鉄矢多美子 Field of Dreams

2006年04月28日

第108幕 ピアザ、400号本塁打と野球愛

 折に触れピアザは「全くといっていいほど、期待されていなかった自分がここまでやってこれたのは、あらゆる努力の積み重ね、それに少しばかりの幸運だ」ということを口にする。どんな時にもドラフト62巡目の1389人目で指名された自分を忘れないでいるのだ。激しい競争を勝ち抜き、気の遠くなるような数字の中からはい上がってきた自分に、やればできるといい聞かせ、強い信念と誇りを支えにここまでやってきた。

 そのピアザが26日のダイヤモンドバックス戦で通算400号本塁打を記録した。開幕戦、新天地パドレスの初打席で本塁打デビューを飾った時、「これまでの区切りの数字をどのように受け止めてきたのか」と聞くと、即座に「プレーを振り返ることは好きじゃないが、折々の数字は自分自身を見直すきっかけにしてきた」という答えが返ってきた。その夜はおそらく「400本の軌跡」を反芻しながら、しっかりと自分を見直したことだろう。

 メジャーデビューから15年。昨オフにFAになったピアザのパドレスへの移籍が決まったのは1月末だった。今季38才を迎えるピアザには、年齢からくる衰えが懸念され、どの球団も積極的な獲得に乗り出さなかった。そんな自分の非常事態にもかかわらず、早い時期からWBCへの参加を表明し「自分の体に流れるイタリアの血を誇りに思いながらプレーしたい」と、イタリア代表としての出場に意欲を燃やしていた。

 イタリア国旗のついたユニフォームに袖を通したピアザは、イタリア人としてのアイデンティティーが呼び起こされたのか、記者会見では「『我が国』は、どうしてもサッカーのイメージが先行してしまうが、それに負けないくらい野球も人気スポーツに押し上げたい。そのためにはヨーロッパの野球の底辺の拡充も必要だし、そのために自分が役に立つのであれば、どんな協力をも惜しまない。オフにイタリアに行って野球の指導もしたい」と熱く語り続けた。

 これまではどこかクールなイメージがあったピアザだが、パドレスへの移籍とWBCへの参加を境に、自分の内に貯めていた思い=野球愛を一気にはき出したという感じがした。開幕シーリーズのジャイアンツ戦では、ステロイド疑惑の渦中にあるボンズに向けてパドレスファンが注射器を投げつけた。それを見たピアザは「敵地だから相手選手にブーングすることは理解できるが、注射器の投げ入れは完璧なルール違反だ」と強く地元ファンを諫めた。それもまた彼の深い野球愛からくる言動だった。

April 28, 2006 02:46 PM

2006年04月21日

第107幕 あの鐘を鳴らすのはアナタ

 WBCが終わって1カ月が過ぎた。どんなに時が過ぎようと日本が世界一になったキューバとのあの決勝戦は、我々の記憶に深く残り続けて行くだろう。そして、その歴史的な瞬間にマウンドにいた大塚晶則もまた、いまだ熱い余韻を保ちながらレンジャーズのセットアッパーとしてペナントレースで日々活躍を続けている。

 あれは日本が大量5点リード゛で迎えた8回裏だった。だが、あっという間にキューバが1点差まで追い上げてきたのだ。彼らのたたみかける攻撃には、オリンピックや数々の国際大会で過去に何度も痛い目にあわされている日本。いやな空気が支配しかかったその時、大塚の名前が告げられたのだ。場所は彼がメジャー人生のスタートを切った思い入れのあるペトコパーク。そしてそこで思わぬ出来事が起こった。

 マウンドに向かう大塚の背中を押すように場内に「Hells Bells」(地獄の鐘)が流されたのだ。この曲はパドレスの守護神、トレバー・ホフマンの登場テーマ曲としてあまりにも有名で、これが流れると地元ではだれもがチームの勝利を確信する。そのテーマ曲でマウンドに上がった大塚は、見事な火消しを果たし、9回には最後の打者を空振りの三振に切ってとって「世界一」に大きく貢献した。

 実は決勝戦を控えて大塚はホフマンに彼のテーマ曲「Hells Bells」を使わせて欲しいと電話したのだという。「もちろんOKだ。どんどん使ってくれ。そしてそれでAKI TIMEにしてくれ」。このホフマンからの返事に大塚は感動し、多いに勇気づけられた。大塚から連絡を受けたホフマンは、WBCの決勝戦当日パドレスの音響担当に「自分の曲をAKIのために使ってくれ」と自ら電話を入れている。

 そして自分のテーマ曲に乗って登場し、見事な投球を披露した大塚にホフマンは「(Hells Bellsで登場して)最高の気分だっただろ? それにしてもよく頑張ったな」と自分のことのように喜んだ。後日、大塚は「あの曲に力をもらった」と語り、レンジャーズ移籍した今年から、それを自分のテーマ曲にする許しも二つ返事でもらったと嬉しそうに語っていた。こんなやりとりからも2人の強い信頼関係と友情が見えてくる。

 レンジャーズの本拠地でも大塚はすでに2度「Hells Bells」で登場している。ただし最初に3度鳴る鐘の音がセットアッパーが登場する間合いの関係で、今は1度に編集されている。「だから、僕のは小ヘルズベルズ」とジョークを飛ばす。世界一のクローザーから贈られた曲に力づけられた大塚は「いつかはあの鐘が3回鳴らせるようになりたい」(究極の目的であるクローザーを目指す意味)と目を輝かせていた。

