2007年07月19日
第158幕 ボンズの苛立ちが頂点に達した日
ドジャースの斎藤が最後の打者バリー・ボンズを内野フライに打ちとって、昨年と同じ24セーブを上げたのは7月15日のことだった。試合後、特にアメリカの記者は、対ボンズに対する質問を矢継ぎ早にぶつけていた。斎藤はクローザーとしての自分の仕事ができた満足感をかみしめながら、しかしまた、オールスターでボンズの人間性に触れ「ナイスガイ」だったこともどこかで反芻しながら質問に答えているかにみえた。
記者たちが斎藤を囲んでいるちょうど同じ頃、一方のジャインツのクラブハウスではとんでもないことが起こっていた。ボンズが放送禁止用語を連発しながら、ユニフォームを入れるかごをひっくり返すなどして大暴れしていたのだ。多少の胸騒ぎを覚えていた筆者は、斎藤の取材を終えると、すぐにジャイアンツ側に移動した。そのとき騒ぎはすでに鎮まっていたが、クラブハウス内は、まだその余韻をとどめていた。
口では時々きついことも言うボンズだが、こんな風に暴れることはない。なぜそういうことになったのだろうか…。その時の様子を撮影したという地元のテレビ局に行き、VTRを見せてもらうと、そこには常軌を逸したボンズの様子が生々しく映し出されていた。長い間、ボンズを見続けてきた筆者も、こんなふうに自己コントロールを失くしたボンズの様子を見たのは初めてだった。
実はその日の試合前、クラブハウスにポツンと一人いたボンズが「ハグしよう。ラッキーがもらえるかもしれないから」と言った。その言葉に驚きつつも、現状の不振を何かによって変えたいという、いわば「藁をもつかむ思い」が伝わり、状況がよほど深刻なのだろうと感じていた。
それでも最多本塁打記録がかかっている今は、打っても、打たなくても、試合に出なくてもボンズ、ボンズと書き立てられる。7月3日に打った751号を最後に、オールスターを挟んで約2週間もの間、本塁打はおろか、1本の安打も出ていないことに対する苛立ちは、いかばかりのものだったであろうか。
試合前、斎藤がボンズについて言ったことを思い出した。「彼もここまで来るのに、いろいろなことを乗り越えてやってきたんだろうなと思うと、その苦労がみえる気がした」。わずかなやりとりの中で、それを洞察していたことに驚いたばかりか、相手へのリスペクトの仕方を学んだような気がした。筆者も含め、みんなが斎藤のような受け止め方ができていさえすれば、ボンズの苛立ちは最小限にとどまっていたのかもしれない。
ともあれ、取材者側にいる者としては、いろいろなことを考えさせられるできごとだった。
July 19, 2007 03:42 PM
