鉄矢多美子 Field of Dreams

2005年10月24日

第102幕 流転の野球人生からつかんだもの

 ワールドシリーズが始まった。スプリング・トレーニングのスタート時から、だれもがこの舞台に立ちたいという強い思いを抱いて長いシーズンを戦い続けてきたのだ。シーズン最終章の舞台に立ったのはホワイトソックスとアストロズ。その両軍選手の中でとりわけ印象的だったのは、44年ぶりに初めてワールドシリーズへの進出を決めたアストロズのクレイグ・ビジオの姿だった。

本拠地、ヒューストンのミニッツメイド・パークでは、ビジオ親子のこんなほほえましい姿をしばしば目にする

 1987年に「捕手」としてドラフト1位で入団。経験が必要な、最も難しい捕手というポジションで、翌年にはすでにメジャーデビューを果たし、全盛期だったオーレル・ハーシュハイザーからプロ初ヒットも放っている。どちらかといえばごっつい体格が揃う捕手の中にあって、ひときわ小柄だった。それを足、腰、肩の強さに加え、ズバぬけた運動能力の高さと、生来の負けん気の強さで補った。この年がヒューストンでプレーする最終年となったノーラン・ライアンともバッテリーを組んでいる。

 91年にオールスターメンバーに名前を連ねたが、「捕手」として選出されたのはアストロズ史上初のことだった。ところが、捕手として成功を収めたこのシーズン、最後の3試合は「二塁手」としてプレーすることになる。「捕手」としての能力もさながら、「3割」が打てる打撃を生かしたほうがいいと判断した球団首脳陣が、次のシーズンからのコンバートを考えての起用だった。

 以来、92年から守ることになった「二塁」について、ビジオはこんなことを言っている。「これまで他の野手全員と向かい合っていた自分が、今度は捕手と向かい合うことになった。最初はまるで昼と夜がひっくりかえったみたいで、なんだか妙な気持ちだった。今振り返ると、あれは自分にとって1番難しいチャレンジだった」。とはいえ、二塁手としてもオールスターに選出されるなど、非凡なところを見せた。

 そのまま二塁手として野球人生を全うするであろうと思われていたが、03年からはなんと外野への転向を言い渡される。「もう何が来ても驚かなかったよ。二塁転向のとき、十分驚いていたからね」と冗談めかして言うビジオだったが、外野守備はそれまで何度か経験があったため、二塁へのコンバートよりは気持ちが楽だったことは事実だ。昨年まで外野を2年間務めると、今年からまた二塁に戻ってきた。そして夢舞台に立つことになったのだ。

 昨年行ったインタビューの中で彼はこんなことを言っている。「神様からベースボールができる才能をもらったけど、それだけに頼ることなく、一生懸命練習にも取り組んできた。たとえ守る位置がどこになろうとも、ゲームの中にいられる自分に喜びを覚え、感謝しながらそれらを受け入れてきた。これからも後ろは振り返らず、前に進むのみだという気持ちを常に忘れずにやっていきたい」。

 流転の野球人生の中で彼がつかんだ「哲学」は、我々凡人にも強く訴えかける何かがある。

October 24, 2005 03:16 PM

2005年10月10日

第101幕 ブラックTシャツ事件

 昨年の覇者、レッドソックスが地区シリーズでホワイトソックスに敗れた。負けたから言うわけではないが、この勝負は最初から見えていたような気がする。その理由の1つに、シーズン後半からチームを1つにする「求心力」が失われていたことが挙げられる。ポストシーズンのような短期決戦では、戦う士気をいかに上げていくかが、勝敗を分ける重要な鍵になる。

表向きには昨年のスローガン「COWBOY UP」のリストバンドをつけていたが、ユニホームの下のブラックTシャツには何が書かれていたのか?

 一昨年は「丸刈り」、昨年は「あごひげ生やし」というアイデアを考案し、ゲン担ぎをチーム内に徹底させることによって、士気向上にに成功した功労者ケビン・ミラーが、3年目の今年、どんな仕掛けをしてくるか、注目されていた。レッドソックスが首位を走っていた8月下旬、ミラーは「それは9月のツメに入ってからのお楽しみだね」と余裕をもっていた。

 そして9月。中旬を過ぎ、ヤンキースが猛迫してくると、突然それらしきものを目にすることになる。ミラーが作ったというブラックTシャツ。そこには「F●CK ALL THEM」というメッセージがプリントされていた。そのTシャツを実際に着ていたのはミラー本人とオルティス、デーモンくらいで、過激さのあまり、外で行う打撃練習には決して着ることができない代物だった。

