鉄矢多美子 Field of Dreams

2007年01月24日

第137幕 「バリー・ボンズ、43歳の挑戦」

 このところ、バリー・ボンズの周辺が騒がしい。というか、1年を通して何かと騒がしいといった方が正しいのかもしれない。最近では薬物検査で陽性反応が出ただの、そのため契約合意に達していたジャイアンツがそれを破棄するのではないかだの、それを受け指名打者制のあるア・リーグ球団に行くのではないかだの、レッドソックスに入るかもしれないだの、挙句の果てには引退だのと、彼をとりまくさまざまなうわさや憶測は枚挙にいとまがない。

 いまや日常化しているそんな騒ぎから抜け出すかのように、ボンズはこの18日から3日間、ドミニカ共和国を訪ねていた。カリブ海一帯は今がベストシーズン。とはいえ、バケーションのためにドミニカ共和国を訪れたのではない。かつてジャイアンツなどで活躍し、殿堂入りを果たしている同国出身のホアン・マリシャルが主催するチャリティーゴルフコンペに参加するため、はるばるカリフォルニアからやってきたのだ。

 毎年行われているこのコンペの収益金は、病院や恵まれない子供たちのために使われることになっている。ボンズは、これまでも自分が納得すればこうした慈善のイベントに積極的に参加してきた。だが、このスーパースターの報道に関しては、チャリティーへの参加よりは、ステロイド関連や女性とのスキャンダルなどを取り上げるほうが、どれだけインパクトがあるか、番記者たちは知っているのだ。

 ボンズがドミニカ共和国に飛んだとなれば、当然アメリカからも番記者が追いかける。今回も薬物と契約問題が取材目的だったため、手弁当でやってきてチャリティーに参加したことなど、ほとんど報道されずじまいだった。もっぱらショッキングなネタ探しに奔走し、何とか話を聞きだそうと食い下がる番記者たちを尻目に、チャリティーゴルフを終えたボンズは一切コメントをすることなく、ドミニカ共和国を発った。

 気になる点は、いまだサンフランシスコ・ジャイアンツと正式契約を結んでいないということだ。情報によれば、条件的な合意は得たが、浮上した薬物疑惑問題などにより、最終的にサインするところまで至っていないというのだ。確かにデリケートな問題は介在しているが、ボンズは気持ちに余裕を持っている。実は、昨シーズン中から密かにサンフランシスコのオーナーと会って何度も話し合いを持っており、お互いの気持ちを確認し会っているからだ。

 「サンフランシスコのユニフォームで新記録を樹立したい」という気持ちをオーナーもGMも承知していると言われ、新しく監督に就任したボウチは、わざわざボンズに電話して「力を貸して欲しい」と伝えている。昨シーズンまでに歴代2位の734本塁打(そのうちサンフランシスコのユニフォームで558本)を記録し、ハンク・アーロンの本塁打世界記録755本まであと21本と迫っている。膝や肘の故障を抱え、喧しいマスコミとも相対して行かなければならない。だが、ドミニカ共和国から帰国したボンズは、何か吹っ切れたような表情で、再びトレーニングに没頭する毎日を送っている。

 本塁打新記録達成への期待とスキャンダル報道の間で、43歳になる男の挑戦は続く。

January 24, 2007 07:17 PM

2007年01月18日

第136幕 「ベネズエラのハンカチ王子」

 甲子園を沸かせた、早実・斎藤佑樹投手が、早稲田大学野球部の練習に参加し、再び佑ちゃんフィーバーを巻き起こしている。注目はトレードマークになったブルーのハンカチ。多くのラッキーを呼び寄せたハンカチだけに、早稲田大学でも使うのかどうか…だった。テレビのスポーツニュースでは、斎藤投手が額に汗すると、いっせいにアップで映し出し、その瞬間に期待を寄せた。

 だが、周囲の期待に反して、斎藤はハンカチを使用しなかったのだという。すごいと思うのはそれを使用しなかったというだけで、テレビのスポーツニュースや新聞を賑わせたことだ。自分が今置かれている状況、立場を冷静、的確に判断し、野球に集中しようとする心構えだけとってもスーパースター予備軍と言えるのではないだろうか?

 ところで、日本が佑ちゃんフィーバーで揺れ「メジャーでも通用する」などと騒がれていた昨夏、それならば…と筆者は、斎藤の投球VTRを持参し、大リーグを代表する投手、ツインズのヨハン・サンタナに投球を分析してもらうことにした。VTRを食い入るように見ていたサンタナが、いきなり「う~ん。変化球がいいね。打者へのアプローチが違う。すごい! いつの日かこっちでプレーするのを見たいねえ」と言った。

 と、次の瞬間、VTRに斎藤がブルーのハンカチを取り出して汗をぬぐう場面が出てきた。するとサンタナはそれにかなりの興味を示し「彼はいつもこうやって、ポケットからハンカチを取り出しているの? 実は僕も子供のころ彼と同じようにタオルをズボンの後ろのポケットに入れていて、同じように顔の汗をぬぐっていたんだよ。思い出すなあ」。その目には遠く故郷ベネズエラが浮かんでいるようだった。

 斎藤との共通点に少年時代を重ね合わせているサンタナに、彼のニックネームが「ハンカチ王子」であること、その1人の高校生の人気で日本国中が占拠されていること、ブルーのハンカチが飛ぶように売れていること、などなどを説明すると「それなら僕だってベネズエラの“ハンカチオージ”だよね?」と、胸を張り「ハンカチオージ」と繰り返しながら、ツインズのクラブハウスにスキップで入っていった。

