2007年05月31日
小谷野の活躍がうれしい:高山通史
人間は強くなれる、と実感できる選手がいます。26歳、小谷野栄一選手。30日現在、8連勝と好調なチームの中でラッキーボーイ的な存在です。打線はやや低調ですが、その中でも勝負強さを発揮。ここ3試合はスタメンで5番を任され、その役目をまっとうしています。実は約1年ほど前は、想像もできない姿…が、ありました。それだけにうれしく思っています。
プロ4年目の昨シーズン。精神疾患の1つとされる「パニック障害」を患っていました。1度、記事でも紹介しましたが、食べ物を口に入れても嘔吐(おうと)の連続、夜は寝付けずに深酒の毎日、薬の副作用などとも闘っていました。当時、原因不明と聞きました。彼は明るく、天真らんまんな性格。いつも軽口を交えて取材していましたが、そのことを告白された時だけは何も言えず、どう反応していいのか、また言葉を探すのに困ったことを思い出します。
オフに、少し元気になった姿を見てちょっと安心はしました。だが正直、重圧の厳しいプロの世界で再び復活できるのか-、確信は持てませんでした。あくまで個人的なことですが、自分と顔が似ていると周囲の人から言われることが多いので、個人的な感情もありました。本人からも時には「お兄ちゃん」と呼ばれているだけに複雑でした。
今年2月の春季キャンプでは、そんなこちらの心中を察してか「お兄ちゃん、もう大丈夫だから」と何度か言われました。ただ復活して欲しいとは思いながらも、その言葉を信じ切れない自分がいました。
ですが、うれしいほど裏切ってくれました。開幕メンバーからは漏れましたが、4月中旬に1軍昇格。その後、結果を出し続けて、今に至っています。今月3日の千葉マリンでのロッテ戦、今季初本塁打を放ちました。その際に、病魔に打ち勝ったことを記事の中に盛り込みました。
その前、1軍に昇格したばかりの時に、本人へ確認をしたのを覚えています。病気のことを記事にしても良いのか-と、聞きました。とてもプライベートなことであり、人によっては隠したいこと…。しかも、もう思い出したくもないことかも、しれないからです。すると、このような答えが返ってきました。
「自分も周りの人にいっぱい助けてもらって今がある。自分のことを知って、同じ病気の人が勇気を持ってくれたらいい。だから構いません。その代わり、ちゃんと復活した時にだけ書いてください」。
正確に一字一句は記憶できていませんが、大意はこのような内容でした。
前述通り、記事にしました。80行ほど、約1000字ほどの記事でした。その分量では収まりきらないほどのドラマがあったとは思いますが、書かせてもらいました。個人的にも強く生きようと、そんな「勇気」をもらった気がします。
日本ハムが驚異の巻き返しを見せた5月が終わります。とても軽々しく「弟」とは言えないほど、たくましくなった彼が、紛れもなく快進撃を支えた1人でした。
May 31, 2007 02:28 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2007年05月24日
余計な「情」はいらない:高山通史
交流戦の開幕カード巨人2連戦が23日、終了しました。連勝、勝率5割復帰、ダルビッシュとグリン、両投手の快投に田中幸雄選手のホームラン…。ともに逆転勝利、連日4万人超と見どころ満載の2日間でした。日本ハムファンだったら、とても気持ち良かったことだろう-と、記者席から見ていても思う、展開も内容も、しびれるような2つの白星でした。
その1勝目を挙げた翌23日、弊紙の北海道発行分は日本ハムを1面、稲葉選手の中心の記事を掲載しました。そのサブの見出しですが、それが物議を醸したのです。紹介します。「小笠原にブーイング!!札幌ドーム」。このことについてクレームが多数です。「どぎつい」だの「やりすぎだ」だの、「あれはちょっと…」という遠慮がちながらも、遠回しにチクリと言われたものもありました。
クレーム先はどこからか、というと日本ハム球団関係者の数人から。球場に来ていた方々、テレビ観戦の方でも見ていたら分かる「事実」です。まず、どうしてこれを、オブラートに包んで隠さなければいけないのか分からない。そしてひいて言わせてもらえば、ブーイング=日本ハムへの応援、だと思うのですが…。個人的にも一番、試合を見ていて、想定外の出来事で、私の琴線に触れた場面だったのです。
