2005年09月23日
第99幕 ボストンの精神的支柱
ポストシーズン進出をかけ各ディビジョンとも連日死闘を繰り広げている。そんな中「ビッグ・パピー」ことデービット・オルティスの勢いが止まらない。およそ2カ月間、ア・リーグ東地区で首位を守ってきたレッドソックスが、21日にヤンキースにその座を明け渡してしまった。ヤンキースとの直接対決を30日に控えてクラブハウスはピリピリムード。だが、オルティスだけはメレンゲのリズムに合わせて気ままに歌い、踊ってマイペースを保ち続けている。
相手チームの選手に囲まれ、ホームランの方向を指差すオルティス
それにしてもレッドソックスとヤンキースの対決は、今やアメリカの野球文化の一部をなすほどで、両者の激突は昨年のア・リーグ優勝決定戦を彷彿(ほうふつ)とさせる盛り上がりを見せている。しかし、オルティスはこんな騒ぎにも臆することなく「ヤンキース? 追い抜かれたって何とも思わないよ。だって、それをまたこっちが追い抜けばいいだけのことだから答えは簡単サ」と、1人ドンと構えているのだ。
こんなことをサラリと言ってしまうのは、昨年のア・リーグ優勝決定戦でヤンキースに3敗したところから奇跡の4連勝で生き返ったことから来る“自信”にほかならない。その時もオルティスが打って、打って、打ちまくって、ヤンキースを打ち砕いた。そのことに話を向けると「去年は去年。僕たちは今また新しいチャレンジしてるのサ」と、軽く受け流し、大きな体をノッシノッシと揺らしながら、悠然とメレンゲのリズムの中に戻っていった。
誰もが疲れを見せ始めるこの時期になっても、本塁打量産ペースは衰えず、この調子では50本はたたき出しそうな勢いだ。まるで別世界に住む巨大マンモスのような圧倒的な迫力とパワーがみなぎっている。「去年と変わったこと? チャンピオンリングが増えたことくらいでほかには何もないよ。僕のモットーはとにかく楽しく野球をやるだけなのサ」とひょうひょうとしている。ある意味、このひょうひょうさが、何かマイナスのことが起こると狼狽していたレッドソックスを救ってきたのかもしれない。
迫力ある打撃練習に、ペタジーニもびっくり
ツインズを解雇され、03年にレッドソックスにやって来たころには無名に等しい存在だった。だが、今は違う。ペドロ・マルティネスやノーマ・ガルシアパーラといったスター選手が去り、次のヒーローに枯渇していたところに、豪快な打撃でファンの心をつかんでしまった。今年は球場にやってくるファンが着ているユニホームはオルティスの背番号「34」が圧倒的に多いことからもその人気を知ることができる。
ヤンキースファン以上に強烈でうるさいといわれるレッドソックのファンから支持されることは容易なことではないが、オルティスは3年目にして人気NO・1の座を得た。これも、昨年、にっくきヤンキースを打ち砕いたたまものなのだ。この後にヤンキースとの直接対決が3試合残っているだけに、ファンはオルティスの打撃に昨年のイメージを重ね祈るような思いで見つめている。大詰めのビッグカードで怪物パワーがさく裂するのか。レッドソックスの浮沈は泰然自若の「ビッグ・パピー」の肩にかかっていると言える。
September 23, 2005 03:05 PM
2005年09月12日
第98幕 「君が代」を熱唱したメジャーリーガー
7月27日以来、8月20日まで勝ち星に恵まれず、その間19連敗して、危うくメジャーの不名誉な連敗新記録を作りそうになったロイヤルズ。その戦いの軌跡は、開幕投手だったホセ・リマの投球に象徴されている。人生初の出来事に、この上もなく張り切っていたが、ピッチィングが全くついて来なかった。たまにいい投球をしたかと思えば、打線の援護に見放されるという不運もあり、彼が今季初白星を挙げたのは、開幕から2カ月以上も過ぎてからだった。
リマのお気に入りは闘魂はちまき
普段は明るくノリのいいリマも、これには相当こたえたらしく、いつものような弾けた元気がどこかに消えてしまっていた。開幕直後にロイヤルズの本拠地、カウフマンスタジアムで「アメリカ国歌を歌う」予定があったが、とてもそんな気持ちにはなれず、計画は延びに延びて、ついにはボツになるところだった。ところが、6月15日のドジャース戦で初白星を挙げると、その翌日に突然「歌う!」といって、それが実現したのだ。
マイクを持ったリマがネット裏正面に現れ、アカペラで「アメリカ国歌」を歌い上げた。
オフにはバンド活動を行っているプロのミュージシャンだけあって、その歌にはみんなが魅了された。大役を果たしたリマは「ピッチングより100倍は緊張したよ」と額の汗をぬぐったが、その顔には満足感がみなぎっていた。観客はもちろん、ドジャースのメンバーからもやんやの喝さいが送られた。
