2006年10月30日

大スターにふさわしい『日本一』/新庄番(15):高山通史

 なかなか原稿を書き出すことができなかった。10月26日、午後9時28分。日本ハムの日本一が決まった。新庄選手が、そして森本選手が、左中間フェンスの真下で抱き合っている。札幌ドーム記者席のモニターには、感動のシーンが映っている。締め切り時間が迫っていたが、すべてを見届けようという思いもある。だが、それよりも試合途中から結末を予測はしていたが、信じられない光景を前にし、固まってしまった。ハートを揺さぶられ、仕事をしなければいけないという「現実」へ、すぐに向かうことはできなかった。

 新庄選手を追いかけ回し続けた、3年間の一区切りついた。振り返れば、記者としてもこれ以上ないやりがいを感じ、充実した時間を過ごさせてもらった。しみじみと振り返る中で印象深く思い出すことは、実は取材をする中で「禁句」が2つあった。その言葉を使った時、また使わない時、途端に不機嫌そうな表情を浮かべられたことが何度もあった。2つのキーワードは「ファン」と「北海道」だった。

 そこに、とことん、こだわっていた。「スタンドの『観衆』が…」と「今日は『観客』が…」などと質問をすれば、途中で遮られた。新庄選手から「それ(観衆、観客)はファンね!」と言い直させられた。たまにはちょっと怒気も含んでいた。もう1つも一緒。「明日は『札幌』のファンが…」「今は『札幌』では…」などと質問した時には、「いや札幌じゃなく、北海道ね!」と即座に訂正して質問をし直された。北海道日本ハムファイターズの球団名どおり、本拠地は「札幌」ではなく「北海道」だと力説し続けた。

 豪放磊落(らいらく)に見えても、小さなことにこだわる意識はすさまじかった。必ず発言、行動の1つ1つに対し、「受け手」の立場を考えていた。それがパフォーマンスを敢行する意識、勇気にもつながっていたのだろう。日本ハムのチームメートに対しても同じ。新庄選手と食事中にひじをついて食べていた稲田選手は、厳しくこう注意されたという。「その腕、切るぞ!」。もちろんジョークだが、相手に失礼がないような礼儀作法にまで執着していた。後輩にまで自分のこだわりを説き、徹底させた。

 そんな小さな小さな努力を積み重ねた17年間が、最後の最後で大きく、美しく、実ったのだと思う。翌日の引退会見では「少し休ませてよ」と珍しく音を上げた。記録より記憶という信念で走り続けた野球人生。心血を注いで、強烈な記憶を残してくれた大スター。ラストにはご褒美のような、ふさわしい「記録」が日本一だった。【高山通史】

October 30, 2006 02:07 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (6)

2006年10月23日

最後まで笑顔でユニホーム着てほしい/新庄番(14):高山通史

 初めての日本シリーズで、新庄選手がまぶしいほどの最後の輝きを放っている。ナゴヤドームでの2戦を終えて23日、第3戦からの札幌ドームへ帰ってきた。打って、走って、守って…すべてに、光り輝いている。この日は戦いを待つ本拠地は静かだが、明日からがどうなるのか、楽しみだ。

 新庄選手がよく口にし、最近記事にもよく出てくる「楽しむ」。日本ハムの選手全員が体現している。第1戦を終えた翌第2戦の試合前、森本がウオーミングアップ中に鶴岡をからかい、全員の爆笑を誘っていた(その内容は事実かどうか分からず、鶴岡君の名誉を傷つける恐れがあるため伏せます)。

 普通に考えれば、ムードは重苦しいはず。だが金子の言葉が印象的だった。「ムードにのまれることはなかった。新庄さんも言っているように、あと1週間、楽しむだけですよ。それだけ」。日本ハムの選手は、職人のように黙々とプレーしている中日とは対照的に笑顔が目立つ。「新庄イズム」の象徴が、1勝1敗で敵地から戻ってこれたことだろう。

 日本一になった場合に出場権を得られるアジアシリーズに新庄選手が出場するかどうかは微妙だが、真剣勝負は今回の日本シリーズが間違いなくラストだろう。最後の最後まで、笑顔でユニホームを着ていることを願う。そんな気持ちで今、新庄選手を見ている。

October 23, 2006 01:34 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (1)

2006年10月17日

なぜ日本ハムは優勝できたのか:上野耕太郎

 ご存じの通り、日本ハムが25年ぶりに優勝した。札幌ドームのスタンドから幕切れを見ていた。選手たちがグラウンドへ一斉に走りだした。現実感がいまひとつなかった。目の前で行われている光景が1枚のフィルターを通して動いているように感じた。目を凝らしてその「映像」をジッと見つめた。チーム、そしてファンが追い求めてきた瞬間だ。その頂点に差し掛かった時、時間はゆっくりと流れ、映画のワンシーンを見るようだった。

