ヨシネーのひとりごと

プロフィル

★本名:保坂淑子(ほさかよしこ)。秋田県出身。★経歴:日刊スポーツ出版社在籍中は、「プロ野球ai」「輝け甲子園の星」のデスク担当。平成14年、退社しフリーに。現在は「プロ野球ai」デスク担当。「輝け甲子園の星」では“ヨシネー”として連載を持つ。甲子園には春5回、夏10回(記者として)出場!?プロ野球、アマチュア野球を中心に執筆中。

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2005年05月26日

全日本活躍の裏にテレビゲーム!? 新日本石油ENEOS池辺啓二君

0526-1.jpg今日は、駒大苫小牧から新日本石油ENEOSに入社した糸屋義典君の取材に行ってきました。そこでバッタリ会ったのが糸屋君と同期入社の池辺啓二君(写真左)でした。2000年の夏、智弁和歌山の4番センターとして全国制覇を果たし慶大に進学。今春卒業し、新日本石油へ入社。3月のスポニチ大会ではすぐに1番ライトで試合に出場。即戦力として期待の選手です。
 5月に行われた第23回アジア野球選手権大会では全日本に選ばれ参加。優勝を果たしたばかりでした。
「全日本はすっごく楽しかったんですよ。チームも和気藹々としていた。野球がとても楽しかったですね」とニコニコ。池辺君にとって初めての全日本。緊張しなかった?
「最初はね、年上の選手ばかりで緊張していたんです。でも、年配の選手たちがよく食事に誘ってくださったり、部屋で一緒にスーパーファミコンしたり(笑)」
ん!? 全日本でテレビゲーム???
「マリオカートとストリートファイター、ぷよぷよとかね。野球は野球。テレビゲームはまた別。グラウンドとは違っていい勝負するんですよ」
よく一緒に戦った!?のは草野大輔選手(ホンダ熊本・内野手・28歳)だとか。いい気分転換ができていたんだね。
「ゲームをやりながらも、いろいろな話をしてくださるんです。それが一番勉強になったんですよ。僕、最初から1番を打たせてもらっていたんですが、出塁しなきゃってボールを見すぎて肩に力が入っていたんです。でも、草野さんが“そう考えやんでいい。お前にはチームに勢いを与えることを期待しているから初球からガンガン行ったらええ”って訛りながら言ってくださったんです。精神的に本当にラクになりました」
翌日の5月22日のチャイニーズタイペイ戦では3ランホームランを放ち、日本を優勝に導きました(11-2で勝利)。先輩の一言が生んだホームランでした。
「これからはこの経験をチームに生かしていきたいと思います!」
野球と。そして、大会優勝という同じ志を持ったからこそ埋められた年の差。
「ますます野球が好きになりました」
とニッコリ笑った池辺君。選手として一回り大きくなり、さらなる飛躍を誓ってくれました!

0526-2.jpg(写真左)ランチでご飯を口イッパイに頬張った糸屋義典君(駒大苫小牧→新日本石油ENEOS・捕手)。今日のランチのメニューは、ドンブリいっぱいのカレーライスと、お皿に山盛りになった豚のしょうが焼き。そしてサラダ。ヨシネーも一緒にご馳走になったけど、途中でギブアップ! 一緒に行った編集長にヘルプしてもらっちゃいました。でも、目の前の糸屋君は、きれ~に全部食べて「ゴチソウサマでした!」…やっぱ、選手のパワーはスゴイわ…(^^ゞ

