鉄矢多美子 Field of Dreams

2006年06月30日

第117幕 首位打者は無名戦士

 イチローとマウアーのア・リーグ首位打者争いが注目されている。ほとんど無名だったマウアーも、イチローを抑えて首位打者に居座っている(日本時間30日現在)ばかりに、このところ何かととりあげられることが多くなり、だんだん知名度も上がってきた。一方、ナ・リーグの首位打者争いでもこの日トップに立ったのはパイレーツの無名戦士、フレディー・サンチェスだ。

 名前を聞いてもどんな選手なのかピンと来ないのが普通で、これだけ打ちまくっているのに、彼の知名度もマウアー同様、ほとんどないに等しい。昨年はじめてメジャーでフルシーズンを送り、後半戦にはブレイク。打率2割9分1厘を残してシーズンを終えている。今年は開幕から好調を保ち、このままの調子で行けば、地元開催のオールスターゲームへの出場も夢ではない状況にある。

 29日(日本時間30日)には、地元ピッツバークで行われた対ホワイトソックス戦で、6-6の同点から9回裏に劇的なサヨナラホームランを放って試合に決着をつけた。そればかりか、この日は5打数4安打と固め打ちして、打率を3割6分3厘まで上げ、ガルシアパーラを抜き去って首位打者に躍り出た。ホームベースで手荒い祝福を受け、選手冥利につきるという満足気な表情でファンのコールにも応えていた。

 好調の原因を問いただすと「う~ん、思えばあの時から自分のバッティングが開眼したのかもしれないなあ」という。そのあの時とは・・・・。昨年、5月31日に当時、フロリダ・マーリンズだったA・Jバーネット(現ブルージェイズ)がパイレーツ相手に世界最速の104マイル(167キロ)を「出した、出てない」の騒ぎになったことがあるが、その時の打者がこのサンチェスだったのだ。

 「ホントにあのボールの速さはこれまで体験したことのないすごいものだった。みんなは彼のスピードに懐疑的だったけど、僕はあの時、本当に104マイル(167キロ)出ていたと信じているよ」。167キロの体験は「正直ショックだった」と振り返り、「何かを変えるときにはショック療法が必要なことだってある。僕が変われたようにね」と、未知とのスピードと遭遇した体験談を冗談めいて話す。

 それはさておき、ここまでやれているのは「昨年後半につかんだものを、そのままキープできていることと、精神的にも余裕が出てきたことが大きい」のだという。まもなく前半戦を折り返すが、この時点で、ア、ナ両リーグの首位打者争いを演じている選手が、無名選手であるというのも、メジャーリーグを象徴しているような気がする。

June 30, 2006 06:23 PM

2006年06月24日

第116幕 田口のあくなき挑戦

「持っている力を出せていない。まだまだ、もっともっとできる」。まるで自分に言い聞かせるように田口が言った。5月24日。サンフランシスコ戦で4打数3安打2打点とチームの勝利に貢献し、しかも今季1号を打った試合後の田口のコメントに正直、意表を突かれる思いがした。本塁打に関する質問には「僕はホームランバッターじゃありませんから」と、キッパリ言い切った。

ホームランを打って嬉しくないわけがない。だがそれのみに終始していないで、もっと自分の野球観やひとつひとつのプレーの意図も汲み取り、読んで欲しいといわんばかりの顔つきだった。「自分のような立場の選手は与えられたチャンスを確実にモノにしていかなければならない」。いつまでも1本の本塁打の喜びに浸ってはいられないということでもあったのだろう。

メジャー挑戦5年目。メジャーとマイナーを行ったり来たりしながら、苦労して自分のプレースタイルを築き上げ、メジャーに定着した。少々申し訳なく思ったが、マイナー行きはどんなタイミングで言われるのかと聞くと「監督室に呼ばれ部屋に入るなり、トニー(ラルーサ監督)が指でピストルの構えを作っていて撃つ真似をする。それがマイナー行きの合図だったりするんですよ」と答えてくれた。

昨年は143試合に出場。今季もまた開幕から「いなくてはならない選手」として存在感を見せつけている。ピストルの構えをし、マイナー行きを言い渡したラルーサ監督も、最近はこちらが切り出す前から「ソー(田口)は実に堅実なプレーをして、チームを助けてくれている。なくてはならない選手だ」と積極的に田口の話を持ち出すようになった。それでも当の本人は「いやいや。まだまだ。もっともっとできるはず」と少しの妥協もない。