アメリカ国歌を熱唱するリマ
以前にも国歌を歌った経験があったリマに、実は春キャンプの折、恐る恐る「君が代」を歌ってもらえないかとリクエストした。すると二つ返事で引き受けてくれ、譜面を見ながら日本の国歌を歌ってくれたのだ。果たしてテンポが遅い「君が代」についていけるかどうかと心配していたが、それは全くの杞憂に終わった。神々しく朗々と歌い上げてくれて、「君が代」の素晴らしさを改めて認識させられることになった。
チームが連敗街道を突っ走っているとき、リマは遠征先で上物のシャンパンを6本買った。連敗に終止符を打った日にみんなで乾杯しようと、日本円で10万円もするシャンパンを自分のポケットマネーで密かに購入、用意し、その日が1日も早くくることを祈っていたのだ。19で連敗が途切れた日、そのシャンパンの栓が抜かれた。だれよりも強く、チーム全体のムードを盛り上げようと腐心していたのだった。
成績不振で監督が解雇されるなど、ロイヤルズにとってさまざまなことがあったシーズンも、まもなく終わろうとしている。リマ自身も「来年はどこにいるか分からないけど、最後まで悔いを残さないよう戦い抜きたい」と話し、あとに続けた言葉がふるっていた。「もしかすると来年は日本でプレーすることになっていて、日本の国歌を歌っているかもしれないね。そうだ! このオフにもっとキミガヨを歌い込んでおかなくては!!」。
September 12, 2005 02:59 PM
2005年09月06日
第97幕 世界一を勝ち取るために
抑えたかと思えば突然乱れ、乱れたかと思うと完璧に抑え込むという予測のつかない投球が続いていたホセ・コントレラスが、このところ3連勝して安定感が増してきた。とりわけ8月9日にニューヨークで古巣ヤンキースから勝ち星を挙げたときは、相好を崩して喜びをあらわにする姿が印象的だった。ヤンキース時代はちょっと打ちこまれると蜂の巣をつついたような騒ぎになり、気の優しいコントレラスは険しい面持ちで球場をあとにすることが多かった。それだけに、古巣からの勝利には特別な思いが去来したのだろう。
ヘルナンデス(左)とコントレラスのツーショット写真に井口(右)も参加?
投球に安定感が出てきた理由はいくつか考えられるが、何と言ってもキューバナショナルチーム時代からの先輩、オルランド・ヘルナンデスがチーム内にいることが大きい。精神面に弱さのあるコントレラスにとって、何かとアドバイスをもらえるのはこの上もなく頼もしい。実際、コントレラスが登板する試合でヘルナンデスは、パーソナルコーチのような役割を果たしている。コントレラスがダッグアウトに戻ってくるたびに真っ先に飛び出して出迎え、細かなアドバイスなど与えながら叱咤(しった)激励して投球を支えているのだ。
ギーエン監督と直接スペイン語でやりとりできることも気持ちにゆとりをもたせた。自分の言葉で細かなニュアンスなどを伝え聞くことができるため、ストレスをためなくて済むのだ。コントレラスは「監督やチームメイトが居心地の良い環境を作り出してくれている。本当に気分よくプレーできている」と、ホワイトソックスの野球環境にすっかり満足している。ニューヨークと違って、メディアもファンも寛容性があることも好都合だった。
だから気持ちに余裕が出てきた。それを1番感じたのは、チームが休みだったある日。「バーベキュー・パーティーをやるから」と家に招待してくれた時のことだ。気のおけない友人たちも集まり、高級アパートのテラスで肉を焼きはじめ、そのそばで葉巻をくわえビール片手にドミノを始めた。ドミノの勝負に一喜一憂するコントレラスは、決して野球場では見せない普段着の顔だった。そこで完全に気持ちを解き放ち、またそれをエネルギーに変えようとする姿があった。
96年、アトランタオリンピックで対戦した井口とチームメートになったことも感慨深いものがあるのだという。「あの舞台で対戦した井口と同じチームになるなんて予測もしていなかった。日本とキューバからメジャーにやってきて、同じチームになるなんて…」と言ってちょっと間があいた。そして「人生、何があるか分からないね」と言葉を続けた。その言葉の向こうには紆余(うよ)曲折を重ねながら、今、やっと自分の投球ができるようになったことへの思いの深さがみえる。
ホワイトソックスは地区優勝をほぼ確実にしている。ヤンキース時代の2003年にポストシーズンで敗戦投手になった時は、身の置きどころもなかった。もうあんな惨めな思いは2度としたくない。ギーエン監督を中心にした家族的な雰囲気のチームで、コントレラスは蘇った。世界一を勝ち取るために、日々、モチベーションが上がっていく。
September 6, 2005 02:56 PM
