑介君。その他、宿舎での冷房は26度。睡眠は毎日7時間。これを守って、体調管理もバッチリ。今日大会8日目の初戦では、花巻東を相手に神守祐太君の本塁打を含む16安打で13対4と快勝しました。
「喜界島黒砂糖」は喜界島の有機栽培さとうきびを原料にした自然食品。私も早速いただいたところ、沖縄産のものにくらべて、糖度が高いのに、口どけがよくてあっさりした味。ミネラルやビタミンが多く含まれていて、糖の代謝を促して甘いのに、太ることがないんだって! ヨシネーも、これからの大会を、この喜界島黒砂糖を食べて頑張ろうっと!
樟南ナインのみんな。美容と!?健康の「喜界島黒砂糖」パワーで次も頑張ってね!
一方、樟南に敗退した花巻東。捕手の伊藤和正君(写真右)はチームが劣勢の中でも、いつも笑顔でナインを盛り立てました。
伊藤君は昨年、秋季大会後に捕手に転向。「打者の裏をかいて打ち取るのがおもしろそうだと思った。でも、想像以上に捕手は厳しかったです」それまでに捕手経験はありません。配球やリードは捕手出身の佐々木監督にみっちり教え込まれました。でも、伊藤君には一番大切な「チームを盛り上げること」が足りませんでした。リードに一生懸命になるばかりに、周りが見えなくなるのです。
そんな伊藤君に、控えの熊林裕太郎君(写真左)が夏の県大会が始まる前、1枚のプリクラをお守りがわりに渡しました。そこに写っているのは控えの選手たちの笑顔。「ピンチになると、苦しい顔をしている。捕手は守備陣と顔を向き合わせている。だからこそ、どんなときも笑顔で盛り立てて欲しかったんです」と熊林君。伊藤君は、それをお母さんから作ってもらったお守りの中にそっと忍ばせて首からぶら下げました。試合中、ピンチの時には、ふと胸にあるお守りのことを思い出します。「笑顔、笑顔…」心の中でそう呪文のように唱え、ナインに「頑張っていこう~!」と笑顔で叫びました。
「ピンチの時、打席に入るときも、落ち着くために胸のお守りを握りました。この大舞台で笑顔でプレーできたのは、このお守りのおかげです」とニッコリ。
控えの友達の思いを胸に戦った「笑顔」の甲子園。「今日は笑顔で楽しくリードできました。捕手に転向してよかったと思います」
笑顔を教えてくれた友達。野球の楽しさを教えてくれた甲子園。伊藤君は、涙でイッパイの顔で、甲子園球場を去るときにだけ、笑顔を浮かべて言いました「ありがとうございました」と…。
August 12, 2005 04:06 PM
2005年08月11日
福井商・林啓介君と斉藤悠君。ライバルは大親友。
涙が止まりませんでした――。悔やんでも悔やみきれないマウンド。福井商、エース林啓介君の頭の中をめぐるのは、ただライバル斉藤悠君への申し訳ない気持ち。それが涙となって次から次へとあふれ出てきました。
今日の第4試合。先発した福井商の林啓介君は、試合開始直後に、県大会前に捻挫した右足首が痛み始めました。「何度も修正しようとしたけど、言うことを聞いてくれなかった」初回に2失点。3回には5点をあげて逆転。5回表には7対3。しかし、その裏。体に力が入らずに痛みが限界に。2本の長短打に死球に四球。この回だけで3失点。1点差まで詰め寄られた場面で、自ら捕手の斎藤進君に「もうダメだ」と伝え、斉藤悠葵君にリリーフしました。
試合は7対8で敗退。悔しい。万全な状態だったら…。甲子園…夢の舞台は、林君にとって悔やんでも悔やみきれない結果で終わってしまいました。
林君(写真右、以下、啓介君)と斉藤悠君(写真左、以下、悠君)。今年の福井商はこの2枚看板で県大会を勝ち抜いてきました。2人はいつもライバル。悠君は昨年からエース番号をつけている啓介君の背中をいつも追い続けてきました。「啓介に負けたくなかった。目標になる存在がいたからここまで頑張ってこられたんです。一人だと自分に甘くなっちゃいますからね」と悠君。昨秋は、啓介君が絶対的なエースでした。「啓介ばかりが投げて注目されるのが悔しかったんです」 一人で黙々と練習をするタイプの林君が、全体練習後一人で走っている姿を見ては、もう一度練習着に着替えて走る。「もしかしたら、家に帰ってからも啓介は走っているのかも」と思えば、いてもたってもいられない。家に帰ってからもその周りを走りこんだ。そんな今年の冬を過ごして迎えた春。球速は9kmもアップして140kmに。「体重も14kg増えて軸がしっかりしてフォームが安定したんです」と悠君。
この夏には、林君と急成長した斉藤悠君の2枚看板に注目が集まりました。県大会では林君が不調。それにかわって斉藤悠君が準決勝、決勝と先発完投。チームを甲子園に導きました。
いつの間にか、後ろを追いかけてきていたライバルの背中を見ていた林君。試合前、こんな質問をしちゃいました。ねぇ、林君。正直悔しかったでしょ?