 この幸福なエンディングは何が要因だったのだろうか。若い先発投手陣の底上げ、武田久-マイケルへつなぐ方程式の確立。1番森本、2番田中賢の急成長、新庄引退で盛り上がったチーム事情、札幌ドームの歓声-。いろいろな勝因が頭に浮かぶ。では、1つだけというなら何だろうか。個人的な意見は「役割分担の明確化」と思ったりする。

 北海道移転後、チームは少しずつ変わり始めていた。2軍は育成を中心に変えた。極端に言えば「勝つのではなく経験を積ませて育成すること」が主眼に置かれた。若手選手の出場機会に一定の目安を定めて、大幅に増やした。実力を伴うベテラン選手が出場すれば勝ち星は増える可能性が高い。それを度外視することで目的が明確になる。これは一例にすぎないが、球団職員、チームを含めてよりシンプルな考え方を採用したように思える。

 目的と職域をまず設定する。なぜ、そうしなければいけないのかを説明し、努力目標を定める。スカウトやコーチ、スタッフにはパソコンを導入され、報告や意見を吸い上げやすい形に整えてもいる。選手にも言える。1番森本が先頭打者として、2番田中賢がつなぎ役として何をするべきかはっきりさせている。中継ぎ陣でもそうだ。

 日本ハムは新庄に代表される明るいチームカラーの印象が強い。プレーオフでも緊張をみせることなく、伸び伸びとプレーしていた。また、ヒルマン監督の自主性を重んじた野球がある。それは管理野球とはひと味違ったものだ。ただ、私個人の意見はチームだけではなく、スタッフを含め「職域を明確にした組織野球」を推進していった結果、目標へ最短距離で到達したような気がする。

 ちょっと話が堅くなってしまいました。こんな勝因をいちいち考えるのもチームが優勝したおかげ。次は「なぜ日本一になれたのか」というお題で考えてみたいもの、と思ったりします。

October 17, 2006 11:41 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (8)

「記録よりも記憶-」の意味/新庄番(13):高山通史

 新庄選手の引退が間近に迫った今、私自身にもちょっとした「フィーバー」が起きています。困った依頼が殺到しているということ。何のお願いをされるかというと「新庄のサインを●枚、もらってほしい」というものです。ちなみに担当して3年ですが、個人的なことで、もらったことはありません。紙面の企画に使用するという趣旨でお願いをし、1枚だけもらったことがあるだけです。

 仕事上での取材対象ということ、簡単にはお願いできない理由もあります。それは、新庄選手が顔が見えない相手にはサインをしないというポリシーを持っていることを、伝え聞いた事があるからです。ファンを始め、チームスタッフや球団関係者にはお願いされれば嫌な顔はしませんが、サインに軽々しく応じている姿をあまり目にすることはありません。

 野球でも持っている信念にもつながっている気がします。サインをすることで何を提供できるのか。あの「記録よりも記憶-」という名フレーズが、日ごろのそんな小さな行動に表れています。新庄選手にとって初めての日本シリーズ進出を決めました。引退までの日々は少しずつ近づいています。記者として、最後の勇姿を「記憶」に焼き付けていきたいと思います。

October 17, 2006 01:33 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)

2006年10月13日

ハムVで垣間見た本当の姿/新庄番(12):高山通史

 引退への花道がVロードになった。涙、涙、涙…だった。新庄選手が花束を抱えてグラウンドを1周した。スタンディング・オベーション。今まで聞いた事がない、大音量の拍手が降り注いできた。そんな光景をバックネット裏上段の記者席から見ていた。感動のシーンだった。レギュラーシーズン1位通過、プレーオフ第2ステージ2戦2勝の「完全優勝」だった。

 ビール掛けで、新庄選手は感謝の思いを込めたサプライズを仕掛けていた。試合前に選手へ、自分の口で「依頼」した。選手全員で円陣を組み、その中心に打撃投手、ブルペン捕手ら裏方さんを入れてやろうという計画。バレないように、根回しした。ほかの選手たちもその思いをくんでくれたという。しかも、ビール掛けには球場アルバイトの大学生ボールボーイ、ガールや、直接球団と関係がない人たちも加わった。

 25年ぶりのリーグ優勝の「主役」の座を譲った。ただ、その途中で1人、会場を抜け出した。個人トレーナーに「探してきて」と指示を出していたのだ。その人とは、阪神時代から面倒を見てくれた後見人の竹中氏。関西から優勝の瞬間をひと目見ようと、駆けつけていた。タテジマのユニホームを着ていた時の苦労も、志保夫人との交際の経緯も、すべてを温かく見守ってきてくれた恩人だった。ビールを軽く浴びた竹中氏は「良かったわ。ホンマ」。取って置きの恩返しに、ほおを紅潮させていた。