メジャー・リーグの慣例がすべて素晴らしいとは思いませんが、小笠原選手と同じような主力級の選手が他球団へ移籍した場合、古巣のファンがブーイングをすることが当たり前です。なぜかといえば、チームを応援しているから。自然発生的に、小笠原が打席を重ねるごとに大きくなったブーイングは、しかも巨人でのその存在の大きさを認めているからこそ、のものでしょう。この2連戦、小笠原が日本ハム時代に通い詰めていた沖縄・名護市の焼肉店の夫妻が球場を訪れていました。複雑な感情があって当然のはずですが、その夫人は迷いなく言いました。「逆にブーイングはうれしかった。オガちゃん(小笠原の呼称)がすごいって思われているからなんでしょう」。
なぜブーイングに球団関係者が嫌悪感を覚えるのか、正直言って、私には真意が分かりません。自分たちが日本ハムをファンよりも身近に感じ、応援するべき立場にいる人たちが、なぜそうなのか、分かりませんでした。昨季の日本一の功労者だから、長年チームを引っ張ってくれたから…。でも真剣勝負の世界で今は、相手チームに小笠原はいます。あくまで私見ですが、ファンの方の行動は、間違ってはいないと思います。だって札幌ドームへ、日本ハムを応援に来ていた「巨人小笠原」を応援しに来ているわけではないのですから。
これまではなかった雰囲気の中で取材ができ、新鮮さを感じていました。これぞ本拠地という醍醐味(だいごみ)あるシーンでした。周りの記者の方々とも「根付いた証しなんじゃないか」という話をしていました。小笠原をはじめ、新庄氏も抜けてスター不在と言われてた今季の日本ハム。若手主体で再出発しています。そのブーイングは、あくまで個人的ですが、決してネガティブにとらえるべきことではないと考えます。すっきりとしない後味の悪さを、感じてしまいました。その反応を示した大多数のファンはそうではなくても、とても強く「日本ハム小笠原」の残像、感傷に浸り、未練を残している人たちが、球団内にいたことに…。
少し暴論かもしれませんが、日本ハム本社が業務優秀な営業社員をライバル会社にヘッドハンティングで引き抜かれたとします。その優秀な社員と現場で、現場でぶつかり合った時、その元社員に仕事を奪われそうな時、敵になった日本ハム本社サイドの社員は「よくやった」と拍手して褒めるでしょうか。仕事と同列にはできないでしょうが、野球、スポーツも真剣勝負の世界。小笠原もバッシングも覚悟した上での強い決意で、すべてを断ち切って移籍を決断しました。札幌ドーム全体で「巨人小笠原」と対戦していたようにも感じた2日間に、せめてグラウンドの上で戦っている時だけは、余計な「情」はいらない。
May 24, 2007 01:38 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2007年05月14日
「旬」な投手、武田久:高山通史
よく野球以外でも、日常会話でも使う「全力投球」という言葉。武田久投手を見ていると、その大切さ、尊さを実感させられます。昨季は75試合登板、45ホールドポイント。パ・リーグV、日本一、アジア王者の立役者です。阪神藤川の存在で近年、脚光を浴びているセットアッパーという役割を、完ぺきに務めています。セットアッパーは中継ぎ、リリーフと総称される投手の中でも、同点または接戦で勝っている場面で主に登板。たった1球の失敗で一転、敗戦へと誘うこともある重い役割です。主に試合終盤の8回に、抑え(日本ハムはマイケル)へつなぐ重責を任されています。
武田久は取材をしていても、好投した後も「普通ッス」「特に何もないッス」などが口癖。決して無愛想なわけではないですが、しんの通った武骨なタイプで、自分のすごさについて多くを語りたがりません。そこが魅力でもあります。でも、なぜ「全力投球」をシーズン通してできるのか。今季から同じ中継ぎ投手の1人として、間近で見ている江尻投手の証言が、少しはこの難解な謎を解くヒントになっています。
「久っていつも手を抜くことがないんですよ。ダッシュを見ていれば分かります。自分も考えが変わりましたから」。
