2006年07月28日

ヒルマン監督に感じる“人間の強さ”:高山通史

 夏真っ盛りのこの時期。ヒルマン監督を見ると、思い出すことがある。昨年7月19日。米テキサス州で病気療養中だった母キャロリンさんが亡くなった。69歳だった。その後の憔悴(しょうすい)ぶりは、監督と接した者にしか分からないほどひどいものだった。日に日に目の周りはくぼみ、ほおはげっそりとこけていく。声にも力がない。

 しかもマリー夫人と愛息、まな娘も米へ帰国していた。たった1人とさらに実感しての、異国の日本での生活。野球に集中できる状況ではなかったと思う。その直前の交流戦では大失速し借金14で前半戦ターン。3位でプレーオフへ進出した翌年だっただけに、ファンの辞任するべきとの声も多く耳に届いていたという。結局、5位という最悪に近い形で3年目のシーズンは終了してしまった。

 いろいろな苦難、バッシングも浴びながらスタートした4年目の今季。このブログを書いている7月28日の時点で貯金11で3位とプレーオフ圏内にいる。だが口癖は「おごることなくいくだけ」。取材する立場としては“おいしいコメント”がなく記事を書くときに苦しいが、厳しい姿勢はシーズン当初と変わらないままだ。昨季は勝った、負けたで一喜一憂し機嫌が悪いことも多かった。だが今年浮き沈みが少ない点が、1番の変化と感じている。

 そんな監督を支えていた家族が今月いっぱいで米へ帰国する。子どもたちの学校などの関係で、離ればなれの生活が始まる。27日の札幌ドームの楽天戦の試合前。ヒルマン監督はロッカー室を飛び出して、ある一室へ小走りで向かった。球場、試合を盛り上げる「ファイターズガール」の控室。両手には赤い大きな紙袋を抱えて、その中に入っていった。わずか数分いた後、両手にもう紙袋はなかった。

 まな娘がダンスメンバーとして参加しているため、お礼を伝えに行ったという。それぞれのメンバーにリストバンドにサイン、Tシャツなどをプレゼントした。その直後に控室から、そのまな娘が飛び出してきて、ヒルマン監督へ声を掛けた。「バ~イ。ダディ!」。だが試合前、戦闘モードの監督は振り向きもせずに右手を振っただけ。険しい表情を崩すことはなかった。そして札幌ドームで家族が見守る「今季最終戦」で、白星をつかんだ。

 家族はもう来日する予定はないが、プレーオフ、日本シリーズなどへ進めば戻ってくる可能性もあるという。あの日から1年が経ち、迎えた夏。目上の方には失礼だが、人間としての強さを感じた。いつも、いつもの私事だが、忘れがちになる高校からずっと離ればなれの生活を続けている老いていく両親のことを思い出す。もっと強くならないと…。そんな思いとは裏腹に仕事後、心は北海道の夏の風物詩・ビアガーデンへと逃げてしまう。弱さを実感するいつもの夏、自己嫌悪の日々は、今年も変わらない。

July 28, 2006 02:15 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)

2006年07月27日

公開練習、さらに新しい発展を:上野耕太郎

 ちょっと考えさせられた。22日のことだ。この日は日本ハムが北海道移転後、初めて練習を栗山町で行った。練習だけの一般公開は04年3月以来2回目。札幌ドーム、札幌の室内練習場以外の場所での練習は初の試みだった。

 午前10時からの練習に2000人が駆け付けた。驚いた。ただの練習ですよ。しかも、栗山町の練習場は札幌から車で1時間くらいかかる。400台分を用意した駐車場はほぼ満車状態になった。町の人に聞くところによると前日から待ち続けたファンもいたそうだ。

 ヒルマン監督は急きょ、練習参加を取りやめ、サイン会を実施。2時間にわたってサインや写真撮影に応じた。選手たちも練習後、フェンス越しにサインをするなどファンと触れ合った。待ち続けたファンにとっては、ちょっとしたご褒美だったと思う。