May 26, 2005 01:23 AM

2005年05月21日

プロへの夢は続く~中日・バッティングピッチャー、加藤光教君

0521-1.jpg「…どこかで…見たことある…うーん…」
中日の2軍の取材で練習を見ていたときのこと。バッティングピッチャーで投げる選手。見覚えのある顔…。「キミと同じ、秋田出身の子だよ」寮長の堂上さんが、声をかけてくれました。そうそう、そうだ! 5年前のセンバツで取材した、秋田経法大付高の加藤光教君だ!
「久しぶりです」およそ20分、約100球を投げて、汗をびっしょりかいた加藤君がマウンドから駆け寄ってきてくれました。
秋田経法大付高を卒業後、法政大に進学。1年の秋のリーグ戦では、140kmの直球とスライダー、シュート武器に、楽天に入団した明治の一場靖弘君と投げ合って勝利。このまま順調にいけば、プロも…なんて期待されていた本格派右腕でした。ところが、その後、肩を痛め、3,4年と登板はありませんでした。
「実は、僕、まだプロの夢を捨てていないんですよ」と加藤君。
「バッティングピッチャーをやりながらプロを目指してみないか」と中日ドラゴンズから
声をかけられたのが就職活動をしていた昨年のこと。肩を壊して投げられない今は、ドラフトでも指名できない。バッティングピッチャーをやりながらじっくりと肩を治し、2年後の中日のプロテストに挑戦する。肩さえ治ればプロでも通用する。加藤君の素質が見込まれての採用でした。そういえば――。5年前のセンバツ前の取材で秋田経法大付高の練習を取材に行ったときのこと。当時のエース。摂津正君(現JR東日本東北)の隣で投げ続けていた加藤君。そのキレイなフォームに思わず、目が止まりました。「今は、まだ荒削り。加藤は将来性のある選手だよ」そう、当時の鈴木監督が言っていたことを思い出しました。
0521-2.jpg現在は、選手と一緒の寮に住み、練習の施設は自由に使用できる。球団としては、異例の待遇です。「練習が終わったら病院に行ってリハビリ。寮に戻ってからウエートをしたり。一人で練習をしています」
プロの打者を相手に投げ、そして、プロの投手の球を間近で見られる。その世界を目指すには、絶好の環境が整っています。
「川上さんのピッチングを見たときは、投手を辞めようと思うくらい、衝撃でした。キレがスゴイし、コントロールもバツグン。でも、その高いレベルを目指さないといけないんだ、と気持ちも新たになりました。これまで通り、長身を生かしたピッチングが持ち味。今はフォークを練習しています」
ここまで、加藤君がプロにこだわるのは両親の存在。「僕が野球をやるために田舎の秋田から東京の大学(法政大)に通わせてくれた。大学3,4年は肩の治療で心配もかけた。今はプロに入って安心させてやりたいんです」
加藤君の夢は、いつか、プロで自分が投げる試合に両親を呼んで、マウンドの姿を見せること。今日もナゴヤ球場では、加藤君が汗をいっぱいにかいて、マウンドに立っています。背番号125。プロへの夢は、今始まったばかりです。

May 21, 2005 03:17 AM

2005年05月20日

復活間近、3年ぶりのマウンドへ。中日・中里篤史選手

0520-1.jpg「久しぶりですね」エガオで話かけてくれたのは、中日の中里篤史君(投手・背番号70)でした。
2000年ドラフト1位で入団した中里君。2001年9月16日の対巨人戦で一軍での初登板。 でも、翌年2002年の春季キャンプで、宿舎の階段から落ちて右肩関節唇及び関節包損傷という重傷に。長いリハビリで回復を見せた2003年の秋季キャンプでは右肩痛が再発。そして手術へ。
長引くリハビリ。いつも下を向いて練習をしている姿を見かけても、何だか声をかけにくかったんだよなぁ…。そんな中里君が、今日は自分から声をかけてくれた! これはきっとリハビリが順調な証拠!

「週1回、キャッチャーを座らせて50球は投げられるようになったんですよ」とニッコリ。表情の明るさから、ウンッ、順調な回復ぶりが伝わってくるくる!
「まだ球はバラバラですけど。フォームを考えながら投げているんです。何より、肩が痛くないのが一番。キャンプから継続して投げられているので、このままいけば8月か9月には投げられる目途が立ちそうです」
実に、3年間に及ぶリハビリ。
「苦しいリハビリを続けることの辛さが一番でした。今考えてもよくやっていたなって思いますよ」そんな苦しいリハビリを続けられたのは、病院の先生たちだったとか。「いい人たちばかりで楽しくできた。その時があったから今があるんです」
復帰の目途がたち、明るくなった中里君。復活のマウンド。お世話になった先生たちに見せてあげなきゃね!
「今、自分の視界領海です!」とニッコリ。
いよいよくる。3年ぶりのマウンド復活! 後半戦の楽しみが一つ増えました(^_^)


May 20, 2005 03:14 AM

2005年05月12日

日大、服部大輔君、大学野球初先発!

