2007年06月25日
懐かしのナゴヤ球場へ…:進 尚幸
約6週間に及ぶ交流戦が、やっと終りました。ホークスにとって、今年の交流戦はやっとって感じが強いかな。交流戦の負け越しが決まった20日の横浜戦、サヨナラ負けで大荒れ。ベンチ裏の灰皿はぶっ壊されるし。ダイエー時代、根本監督だった頃に、やはりベンチ裏にあった薬箱を蹴り壊したライマー選手は、怒られて弁償させられたという話。皆が使う物ですしね、不振や不調をモノに当たるのは良くありません、だいいち大人げなかったね。
まぁそんなこんなで暗いムードで乗り込んだ名古屋でしたが、僕にとってはとても懐かしい場所へ訪れる機会がありました。
予備日等で2日間、練習日になったんです。場所はドームじゃなくてナゴヤ球場。僕が初めて、プロ野球の試合を観た球場。もう24、25年前になりますか。カードはオープン戦で中日対阪急。観戦したのは三塁側。(そのせいで? ずっと阪急ファンでした)
当時を思い出すようにスタンドへ駆け上がり、グラウンドを見下ろす。チェリオやマドラスやらの看板はもうなくなってる。うんうんでも、こんな感じやった。スコアボードも電光掲示板に変わってた。ここはスコアボードが手書きでね、味があったんですよ。当時の先発オーダーをざっとあげると、田尾、平野、大島、谷沢、モッカ……、投手は小松、都……、う~ん懐かしいなぁ。現ホークスの杉本コーチや大石コーチは、まだおらんかったです。小学生の頃に憧れていた風景へ、こんな形で訪れる事が出来るなんてね。感激のひとときを味わいました。やっぱ幼い頃の思い出って大切やな~。
June 25, 2007 08:33 PM 投稿者:進 尚幸 | トラックバック (0)
2007年06月19日
もがき苦しむ左腕に休みはない:石田泰隆
気付けばもう、開幕から68試合を消化した。交流戦も残り2カード(横浜、中日)4試合を残すのみで、シーズンも残り半分となった。現在ホークスは、首位ロッテを3ゲーム差で追い掛ける3位と、開幕前には想像もできなかったほどの苦戦を強いられている。
中でも今季、プロ入り以来、最ももがき苦しんでいる選手の1人に和田投手が挙げられる。入団から4年連続2ケタ勝利を継続中。この記録はホークスでは故杉浦忠投手以来45年ぶり、現役でも入団から5年連続2ケタ勝利を継続中のヤクルト石川がいるだけと、それだけ価値のある記録だが、今季の和田はここまで5勝5敗。なかなか白星先行といかないのが現状だ。
出足は最高だった。プロ入り初めて開幕3連勝を記録。4月中旬には背部の炎症で1度登録を抹消されたが、5月10日の日本ハム戦では今季初完投勝利を記録。4勝目を手にし、2ケタ勝利どころか、シーズン14勝という自己記録の更新にも期待が高まった。だが、そこからプロ入り自己ワーストの4連敗を喫するなど、暗闇に突入。その間、打線の平均得点は1・75点。連敗脱出となった今月11日の阪神戦(甲子園)でも、味方の得点は1点とまさに孤軍奮闘状態だ。
それでもこの男は、勝てない理由をすべて自身に押し付けてきた。「味方が点を取ってくれる前に、自分が失点してしまうからいけない。これが今の自分の実力。プロに入っていまが一番苦しいけど、これを乗り越えないと先はない。悩むヒマがあったら、練習するしかない」。
先日17日の巨人戦でも8回1失点と好投したが、打線の援護がなく、勝利投手にはなれなかった。試合後は、いつものようにトレーニングを行い、球場を出たのはこの日も午前0時を回っていた。先発投手は登板2日後に休養日を設けられているが、和田が今年完全オフを取ったのはわずか2日だけ。ほぼ毎日、体を動かし続けている。理由はただ1つ、勝利に飢えているから。この努力が報われる日が必ず来ると信じている。
June 19, 2007 02:49 PM 投稿者:石田泰隆 | トラックバック (2)
2007年06月11日
森脇コーチの広島市民球場での“儀式”:押谷謙爾
広島との交流戦。試合前にソフトバンクの背番号88が広島市民球場の一塁側ブルペンへと向かった。森脇コーチだ。「なかなか機会はないけど、ここに来ると必ず、ね」。炎のストッパーと呼ばれ、93年に脳腫瘍(しゅよう)で亡くなった津田恒美投手(享年32)の功績と人柄をたたえる銅板にあいさつするためだ。
広島時代に無二の親友だったと聞く。津田さんは91年に腫瘍がみつかり、現役を引退。長らく病と闘ったが、93年に他界した。ダイエーで現役だった森脇コーチは福岡市内の病院に入院していた友の元に足繁く通った。自分の年俸を減らしてでも現役復帰できるよう、球団にかけ合うと言ったのは有名な話だ。「期せずして福岡で会えるようになって…。友達として何ができるのか。病気をやっつける気持ちが高まるならと思って。当時は選手枠もなかったから」。残念ながらその言葉は現実とはならなかった。
翌94年、森脇コーチの結婚披露宴には津田さんの席があった。次々と料理が運ばれ、キャンドルサービスも行われた。「周りはドラマみたいと言うけど、僕としては当然のこととしてやっただけです。式に来てもらい、みんなと同じものを食べてもらおうと。本当に心からそう思っていた」。強いきずなで結ばれていた、親友だった。今でも関係者とは手紙のやり取りを欠かしていない。
「津田プレート」に触れて臨んだ広島戦は今シーズン初の交流戦連勝となった。腕を組んで、三塁コーチボックスに立つ「88」の背中を見ると、なぜか胸が熱くなった。
June 11, 2007 11:03 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (2)
2007年06月05日
「億の給料」の裏には:中村泰三
なぜあんなに打ち込めるのか。時々、そう思うことがある。選手たちがグラウンドで黙々とバットを振る。陸上部員のようにひたすら走る。キャンプならばまだしも、今はシーズン中、試合前にも自分を追い込む選手は数多くいる。
小久保ら早い選手は、午前10時すぎに球場入りすることもある。試合開始は午後6時。前日がナイターの場合、午後11時くらいに球場を離れる選手もいる。登板後、日付が変わって帰宅した和田のようなケースもある。もちろん、遊んでいるわけではない。個別の練習があり、試合後にはケア、トレーニングを独自にこなす。
王監督は言う。「初めてタイトルを取ったとき、こんなに素晴らしいものなのか、と実感した。この思いをもう1度、味わいたい、誰にも渡したくないと思ったよ。昔はよく遊んだけどね。それでも、練習はしましたよ」。キャンプの練習は4、5月のスタミナ、そしてシーズンが始まると4月には6月分、と先を見越した走り込みを王監督は取り入れたという。「そう思ってやらないと、あんなきつい練習できないよ」。畳の上での素振り、真剣を使った練習が有名な王監督だが、実は走り込みによる下半身強化に重きを置いていた。現在のようなウエートトレーニングではなく、外野を黙々と走る。明確な目標がその地道な努力を支えた。
松中、小久保に投手ではエース斉藤和、と頂点を極めた選手ほど、己に厳しく、練習に打ち込む。「そうじゃなきゃ億の給料なんてもらえませんよ」。王監督が明快に答えてくれた。
June 5, 2007 07:12 PM 投稿者:中村泰三 | トラックバック (0)