遠征先では日本食のレストランを探すのかと思いきや、コテコテのアメリカンフードに舌鼓を打って、満足気な顔をしていたことも意外だった。アメリカで一番好きな都市が「セントルイス!」とも言いきった。内陸部で高温多湿のその地の夏はお世辞にも住みやすいとは言いがたいが「郷に入れば郷に従え」というその土地に根付いた生き様からも、今日の成功を伺い知ることができる。

これまでの紆余曲折を思えば「何があっても驚かない」という田口も、唯一恐れをなすものがある。試合が終わり帰宅すると、長男の寛くんが、おもちゃのバットとボールを持って目をギラギラ輝かせて待ち構えているのだそうだ。「こっちは試合で疲れているというのに、うちはダブルヘッダーなんですよ」。そういいながらも父親の目からは嬉しさがあふれている。

名将ラルーサ監督に「なくてはならない選手」と言わしめた男は、それでも「まだまだ、もっともっとできる」と自分を鼓舞するように繰り返す。チーム最年長、来月には37歳になる田口は、その存在感を着実に広げながら、あくなき挑戦を続けている。

June 24, 2006 05:50 PM

2006年06月16日

第115幕 苦悩するボンズ

 「僕がルースを抜かなければよかったのかもしれない…」

 ベーブ・ルースに並ぶ714号、それを超え通算本塁打記録単独2位となる715号の偉業達成を心から喜んでいたはずのバリー・ボンズ。だが半月もたたないうちに、こんな思いがけない言葉を耳にしようとは…。

 ここにきて一旦沈静化したと思われていたステロイド使用問題が再燃。さらに03年のオ-ルスターで発言したとされるルースを軽視したとも受け取れるボンズの言葉(真偽のほどは定かではない)などを問題視し、攻撃の手を緩めないメディアに辟易としている。そこで思わず「自分がルースさえ超えなければこんなことにはならなかったのに」という心情になったのであろう。

 スーパースターには常に孤独感と重圧との葛藤がつきまとう。ステロイド使用に関する暴露本が出た今年のキャンプ後半には「僕がエンパイアーステイトビルから飛び降りて、この世にいなくなればこんな騒ぎもなくなるだろう」と自虐的とも受け取れる発言までして周囲を驚かせたことがある。この発言の裏にも限りない孤独感が漂っていた。

 一旦家を出ると、帰宅するまで終始、人の目にさらされ続け、その言動には寸分たりともスキをみせられない。息の詰まるような時間の中で、結果だけが求められる。過去に何度か繰り返されている「引退発言」は、そんな日常の重圧から開放されたかったがゆえのことだろう。事実、これまで何度か「自分がバットを置けばどれくらい楽になれるだろうか」と心の針が「引退」に振れたことがあるのだという。

 「いつプレーできなくなってもおかしくない」と本人がいうほど、身体的な爆弾を抱えながらプレーしている今季。記録を抜かなければ「力が落ちた」と揶揄され、抜けば抜いたでこき下ろされる。「僕がルースさえ抜かなければ…」。思わずこぼれおちたその言葉の裏には、不条理な見解に包囲され、孤立したスーパースターの揺れ動く苦悩がはっきりと感じ取れた。

June 16, 2006 03:11 PM

2006年06月10日

第114幕 イチロー、日米通算2500本安打に思う

 イチローが日米通算2500本安打を達成した。

 それで、ふと思い出したのは、WBCの取材でイタリアから来ていた記者の言葉だ。「ボンズやクレメンスを知らなくても、僕らはイチローの名前だけは知っているよ。彼はまさにディマジオ級。日本人は彼をこの上もなく誇りに思わなければいけないね」。野球がマイナースポーツのヨーロッパにあっても、野球とかかわる人々やファンの間に、イチローの名前だけはとどろきわたっているというのだ。

 ドミニカ共和国では、道端で野球に興じる子供たちが、バットを右手で掲げるあの独特のフォームを真似ている姿をあちこちで見かけるし、野球アカデミーでもイチローのような選手が養成できたらと、大きな目標にしている。日本人の顔を見ると反射的に「イチロー」と言いながら近づいてくる地元民もいたりして、地球の裏側で「イチロー」が日本人の代名詞的役割を果たしていることにも驚かさる。

 キューバでは、ナショナルチームの合宿先ホテルのテレビで、選手たちがイチローの打席を息を呑んで見入っていた。くしくもWBCの決勝で日本と顔をあわせた彼らだが、キューバに帰国してからの自慢は「イチローと対戦したこと」だったという。

