鉄矢多美子 Field of Dreams

2006年07月22日

第120幕 17連勝を支えた五色のボール

 昨年8月21日以来連勝記録を続け、メジャー記録(クレメンスの20連勝)を塗り替えるのではないかと騒がれていたホワイトソックスのホセ・コントレラスの記録が「17」で途切れた。さぞかし残念だろうと思いきや「記録というのはいつか途切れるもの。それに関してはどうってことはないけど、チームを勝利に導くことができない方がより残念だ」と、さばさばした調子で語った。

 ここまで好調を支えてきた秘密の1つは、キューバ時代からの独自の練習法にある。投球練習の際に使う五色のボール(赤、青、黄、緑、黒)がそれで、色分けされているカラーボールはそれぞれ重さが異なり、それを投げ分けることで肩の調子を整えるのに適しているのだという。これにフォークボールを投げる際、ボールをはさむ指の開きを保つために、大きめのソフトボールを加えて、創意工夫が凝らされた練習を行っているのだ。

 好調のもう1つの要因は、9月に第3子が誕生することだ。しかも2人の娘たちに次いで、今度は待望の男の子と分かり喜びもひとしおのようだ。2002年に亡命し、その1年9カ月後に家族も亡命に成功。アメリカで一家そろった暮らしが始まったころから、徐々に成績も伸びてきた。「今では娘たちはすっかり英語をマスターして、あまり英語が話せない自分たちが取り残されている」と、すっかりアメリカに溶け込んだ娘たちに目を細める。

 松井秀喜と2003年の同期入団で、当時はどちらが新人王を取るかで話題騒然だったが、その後、松井はヤンキースの看板選手となり、コントレラスはダメだしを食らってホワイトソックスに放出された。その男が昨年は15勝し、ホワイトソックスの世界一にも大きく貢献した。昨年後半戦からの8連勝に加えて、今年は前半を9勝0敗で折り返して、連勝記録を保持したままでオールスターにも選ばれた。

 そのオールスターでは家族とともにオープンカーに乗り込み、晴れ晴れとした表情でレッドカーペットの上を行くパレードに参加した。登板機会はなかったが、メジャーのオールスターの雰囲気を十分に満喫した。とりわけア・リーグのクラブハウスで、自分のユニホームにイチローからサインをもらったことがうれしかったと、そのサインの痕跡を見ながら表情を崩した。

 後半戦、好投しながらいきなり2連敗と不運なスタートになってしまったが「調子が悪いわけではないし、むしろ連勝記録で周囲が騒がしかったことを思えば、今は投球に集中できる環境になってきた」と本人はそれほど落胆していない。1位タイガースに水をあけられ、3位ツインズからも猛追されているが、これからが本当の正念場。ポストシーズン進出はもちろん、2年連続世界一の夢に向かって、秘密兵器「五色のボール」がコントレラスを支え続ける。

 「Field of Dreams」は筆者都合により1回、休みます。次回更新は8月12日ごろを予定しています。

July 22, 2006 02:27 PM

2006年07月15日

第119幕 球宴出場を糧に進化する新人左腕

 前半戦終了直前にア・リーグ防御率1位に躍り出た新人のフランシスコ・リリアーノが、後半戦のスタート(13日)で5回を投げ5失点して敗戦投手になった。この試合では三振を6個奪ったが、ホームランも3本打たれる波のある投球で、最後まで本来のペースをつかむことができなかった。

 22歳。新人ながら、前半戦に10勝1敗、防御率1・83と驚異の数字を残し、オールスターにも選出されることになった。ところが、リリアーノは球宴出場を辞退した選手の代替とあって、出場が決まったのが7月10日だった。このとき彼はオールスター休みを利用して、故郷ドミニカ共和国に帰国していたのだ。このため、なかなか連絡が取れず、危うく幻の選手になりかけるところだった。

 困り果てていた関係者に、思わぬ助け舟が出された。同じドミニカ出身のビック・パピことデビット・オルティスが「アイツのことは俺にまかせてくれ」と「捜索」を名乗り出たのだ。早速サントドミンゴに住むオルティスの父・エンリケさんに「何としてでもリリアーノを探してくれ」と電話で依頼。その甲斐あって本人を発見したまではよかったが…。そのあとが大変だった。