「はい…優勝したのはうれしかったけど、やっぱり自分が投げたかったという気持ちが大きかったです。だから、今日は先発できるなら、汚名挽回したいんです」
そう言って上がったマウンドだったのに…。不運なケガで降板。でも、そんな自分のピンチを引き継いでくれたのが、ライバルの悠君でした。
「マウンドで悠にボールを渡すとき“ゴメン”と言いました…」初めてライバルに託したマウンド。悠君は、笑顔でうなずきました。苦しいときに助けてくれた友。それはもうライバルじゃなく、一人の親友として、受け継がれたマウンドだったんだね。
試合後、涙が止まらない林君に、「ありがとう。啓介がいたから僕はここまでこれたんだよ」と肩を抱いた悠君。負けたけど、二人はかけがいのない友達を手に入れたね。甲子園の舞台が結んだ友情に、ちょっと心がアツクなりました。
さて。昨日、沖縄尚学に敗戦した(1対4)松商学園の選手たちがお土産を買いに甲子園に来ていました。「今、あらためて球場を見ても、すごい球場だな~って思います。昨日、ここで試合をしたなんて信じられないですよ」と、堤邦博君(松商学園・左翼・3年)。昨日の涙は、一夜明けすっかり笑顔に。安心したよ~! ちなみに、みんなが買ったお土産は、学校名が入ったペナント、記念ボール、ボールケースでした! みんな、いい思い出たくさん作ったかな。
こちらは、2年前、江の川のエースとして甲子園出場、ベスト4進出を果たした木野下優君(写真左、現大阪学院大・3年・投手)が甲子園に遊びに来ていました。今日は大学の練習がお休みで先輩の渡口要明君(写真右、大阪学院大・3年・捕手)と一緒に見にきていました。「後輩たちは9日に静清工に負けてしまったけど(5対8)、甲子園を走り回っている後輩たちを見ていたら、すごい羨ましかったです!」後輩たちの頑張りを見て、奮起したかな? 秋のリーグ戦は頑張ってね!
August 11, 2005 08:23 PM
2005年08月10日
松商学園、甲子園が結んだ監督と選手の絆。裏方の活躍あっての勝利、日大三
…つ…ついに、今大会初のもらい泣きしちゃいました。これまでいい試合続きの今大会。ずっとず~っとガマンしてたのに、沖縄尚学に1対4で敗れた松商学園、試合後の取材で、ついに涙がポロリ…。だって、だって…。松商学園の選手たちにとって、今日の試合は特別なものだったんだから。
泣き声が響く試合後の松商学園の通路。「何としても勝ちたかった…悔しい…です」と、レフトの堤邦博君(松商学園・3年)。声を振りしぼるように話してくれました。
――松商学園ナインの甲子園での1勝にかけた思いとは――[写真左から、堤邦博君(左翼・3年)、高島隆治君(右翼・3年)、堤田貴文君(3年)]
昨年4月。それまで約20年間、チームを率いた中原英孝監督が、部内の選手同士の暴力行為の責任を取って辞任。でも、選手たちは納得がいきませんでした。不祥事を起こしたのは自分たち。監督に迷惑をかけてしまった。何とかして辞任を取りやめて欲しい。その一心で中原前監督を引き止めましたが、すでに学校側に辞表が受理された後。「僕たちにできることはないのか」選手たちは学校に直訴。また、不祥事で印象が悪くなった学校側に、奉仕などで態度で示そうと、4月上旬は野球部全員で校内の掃除を率先してやりました。「中原先生に監督に復帰して欲しい。ただそれだけでした」
残念ながらそれも聞きいれられず、小尾淳美氏が監督に就任。しかし選手たちは、学校側の決定を受け入れることができませんでした。4月――練習をボイコット。その間は個人練習だけ。1ヶ月後、監督が選手に語りかけました。
「甲子園で校歌を歌わせてやりたい。絶対にオマエたちを感動の甲子園に連れて行ってやると約束する」
甲子園出場を夢見て、松商学園に入学した。そして、厳しい練習に耐えてきたこれまで。
このまま、野球を中途半端な形で終わるのか。選手たちは悩んだ結果、グラウンドに戻りました。
「最終的にはやるのは自分たち。自分たちさえしっかりしていればいいと思ったんです。でも、監督が自分のクラスの担任。悪い人じゃないのはわかる。当時は小尾監督の顔を真正面から見られなかった」と高島隆治君(左翼・3年)。