 これまでの「丸刈り」や「あごひげ生やし」大作戦は、マスコミも巻き添えにしながら、「おれたちはこんなにまとまっているんだ」ということをアピールする格好の材料となり、選手たちも次々に同調して、チーム内に相乗効果をもたらしてきた。しかし、今年のゲン担ぎ作戦は、内容が内容だけに記事にもならず、苦し紛れに犯した大失態と言わざるを得ない結果になっていった。

 ブラックTシャツをもらったという選手数人に聞くと「気持ちはよくわかるし、チーム愛から出ていることだと思うけど、よくない言葉が書かれていたから、外に着て出られない」と、不評だった。後半戦のロースターにはファームで育ってメジャーに上がった若い選手も加わり、そんなミラーの過激なやり方に同調できないという選手が増えて、決して一枚岩で戦うチーム状態にはならなかった。

 確かに世界一になった昨年のチーム力と比べれば、今年は投手力の低下や故障者の続出などで後半戦は苦しい戦いを強いられてきた。そんな中でも、ある意味、陰のチームリーダーであるミラーが、精神面で引っ張り、ここまでやってきた。そして、よかれと思って作ったブラックTシャツによって、今年は逆にチームの「求心力」を失うという皮肉な結果をもたらすことになってしまった。

 なお、3タテを食らったレッドソックスの取材陣の間では「ブラックTシャツ事件」のレッドソックスが、「ブラックソックス事件」のホワイトソックスに敗れたのは「何かの因縁?」とこじつけ、最後に冗談で「Tシャツ」が「靴下」に負けたシリーズだったと、なかばヤケクソになっていたことも付け加えておこう。

October 10, 2005 03:12 PM

2005年10月03日

第100幕 「シーズンの終わりが僕の始まり」

 「ほら、これなんだ。ここが僕をいじめてたんだ」。

 クラブハウスのいすに座っていたボンズが、指し示したところを見ると、右ひざの「皿」と呼ばれる部分を取り囲むように、ほくろのような黒い点が左右上下に4カ所あった。昨年暮れに1度、今年に入ってさらに3度も手術を受けたその個所に触れてみても、黒点があるだけで全く異常は感じられない。だが、すっかり治っているように見えるその個所が、実は完治していない。

圧倒的な存在感を秘めているボンズ

 「痛いんだ。とっても。走ると頭から痛さが突き抜ける」。

 試合を終え、足を引きずりながらクラブハウスに引き揚げてきた彼の第一声だ。「チクショーって感じで、ホントに痛い」。よほどのことには我慢するボンズが、試合が終わると「痛い」の連発。激痛を抱えながら、それでもプレーに執念を燃やした。

 完治しないままプレーすれば、来季にまで影響することは分かっている。へたをすれば選手生命の終わりを迎えることにもなりかねないのだ。それでもボンズは今シーズン中のプレーを決断した。復帰した9月12日には、首位パドレスに7ゲーム差の開きがあったが、「まだ間に合う」と思ったのだ。

 ナ・リーグ西地区は一時全チームが勝率5割を切るという史上まれにみる低レベルの戦いを繰り広げていた。つまり、どのチームも決め手に欠けていたのだ。おそらくボンズはこんな戦いにジレンマを感じていたのだろう。「ひざは完全じゃないが、ホームランの打ち方は知っている」。そう言って、ついにチームに合流することを決断したのだ。

 チャンピオンリングへの執念のようなものが、彼の体を突き動かした。「ポストシーズンに出るチャンスはある」。そう思ったら、ひざの具合などもうどうでもよかった。ボンズが復帰してからのジャイアンツはそれまでと同じチームとは思えないほど活気づいた。そして終盤戦で首位パドレスを2ゲーム差まで追い上げる。

 だが、ジャイアンツは力尽きた。パドレスの地区優勝がマジック2となった9月28日。ボンズはこの試合にも出場し、2安打を放った。右足を引きずるように一塁に向かって走り出すさまは見ていて痛々しかった。大差をつけられて勝敗が見えてくると、スコアボードからボンズの名前が消えた。彼の短いシーズンが終わりを告げたのだ。

 クラブハウスでボンズが言った。「これはすべてのスポーツに当てはまるんだけど、どんな時も最後まであきらめない。昨日がこうだったから今日が同じように行くとは限らない。僕たちができることはベストを尽くして試合に立ち向かっていくことしかない。そして試合の後、自分に誇りを持って、家に帰るんだ」。あたかも自分に向けてそう言っているように聞こえた。

 「シーズンの終わり(10月2日)が僕の始まり。来シーズンはおそらく最後になる。悔いを残さないためにもしっかりリハビリに取り組むんだ」。チームのバスに乗り込む際、手すりにつかまりやっとの思いでステップを上った。そこには、自分の限界を超えた戦いに挑んだボンズが「自分に誇りを持って家に帰っていく」姿があった。

October 3, 2005 03:10 PM