 普段取材をしていて気が付いていなかった。より選手と近い距離で接することが難しい環境なんだ、と。札幌ドームはサッカーと併用のためフェンスが高く、ファウルゾーンも広い。練習も札幌ドームか札幌の室内練習場で一般公開はほぼしていない。選手と同じ目線で接する機会がほとんどない。

 2000人というファンを見て、思った。より身近にユニホーム姿の選手と接することに飢えているのかな、と。栗山町の練習はそれを確認する上でも良いことだったし、さらに新しい形で発展させていってほしいと願う。

July 27, 2006 01:50 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (0)

2006年07月24日

新庄と過ごした短い夏:高山通史

 珍しく受けた「取材攻勢」に、その偉大さをあらためて実感した。新庄が最後のオールスターを終えた。その期間中に異常事態だ。「新庄は次は何やるの?」「新庄はどのタイミングでパフォーマンスがあるの?」。日刊スポーツの先輩、後輩の記者やカメラマン、はたまた他紙の知り合いの記者から質問攻めの毎日だった。

 いつもは日本ハム担当はあまり注目されない(私に個人的な問題があるのかもしれないが)。だが、球宴だけはちょっとした「お祭り男気分」に…、いや浸れるわけがない。新庄の姿を見失わないように追いかけ、見失ったら探す。まるでストーカーのように過ごした2試合。時に、しょうゆとソースを間違うような鈍感な嗅覚(きゅうかく)じゃなければ、新庄の香水のにおいを頼りに発見できるのにとも思う。そんな犬への変身願望を持つまで、現実逃避をしてしまうのだから、もう頭の中はパニック状態だ。

 ただ、もうじき来る「現実」と向き合うと、寂しかった。新庄がいなくなる。現役最後の交流戦、そして球宴をまず終えた。あとは残るはレギュラーシーズン。球宴期間中の新庄の表情を見ていても、笑っているようでも、目の奥は笑っていないように見えた。ある新庄をよく知る関係者は「彼はいつも心の中で泣きながら、毎日プレーしているはず」という。

 第2戦の試合前練習でのこと。全パの「4番DH」で出場する小笠原へ、うらやましそうに声を掛けていた。「ガッツ(小笠原の愛称)最高やん! 4番DHって」。そして試合後は一番弟子で初出場の森本が2年前の自分に続く本盗を決め、1発も放った。2戦連続の頭部パフォーマンスでも、球場中をわかせた。第1戦は主役級だったが、この日はそうではなかった。

 新庄はラストの球宴を終え、口は重かった。報道陣の森本の「大活躍しましたね」という質問に「ねえ~」と同調しただけ。この日の試合前も、これまで2年間もことあるごとに「ヒチョリ(森本)を取り上げて」「あいつおもしろいから見ていて」などと宣伝してきたが、試合後はもう必要がなかった。一番目立ちたかったはずの新庄が目立てなかった。3年連続3度目のオールスター取材。初めての世代交代がやはり迫っていることを感じた、新庄と過ごした短い夏だった。

July 24, 2006 04:23 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)

2006年07月18日

取材を受ける側になって考えたこと:上野耕太郎

 最近、系列の雑誌社から日本ハムについての取材を受けた。取材をするのは日課だが、取材を受けたことは皆無だ。いざ、聞かれるとしどろもどろだった。

 女性記者 日本ハムの好調の要因はなんなんでしょうか

 私 う~ん、何なんでしょうね。え-…(無言が30秒ほど)。投手陣が育ってきていますしね。中継ぎも良いからですかねぇ。

 女性記者 それでは投手陣が育ってきた理由は

 私 そうですねぇ、たまたまってわけではないですよね…。

 女性記者(ちょっとあきれ顔) 好調の時に取材したなかでチームの印象的なエピソードってありますか

 私 そうですね…、北海道は涼しいから体調がいいのですかねぇ…。エヘヘ(笑いでごまかす)。

 女性記者の「同業者なのに…」というあきれ顔に焦り、まったく機能停止の受け答えになってしまった。気の利いたことを言ったりする選手はたいしたモンだと思う。

 調子が悪くてもしっかりと受け答えすることで取材陣から支持を受けるセットアッパーの武田久は言う。「きちんと話しをしようと思いますが、やっぱり僕も人間ですから。嫌だなぁと思うこともあります。例えば『調子はどう』という質問をされても、何て答えていいか分からない。具体的に『ここの部分、こう思うんだけど実際はどうなの』に聞かれると答えやすいですね。それにこの人は自分を見てくれているんだなと思いますし」。実際、取材をする側として耳が痛いが確かにその通りだ。