監督、選手。溝ができたまま、1年が過ぎ今年の甲子園出場。しかし、そっぽを向く選手たちを監督は見捨てなかった。志はひとつ、甲子園出場。達成して初めてひとつになった。「甲子園に連れていってやる」監督が約束を果たしてくれた夢の舞台、甲子園。その監督に今度は、選手たちから1勝のプレゼントをしたかったのです。
「監督を信じられなかった時期がありました。でも、監督は僕らを信頼して見守ってくれた。どんなときでも堂々と僕たちと向き合ってくれた。本当にいろいろなことを学ばせていただきました。今ではすばらしい監督だと思っています」と高島君。
「正直、監督を信じていなかった時期もあった。今思えば、本当に申し訳なかったっていうか…。本当にスイマセンでした。そしてありがとうございました、といいたいです」と堤君。
涙する選手たちを見ながら、ふと監督が言いました。
「甲子園に来るまでは、選手たちとの信頼関係は築けないと思っていました。負けましたが、甲子園に来て何かひとつ超えたような気がします」
その温かいまなざし。1年半だったけど、長くて、そして短い。監督と選手にとって葛藤の日々、甲子園は一瞬にしてそれを「絆」に変えてくれました。
「これまで苦しいことばかりだったけど、甲子園に行くぞという言葉を合言葉にやってきた。最後にここで野球ができて、幸せでした。一生忘れられない夏になりました」
甲 子園が結びつけた絆。いつしか…選手たちの悔し涙には、どこか充実感が溢れていました。
さて。甲子園練習から始まったヨシネーの甲子園生活も今日で10日目。夜、ホテル近くのコインランドリーに出かけたら、そこには先客が。日大三の控えの選手がユニホームを洗濯していました。今日の第3試合で、高知高校と戦って6対2で勝利。その熱戦を思わせる泥だらけのユニホームが、次の試合に向けみるみるキレイになっていきました。
洗濯係りの(写真左から)小野田竜士君と秋葉陽介君。毎日、約2時間かけて選手の練習着やユニホームを洗濯するそうです。3日に宿舎入りして、彼らの洗濯も今日でちょうど1週間。「でも、全然苦じゃありません。みんながこれで頑張ってくれればそれでいいんです!」とニッコリ。彼らが洗濯に汗水流している間、選手たちはゆっくり休養をとっているそう。裏方の選手たちの力あってこそ、メンバーの選手たちが頑張れるんだね。二人のチームを思う気持ちに感激して、洗濯ものを運ぶときだけちょっとヨシネーもお手伝いさせてもらっちゃいました。日大三ナイン、彼らのためにも、次の試合も頑張らなきゃね!
そういえば! 3年前、センバツ優勝した常総学院を担当したとき、選手のユニホームの洗濯をお手伝いしたことがあったっけ。以来、常総学院の大峰部長先生によると、「ヨシネーが洗濯の手伝いをしてくれだら優勝できる!」というジンクスができた、とか。今春センバツでも「暇があったら洗濯の手伝いしに来てくれねーが?」と“洗濯オファー”を受けたことがあったっけ (;^_^A 日大三に、ヨシネーの変なジンクスの効果、ありますようにp(^^)q!
August 10, 2005 06:52 PM
2005年08月09日
俺たち、宇部商のH(ハード)・G(ガイ)・U(宇部商)!
「俺たちH・G・Uっす!」甲子園練習でのこと。そう話してくれたのは、宇部商業の(写真左から)江本勇馬君(中堅・3年)、櫛崎修司君(補・3年)、山崎祐介君(補・3年)、山野光輝君(二塁・3年)、上村拓矢君(一塁・3年)、楠寛之君(補・3年)![]()
「H・G・U」とは、「ハード・ガイ・宇部商」の略。チーム内でも特にアツ~い男6人衆。「でも、アツすぎてもチームメートがひいちゃうからダメ。瀬戸際で止めるのが、カッコいい“ガイ”なんですよ~」と山崎君。![]()
メンバーの江本君、上村君の二人が親分。2人の親分と山野君がプレーでがんばり、控え選手の子分たちがベンチやコーチャーで盛り上げる。絶妙な組み合わせがこのグループの良さなのです。![]()
さて。今日の宇部商の初戦、対新潟明訓での、「H・G・U」の活躍は?
