虎番ブログ

2006年09月25日

疲れも吹き飛ぶ、虎1巡目・野原の笑顔:酒井俊作

 空路で、東京から長崎に飛んだ。カステラにも、眼鏡橋にも目をくれず、向かった先は、諫早市内にある長崎日大高。高校生ドラフト取材だ。阪神1巡目・野原将志内野手の爽やかな笑顔を見ると、4時間以上の旅路の疲れも吹き飛んだ。

 「こんにちわっ!」。これが記者会見の第1声だった。日焼けした顔に、大きな目が光る。人懐っこさを感じさせる端正な表情が印象的だ。それでいて、九州男児の芯の太さも伝わる。自然豊かな島原半島で育った野原が、甲子園でどんな活躍を見せるか楽しみだ。

 「甲子園に行ったことがあるんです。小学生4年のときに、イトコが柳ヶ浦高にいて。あの時、松坂投手(当時横浜高)が投げていました…」

 この日、取材中に対戦したい投手として西武のエースを挙げた。甲子園出場こそ果たせなかったが、野原少年の胸中で98年の強烈なインパクトを温めたに違いない。運動神経は折り紙つきだ。中学時代は助っ人として陸上大会に参加。1、2年のときに郡大会の100メートルで2連覇した俊足の持ち主だ。父義盛さんは高校時代に陸上棒高跳びの選手で、母富香さんは中学時代にバスケットボールの選手だったという。

 「いい体に生んでくれて両親に感謝してます。1日でも早く1軍の試合に出て活躍するのが親孝行です。帰ったらゆっくり(指名された)話をしようと思います」。虎番に野球の話題を聞かれ続けてキリリとした表情を崩さなかった野原が、優しい青年の顔に戻った。

September 25, 2006 10:09 PM | トラックバック (1)

2006年09月19日

2位ほど残酷な順位はない:浜田 司

 前回のブログで「意地というより、存在を見せてほしい」と綴った。阪神が8月中旬のナゴヤドームで3タテを食らい、8・5ゲーム差まで広げられた直後のことだ。優勝がどうというより、このまま終わってほしくない-。そんな気持ちをぶつけた。チームはその後、最大の9差から4差まで縮める。いまなお竜は前を走っているが、逆襲劇に前年覇者の「存在」を感じることができた。正直なところ、もう2位でも…と思い始めていた。

 ただ、最近のチームを見ていて気づいた。2位ほど残酷な順位はないのだ、と。「優勝以外は何位でも同じ」と考える選手にとって、競り合って敗れるほど落胆は大きい。また選手起用においても、あきらめていない以上、来季に向けて若手を試せないというデメリットを背負う。

 「さすがに(優勝は)難しいかなと思う時もある。でも、あきらめたなんて選手が言ったら、おしまいですから。あきらめていないファンに申し訳ない」。ある1軍選手は苦しい胸の内を明かす。このまま2位なら、92年以来14年ぶり。できれば残酷な2位は見たくない。

September 19, 2006 12:35 PM | トラックバック (4)

2006年09月11日

吉野の糧は長男とのバスタイム:片山善弘

 29歳のパパ左腕、吉野が飛びっ切りの笑顔で教えてくれた。吉野家の内輪話。(もち牛丼の話じゃあない)。9月2日、プロ初セーブ。2軍生活が長かったが、3年ぶりの復活を印象づけた。新聞やテレビの露出もUP。奥さんに、こんな励ましの言葉をもらったという。

 「アナタ聞いて、この子、あなたのことが分かるみたい。テレビとか見て『パパ、パパ』って言うのよ」。長男巧十(たくと)君は1歳9カ月。顔を見合わせ「パパ」とは呼んでも、メディアを通しての反応が驚きだったのだろう。我が子の成長を喜ぶ姿は、復活登板の時と同じぐらい輝いていた。

 ナイターが終わって午前1時に就寝。午前8時から親子2人、至福のモーニング・バスタイムがスタートするという。息子を湯船につけ、まず自分がすばやく洗髪。その後、体&頭を手馴れた手つきで洗い流してあげるのだそうだ。「水をかけたら『キャッ、キャッ』って喜ぶんですよ」。へえ~、うらやましい。

 代わり? に我が家の「悲劇」を教えてあげた。母親任せがたたり、我が子は4歳になった今でも洗髪はママ・オンリー。「そんなもんですかあ。ナイターだと時間はあるんですけど…。デーゲームになると汗かいた時だけ夜、たま~に入れるぐらいになっちゃいますから」。ここまで言うと、吉野は真剣な顔つきになった。

 そうなのだ。ナイター主体の1軍生活では一緒に朝風呂を堪能できても、デーゲームが大半のファームでは、そうはいかなくなる。もう2軍暮らしはご免だ。息子が「自分のことをプロ野球選手と分かるまで現役」が目標。激しいペナントレースの陰で、来季に向け、こんなチーム内の戦いもある。

September 11, 2006 02:20 PM | トラックバック (3)

2006年09月04日

球児の涙が「奇跡」への序章になった時:吉富康雄

 もう9月になったから明かしてしまおう。あれは7月。東京都内での岡田監督と食事の席だった。ふとした雑談の延長で運勢の話になった時、岡田監督はにやりと笑ってこういった。「知り合いの先生に言われたんやけど、8月のオレの運気はものすごくエエらしいわ。○○? 最悪らしいな」。○○のところはご想像にお任せするとして、とにかくその時の岡田監督は「8月反抗」に自信を持っていた。

 ところが、予想に反して8月の岡田阪神は失速。首位中日は快進撃…。ゲーム差は一気に「9」にまで開いてしまった。藤川、久保田の離脱、今岡も帰ってこない。誤算に次ぐ誤算に苦しんだためだが「8月反抗」はどこいったんや! と心の中で嘆いたものだ。

 しかし、である。9月に入ってトラは息を吹き返した。3日時点でゲーム差「6」。ひょっとして…と思わせるムードが確かに出てきた。

 そこで思った。とことん負けながらも8月はいろいろあったな、と。3連敗した名古屋では岡田監督が「自分の成績だけ考えろ。責任はオレがとる」とゲキ。甲子園での巨人戦ではお立ち台で球児が泣いた。あの苦しかった8月が「奇跡」への序章になった時、岡田監督に知り合いの先生を紹介してもらおう。

September 4, 2006 04:22 PM | トラックバック (3)