2006年11月26日
最後の最後までいい人だった:高山通史
最後の最後まで、いい人だった。初めて取材をしたのは担当記者になってまだ1カ月あまりの3年前、03年オフ。都内のホテルだった。北海道へ移転前年、当時まで本拠地にしていた東京ドームMVP賞の表彰式だった。日本ハムからはもちろん最後の受賞。式典直後、担当記者になったことをあいさつした。背中越しに呼び掛け、名刺を差し出した。「こちらこそよろしくお願いします」。球界を代表するトッププレーヤーの1人に、腰をわざわざ折って、あいさつをしてもらった。
年が明けて04年のキャンプ。いつも誰よりも遅く練習をしていた。禁句だと周囲の記者に教えられていたが「特打をしましたが? 」「特守をしましたが? 」…。そんな無粋な質問にも「毎年やっていることですから」とやんわりと自分の言葉で教えてくれた上で、その練習の狙いを短い言葉だが説明をしてくれた。見た目からはイメージできないほど、心の広い人、繊細な人だと思った。
連休明けに取材に行けば「久しぶりだな」、遠征先で二日酔いが残る真っ赤な顔で、現場に行けば「昨日は飲んだのか? 飲み過ぎや、仕事しろ、仕事 ! 」など…。一番印象深いのは、05年のキャンプ中に偶然、名護市内の焼き肉店で、斜め向かいのテーブルで鉢合わせになった。同店名物の「上ハラミ」を注文したところ、品切れ。だが「これ、うまいから」とその若手選手たちを食事に誘っていた席から貴重な一人前を分けてもらった覚えがある。残念ながら、恐縮のあまり味は覚えていないが…。
私だけでなく、すべての担当記者に対して、年下、年上にかかわらず、近い目線で接していた気がする。このブログを書いているのが11月26日。ちょうどその4日前の22日、最後になるかもしれない取材を終えた。移籍を表明した直後、担当記者数人への第一声は忘れられない。「みんなにいろいろと無理も言って、協力してもらって感謝しています。ありがとう」。
決断の裏には、さまざまな葛藤(かっとう)もあっただろう。最高のシーズンを過ごしたチームを去っていく、後ろめたさに近い思いもあっただろう。でも真意は話すことなく、別れを告げた。白髪が増えたという話も聞いた。その胸中を想像することしかできないが、その記者会見での姿、またその後の姿を見ていると、いろいろと考えてしまう1日になった。駆け出しの野球記者として取材させていただいた3年間を思い出した。
新天地で成功してほしいと願う。来年はちょっと遠くからになってしまうが、しっかりと見ていようと思う。巨人小笠原道大選手を-。
November 26, 2006 01:33 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2006年11月24日
感動覚えた選手会長の仕切りっぷり:北尾洋徳
この秋から日本ハムの担当となりました。プレーオフ、日本シリーズ、アジアシリーズ(ファンの皆さんにはかなりうらやましがられると思いますが…)で躍進していく姿を間近で見ることができました。まだまだ右往左往しながらの取材ですが、「3冠」チームの一面を少しずつでも伝えられればと思います。
さて、そんな新米の私ですが、ちょっと感動することがありました。20日に行われた選手会納会でのことです。金子誠内野手の見事な仕切りっぷりに「さすが選手会長」と思わずにはいられませんでした。バスの手配や選手への連絡指示をてきぱきとこなし、宴会の席では携わってくれたスタッフの方への感謝も忘れませんでした。
日本シリーズ第2戦と第3戦の間の移動日、金子選手が小脇にパソコンを抱えて球場から出てきました。聞けば選手会納会の招待状をつくるために購入したとのこと。「『今どき手書きかよ』といわれるからさ」と照れ隠しのような笑顔を浮かべて話してくれました。日本ハム一筋12年。ずっと望んでいたに違いない日本一をかけた戦いの合間にもチームのことを考え、せっせと準備を進めていたのです。
ゴルフコンペ中、小雨は降りましたが、コースの状態も良く、選手の表情には笑みが広がっていました。小笠原道大内野手は「北海道で(ゴルフ)は初めてだったけど、芝が緑で気持ち良かった」と話しました。くしくも「最後」の球団行事となってしまったのですが、最高の思い出になっただろうと想像してしまいます。それを生み出したのは陰ながらチームを支えてきた選手会長の心意気だったに違いありません。
