2007年09月17日
第166幕 秘密のGMノートに込められた野球愛
ミネソタ・ツインズの本拠地、メトロドームの放送ブースに並んで位置するGMの部屋には、常に黒い表紙の分厚いノートが置かれている。それを開くと、米粒のような数字や文字が余白を残すところなくびっしりと書き込まれている。選手たちの一投一打が網羅されている「秘密のGMノート」だ。
そのノートの持ち主であるテリー・ライアンGMが、オーナー側からの引きとめも固辞し、9月13日に突然、辞任を発表した。1994年9月13日にGMに就任して以来13シーズン、就任と区切りの日が同じ日だったのは、決して偶然ではなかったような気がする。
何がそれを決断させたのかは、断片的に入ってくる情報でしか知りえないが、地元紙などに目を通してみると、勝負へのこだわりのようなものに対するモチベーションが保てなくなったということが主な理由らしい。それにしてもライアン氏がGMに就任したころのツインズは、1991年にワールドチャンピオンになって以降、急速にチーム力が下降し、2000年までの6シーズンは下位に低迷して、球場には閑古鳥の鳴く日が続いていた。
オーナーのカール・ポラード氏は資産家ではあるが、なぜかあまりツインズにはお金をかけたがらない。2000年、2001年は球団のペイロールが30球団中の30番目で、「弱小、貧乏球団」の呼び名をほしいままにしていた。球団バジェットの関係で、ツインズで育ったデビット・オルティスやAJ・ピアジンスキーなど有能な選手を次々に手放さなくてはならない苦汁の選択に迫られることが多かったが、そのたびにマイナーから若手選手が上がってきては活躍する。チームが低迷する間も、ライアン氏は地道に強化策をまさぐり、そういう組織を作りあげていた。
休日は年間に数日。それ以外は時間を惜しむようにマイナーリーグを巡回し、ベネズエラやドミニカ共和国などにも足しげく通っていた。スカウトからの報告を分析し、それを自分の目で確認して選手集めに奔走した。昨年のア・リーグMVPジャスティン・モルノーを1999年のドラフトで指名すると、その年の12月に行われたルール5ドラフトでは、ツインズに入って2度のサイヤング賞に輝いたヨハン・サンタナをフロリダ・マーリーンズから獲得。2001年のドラフトでは全米「いの一番」で、昨年首位打者になったジョー・マウアーを指名するなど、その「眼力」を発揮し続けた。
球団消滅問題を乗り越え存続が決まると、ツインズは2002~2004、2006年とポストシーズンの常連として名を連ねるチームになる。その手腕が高く評価され、ライアン氏は2002年についで2006年にも「最優秀GM賞」ともいえる、エグゼクティブ オブ ザ イアーに輝いた。選手はもとより、他チームの首脳陣やエイジェントなど誰に聞いても「誠実でウソがない」「信頼ができる」と、その人間性は高く評価されている。
筆者のような取材側の立場のものにも、自分から歩み寄ってきては握手を求めてくる。いつでもしっかり目を見て、手の指が骨折するのではないかと思うほどきつく、野球愛と信頼感が伝わってくる握手である。
「チームに対する愛が消えたのではない。愛があるから一線を引く」。取り囲んだ担当記者にそう語ったという。救いは、辞任後もツインズに留まり、新GMのビル・スミス氏とともにチーム作りを続けることだ。苦しい時代を乗り越え「いいチーム」だという評判を作り上げたライアン氏は、9月30日のボストンでの今季最終戦で13年間のGMの仕事を終える。その日、野球愛がぎっしり詰まったあの「秘密のGMノート」の最終章にはどんなことが記されるのであろうか。
September 17, 2007 04:20 PM