 そしてボンズ。普段は他の選手のことに関してあまり関心を示さないが、ことイチローのことになるととたんに饒舌になる。「もう少し早くこっちに来ていれば優に3000本安打はできたのにね。来るのがちょっと遅かった。惜しい・・。でも、ひょっとすると彼ならできるかもしれない。なにしろこれまでも信じられないすごいことをやり遂げてきている男だから」。

 プライドが高いボンズは、他の選手を「すごい」という言葉で表現することはほとんどない。ところが、イチローだけは特別なのだ。年間最多の73本塁打を打った自分の記録を引き合いに出し「(イチローの)262安打はそれよりすごいことかもしれない。まったくすごいことだ」と「すごい」を連発し、大絶賛した。

 一口に「2500本安打」と言うが、コツコツと積み上げてきたその重みは、傍観者には到底図り知ることができない。上記のイタリア人記者の言葉を借りれば、さまざまな形で世界中に影響を及ぼし、大きな存在感を示し続けているイチローを、我々日本人はこの上もなく誇りに思わなくてはならない。それだけは確かなことだ。

June 10, 2006 10:11 AM

2006年06月02日

第113幕 日系4世が体験した激動の6日間

 日系4世のトラビス・イシカワ(22)が激動のメジャーリーグ6日間を体験した。2Aのコネティカットに所属するイシカワが、正一塁手のランス・ニークロの右肩痛により「守備要員」として緊急招集されたのが5月25日。背番号「1」をつけたイシカワはボンズやビスケルなどのいるクラブハウスで「興奮しているけど、ちょっと緊張している。突然だったのでまだ両親も上にあがったことを知らない」と、初々しく語っていた。

 5月26日にいきなり初スタメンに起用されると、4打数3安打3打点と打棒爆発。4月18、19の2日間、すでにメジャーを体験していたが、その時はいずれも代打でアウエーゲームだったため、彼にとって初スタメン、地元デビュー、猛打賞と重なったこの日がメジャリーガーとしての感触にドップリ浸れる記念日になった。

 周囲はボンズがいつベーブルースを抜き「715号」を打つかの一辺倒だったが、イシカワが初スタメンで活躍したこの日ばかりは、あのボンズさえも陰が薄くなるほどだった。試合終了と同時にダグアウトでヒーローインタビューが行われ、質問に嬉しそうに答えるイシカワに、シェービングクリームをいっぱいに載せたパイが顔にぶつけられ、メジャー式の手荒い祝福を受けた。

 翌5月27日もスタメンに名を連ね、3打数1安打。28日は代打で1打数1安打。4月の2打数1安打も合わせると、メジャーデビューして以来ここまで10打数6安打、実に6割という驚異的な打率を残していた。28日にはボンズが「715号」を放ち、ベンチで歴史的な一発も目撃した。その日の試合後、チームはサンフランシスコからマイアミに移動し、翌29日の試合では2打数ノーヒット。ここでニークロの復帰が決まり2A行きが言い渡された。

 2Aでは2割5分前後しか打っていなかったイシカワに、アルー監督は何度も「あくまでも守備要員としてコールアップした。しっかり守ってくれさえすればいい。それが彼の役目だ」と繰り返していた。だが、通算12打数6安打数字を残したルーキーに「5割打っている選手をマイナーに落とすのは自分の経験でも始めてだ」と苦笑いしながら、戦力として使える手応えに内心嬉しい誤算を感じていた。

 シアトルで生まれ育ったイシカワは、5才の時、父親の手ほどきで野球を始め、地元マリナーズのケングリフィーJrやイチローのファンだった。02年のドラフトでジャイアンツが21巡目(637番目)で指名。ミドルネームに「タカシ」という日本名を持っているが、4世ともなるとどんな漢字なのかわからないといい、日本語も話せない。ただ曾祖父、祖父、父から受け継いできた「日本人の血」は自分の中にいつも感じているという。

 6日間の移動距離をおおまかに計算してみると、5月25日のコネティカットからサンフランシスコの大陸横断が約4800キロメートル。5月28日のサンフランシスコから敵地マイアミまでの移動が約5000キロメートル。そして2A行きを言い渡された5月30日のマイアミからコネティカットまでが約4600キロメートル。実に6日間で約1万4200キロメートルの移動をこなしたことになる。

 30日にマイアミからコネティカットに戻ったイシカワは、6月1日から再び2Aの試合に出場している。「素晴らしい経験になった。近いうちにまたメジャーにもどれるよう頑張りたい」。23才までにメジャー定着という目標を持っていたイシカワは、激動の6日間を糧に、その目標に向かって突き進んでいく。

June 2, 2006 03:10 PM