鉄矢多美子 Field of Dreams

2007年11月26日

第172幕 ハンターがサンタナが…。激震走るツインズ

 ミネソタ・ツインズが揺れに揺れている。FA宣言していたトリー・ハンター外野手が、エンジェルスと5年総額9000万ドルで契約、正式に移籍が決まったかと思えば、ここに来て、来年FA資格を得るエース、ヨハン・サンタナのトレード話が本格化してきたのだ。サンタナはツインズの提示している条件を飲む意向がないといわれており、チームを離れるのは決定的だと伝えられている。

 移籍が決まったハンターは、トレードに備えて一昨年のオールスター前にミネアポリスの自宅を売りに出し、テキサスに新居を購入して万全を期していた。トレードデッドラインの7月31日、当時のGMテリー・ライアンに呼ばれ、それまで確実視されていた移籍先が告げられたかと思ったが、結論は残留。以来、チームを束ね、メジャー経験の少ないジョー・マウアーやジャスティン・モルノウといった若手選手の才能開花にも大いに影響を与えている。

 だが、来るべきときはやってきた。一応残留のオファーは出したものの、ツインズの財政事情からすれば、ハンター側の条件とは程遠く、これ以上つなぎとめることができなくなった。もちろん、ツインズも当然そうなることを予想し、直前にカブスから外野手のモンローを獲得するなどして一応の手は打っている。だが、入団以来15年の生え抜き選手を失う痛手は大きく、ミネソタファンの大きなため息が聞こえてきそうだ。

 目玉のハンターで「商売」ができなかったツインズは、早々とサンタナに条件を提示。だが、これもサンタナ側のもくろみとかけ離れたものがあり、話がまとまらないのであれば、トレード市場に出して「商売」するしかない状況に追い込まれている。早くから噂のあったヤンキース、またここに来てレッドソックスなど「金持ち球団」の名前があがり、水面下では激しいサンタナ争奪合戦が繰り広げられている。

 そこで、まことしやかにささやかれているのが、レッドソックス入りだ。ツインズとレッドソックスはキャンプ地が同じフォートマイヤーズ。その地に家があり、2人の子供たちもそこから学校に通っている関係上、サンタナはオフになっても学校が休みになるまで故郷のベネズエラに帰らず過ごしている。そうした家族を取り巻く環境が影響を及ぼすのではないかというのだ。また、2003年にツインズから移籍したデビット・オルティーズも「再びチームメートになろうぜ」と熱心に声をかけているとか…。

 オフに突入するなり、激震が走っているツインズ。あらかじめ予想されていたことであっても、現実に投打の中心選手を失うこととなれば、来季は「飛車角落ち」状態での苦しい戦いを余儀なくされそうだ。

November 26, 2007 12:16 PM

2007年11月17日

第171幕 指揮官たちを成功に導いたものとは

 今年の最優秀監督にア・リーグはインディアンズのエリック・ウエッジ、ナ・リーグはダイアモンドバックスのボブ・メルビンが選出された。両監督とも前年のBクラスから、今季地区優勝へと導いた手腕が高く評価されたものだ。だが、両監督は一貫して「主役は常に選手たち。監督としてできることなんて実に限られているものだ」「選手あっての自分」というポリシーでチームの指揮をとってきた。

 個性派集団を率いる現場責任の長ともなれば、そのポリシーを貫くことは易しいことではないはずだ。そして、この2人の監督には、11月13日に他界した稲尾和久氏とどこかオーバーラップするものを感じる。当時、いわゆる「オレ流」を貫いていた落合博満(現中日監督)を稲尾監督が「甘やかしすぎる」などと揶揄されることも少なくなかった。しかしそれは「甘やかす」という概念ではなく、まさに「選手を信じる」ということに他ならなかった。

 稲尾氏は、選手の性格、個性、能力を見極め、それを信じてやるということが、何倍もの力になって跳ね返ってくることを知っていた。実際、稲尾氏がロッテの監督を務めた3年間のうち、主砲の落合は85、86年と2年連続で三冠王に輝いている。この快挙をなし得たことは、監督と選手の信頼関係の深さなくして語れないものがあると思う。

 たとえば、インディアンスのCC・サバシアや、ダイアモンドバックスのリバン・ヘルナンデスを例にあげるとすれば、とかくこの2人は問題児として扱われることが多かった。しかし、それぞれ2人の監督は、ある意味彼らの「超個性的」な部分を、自分の型にはめて矯正しようとしなかった。サバシアとヘルナンデスが「自分たちの能力を信じ、見守ってくれている」という指揮官のポリシーを理解したとき「やらなければ」と奮起したのだ。