 2006年のア・リーグ3冠王投手。シーズン終了後には2004年についで2度目のサイ・ヤング賞を受賞。ベネズエラでは国民栄誉賞ともいえる「プレミオ・ルイス・アパレシオ」に輝き、今メジャーリーグでもっとも力のある投手と評価されているサンタナ。その彼が斎藤の投球に強烈な印象を持ち「自分だってベネズエラのハンカチオージなんだ」とちょっぴり対抗意識を燃やしてきたことに、本家「ハンカチ王子」の威力を知らされる思いがした。

January 18, 2007 12:40 PM

2007年01月11日

第135幕 「メジャーリーガーと発砲事件」

 ホワイトソックスで井口と二遊間を組むホアン・ウリベが、選手生命がかかった大きな危機に立たされている。昨年10月13日に母国ドミニカ共和国で、口論の末、相手に発砲して怪我を負わせた事件に関与していたとされている。本人は「自分はその場にいなかった」と、発砲したことを認めていない。だが、被害者からは「たしかに彼はその場にいたし、彼が撃った」と訴えられているのだ。

 ドミニカ共和国ではもっぱら「彼が撃ったに違いない」という評判が飛び交っていたが、このほど、事件に関して地元の裁判所から月に2度の出廷命令が出され「やっぱり」と、ウリベに対する風当たりも強くなっている。この状況のままでは2月のキャンプに合流できない可能性ばかりか、それが長引けばシーズンも棒にふることになる。昨年まで中日でプレーしていたマルティネスも来日前に発砲事件を起こしているが、この時は正当防衛と認められ、ことなきをえた。

 平和ボケしている日本からみれば、何で野球選手が銃を持ち、いとも簡単に発砲してしまうのだろう? と不思議に思えてならないだろう。実は治安が悪い中南米では、野球選手のみならず、一般市民も護身用として銃を持ち歩くのが当たり前になっているのだ。先日、ヤンキースのロビンソン・カノのドミニカ共和国の自宅前を通りかかった際に、家の前で怖い形相で銃を持って立っている姿を目撃した。これが彼らの日常なのである。

 ウリベはシーズン終了後母国に帰り、その直後にこの事件を起こしてたが、11月後半からはウインターリーグにも出場し、今シーズンに賭ける意気込みも見せていた。だが、今度は彼が所属するチーム、エスコヒードが賭博試合を行っているとスッパ抜かれ騒然となった。チームは6チーム中5位に終わり、ウリベ自身もたった6試合プレーしただけでグラウンドから消えた。

 おまけに、12月には親戚の元メジャーリーガー、ホセ・ウリベが交通事故で亡くなった。発砲事件を皮切りに、賭博試合、親戚の交通事故死など、ウリベのオフは連鎖反応のように不幸なことが起こっている。ホワイトソックスでは今季、ショートの定位置が約束され、さあこれからだ、という矢先だっただけに、1年を棒に振るようなことになれば、発砲事件の代償は大きいものになる。

 ウリベは、銃を持っている意味と、メジャーリーガーとしての品格について、今一度考え直す必要があるのではないだろうか。

January 11, 2007 11:49 AM

2007年01月04日

第134幕 「善意でしめくくられ新年へ」

 ア・リーグ2冠王のデビット・オルティスが、フィールド外でもスーパースターの存在感を見せている。12月30日(日本時間31日)に、母国ドミニカ共和国で、彼の名前を冠したチャリティーソフトボール大会を開催し、その収益金を難病で苦しむ小児病院に寄付した。これに先立つ12月7日にも、同国の小児病院を訪問。およそ2000万円ほどの寄付金を贈り、入院中の子供たちの病室を訪ねて1人、1人を励ましている。

 近年、メジャーでもこうしたチャリティー活動が積極的に行われるようになってきたが、それはドミニカ共和国の隣の島、プエルトリコ出身のロベルト・クレメンテの影響によるところが大きい。1972年12月にニカラグアで起こった大地震で被災した人々に救援物資を運ぶため、自ら乗り込んだ飛行機がサンファンの空港を飛び立った直後に墜落。帰らぬ人になってしまった。「自分の命と引き換えに弱者に手を差しのべる」というそのスピリッツは、以後、脈々と受け継がれているのだ。

 ドミニカ共和国の野球少年のほとんどがそうであるように、オルティスもまた貧しさの中から立ち上がってきた。巨額のお金を手にするスーパースターにのし上がった今、それを自分だけのものにするのではなく、弱者に手を差しのべ、でき得る限りの社会貢献に身を投じている。その様は明確にクレメンテの意思を受け止め、つないでいることを思わせる。12月31日は、くしくもクレメンテの命日に当たる。オルティスの呼びかけで参加した選手たちも、34年前の出来事を胸に「今、自分たちにできること」を精一杯やり遂げた。

 「助けが必要な子供たちが大勢いる。できる限り援助の手を差しのべ続けて行きたい」。チャリティーソフトボール大会には、オルティスの趣旨に賛同したペドロ・マルティネス、ブラディミール・ゲレーロ、ミゲル・テハダといった同国出身のスーパースターたちも手弁当で参加。アメリカにいて参加できなかったアルバート・プフォールスは病院あてに寄付金を送った。2006年の終わりが、ビッグ・パピの呼びかけに呼応した有志一同による大きな善意でしめくくられた。

January 4, 2007 12:05 PM