試合前、「今日は、江本親分がやってくれると思いますよ! 最近、調子がいいですからね」と山崎子分。なんと試合はその言葉のとおり、江本が3安打1打点の活躍で7対4で初戦突破! 「ランナーを返すことだけを考えていました」県大会では4番でしたが、今日は5番。「気分的にラクになったのかもしれない」と、早いカウントから積極的に打ちにいき、クリーンアップの役目をしっかりとこなしました。![]()
そんな親分の活躍に応えて子分たちも…「ベンチでは常にエガオでみんなを送りだしました! 親分たちをリラックスさせることに一生懸命がんばりましたヨ!」守備でも2アウトになると、ベンチの奥で子分たちが並んで「ツーアウト、フゥ~ッ」(ん!?これはもしや、ハードゲイをネタにするレーザーラモンの芸!?)「親分が積極的にシャープに振り切ってくれた結果。うれしいっす!」(楠君)と大喜び!![]()
さぁ、次の試合では「H・G・U」の誰が活躍するのか。注目してね!![]()
August 9, 2005 07:33 PM
2005年08月08日
春日部共栄・エガオの甲子園にありがとう…
「最後まであきらめずに、笑顔で戦ってくれた。ありがとう。私はこんなに強いチームをもって、本当にうれしい…ありがとう…」 春日部共栄の本多監督は、最後のミーティングで選手たちに、こう話しました。今日の第3試合、春日部共栄は大阪桐蔭と乱打戦を演じ、7対9。優勝候補を苦しめました。
試合後、選手たちは口々に言いました。「負けたけど、最後まで笑顔でプレーできました」涙顔に、ふと見せる笑顔がなんだかとっても切ないよ。
大会ナンバーワン、辻内君を想定して、いつもよりも速いマシンで打ち込んできました。1週間前には、140kmさえバットに当てることができなかった選手たちが2日前の練習では145kmを打てるまでに成長。4日、初めて大阪桐蔭のビデオを見ました。「速いけど、打てそうだね」選手たちに、155km速球左腕への怖さはまったくありませんでした。そればかりか、辻内はインコースのクロスファイアーが得意。そのために一歩、足を引いて打ち崩しました。(写真は左から佐藤貴穂君、射手矢大輔君)
2回に3点を奪うと、3回には鶴岡君が中堅左横にホームラン! 辻内君を5回途中でKO。7対9と2点ビハインドで迎えた8回にはランナーを一、二塁に。9回には1アウト二、三塁に進め、再三、得点のチャンスをつかんでいました。終わってみれば、残塁が12。でも、最後まで果敢に挑み続けました。あきらめない。最後まで。でも、あと一歩届かなかった1勝。遠かったホームベース。「打てない球じゃない。だから、あきらめるわけにはいかないんです」と佐藤貴穂君(三塁・2年)は試合後に言いました。
そして、どんなときも選手たちはエガオを絶やすことはありませんでした。グラウンド上の選手も。そしてベンチの中も。「一度も暗くなることはなかった。今日は野球が楽しかったです」(前出・佐藤君)「ベンチに戻ってくるたび、みんなが“もっと楽しめよ!”と言ってくれた。今日は悔しいけど、甲子園を存分に楽しめたと思います」と先発した難波剛太君(投手・2年)。
昨秋、関東大会準々決勝で延長で負けた後、一から鍛え直したチーム。「最後まであきらめずに戦い抜く」という本多監督の教えを、この甲子園でやってのけた春日部共栄ナイン。そして、どんな時も「エガオ」で、優勝候補に真っ向から立ち向かった大舞台。ウルウルの涙目で「甲子園で野球がもっと好きになりました」というナインに、ちょっとうれしい気持ちになりました。
August 8, 2005 04:32 PM
2005年08月06日
鳴門工・エース田中暁君の笑顔に注意!?
鳴門工エース田中暁君のまん丸の顔が、笑顔でくしゃくしゃになって、もっとまん丸になっていました。
開幕試合となった鳴門工対宇都宮工。鳴門工のエース、“アキ”こと、田中暁君は、8回を3点に抑えチームを勝利に導きました。その丸くてカワイイ顔を見ていると、“アキ”じゃなくって、思わず“マル”って呼んじゃいそうになったうんだよなぁ(^^ゞ
「アキは、打たれるとすぐに落ち込んでしまうから、“自信をなくすな!”って後ろから声をかけ続けました」と、中堅手の柳田隆宏君。右翼の西林太樹君からも、マウンドの田中君に向かっておっきな声がかけられていました。「いつも声をかけてくれてありがたいんだけど…ウルサイ…(笑)。でもいいっすよ。盛り上げてくれますからね」と、まん丸の顔でニッコリ(*^_^*)
(写真左から田中暁君と主将の柳田隆宏君。田中君が手にしているのは、必需品の携帯!ちなみに、柳田君の必需品はMDウォークマンでした!) 昨年のセンバツでもエースとして甲子園のマウンドへ。初戦の秋田商戦で10失点を喫し大敗。その悔しさをバネにこれまでハードな練習に取り組んできました。今年の冬の合宿では、チーム全員、毎日40kmの山道を走りこみ。地下足袋を履き、手には鉄アレイ。朝は屈伸を1000回。ナインが「うちのチームは根性野球です」と口を揃えて言う中で、「アキは人一倍まじめに練習に取り組んできた。それだけ練習した後も、一人で走りこんでましたからね」と主将の柳田君。今日、この甲子園の大舞台でも、常に笑顔を絶やさずにピッチングができたのは、ナインの声の力と、これまでの練習の自信からきてたんだね。
そういえば…今年6月に鳴門工のグラウンドで行われた神村学園との練習試合を見に行ったときのこと。試合後に神村学園のコーチがふと、こんなことを言っていました。「鳴門工の選手たちは、根性が座ってる。1球への集中力。食らい付き方がうちの選手とは違う」ふとグラウンドを見ると、鳴門工の選手たちのユニホームは泥で真っ黒。大きな声で必死にボールに食らい付いていく姿がそこにはありました。どこのチームでも厳しい練習は当たり前。そんな中でも、取り組み方ひとつでこんなにも変わるものなのですね。
「アキの笑顔で相手がなめてかかってくる。そこでズバっと行く! これがアキの戦法です(笑)」と、猪上君。笑顔の影に隠された鳴門工根性野球! アキの笑顔には要注意だぞ(^_-)-☆!