 リリアーノはオールスター当日(11日)の早朝にサントドミンゴを出て、ピッツバーグに午後3時すぎに到着。出場選手が赤絨毯の上をオープンカーに乗って優雅に球場入りのパレードを行っていたそのころ、荷物を担いであたふたとPNCパークに駆け込んだのだ。栄えあるオールスターゲームに選出された喜びに浸る間もなく、ア・リーグのクラブハウスに入ると、同僚のヨハン・サンタナが迎えてくれた。

 「おめでとう! 待ってたぞ」の一言で、やっと気持ちが落ち着き、ユニフォームに着替えて、まわりを見渡すと、これまで自分があこがれていた選手が勢ぞろいしていた。「あんな場所に自分がいるのが不思議だった」と、そこが選ばれたものだけの特別な空間であることを悟った。選手紹介の時もサンタナが隣に並んでくれた。結局投球機会はなく、PNCパークにはわずか8時間の滞在で、リリアーノの球宴は終わった。

 13日の試合では、球宴のあたふたが響いていたのかもしれない。「きょうは自分の投球をまとめられなかった。確かにちょっと疲れていたけど、それは(負けの)理由にはならない」。それでも防御率は2・12。10勝2敗で依然として新人王の有力候補の1人に名を連ねている。そればかりか、今後の展開では防御率、勝ち星、勝率などのタイトルにも絡むことが予想される。球宴出場を糧に22歳の若者はさらに進化を続けて行く。

July 15, 2006 01:43 PM

2006年07月07日

第118幕 果てしなく、限りなく続くテハダの連続出場

  「Mr.エンドレス」。ミゲル・テハダに会うたびにそう呼ぶことにしている。7月1日のブレーブス戦で連続1000試合出場記録を達成した彼には、そのニックネームがいかにふさわしいかと密かに自負している。の記録を続けるのがどれだけ困難であるかは、テハダの記録が現役選手でトップであり、メジャー史上でも歴代7人目ということからも察知できる。2000年5月31日から始まり、足掛け7年で達成しているが、彼の連続試合出場のすごさの裏には実はもっと驚くべき「連続出場」が隠されている・・・。

162試合を戦ったオフシーズン、故郷のドミニカ共和国に帰ると、自チーム「アギラス」の主力として11月中旬から参加し、プレーオフからカリビアンシリーズにいたるまで毎年すべての試合に出場し続けているのだ。今年の1月後半に行われたウインターリーグのプレーオフでは、それが終わった時点で、さすがの鉄人テハダも「疲れた。今年はもうこれ以上(母国で)プレーしない。(メジャーの)キャンプまでちょっと休養するよ」と言っていた。

ところがその後、2日おいてベネズエラで行われたカリビアンシリーズで、ふとフィールドを見ると「DOMINICANA」のユニフォームに身を包んだテハダがさっそうと守備練習に参加しているではないか!聞くと、不参加を決めていたが、2日休んだら疲れが飛んだから、どうしてもプレーしたくなって、直前にプライベートジェットを駆ってドミニカ共和国からベネズエラまで飛んできたのだという。

もちろん、カリビアンシリーズでも全試合に出場し、それが終わるとすぐボルティモアのキャンプに参加。そしてWBCのドミニカ代表としてもプレーするという驚異的なスケジュールをこなして今季を迎えている。思えば、ゆっくり体を休めるのは年間にほんの数日しかないことになる。何が彼をそうさせているのだろうかと、ことあるごとに質問をぶつけ続けてきたが、答えはすべて「僕は野球をプレーするのが好きだから」だった。

1000試合連続出場記録を達成した後もその答えは変わることはなかった。「自分にとって1000試合とか2000試合とかいう(記録を)考えてプレーすることではなく、1試合、1試合を大切に毎試合プレーし続けていくことなんだ。というのも僕は野球をプレーすることが大好きだからね」。

くしくも歴代1位の「2632」試合連続出場記録を持つ、リプケンJrと同じボルティモアで同じ遊撃を守りながら、連続試合出場記録を積み重ねている。それはテハダにとってモチベーションが上がる要因の一つではあるが、大先輩の記録を意識することより、むしろフィールドに出て日々、プレーが続けられることに無常の喜びを抱いているのだという。

今季もまた162試合を戦い抜き、オフには故郷にもどってウインターリーグに参加、プレーオフ、カリビアンシリーズと、エンドレスにプレーを続けるのであろう。1000試合連続出場という大記録に、オフの間もほとんど休まずプレーし続けているテハダの野球に対する深い思いを重ねると、達成された記録にはまた一味違う重みが加わる。Mr.エンドレス。その名の通り、彼の野球に対する思いは果てしなく、限りなく、続く。

July 7, 2006 06:45 PM