0512-2.jpg「大学に入って、一番最初の課題がね、体重を落とすことだったんですよ。2,3月は、それを一番頑張ってました」とニッコリと笑った服部大輔君(日大・投手・1年)。平安高2年の夏、甲子園。東北戦で延長11回をダルビッシュ君と投げ合って、17奪三振。昨年は、期待されながらも、春、夏ともに甲子園出場はなりませんでした。そして、今年。日大の練習に合流した2月には、体重が80kg! 身長171cm。甲子園で大活躍を見せた2年の夏は72kg。うーん…確かに…ふっくらしちゃったねぇ、服部君。「はい。秋は、あんまり練習をしてなかったからなんですけどね。そこで、まずは80kgから72kgまで落とせと監督に言われまして。今、途中の75kg。やっとここまできました」
毎日の走りこみと、投げ込み。「練習がしんどかったので自然と落ちました」と苦笑い。
 そんな服部君が、今日の中大戦で初先発。4回0/3を投げて被安打5、0失点。
「ちょっと甘い球を投げたら打たれる。コントロールとキレがまだまだです。もっと磨いて、この4年間先発ローテーションに入ってチームのために投げられるように頑張ります」
 順調に大学野球をスタートさせた服部君。一昨年の夏、甲子園で見せてくれた奪三振ショーを神宮で再び見せて欲しいなぁ。

May 12, 2005 01:02 PM

2005年05月03日

巨人、上原浩治選手。裏表のない性格。だから、「僕の必需品は○○DVDです!」

0503.JPG「ねぇ、この二人の組み合わせは何で?」と上原選手。ド、ド、ド、ド、ドキィ~ (;^_^A
今日は「プロ野球ai」で巨人の上原浩治選手と久保裕也選手の対談の取材に行ってきました。今や、巨人のエースとして活躍中の上原選手。そして、今季は先発から抑えにまわりフル回転で活躍中の久保選手。エースと若手。この二人の活躍なくしては巨人の勝利はない!…と、まぁ、実は勝手、かつ単純な発想で二人の対談を決行。そんな単純な理由は、本人たちにもバレバレだったみたいで、最初っから冷や汗がタラ~リ。「俺ね、若手選手とはあんまり話しをしないんだよ。だって、コイツら、普段とマスコミの前では、裏表があるんだもん。僕は裏表がないからね。ほら、去年のキャンプの取材の時もそうだったでしょ?」と、上原選手。
はいっ! ここで上原選手の裏表のない人エピソードをひとつ。去年の春キャンプ取材の時。プロ野球aiの取材で「“キャンプ中の必需品”を見せて!」とお願いしたところ、上原選手が持ってきてくれたのは、なんとAVのDVD! えぇ~っ! こ…これは…雑誌には出せないなぁ…。「だって、1ヶ月もホテルと球場の行ったり来たり。これは、必需品だよ(笑)」どうやら、知り合いの人が気を利かせて!? 送ってくれるのだとか。ま…まぁわからなくもない…けど…ねぇ。あまりの開けっぴろげな性格に、こちらがしどろもどろに…。で、結局はもうひとつの必需品、将棋のテレビゲームを紹介して一件落着したのでした。

「若手選手にはもっと積極的になって欲しい。こっちから話しかけるのではなく、何か聞きたいこと、知りたいことがあれば、どんどん来ればいい。マスコミに対しても同じ。プロなんだから、自分を売り込むことも大切。その積極性がまだ、ウチの若い選手たちには足りないんだよね」さて、久保選手はというと、残念ながら上原選手に話しかけることはないものの、実は、キャッチボールやフォームを見て、自分のピッチングに取り入れているのだとか。「今度はちゃんと聞いてこいよ」(上原選手)「はい! 弟子入りしていいですか」(久保選手)新たに生まれた師弟関係。今度は、久保選手に「キャンプ必需品」を聞いてみよ~っと (*^_^*)


May 3, 2005 01:01 PM