 本紙のコラムのタイトルは「見た、聞いた、思った」だ。そのなぜ、最初に「見る」が来ているか。観察することから取材は始まる。先輩記者はこう言った。「ふざけて言っているじゃないよ。野球担当は選手の形態模写が出来るようになって一人前。そのくらい見て、記憶していくんだ」。前段で記者の質問に答えを返せなかった。取材慣れしていないからではない。見て、考えていないからではないのか。ただ目の前で起きている「風景」を漠然と見てはいるのではないか。そう自省したりする。

July 18, 2006 02:24 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (0)

2006年07月14日

高卒ルーキー陽の「超大物」ぶり:高山通史

 年上の選手には、よくからかわれる(というかイジメ? )私。ですが12歳も年下なのに堂々と渡り合ってくる選手が、日本ハムの中にいます。いろいろな意味で「超大物」ぶりを感じさせるのが19歳で台湾出身、陽仲寿(ヨウ・チョンソ)内野手です。昨年の高校生ドラフト1巡目の有望株。将来のチーム、日本球界をも背負う可能性があると言われる大型遊撃手です。

 6月下旬。久々に2軍の鎌ケ谷で再会しました。2月のキャンプ、WBC台湾代表に合流するとチームを離れた時以来ですから約4カ月ぶりのこと。昨秋のドラフトの抽選クジの確認ミスのドタバタがあってから福岡一高での練習、台湾での仮契約、新人合同自主トレ…と取材で接してきました。ルックスも良く、クールなイメージがある陽選手の素顔は、やんちゃでつかみどころのない性格です。

 そのドラフト翌日の取材で初対面。高校の後輩たちの練習に参加する時でした。待ちかまえている取材陣を横目に、コンビニのおにぎりをパクつき、飲んでいたのは甘そうな乳酸菌飲料。まずそのマイペースぶりと味覚? に度肝を抜かれたものです。プロ入りしても、そのマイペースぶりは変わらないもよう。同じ高卒新人の木下選手の証言によると、寮の夕食がない日に何を食べるかでちょっとしたケンカに。「焼き肉が食べたい」と主張した陽選手は1歩も譲らず、自室にこもってしまったそう。負けずに頑固な木下選手が最後には折れて、仲良く焼き肉をつついたそうです。

 まあ、それはさておいて持ち味の身体能力でもビックリさせられたことが何度となくあります。1月の新人合同自主トレでのこと。サッカー経験を持つ、同じ高卒新人の今成選手とサッカーボールで遊んでいると突如、あのフランス代表ジダンのフェイント「マルセイユ・ルーレット」を披露して見せたのです。聞くと、テレビなど映像を見て「マネしてみただけ」とあっけらかん。野球だけではなく、すごさを実感させられる出来事の1つでした。

 前フリが長くなりましたが、そんな思い入れもあっての再会シーンに話を戻します。まず第一声。「久しぶり」と声を掛けると何と、右手でコップ、はたまたジョッキを持つフリをして「(酒)飲んでますか? 」と私の感傷的な思いは一気に吹き飛んでしまうほどの、きついあいさつの一撃でした。そこからはこちらが取材する間も与えずに、したたかな笑みを浮かべて「猛口撃」の連続技を繰り出してきたのです。その内容は自己保身のため、詳細を明かすことは差し控えさせていただきますが…。