November 24, 2006 02:36 PM 投稿者:北尾洋徳 | トラックバック (1)
2006年11月16日
心が痛い季節:高山通史
プロ野球を担当している記者にとって今が1年間で一番、心が痛い季節かもしれません。今シーズンが終わり、来季への準備が着々と始まっているのがこの季節です。戦力外通告にトレード、または球団スタッフの方々の解雇…。お世話になった、仲が良かった人たちが次々とチームを去っていきます。ドラフトで続々とプロへ飛び込んでくる選手がいるその裏で、人知れずに球界を去っていく人たちもほぼ同数います。
ある程度の身分保障がされている一般社会より、客観的にみれば残酷で厳しい社会かもしれません。評論家やコーチなどで球界に残れるのはごく一握り。そんな「人事」が記事になり、スクープになる。試合を取材する一方で、そういう仕事があるのも記者の現実なのです。去っていった人は「今ごろ、どうしているのだろう」、「次の就職先は決まったのか」などと思うこともあります。ただ無力な自分では何もしてあげることができないのも、また現実です。
今季の日本ハムは新庄の引退に始まり、ヒルマン監督、小笠原選手の去就問題の陰に隠れ、私(31歳)より若い選手たちも次々と去っていきました。6日にフルキャスト宮城で行われた12球団合同トライアウト。今季終了と同時に戦力外通告を受けた選手たちが集まっていました。帰りの東京への新幹線。ある日本ハムの選手が、隣の席に座ってきました。1軍取材をしていることが多いので正直、ほぼ会話らしい会話をしたことがなかった選手です。ポツリと漏らしました。
「これからどうしたらいいんでしょうね。分からない」
言葉を返すことができませんでした。ヒルマン監督、小笠原は自らがステップアップをしようと思っての「自発的」なもの。だがこちらは、そうではありません。でもそれが現実と受け止めると同時に、来季への新しい息吹を感じられる刺激もある複雑な時期です。
今回は東京ドームでアジアシリーズがあったことから、東京に17泊18日も出張して華やかな舞台、またその裏にある「人事」も取材をしました。今日は札幌へ帰る最終日の深夜、日付が変わったばかりの16日。個人的に、いろいろなことがあった思い出深い長期出張になりました。1人で今まさにやけ酒、缶ビールをあおりながら、ブログを書いています(失礼ですみません…)。ふと最近、尊敬する人に言われ、心に残った言葉を思い出しました。「あなたの歴史に私は残っていくのかな。いつか思い出してもらえるのかな。そういう存在でありたい」と。そんな思いを持ちながら球界へ入り、志半ばで去った選手たちの必死な姿を胸に刻んでいきたいと思います。プロ野球にかかわる仕事ができている喜びを感じ、担当4年目になる日本ハムをしっかりと取材していきたいと思います。(今回は私事ばかりですみませんでした…)。
November 16, 2006 02:07 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (7)
2006年11月08日
日本一のチームに感じる寂しさ:高山通史
違和感を覚えざるを得なかったというのが本音でした。日本シリーズが終わってから、わずか2週間足らず。11月7日、その快挙以来、初めてチーム練習を取材しました。自身の休日に加え、いろいろな案件があったため長期出張が続いており、久しぶりのグラウンド取材。もちろんアジアシリーズが控えているため、緊張感が張り詰めているのだろうと、予想して現場へと向かいました。
だが、何かが違う。もちろん引退した新庄がいないというのは、何か殺風景な感じもしました。ただそれだけではないのです。ヒルマン監督の去就問題、小笠原のFA宣言、セギノールがパスポートを失効していたのに気付かずに来日できない…。ストーブリーグということもありますが、連日、日刊スポーツも含めて新聞紙上の球団関連のトップ記事には、こういった話題が並んでいます。決して喜ばしいとはいえないようなニュースばかりです。