 このプレーオフ2戦。福岡からは両親も駆けつけ、応援していた。こちらにも最高の恩返しができたことだろう。周囲の評判は気配り、気遣いの人。目立つことは好きだが、1歩引くときは引く。日本球界でプレーして14年目、しかもラストシーズンでリーグ優勝を果たした。いつも、いつも目立ちたがりのようだが、自分にとっても掛け替えのない大切な時にも「主役」を譲った。日本ハムを束ね、一体感をつくった。奇跡を呼んだ新庄選手の本当の人物像が、ドラマチックな舞台裏で垣間見えた。

October 13, 2006 01:31 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (2)

2006年10月09日

新庄イズムの継承者/新庄番(11):高山通史

 プレーオフ第2ステージ開幕(10月11日)が目前に迫り、2年前を思い出してみた。北海道への本拠地移転元年で、プレーオフにレギュラーシーズン3位で進出。その年に入団した新庄選手が原動力となり、「及第点」を付けられるほどチームを、そしてパ・リーグを、球界を盛り上げた。西武に1勝1敗で迎えた第3戦でサヨナラ負けを喫し、第1ステージで敗退。試合後、こんな総括をしていた。「本当に最高の試合ができた。プロに入って一番いいシーズンを過ごせたかな。すごく楽しかった」。

 現役ラストを最高の形で迎えている今回。新庄選手の個人的な問題として、「敗退=引退」という状況は前回とはまったく違う。当時は「プレーオフに入ってから打撃が分からなくなった。重圧かな」と話していた。そんなプレッシャーをさらに感じているのだろうと推察してしまう。誰よりも自分自身にプレッシャーをかけ、それを乗り越えて、数々の成功を収めてきている選手だと思うから。今回は平常心を貫こうとしても、気持ちの入り方は前回と比べ物にならないだろう。ただ「1人」で闘うのではない。

 周りにはサポートする、新庄イズムを吸収した選手がいる。2年前に敗退した直後は「負けたけれども必ず来年につながってくる。若い選手は相当、鍛え上げられたと思うし、いい経験になったと思う」と話していた。その通り、ハワイの自主トレで行動を共にし、朝食にお手製のスクランブルエッグをつくってあげていた森本選手が今季、急成長。1番に定着し、新庄選手本人がかすむほどの大活躍を見せ、今季の快進撃を支えてきた。

 東京遠征中の練習休日には渋谷で洋服の買い物を共にし、日ごろの食事など、ほぼいつも一緒。初対面だった日本ハム入団1年目の04年春季キャンプでは、自身の用具メーカー担当者への変更を進言するなど、新庄選手が「直感」で選んだ後継者だ。新庄選手の活躍にも、もちろん注目をしたい。だが3年間、たたき込んできた新庄選手の「遺伝子」は、勝負どころの真剣勝負でどう出るのか。森本選手=新庄選手としても、しっかりと目に焼き付けたいと思う。

October 9, 2006 01:23 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (1)

2006年10月05日

最後まで全力なんです/新庄番(10):高山通史

 何かを残そうと、最後まで全力投球しています。きらびやかな外見からは想像できないほど、新庄選手は人間味あふれる人です。取材していても、ちょっと近寄りがたいオーラを放っています。それでも後輩思いの点は、チームのベテランの中でもトップクラス。森本選手をはじめ、同じ福岡出身の田中賢、ダルビッシュ選手ら後輩とよく食事をしているという話を取材して耳にします。

 ただ、その時間を楽しもうというだけではないような気がします。後輩に誘われたら、よほどのことがないと断ることがないとも聞きます。九州男児らしく人情に厚く、日本ハムの選手以外にもソフトバンク川崎選手、ロッテ西岡選手らからも慕われています。そんな行動はグラウンド内だけではなく、外でも、姿で、言葉で、空気で、自分の何かを伝えようという気がしてなりません。

 10月5日の紅白戦後にも、そんな人間性をうかがえるような出来事がありました。高卒ルーキーで将来のスター候補の陽選手が、ウキウキした表情で球場から帰ろうとしていました。すると、自慢げに「新庄さんからもらっちゃいました」とサインをしてもらった新庄選手の本を手に、飛び切りの笑顔を見せていました。ほとんど接したことがない新人にでも、しっかりした対応をしています。

 陽選手の一言が、すべてを表していました。「新庄さん、本当にいい人です」。ファンだけではなく、後輩たちも引き際を惜しんでいます。後輩たちは新庄選手に全力でぶつかり、全力で接してもらっています。こんな小さなことが、いつかスター誕生の芽になってくれることを期待しています。