August 6, 2005 08:38 AM
2005年08月05日
明徳義塾、出場辞退に思うこと。
4日午前。甲子園練習中に流れた突然のニュースに、現場にいた記者は騒然としました。「明徳義塾出場辞退」一番最初に脳裏に浮かんだのは、前日の抽選会での明徳ナインの笑顔でした。「ヨシネー、オレ、今年は打つから!」「秋からすっごい練習したんすよ」「今年は選抜出場がなかったから、冬の練習はハンパなくハードだったっすよ」苦しい練習の日々。成長の証。そして勝利への自信。みんなの笑顔は、その裏づけでもありました。そんな彼らが…なぜ。
今日5日の新聞には、「明徳出場事態、暴力、喫煙隠していた」の見出しが躍りました。確かに、喫煙、下級生への暴力、そして事実の隠ぺいは許されることではありません。野球はチームプレー。3~4人のやったことでも、チーム全員の責任になるのは当然のこと。でも、それを制止した選手がいたこと。事件とは関係なく、純粋に甲子園を目指して練習を続けていた選手たちがいたことを忘れないでいて欲しいのです。
昨年の夏の甲子園では背番号10で登板。秋からはエースだった松下建太君。昨秋の四国大会初戦愛媛県の済美に4対5で敗戦。しかも、3対1とリードして迎えた9回に松下君の4連続四球で押し出しでの逆転負けでした。「みんなに申し訳ない」エースの責任の重さから、「野球がイヤになった。もう野球なんて辞めようと思いました」。寮を抜け出し実家岡山へ。しかし、すぐに寮の公衆電話でチームメートからの電話。「エースはオマエしかおらん。早く帰ってこいよ。一緒に野球をやろう!」一人一人、受話器を回して励ましてくれるチームメート。「もう一度、みんなと野球をやろう」そう思いなおしてチームに戻りました。「1日でも長くみんなと野球がしたい。これまで支えてくれたみんなのためにも、気迫のこもったピッチングを見せますよ」抽選会で、笑顔で話してくれました。
3年生の沖田浩一君は2年前の主将、沖田浩之選手(現亜細亜大・2年)の弟です。甲子園練習では、兄が最近まで大学の練習で履いていたスパイクで初めての甲子園の土を踏みました。「アニキからもらったスパイク。履き心地はいいですよ。試合でもこれを履いてアニキのようなプレーがしたいです!」って言っていました。沖田君、お兄ちゃんのスパイクはこれからの進路先での野球で使ってね。
私は、これまで何度も明徳義塾の取材をさせていただき、馬渕監督にも大変お世話になりました。グラウンドでは常に厳しい。しかし、そんな馬渕監督の優しい素顔を見た瞬間がありました。それは5年前。取材で寮に伺ったときのことでした。
当時、明徳義塾の寮には馬渕監督の自宅、宮岡部長の自宅が併設されていました。練習後、寮での取材を済ませ、帰り支度をしていたときのこと。どこからか、大人と子供のカワイイ歌声が聞こえてきました。それは寮の玄関のすぐ横にある、馬渕監督のご自宅のお風呂の小さく開いた窓からもれていた声でした。馬渕監督とお子さんが一緒にお風呂に入って歌っているようでした。楽しそうな歌声。二人の笑い声。グラウンドで怖い監督の、優しい一面を目の当たりにした瞬間でした。
新聞には、「報告の遅さが問題」と書かれていました。確かにその通りで、早く報告していれば、出場辞退までにはならなかったかもしれません。でも、馬渕監督も人の親。勝利至上主義と言われても、選手を子供のように思う気持ちは変わりません。会見で言っていた「子供たちを守りたかった。甲子園に出られない3年生に申しわけない」という言葉にウソはないと思います。明徳義塾を率いた監督として、私もその言葉を信じたい…。
明徳義塾で野球がしたい。甲子園に出場したい。その思いで全国から集まった選手たち。毎日、午後1時から練習が始まり、夜は8時近くまで。食事が終わると、個人練習が夜遅くまで行われます。夏休み、冬休みは、朝5時近くから練習が始まります。時にはまだ夜が明ける前で星を見ながら練習をすることも。筋肉痛でトイレでしゃがむこともままならない。そのために設置された金属の手すりは、みんなが強く握るために、ぐにゃっと曲がっているそうです。市内から車で約1時間。山の中で、近くにはコンビニやお店もありません。生徒たちは学内の購買部で身の回りの買い物をします。寮にはテレビもない。外部とシャットアウトされた生活。勉強に、そして野球に集中する環境がここにはあります。毎年100人以上いる部員。5年前の寮は大きな部屋が二つ。そこには二段ベットと机がズラリ並んでいました。ベットにそれぞれカーテンをつけ、それを閉めると唯一のプライベートなスペースになります。ふと、こんな質問をしてしまいました。