日ごろは客観的に、また仕事上でも、そうしなければいけないと思って取材に当たっています。ですがパ・リーグ優勝、日本一の瞬間だけはかなり心を揺さぶられてしまいました。正直、感動しました。その快挙に自分はまったく関係していません。ですが、なぜか3年間担当してきたことを、その夜はしみじみと振り返ってしまいました。それなのに、なぜ…。今の日本一チームを見て、いろいろな疑問がわいてきます。
球団理念の1つは「ファンサービス・ファースト」です。ファンを第一に-。北海道へ本拠地を移転して以来、ずっと唱えてきたものです。日本ハムの記事を読んでくれている方はチームのファン、または野球ファンの方が、ほとんどだろうと思っています。私はファンではありませんし、それは仕事上でファンであってはいけないと思っているからというのもあります。そんな私でさえ現状を見ていえ、ちょっとやりきれない思いがあるのだから…。
ファンの方=読者と意識をして、情報を発信している部分も少なからずあります。私にはファンの方の心情を自分なりに想像はできても、正確に理解することは不可能です。そんな私でさえも寂しさを感じる現状ですから、ファンの皆さんはもっと深くいろいろなことを考えているのではないのでしょうか。
November 8, 2006 03:48 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2006年11月02日
チーム全体に感じた「飢餓感」:上野耕太郎
新庄ではないが、まるで数十年前のマンガを見ているようだった。ストーリーがあまりにも出来過ぎていた。こんなドラマを放送すれば自分を含めた視聴者は「ありえねーよ」と笑ってしまっただろう。そんな物語に遭遇した。
主演は新庄だった。号泣し、だれよりも先に胴上げされる姿は最高の幕切れだった。それ以上に周りを固めるキャストが抱負で、それぞれが背景を持っていた。監督批判をして出場停止になっていた金村は第4戦の復帰登板で勝利した。第3戦、チームを支え続けた小笠原の逆転打。米メジャーを断念し、北海道で再起をかけた稲葉はMVPを獲得した。
日本ハムという球団はあまりに負け続けた。25年ぶりの優勝、44年ぶりの日本一ってすごいことだ。36歳の私の25年後は定年退職している可能性が大だ。果てしなく長く感じた住宅ローンも完済しているはずだ(微妙?)。44年後は80歳と生きている保証はない。積み重なった「負の歴史」は大きい。
プロの選手たちはそれぞれ、挫折の経験は多かれ少なかれあると思う。ただし、今季活躍した選手たちは挫折や屈辱を少なからず経験している。阪神時代の球宴で大ブーイングを浴びた新庄しかり。入団直後の不祥事でバッシングを浴びたダルビッシュもそうだ。セットアッパーとしてフル稼働した武田久は170センチと小柄な体形から高校、大学とドラフトにかからなかった。右肩を故障し、変則投法を余儀なくされた守護神マイケル、メジャーを目指した稲葉、シダックスのチーム事情でプロを断念しかけたルーキーの武田勝など名前を挙げればきりがない。
パ・リーグ制覇をしたときに昨年亡くなった大社前オーナーの記事を書いた。経営者として「勝ち組」だった前オーナーが唯一、思うようにならなかったのが野球だった。負け続ける日々が続き、人気も衰退。ドラフトで有力選手を獲得することすらままならなかった。ある日、車中で絞り出すように言ったという。「何で、何でこんなチームになってしまったんや」。加速する地盤沈下は、簡単に止められる状況ではなかった。
いろいろな意味で北海道移転が契機になったのだろう。負の歴史をリセットした。ゼロからのスタートが功を奏したとも言える。それ以上にチーム全体に感じたのは「飢餓感」だ。勝つことによって「欲張り」になっていった。達成感が次の目標を生んでいく。自信にもつながった。
ヒルマン監督は常に「先の試合は考えない。目の前にある1試合だけに集中する」と言った。何度も同じせりふを繰り返した指揮官に対して「また、同じコメントだよ」と正直、思ったことがある。今にして思えば、それは絶対に正しい。1つの目標を達成していかなければ大きな目標まで行き着くことはない。一足飛びにつかんだ成功の逸話など、ありえないのではないか。勝利の連鎖が栄光への近道だった。今を生きる-。陳腐な言葉だ。ただ、その意味は深い。
November 2, 2006 10:21 AM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (9)
