鉄矢多美子 Field of Dreams

2006年05月13日

第110幕 ボンズの本塁打記録をもぎとった男

大記録を達成するまでには、必ずといっていいほどその行く手を阻むものが現れる。ベーブ・ルースの本塁打記録「714号」まであと1本と迫っていたボンズも犠牲者の1人となった。5月9日のジャイアンツ戦で「714号目」になるはずだった大飛球を、ジャンプ一番、ホアン・ピエーレがもぎとってその記録に待ったをかけたのだ。

試合を見守っていたジャイアンツファンのだれもが、それをボンズの「714号」だと信じて疑わなかった。「入った」と確信したファンからは大歓声があがり、あるものは両手を突き上げ、あるものはハイタッチまでして喜び合っていた。その歓喜が頂点に達した次の瞬間、一瞬の静寂が訪れ、それが大きなため息に変わった。見るとボンズの打球はピエーレのグラブの先端に留まっていた。

「打者がバリーだったから、あらかじめ深く守っていたんだ。うまくキャッチできた」とサラリと言いのけたが、それだけであのスーパーキャッチが生まれたわけではない。その日もまた、いつもと同じように、だれよりも早くグラウンドに入って、センター付近の風や芝の状況を入念にチェックし、守備位置の確認作業を繰り返していた。そんな地道な努力があってこそ、なせた業なのだ。

試合に敗れたというのに、「714号」になるはずの打球をキャッチしたとあって、ピエーレはその日一番のヒーローとして大勢の報道陣に囲まれていた。ボンズが右手で「何であの打球を捕るんだ」というしぐさをしていたことに触れると「だから(彼とは視線が合わないように)グラブで顔を覆(おお)っていた」と言って笑いを誘った。

「顔を覆った」というそのグラブをよくよく見ると、手の差込口はほつれかかり、ところどころ方々に色落ちした部分が目立っていた。だが、いかにも大事そうに使われていたグラブについて聞くと、ロッキーズ時代からすでに5年も使い込んだもので「今ではすっかり手になじみ、体の一部のようになっている」のだという。そのグラブでボンズの本塁打記録を阻止したのだった。

周囲の騒ぎをよそに当初、「バリーがその記録を超えたとき、自分がそれを1日遅らせただけなんだと思うだろう」といかにも冷静に装っていたピエーレも、時間がたつにつれ、自分のしたことの大きさを実感してきた。自分が捕球したボールは記念にもらっており、それを自宅に持ち帰ってケースに入れて飾るのだという。「僕がしたことを信じない人たちのために、あのプレーのビデオも手に入れておきたい」。本塁打記録をもぎ取った男は、自分の中に歴史の断片を閉じ込めておこうとしていた。

May 13, 2006 10:31 AM