「プライベートがないね?」しかし、当時の選手たちは口々にこういいました。「このほうがいいんです。たとえば、誰かがケンカをしていたりするのも、みんなが見ている。誰かが必ず、それを止められるし注意もする。早く解決できるし、チームの結束が固まるんですよ」なるほど。当時のチームは上下関係もなく、みんな仲のいいチームだったっけ。寮は3年前に改装。仕切りを作り少人数の個室に。それが今回の事件にどう影響したかはわかりません。ただ、部員129名のチームにおいて、選手同士もまた一人一人に目が届かなくなったのは言うまでもないでしょう。今回も、喫煙が発覚したのは、寮内でたばこの吸殻を見つけた主将の赤瀬君とマネージャー。二人が全員に問いただして喫煙した選手11人を発見し注意したという経緯を、各新聞、テレビはあまり取り上げていませんでした。喫煙、暴力を戒める選手がいたこと。最後の夏の甲子園にかけた3年生たちの思いを考えるといたたまれない気持ちイッパイになります。
明日、いよい大会が開幕します。今日夜には高知高校が兵庫県にある宿舎に入りました。高知高校のみなさん。明徳義塾のみんなの分まで頑張ってください! そして…、この夏、甲子園を目指して3年間、純粋に白球を追いかけていた明徳義塾の選手たちがいたことを、どうか忘れないでください…。
August 5, 2005 05:50 PM
2005年08月04日
国士舘・ふたごの高橋智史、厚史君にインタビュー! どっちがどっち!?
「久しぶり!」甲子園で満面の笑みを浮かべて握手を求めてくれたのは、国士舘高校の永田監督でした。「いや~23年もかかっちゃったよ」と本当にうれしそう。国士舘高校野球部は、春選抜出場は7回。うちベスト4を2回の実績を誇る強豪校ながら、夏はなんと初出場! これまで、6回も決勝に駒を進めながら、夏の甲子園出場を逃してきました。「春の国士舘」東京ではそんな風にも言われていたっけ。そんな国士舘が、今年夏、初出場! 実は、私が初めて甲子園を担当した年に担当した選抜出場学校のひとつが国士舘でした。以来、なが~いお付き合い。「この甲子園で再会できてうれしいです!」。永田監督、そして松山部長先生と交わした握手の温かさは、いつまでも私の手にほんのり残っていました。![]()
さて。その国士舘高校の甲子園練習で注目選手発見! このチームにはふたごの選手がいます。高橋厚史君(三塁・3年)と高橋智史君(中堅・3年)の二人。この二人、目の前にすると、ほ~んとソックリ! そこで、二人にインタビュー! どっちがどっち!?![]()
(写真左が弟の智史君、右が兄の厚史君)

![]()
ヨ 普段は何て呼び合っているの?
厚史 名前で呼んでいます。
智史 コイツを兄だと思いたくないので(笑)
厚史 コイツを弟だと思いたくないので(笑)![]()
ヨ お互いの性格は違うのかな?
厚史 ハイ! 智史はどの場面でも強気です。練習では打てないけど、試合になると強気になって打てるんです。
智史 逆に厚史は考えて動くタイプ。ひとつひとつのことを考えて慎重になってしまうんです。頭の良さは一緒なんですけどね~(笑)。
厚史 ウンウン。厚史なんて、強気だから監督の言うことも素直に聞けないの。納得できないことがあると反論しちゃうんです。
智史 逆に厚史は何でも素直に聞き入れすぎて悩んでしまう。悪くなったらどうしようどうしようって。自分は何でも一度はチャレンジするタイプですからね~!![]()
ヨ 身長、体重は違うの?
厚史 いえ、身長も体重もすべて一緒です。唯一違うのは、右きき、左ききかっていうところ。
智史 僕が左ききで。
厚史 僕が右ききなんです。
ヨ …見た目では全然区別がつかないんだケド…(@_@)
厚史 あ! みんなもグローブをつけていないとわからないみたいです。
智史 監督さんも、グローブをつけているときは、智史、厚史って下の名前で呼んでくれるんですが、そうじゃないときは「おい高橋!」って名字で呼ばれるんですよ(笑)。![]()
ヨ 小さいころから同じチームなの?
厚史 小学校1年からチームも学校もすべて一緒です。おまけに行動も、服も。な?
智史 ウン、ぜ~んぶ一緒![]()
ヨ 別々になりたいと思ったことはないの?
厚史 なかったですね。でも、大学で離れる予定なんですよ。
智史 だから、東東京大会でもこの夏は僕ら兄弟にとって最後の野球だから、思い切ってやろうね、って話して戦ったんです。
厚史 でも、結局甲子園出場を決めて、まだまだ二人の野球は続きま~す!
智史 神様はなかなか離してくれませんね(笑)。![]()
ヨ 部屋は一緒なの?
