鉄矢多美子 Field of Dreams

2007年08月10日

第161幕 亡き父に導かれたボンズの756号

 バリー・ボンズがついにハンク・アーロンを超えた。筆者はその瞬間をAT&Tパークのライト寄り外野席付近で迎えた。ボンズ本人はもとより、観客も打ったと同時にそれを「確信」する文句のない当たりだった。マコビー・コーブに花火があがり「バリー、バリー」の大合唱の中、ホームインしたボンズが両手の人差し指を大きく、高く、そして長く、天にかざした。

 これまで本塁打を打つたびにそのポーズを続けてきたボンズが、なぜか今季からそれを封印していた。755号でアーロンと並んだときも、そのポーズは出なかった。だが756号を打ったあと、封印を解いたのだ。試合を中断して行われたセレモニーでマイクを握ったボンズは、感謝の言葉の最後に、天を見上げて「DAD!」と大声で叫び、こみ上げる涙を必死にこらえていた。

 ボンズには、酒やギャンブルに浸り、やたらと厳しい面を持っていた父ボビーとの間で親子断絶した一時期があった。しかし父親がガンに侵され、命の期限を知らされたとき、心の垣根はなくなっていた。やせ細り歩くこともおぼつかなくなってからも父は病院を抜け出し、死の3日前まで球場に通い続けた。ボンズもまた病院に寝泊りしながら、そこから球場に通った。父ボビー・ボンズは2003年8月23日に他界した。

 その父に向かって、息子は「やったよ!」と誇らしげに報告したのだ。それは、天の上にいる父と地上の息子の2人だけにしかわかりえない魂の交信のようにも映った。試合直後に行われた記者会見でも「ビデオで打撃フォームをチェックしていたとき、父親からアドバイスされた細かな点を思い出した」と、それまで口にしていなかった父を語り始めた。

 754号のあと1週間ほどホームランが出ず「頭の中が混乱して気が狂ってしまいそうだ」と、フラストレーションが極限に達したときもまた、父が言っていたことを思いだしていた。「何かあったらジョーのところに行け」。ジョーとはジャイアンツの打撃コーチ、ジョー・ラフィーバー。ボンズの父ボビーとともに1997年からジャイアンツのマイナーリーグの打撃コーチだった彼が、最もボンズをよく知る1人だった。

 相談に行くとジョーは「少し周りが騒がしいようだから、早出してだれにも邪魔されず、リラックスして打ってみたらどうだろうか」と提案した。それがサンディエゴで放った755号につながったのだ。ボンズはそれが魔法の言葉のように思えた上、どんな時にも亡き父が自分を見守り、導いてくれていることをより強く実感したことだろう。

 「掴めたよ。もう大丈夫だ」。ボンズがそう言ったのは757号を久々のスプラッシュでマコビー・コーブに叩き込んだあとのことだった。3000本安打まであと84。2000打点まであと17(8月10日現在)となり、よほどのことがない限り、これらのマイルストーンには到達するだろう。しかし「掴めた」という言葉は、それらを通り越し、800号へとつながる自信のようにも響いてきた。

August 10, 2007 04:37 PM