2007年11月25日
厳しい現実:高山通史
厳しい現実を目の当たりにした。11月20日から福岡入り。北京五輪アジア予選の取材のため、その4日後の今、台湾・台中のホテルでこのブログを書いている。日本ハム勢はダルビッシュ、稲葉の2人。武田久、武田勝は福岡で最終メンバーから外れ、台湾入りする代表候補から離れた。ともに宮崎での日本のプロ3球団との練習試合では、まずまずのアピールをしたが、星野監督の戦力構想には最後には入れなかった。
取材は、やはりダルビッシュが中心。その次に稲葉、そしてW武田というわずかな時間しか、話を聞くことができなかった。日本シリーズ終了後、宮崎での強化合宿から合流した。それまではやや疲れも見えたが「来てみたら気持ちが入った」(武田久)、「初めてでいい経験をしている。(最終的に代表へ)入っても入らなくても…」(武田勝)。2人のテンションは一気に上がった、というような雰囲気だった。
代表の取材班の一員として同行しているが、やはり担当球団の選手には、ほかの選手以上に思い入れがある。「何とか…」とも思ったが結局、志半ばで日の丸のユニホームを脱ぐことになってしまった。福岡でのオーストラリアとの強化試合には登板機会も与えられないまま、だった。ほろ苦いを思いも抱いて「日本代表」から「日本ハム」の選手へ、戻った。
ともに、まだ29歳。チームの投手陣の柱になりかけ今後、背負っていく選手。人望もあり、実績は残してはいるが、発展途上にあると思う。初めて見た記者からは「武田久って、すごいキレだな。あんなに小さいのに」と驚いていた。武田勝とバッテリーを組んだロッテ里崎は「うちに欲しい。10勝はさせてあげるよ」と、絶賛したという。
武田久、武田勝は日本球界的には、それほど知名度は高くはない。ともにそんな欲もなさそうな、選手だと取材を通して感じる。ネームバリューを優先して、記事の大小を決めることもある。読者のニーズがあるから、というのが理由の1つだ。だが2人のシーズンが終了した今、実力を認められているW武田を、きっちりと紙面で取り上げられなかったことを、悔やんでいる。
November 25, 2007 11:26 AM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2007年11月12日
先行き明るい幸せなトレード:村上秀明
日本ハム一筋13年、通算88勝を挙げた金村が阪神に移籍した。中村との交換トレードで、日本ハムに別れを告げた。元エースの移籍は電撃的ではあるが、プロ契約のビジネスにはつきものでもある。一見、戦力外での放出という非情なトレードにも映るが、現時点では幸せな移籍といえるのではないかと思う。
シーズン中は右肩違和感に苦しんだ。癒えた終盤も1軍から声がかからず、名古屋での日本シリーズ第3戦から1軍に合流したが、戦力としての帯同とは言い難かった。元エースを取り巻く環境、居場所が少しずつ変化してしまっていた。若手育成に主眼を置く球団の構想に合致するには厳しい状況だった。
5勝にとどまった今季の推定年俸は1億8000万円。過去の実績はさておいて、高卒ルーキー吉川が年俸600万円で4勝したことも考慮すると、単純比較だが、やはり適正な費用対効果とはいえないだろう。日本ハムと来季契約をするならば、減額制限40%(年俸1億円以上)を超えることは必至だった。
なぜ幸せなトレードに感じたかというと、球団側が何とか減額制限を超えないように配慮した点だ。水面下で球団幹部が、先発投手がほしい阪神に接触して「お願いごと」として交渉していた。減俸の幅を少しでも小さくしてあげたい。元エースへのせめてもの配慮だった。求められて行く場所では当然、出場機会も増える。不本意な去り方だったかもしれないが、残留よりは道が開ける。
日本ハムにやってきた中村にとっても大きなチャンスだろう。5年目の阪神で今季から頭角を現してきたが、これまで1軍定着はない。日本ハムは今季、吉川、山本のルーキーコンビ、オリックスから移籍した歌藤ら左腕が、すぐにチャンスをもらった。確実にブレイクするための機会は与えられるはずだ。
球界にはいろいろな移籍の形があり、時には後味の悪いケースもある。今回は両投手の現状、そして将来を最大限に考慮しての交換トレードに感じた。正解だったと言えるのは、両者の新天地での今後の活躍次第だろうが、現時点でも先行きの明るいトレード劇だったように思う。
November 12, 2007 02:17 PM 投稿者:村上秀明 | トラックバック (1)
2007年11月03日
考えさせられた1日:高山通史
担当記者として、まったく予想できなかった1年が終わった。11月1日。ナゴヤドーム。日本シリーズは1勝4敗で、2年連続制覇の夢が断たれた。歓喜にむせぶ中日ナインのセレモニーを、日本ハムの選手たちはベンチから見詰めていた。そのシーンは全国の野球ファンにもテレビ中継された。その大半が、フルネームをちゃんと分からない選手たちばかりだっただろう。
しかも大活躍すればブレークして一気に知名度が上がる。進化の過程にあるダルビッシュ、高卒ルーキー吉川…。中にはセンセーショナルな活躍をした選手もいたが、取り立てて急成長した若手は、そう多くはなかったように思う。大仕事を遂げて退任した高田繁前ゼネラルマネジャーは「運も、もちろんあった。でもよく勝った」という。目の肥えた多くの野球評論家が、そうだったように、誰もが昨季からの低迷を予想していただことだろう。私もその1人だった。
一貫したゲームプランで指揮を執ったヒルマン監督。日本人監督ならばできなかったような若手選手の大胆起用は時には失敗もあったが、うまくはまった。しかも選手たちも応えた。的確なビジョンを持って、選手をスカウティングして補強してきたフロント。すべてがかみ合った、正真正銘の球団を上げての「全員野球」の1年だった。そこに特にパ・リーグ他球団の主力の故障、不振による戦力低下の「運」もあった。
昨オフも「来季、真価が問われる」との一文を、記事の中で書いた。自らの見通しが甘かった1年を終え、今オフも同じように思う。コーチ陣が大解体されて、梨田新体制でスタートをする。ただ野球をするのは選手、チームを作るのはフロント。チームを操縦する監督も含めてだが、指導者はその後押しをする、方向づけをする存在にほかならない。
シーズン終了翌日の3日。来季以降の契約を結ばないコーチ、選手が呼び出されて通告をされた。選手の場合は、今季はほぼ戦力にならなかったことから、多少は受け入れやすいように思う。ただコーチの場合は、多少なりとも功績を残した自負があるならば、それを非情通告と受け取るだろう。ただあくまで個人的な考えだが「必要」であれば、たとえ監督が代わったとしても、契約を更新されたと思う。特に球界の「派閥」等に左右されず、チームを改革してきたと、日本ハムの取材をしていて感じるからだ。
本拠地移転以降は顕著だが、あまり話題になってはいないが、コーチだけではなく、これまでの負の部分を断ち切ろうとする、さまざまな「人事」を行ってきた。シリーズ敗退翌日。世間一般、これまでの球界の常識からは、考えられないようなオフの1日になった。反面、誰も予想できないような躍進を遂げた、今の日本ハムがあるとも考えさせられる1日でもあった。
November 3, 2007 02:18 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (6)
