鉄矢多美子 Field of Dreams

2006年10月15日

第131幕 バック・オニールさんの死を悼む

 思いがけない訃報だった。8月上旬にバック・オニールさんを訪ねてカンザスシティーに行ってから2カ月後。あんなに元気でインタビューに答えてくれたオニールさんが亡くなった(10月6日)ことが、俄かに信じがたかった。94歳だというのにシャンとしていて、記憶力も抜群。7月末にはクーパースタウンで「演説」を行うなど、野球の発展のため精力的に活動していた。インタビューでは、子供のころ野球と出会った話から今日までのことを、理路整然と話してくれた。

 日本でオニールさんの名前が知られるようになったのは、今年7月18日に米独立リーグのオールスターゲームで、94歳ながら1日限定の「現役復帰」を果たし、実際に打席に立ったことが話題になってからだ。「プレーしないかって誘いがあったから行ったんだ。打席に立って四球で一塁に出て、その後、チームが、僕を相手チームにトレードしたからまた相手チームでも打席に立ったんだ。すごく楽しかったよ」。少年のような目をして言った。

 激しく人種差別が行われていた困難な時代に生き、野球をするにも苦労の連続だった。だが「そんなことより、(差別のため)高校や大学に入れなかった事のほうがずっと辛かった」。その後、1947年に黒人選手としてメジャーリーグ史上初めてジャッキー・ロビンソンがMLBでプレーできるようになった時には「やっとこの時がきた」と感慨深かったのだという。そして、これまでの野球人生で一番印象に残っていることはと聞くと「1943年。メンフィス、テネシー。メンフィス・レッドソックスが相手のイースターサンデー」と遠い記憶を懐かしむように語りはじめた。

 「その日の試合の最初の打席はシングル、次に二塁打、その次がレフトオーバーのホームラン。次に打った左中間のフライは、フェンスにぶつかれと祈りながら走っていた。ボールはちょうどフェンスのてっぺんに当たって転がり、三塁コーチがランニングホームランだと肩を回したけど、僕は三塁で止まったんだ。なぜならそれでサイクル安打にしたかったからね」。

 「その夜、ホテルへ戻ってくつろいでいたら、チームのトラベルセクレタリーからちょっと会ってほしい人がいるからロビーにきてくれないか? と言われた。学校の先生だった彼の奥さんが、他の若い先生たちを連れてホテルに来ていたんだ。僕は降りていって、一番前にいた若い女性に“初めまして、バック オニール です”と自己紹介して握手した。その女性と結婚して51年間一緒に過ごした。だから僕の野球人
生で一番印象に残っている日は1943年、メンフィステネシー、イースターサンデー、サイクルヒットを達成し、未来の妻の出会った夜」。

 自らもプレーしたニグロリーグの発展に寄与し、2度の首位打者にも輝いている。カブスのスカウト時代にはアーニー・バンクスやルー・ブロックなど殿堂入りした名選手を次々にスカウティングし世に送り出すなど、野球界に数々の功績を残しているが「人生の一番」はそのいずれでもなく「未来の妻と出会った夜」を挙げた。そんなところに、オニールさんの人間性が滲み出ていた。

 インタビューを終え「日本にも来てください」と水を向けると「ええ、近いうちに行くんじゃないかという気がしてるよ。でも一気に日本まで飛ぶのではなくて、途中ハワイによってから行こうかな。ゆっくり。ゆっくりとね」。海を越え、オニールさんの魂が日本にやってくる日を、ゆっくりと待つことにしよう。

October 15, 2006 12:15 PM