二人 はい! 今でも部屋は一緒です。
厚史 お風呂だけは別々だけどね~(^_-)-☆
智史 一緒に入ってたら、変だろ!
厚史 二段ベットを並べて寝ているんですよ。
智史 中学くらいまでは二段ベットにして寝ていたんですけど。
厚史 東京に近々、大地震がくるかもしれないって噂を聞いて、すぐに並べました。
智史 僕が上で、智史が下だったので…。
厚史 ホラ、地震があったら僕がつぶされて…。
智史 うん、死ぬのはオマエ!
厚史 そんなの絶対にヤダって言って、並べてもらいました![]()
ヨ ケンカはするの?
二人 毎日してますよ~!
智史 厚史の方がバッティングが上手いのに、それについて俺から注意されたりすると頭にくるみたいです。
厚史 ハイ。野球以外だとゲームの取り合いとか。くだらないことでケンカしてますよ(^_^メ)
ヨ 二人の関係は?
二人 ふたごというよりもライバルです。
智史 智史だけが1年から試合に出ていて、悔しくて悔しくてそれが支えになって頑張れました。
厚史 智史は途中から左打ちに変えたからね。
智史 うん、僕は高校に入ってから、監督さんのアドバイスで足を生かすために左打ちに変えたんです。だから、その分スタートが遅れてしまった。2年の夏からレギュラーになれました。
厚史 僕はバッティングが得意ですからね。
智史 僕はバッティングよりも守備が得意です。![]()
ヨ さて、最後に甲子園での二人の目標は?
智史 悔いの残らないように暴れたいです。
厚史 自分たちの野球をすること。意識して勝ちたいです。
ヨ ありがとう! 二人の野球。1日でも長く続くといいね!
今日、甲子園の通路では、試合後のお立ち台のペンキが塗り替えられていました。さぁ、対戦相手も決まり、スタンバイOK! いよいよ本番間近です!
August 4, 2005 08:25 PM
2005年08月02日
突撃取材!甲子園球児実態調査!? 甲子園に持ってきたモノを見せて!
今日も朝9時からの16校の甲子園練習取材を終えた後、夜には沖縄尚学の宿舎へ行ってきました。取材したのは主将の小泉友哉君とエースの前嵩雄基君。そこで、突然ですが、ヨシネーからの指令!「甲子園に持ってきたモノを3つ見せてください!」![]()
「はい!」と元気よく部屋に戻って行った二人。手にしてきたのは、二人の個性がよく出たモノたちでした。
まずはエースの前嵩君!![]()

その1.手作りのネックレス。「今年の夏は、何かぶら下げようかな~って思って」という単純な!? 発想で身の回りを見回したところ、目に止まったのが5円玉。「ご縁がありますように、ってよく縁起物で言われるでしょう。“甲子園にご縁がありますように”って願掛けしてぶら下げようと思ったんです。ホラ、ちょうど真ん中も丸く空いているしね(笑)」ぶら下げる紐は、ちょうどその時、主将の小泉君が買ってきたペットボトルについていたオマケをくくりつけていた紐を提供。見事に、ご縁ネックレスが完成! 今年の夏の県大会は、ず~っとこれをぶら下げて戦っていたそうです。
その2.三ツ口ソケット 今や高校球児も携帯は必須アイテム。沖縄尚学の選手たちもそれぞれ携帯を持っています。甲子園出場ともなれば、練習期間も含め、最低でも4~5日は旅館暮らし。沖縄尚学の宿舎は、兵庫県元町の旅館「宝月」。一部屋4人から10人部屋での生活になります。となると、お部屋のコンセントは限られている。そう! 携帯の充電のためのコンセント争奪戦が繰り広げられるのです。「センバツのときに、これは絶対に必要だと思って、今回は持ってきました!」と前嵩君。う~ん、センバツ経験者、ならではの意見ね。
その3.今年のセンバツ、応援を担当した選手からもらったハチ巻き。
そして3つ目に登場するのは、センバツで応援を担当した選手たちがつけていたハチ巻き。「センバツが終わってからもらったんです。これを持ってスタンドにいる選手たちの分も戦うという気持ちでいます」。
さぁ、お次は主将の小泉君。何をもってきた?![]()

その1.両親からいただいた数珠。沖縄には、この数珠の球、一つ一つに願いを込めて作ってくれるところがあるそうで、昨年、春、両親が出向いて小泉君のために作ってくれたのだそうです。「試合のときはポケットに。普段は常に左手首につけています。このチームの主将になり、センバツ出場。そして夏の甲子園出場、と、この数珠が守ってくれているような気がします」
その2.目薬「僕、視力は両目ともに2、0ですごくいいんですけど、目薬をさすとさらに視界がよくなる気がするんですよ」試合前には、目薬をさして目をシャキっとさせて試合に臨むとか。この目薬は、甲子園用にゲットしたそうです。
その3.MDウォークマン気分転換には音楽! 甲子園に持ってきたMDはケツメイシの「ケツノポリス4」。「ケツメポリスは大好き。涙とか、サクラとか。いい曲ばかり。これを試合前に聞いて、気持ちを奮い立たせています!」