April 21, 2006 02:02 PM

2006年04月14日

第106幕 75億円契約のリー、恩返しは世界一

 カブスのデレク・リー(30)が4月10日に6500万ドル(約74億7500万円)で2010年まで契約を延長した。つい5~6年年くらい前までは、どこか頼りない雰囲気を漂わせていたものが、今や75億円もの巨額のサラリーを手にする押しも押されもせぬスーパースターの仲間入りだ。父親のレオン・リーがロッテでプレーをしていた関係で、子供の頃から今日までのリーを知っている筆者も、何だか誇らしい気持ちにさせられた。

 記者会見で「こんな契約がもらえるなんて夢のようだ」と喜びを語っていたリーにさっそく電話で「おめでとう」と伝えた。「川崎や横浜や神宮球場でチョコマカしていた子がこんなになるなんて…」と付け加えると「ハハハハ」と大声で笑い「僕が野球を始めたのは日本。小さなころからいつだって僕のそばには野球場があったよね」。と日本で過ごした時代を懐かしむように言った。

 昨年は「3冠王」誕生か! と大騒ぎになる活躍をみせ、一躍注目のまとになっていた。結果的に3冠王こそ取れなかったが、打率3割3分5厘で首位打者に輝き、本塁打46本は2位、打点107は7位という素晴らしい成績を残した。「たしかにいい数字は残せたと思うけど、満足はしていない。まだまだやるべきことがあるからね」と、1908年以来、100年近くも見放されているワールドチャンピオン奪取に気持ちを向けている。

 今季はWBCに参加したため2週間以上もチームのキャンプを離れ、開幕間際には祖父が心臓発作で倒れて緊急入院したため、故郷のサクラメントに一時帰郷するなど、シーズンに向けてじっくり調整する時間がとれなかった。それでも開幕するとガンガン打ちまくり、7試合を消化した12日現在、打率3割6分4厘、本塁打3、打点7と好スタートを切っている。

 2003年、フロリダ・マーリンズ時代に、すでにチャンピオンリングを手にしているが、今年のキャンプ中には「リングで両手を埋めつくすのも悪くないよね」と屈託のない笑顔を見せていた。「目標は世界一。それが最高の評価をしてくれた球団に対する恩返しだと思っている」。世界一に向けて力強い言葉だった。

April 14, 2006 11:03 AM

2006年04月07日

第105幕 ボンズ、ブーイングの嵐の中で

 2006年4月3日。カリフォルニア州サンディエゴ。パドレスの本拠地ペトコパークは敵地とあって嵐のようなブーイングが沸き上がっていた。その矛先はバリー・ボンズ。開幕直前に暴露本「ゲーム・オブ・シャドー」が出され、コミッショナーも調査に乗り出したとあって、ステロイド疑惑の渦中にあるボンズにはいつにもまして大きなブーイングが浴びせられた。しかもベーブ・ルースの本塁打記録超えが目前とあって、報道も過熱気味なのだ。

 第1打席にスタンデョングダブルで出塁したボンズには、さらに強いブーイングが浴びせられたが、実はそれに負けないくらいの拍手も入り交じっていた。中にはブーイングしながら拍手を送っている観客もいた。もちろん敵地だから憎っくきボンズに心から罵声(ばせい)を浴びせる者もいたが、一方で、悪者(いじめの対象=ボンズ)を作ってやりだまにあげ、それを日常のうっぷんのカタルシスにしようとさえしている者もいるように見えた。

 試合前の打撃練習では、ボンズが振り向けば視界に入るように一塁側内野席にステロイドをもじった「Barr-Roid」と書かれた紙を掲げる若者が現れ、守備位置後方のレフトスタンドにも「Bons 1st into the Hall of Shame」などボンズを揶揄(やゆ)する強烈なメッセージボードが並んだ。

 「そんなものは目に入らない」「気にしない」と言っていたボンズが、ESPNが製作したドキュメンタリー「Bons on Bons」の番組の中で涙を見せる一幕があった。「よってたかってみんなが僕を痛めつけている」というたぐいのコメントをしながら見せた涙。4月4日夕刻。その収録番組が流され始めると、いわゆる「ボンズ番」の記者たちはテレビにくぎ付けになっていた。

 シーズン前、あらゆる角度から質問を浴びせる記者たちの質問にも「ただシーズンに集中するのみ。ただ野球に集中するのみ」と答えていたボンズが、誰にも邪魔されず、脚色されることもない自分の言葉で心境を語り始めた。テレビから流れてくる言葉を記者たちはメモし始めた。彼らはその言葉をある意味新鮮に受け止め、また懐疑的にも受け止めていた。

 いずれにしろ、それは番記者たちが初めて垣間見るボンズの素顔でもあった。
その4日は、サンディエゴに大雨が振り、試合が中止になった。ボンズのドキュメンタリーで、番記者たちが軽いショックに見舞われているころ、当の本人は打撃練習を終え、クラブハウスのソファーにゆったりと寝そべっていた。そうしていながら「どんなことにも負けないぞ!」という強い意志と、彼が持つ独特のオーラを発散していた。

April 7, 2006 10:44 AM