October 5, 2006 01:21 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (3)

2006年10月03日

日本ハムから生まれる相乗効果:上野耕太郎

 日本ハムがレギュラーリーグを1位で通過した。新聞各紙を読むと、まるでリーグ優勝をしたかのような騒ぎだった。まだ、プレーオフが残っているのに、なぜ? ビールかけなんかしちゃってなぜ? と、思うかもしれない。

 それだけ劇的だったのじゃないかなと、思う。超満員の札幌ドーム。最後のソフトバンク2連戦で球場が縦に揺れた。1位を決めて沸き、新庄のセレモニーで泣き、ビールかけで笑った。個人的にはビールかけをやるのは早いんじゃないかなって懐疑的だった。まだリーグ優勝まで2勝ある。ただ、選手たちのうれしそうな表情を見ていると、それで良かったんだなと思った。

 試合後、大社オーナーに話を聞きに行った。普段はじょう舌でシャープなオーナーだけに明るいコメントを期待していた。予想とは大きく違った。「うれしいよ…」と言ったきり、言葉に詰まった。クルリと背中を向けた。泣いていた。選手やチームに携わるスタッフたちにはいろいろな思いがあるだろう。25年間、優勝から遠ざかっている。負け続けた歴史があるだけに1位通過という事実に意味がある。
 ここまで来たからには優勝してほしい。経済効果などを期待しているわけではない。北海道に野球が定着してほしいと思うからだ。

 私事だが、ビールかけを見たのは2度目だ。97年10月、コンサドーレ札幌がJFLで優勝し、J1昇格を決めた時のことだ。サッカー人気は続くはずと信じて疑わなかった。現実は甘くなかった。J1から転落し、過熱していた人気が少しずつ落ち込み始めた。そのころ転勤で東京にいた私は寂しいというより悔しさを感じた。生まれ育った北海道では「プロスポーツの繁栄が難しいのか」「プロスポーツは贅沢品なのか」という疑問が沸き上がる。力不足と忙しさですり減っていた東京生活、コンサドーレ札幌の苦戦を自分に置き換えてしまったこともある。

 だからこそ魅力あるチームをつくり、勝つことを日本ハムには続けてほしい。野球が定着し、スポーツ文化が耕されることで、北海道の他のスポーツは広がりを見せる可能性もある。サッカーしかり、冬季スポーツしかり。私個人が願うのは経済効果より相乗効果。きれいごとですが、そうなっていけば…。北海道に住む私は幸せだ。

October 3, 2006 02:03 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (12)

2006年10月02日

新庄選手を探す「裏技」/新庄番(9):高山通史

 今回はちょっと公式戦も一休みしたところで、野球ではない「番外編」でつづってみようと思います。担当記者として新庄選手を追い掛けてきた3年間。特に春季キャンプ中には記者としてはあるまじきことですが、姿を見失うことが何度となくあります。そんな時、どうするか。新庄選手取材のオーソドックスな手法、また裏技を紹介しようと思います。

 まず、練習で打撃練習のスイング数などをチェックする「○スイングで柵越え○本」とよく見るアレをカウントする時、シートノックなど…、慌てて姿を探すことがあります。そんな時、まずは「赤」を目印にすれば大体の場合は見つけることができます。ただ、問題はグラウンド上で見つけられず、球場の裏などへ消えてしまった時。恥ずかしい話ですが、どこにいるのかと右往左往してしまうことが何度かあるのです。

 ここで「裏技」です。その場の空気が、居場所に見当をつけるカギになるのです。それは「におい」。よく新庄選手はいいにおいがするとか、CM発表の会見の席で共演した女性タレントらが口にしていますよね。その通りなのです。嗅覚(きゅうかく)を頼りにまるで犬のように「におい」をかぎ分け、さっきまでここにいた、ここを通ったとか、ほぼ分かるのです。ちなみに男性がかいでも、いいにおいです。

 ただ、今や難点が1つ。香水の種類は違うのですが、日本ハム選手で「におい」がする選手が多くなったのです。例えば稲葉選手、ルーキー川島選手らです。新庄選手の影響なのでしょうが、その「影武者」が増えているのが問題です。だから最近、人違いをしてしまうことも。自分に問題があることはさておいてですが、そんなちょっと迷惑な問題が起きているのです。

 しかも現在、新庄選手の引退カウントダウンは佳境に突入しています。取材するためにちゃんと動きを追わなければ…と、自分に言い聞かせる毎日。年齢を追うごとに鈍っていく嗅覚にも頼れないけれど、衰え気味のフットワークでカバーしなければいけない。こっちが引退間近ではないかというほど、ギリギリの日々を過ごしているのが現状です。

October 2, 2006 01:20 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)