勝負に挑む自身の気持ちを支えるためのお守り。生活必需品系。そして、気分転換になるもの。この3部門に分かれるのね。影で支えるグッズたち。このグッズたちとともに、センバツベスト8以上を目指す沖縄尚学でした! がんばってね!![]()
August 2, 2005 11:47 AM
2005年08月01日
甲子園練習、控え選手の甲子園~駒大苫小牧・山下修吾君の夏
いよいよ今日から甲子園です。31日から始まった甲子園練習。ヨシネーは今日の甲子園 練習から参戦! さぁ、いよいよ夏、本番です。
さて。今日は朝9時から、16校が30分間の甲子園練習に臨みました。甲子園練習に参加できる選手は35名(監督、部長、コーチ含む)。試合ではベンチに入れない選手たちも甲子園でプレーできる、唯一の時間です。「もう二度と入れない場所。今日は思いきりすべりこんじゃいました」と、前橋商の樺沢泰之クンと岩野陽平クン。真っ黒になったユニホームでニッコリと笑ってくれました。「甲子園の土は柔らかくて気持ちよかったですよ」その笑顔は、どこか誇らしげに見えました。![]()
背番号のないユニホームで、甲子園を思う存分走り回る選手たち。そんな中で、ヨシネーの目を引いたのは、駒大苫小牧の山下修吾君(駒大苫小牧・二塁・3年)でした(左写真)。ノックでは内野の連係に入り、2球さばき、外野の球拾いに選手たちの荷物運び…と、甲子園を走り回りました。「センバツでも練習に参加したけど、やっぱり夏の甲子園が気持ちいいですね」とニッコリ。
山下君との出会いは、今年の2月。センバツ出場の発表があった直後の取材でした。「メンバーには入っていませんが、いつも最後まで残って練習していて、みんなが認める頑張りやなんです」と、マネージャーの矢内君が紹介してくれました。
山下君は、洞爺湖近くの小さな町、豊浦町にある礼文華中学の出身です。各学年1クラス、8人ほどしかいない生徒数。もちろん、部活も限られていて、卓球部と吹奏楽部の二つだけ。山下君は、吹奏楽部でトランペットを吹いていました。でも小さい頃から野球は大好き。部活が終わると、学校のグラウンドで草野球。同じ敷地内にある小学校からも募って、10人で5対5。「ネットが捕手がわり。内野は3人、外野は一人で守るんです。いつもボールが見えなくなるまで遊んでいました」![]()
大好きな野球。「高校で本格的に野球がやりたい。どうせやるなら強い学校で!」と、駒大苫小牧進学を決めました。しかし、周りは道内の有名選手ばかり。「ついていけるか不安でした」キャッチボール一つとっても、遊びでやっていただけ。形になっていない。「みんなに圧倒されました。まずはルールを覚えることから始めました」練習の流れ。選手たちの動き。目で見て覚え、全体練習が終わってから一人で練習する。厳しい練習の毎日に、辞めたいと思った春。「両親に電話で相談したら、“ここで辞めても後悔するから頑張れ”と言われて、頑張ろうと決めました」![]()
当時を振り返って香田監督もこう言います。「入学してきた当初は、大丈夫かなぁという心配が一番でした。野球経験がないことでイジメられないだろうか。バカにされないだろうか、ってね。でも、本当に前向きな子でね。いつも一生懸命に頑張る姿を、チームメートが少しずつ認めていった。自らの頑張りで、信頼を勝ち取ったんですよ」
これまで、公式戦出場の経験はありませんが、山下君の心に残る1打席があります。入学してまもない1年生。札幌第一との練習試合。指揮を執っていた部長の茶木先生に代打で使ってもらったのです。初めての試合。初めてのバッターボックス。「三振でした。でも、とっても嬉しかったです」と山下君。「入学当初から一生懸命で、性格のいい子でした。チャンスはみんなにあげたい、と思って使ったんです。空振り三振で思い切り振って帰ってきた。私も嬉しかったですね」と、茶木先生。![]()
やるからには、ベンチに入りたい。その一心で努力し続けてきました。「監督が他の選手にアドバイスしているところを見て、聞いて、自分に置き換えて練習しているんですよ」
目標は甲子園メンバー入り。そして、甲子園のマウンドに集まって、駒大苫小牧のお馴染みのポーズ。“ナンバーワン”をすることでした。残念ながら、その夢は達成することができませんでした。でも、山下君の心には高校野球を3年間やり遂げた充実感でイッパイです。「ベンチに入るために、必死でやってきました。今、こうして甲子園でプレーできるだけでも幸せです。最後の夏は、チームのために力になりたい。最後までしっかり頑張ります!」![]()
そうニッコリ笑った山下君の笑顔は、この日、誰よりも輝いていました。
August 1, 2005 12:55 PM