 当然のことながら監督に要求されるのは「強いチーム作り」である。ウエッジ、メルビンとも、この数年は率いるチームが低迷し、自分との葛藤、せめぎあいを重ねてきた。そうして苦労した分、選手たちを信じてあげられる許容量も、より広がったのではなかろうか。「選手あっての自分」。そのスタンスと選手を信じる許容量こそが、指揮官たちを成功へと導いたのだ。

November 17, 2007 12:40 AM

2007年11月08日

第170幕 危険地域指定の異国で再起を図る野茂の戦い

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 ベネズエラのウインターリーグ、カラカス・ライオンズでプレーしている野茂英雄投手が6日(日本時間7日)に4度目の先発をしたが、被安打2(本塁打1)四球3、失点2という結果で3回途中で降板。勝敗はつかなかったものの、なかなかいい結果が出せないでいるようだ。

 「チームの勝利に貢献したい」と繰り返し言っていただけに、0勝2敗、防御率9・45の数字は決して本意ではないはずだ。右肘の手術後、1年半以上も試合から遠ざかっていただけに、性急な結果待ちをせず、これから徐々に「自分」を取り戻して行って欲しいものだ。

 その野茂を追って突如「ベネズエラ行き」が言い渡されたのは、ポストシーズンゲームのナ・リーグチャンピオンシリーズの取材中のことだった。かの地には過去に何度も行ったことがある筆者も、外務省の海外安全ホームページに「身代金目的の誘拐が多発しています。特に同国の治安情勢は年々悪化しており、今後も誘拐は増加する傾向にあるとみられています」と記載されているのに怖気づきながら、その先を読み進めた。

 野茂がプレーするチームは首都カラカス。そこは外国人目当ての誘拐などが頻発していて、危険地域に指定されている。主な誘拐手口として「犯人側がターゲットとなる被害者について綿密な調査を行った上で、偽装検問所を設置し犯行に及ぶもの(犯人は警察や軍の制服を使用することもある。)や、盗難車両等に分乗した犯人が、公道上でターゲットとなる被害者を襲撃し、車両から降車させ誘拐するもの等があります」と、具体的な例まで記載されているではないか。

 多少の危険を冒しても…と思ってはいたものの、その物騒な状況を知ると一気に気持ちが終息し、ベネズエラ行きを取りやめようと思った。しかしその一方では、その地で野茂がメジャー目指してチャレンジしようとすることを思えば「行かなければ…」と、気持ちが揺れ動いていたのも事実だった。思い起こせば、これまで中南米の取材では何度が銃を向けられたりする危機に立たされたことがある。「そのとき撃たれて死んだと思えば…」と、自分に妙な納得をさせ、直前に決断してベネズエラに向かうことにした。

 10月17日。アリゾナ州フェニックスのホテルを午前4時半に出て、カラカスに到着したのは当日午後9時半をまわっていた。乗り継ぎ時間や時差を計算すると17時間の旅。飛行機を降り、緊張感と疲れのため重い足取りでイミグレーションにつながる長い廊下を歩いていると、何と前方に野茂が立っているではないか! いやいや、これは長旅の疲れで錯覚を起こしているに違いない。そう言い聞かせて通り過ぎようとしたとき、それが夢でも錯覚でもないことに気づいた。

 偶然、同じ飛行機に乗り合わせていたのだ。思わず駆け寄って「よろしくお願いします」と挨拶をすると、野茂は頷きながらほのかに笑みを浮かべた。実は筆者は社会人野球新日鉄堺時代から野茂の取材をさせてもらっており、それからウオッチすること、かれこれ20年にもなる。野茂の笑みは「どこまでも追っかけてきよる。ったく、しょうがないおばさんやなあ」と、そう語っているように思えた。

 それはともかく、肩や肘にメスを入れ、それでも不屈の闘志で立ち上がろうとする、その姿には心打たれるものがある。「野球が好きなんで。野球をすることが好きなんで…」。ポツリ、ポツリと語るその言葉の裏には、異国の地で再起のきっかけを掴もうとする並々ならぬ意思が汲んでとれた。野茂の野球に取り組む真摯な姿に触れたとき、やれ誘拐だの、やれ銃で撃たれるなどと騒ぎ立ててベネズエラ入りした自分の軽々しさが、急に恥ずかしくなった。

※写真はベネズエラのウインターリーグで挑戦している野茂

November 8, 2007 01:08 AM