例えば30メートルのダッシュがメニューにあるとします。通常はスタートラインから走り、ゴール手前で少しスピードを緩めるものです。いわゆるトップスピードの「全力疾走」の部分が、20メートルほどだったりするわけです。ですが武田久は違うそうです。スタートラインの少し手前から助走をつけていって、ゴールを全力で駆け抜けるそうです。
たった一例ですが、武田久は30メートルをちゃんと「全力疾走」で完走することを日々、やっているわけです。試合中にブルペンで待機し、出番に備えて投球練習を行います。そのボールも「すごい」(江尻)そうです。どんなメニューに関してもそう。江尻も今季から取り入れ、自分に厳しくやっています。
月並みな表現に感じる「全力投球」の言葉。記者をしている自分も、身につまされる場面が多い。見せ場のない試合では、今日の記事は小さいだろう、そんなに書かなくていいだろう…などと、勝手に自分で楽な方、手を抜こうと考えている時が正直、あります。武田久の姿から学ぶことは多いと、江尻と同じように感じてしまう今日このごろです。
1日1日、一瞬、一瞬を「全力投球」しようと-。世間一般ではふと気が緩んでしまい、それを5月病とも言われる、今の季節。そんな思いが吹き飛ぶような姿を見せてくれる「旬」な投手が、日本ハムにいます。
May 14, 2007 12:38 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2007年05月02日
大記録達成に立ち会える幸運感じる:高山通史
田中幸雄選手の集大成が、もう目前に迫っています。このブログを書いている時点で、残り6本で2000本安打に到達。高卒でプロ入りして22年目で、今季達成すれば実働年数ではプロ野球史上「最遅」ペースです。シーズン打率3割は1度もなし。優勝にはまったく無縁でしたが、昨季、大記録以外の悲願だった歓喜を味わいました。ゆっくりとだが、しっかりと歩んできた大ベテランが残している金字塔は、あと1つです。
報道陣は、みんな親しみを込めて「ユキオさん」と呼びます。グラウンド外ではおちゃめな人柄。取材陣に見せる横顔は、またユニホームを着ている時と違ったものなのです。
まず質問の答えにはダジャレで第1声を返答することが多い。例えば、こんな感じです。
(例1)
記者 バット振れていますね。
ユキオさん バット(bud)じゃないです、自分の感じはグッド(good)です。
(例2)
記者 ボールが見えていますね?
ユキオさん あのサラダを作るやつ(料理器具のボウル)は良く見てますよ。自宅でね。
と、こんな感じ。こっちは試合後の取材に必死です。そんなこちらの思いを、あざ笑うかのように、なかなか記事にしづらい返答と「バトル」しています。でも、これは好調、状態の良い証し。気持ちに余裕がありそうな時に、よくある傾向です。実はダジャレが、1つの取材時の「指針」にもなっています。
試合後には缶コーヒーを買って、帰路に就くのがルーティン。そんな時にも人柄がにじみ出ます。同行して取材をしようとすると、記者にも1本、ごちそう。2缶購入してくれ「仕事、頑張ってください」と1缶、分けてくれるのです。今年のキャンプ中にはこんなことも。福岡から激励に駆けつけた知人の方に差し入れていただいた、本場のめんたいこを報道陣にプレゼント。切り分けていたものではないため、食べるのに四苦八苦でしたが、沖縄料理に飽きた記者たちの胃袋を癒やしてくれました。
日本ハム担当4年目。当時、2000本安打まで残り99本でした。私が見てきた安打数は、そのうちのわずか80本ほどでしょう。そんな「ユキオさん」の歴史の中で、わずかな期間しかともにしていませんが、大記録に立ち会える可能性が高い幸運を感じている今日このごろです。22年の重みを痛感しながら、その時に向けて取材をしている毎日。いろいろな人との出会い恵まれていることに感謝しながら、また優勝した昨季の後半とは違う感覚を味わっています。仕事上は苦しいですが(デスクに怒られそう)、その瞬間が楽しみです。
ちなみに「ユキオさん」は5月1日、こう宣言しました。昨年のプロ通算1000打点の時は、お立ち台で涙を流しました。今回は「泣かない」と。私は確信しています。たった4年の間しか知りませんが「ユキオさん」から教えてもらった人への気遣い、また情に厚い人柄を知る限り、ハッピーエンドはこうなると…。
きっと号泣する-。
May 2, 2007 10:42 AM 投稿者:高山通史 | トラックバック (5)