 イースタンに出場当初は天然芝と人工芝に戸惑いエラーを連発。ちょっと悩んでいたという話を、本人からも聞きました。ですが今では慣れてきたとうれしそうに話していました。春季キャンプ中にあるスカウトが「あの笑顔だけでスターになる資格がある」と話していた、あの会心スマイルは変わりませんでした。

 20日にはフレッシュオールスター(東京ドーム)に日本ハムからは川島選手、金森選手とともに出場します。その期間にバスケットボールの台湾の中学生代表の妹が、大会のために来日中。球宴休みなら名古屋で再会する予定を立てていたが厳しくなり「ちょっと寂しい」と漏らしていましたが、「楽しみです」と珍しく硬派に活躍を誓っていました。昨年は日本ハム鶴岡、過去にイチロー、近年ではヤクルト青木、ロッテの今江と里崎らがMVPを受賞している一流選手への登竜門。陽選手の本業、野球での「やんちゃ」な活躍にも注目です。

July 14, 2006 02:50 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)

2006年07月12日

情熱を持ってファンに伝えていく関係:上野耕太郎

 勝ちゲームは当然だが取材がしやすい。選手もテンションが高く普段の20%増しで取材に応じてくれる。一方で負け試合は口が重い。野球を職業としている選手だけに、そうなるだろうなとは理解できる。そんな中でも一生懸命、冷静になって質問に答えてくれようとする選手には、素直に「次、頑張ってほしい」と思うことがある。

 時代が違うと言ってしまえばそれまでなのだが。

 高田GMが現役時代のことを振り返った。「練習もした。コーチに対しても従順だった。当然、川上監督が絶対的というのもあった。マスコミに対しても出来るだけ協力しようとした。なぜかって? 長島さん、王さんがそうだったから」。成績も人気もトップの2人がV9時代の巨人をけん引した。まさしく、現場での手本となっていたのだろう。

 今や選手がブログで自分の心境を発信できる時代だ。ファンに直接伝える道具はある。

 自分の意見をメディアを通して言う必要はないのかもしれない。媒体を通すことが古くさいことなのかもしれない。この間、ソフトバンクの担当に電話をした。若手の記者は小声で「今、王監督と食事会なんですよ」と言っていた。あとで新聞を読み返すと、その日は王監督が病院に行って検査をしていたはずだ。手術のことを告知されていた日に、取材陣と食事会をしている。ある意味ですごいと思った。

 話し手、聞き手が、情熱を持って思いをファンに伝えていく。そういう関係を築いていければと思う。

July 12, 2006 11:28 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (0)

2006年07月07日

王監督の偉大さと存在感:高山通史

 あの夜。連勝に沸くお祝いムードは一瞬にして吹き飛んだ。7月5日。日本ハムが42年ぶりの9連勝を達成した直後、ソフトバンク王監督の病気療養の一報が札幌ドームにも飛び込んできた。おおかたの取材を終えていたため、一気に王監督に関する選手、球団関係者らの談話をとるための取材へと方向転換。言葉、対応を慎重に選ぶ日本ハム選手らの姿を見ると、あらためて「世界の王」と呼ばれる偉大さを感じた。

 翌6日、オリックス戦に備えた試合前練習。ヒルマン監督が、ある行動に出た。八木とダルビッシュら、すでにグラウンドでストレッチなど練習準備をしている選手たちをロッカールームへ1度、引き揚げさせた。ブルペン捕手ら裏方の球団スタッフも全員集合させ「王監督の早い回復をみんなで祈りましょう」という趣旨の話をしたという。異例ともいえる、ミーティングだった。

 ヒルマン監督はその後の試合前の定例会見で、感傷的な表情でこんな話をした。「(日本で)たくさんの野球関係者にお会いしたが、あの方ほど尊敬に値する方はいない」。もちろん選手としての“サダハル・オー”も米国時代から知っているだろうが、常勝球団を率いるライバルで成功を収めている“王貞治監督”としても強烈に知っているだろう。あこがれの存在であるのは間違いない。

 ミーティングはヒルマン監督が今、起こせるできる限りの行動だった。その夜、2年ぶりの完封をしたエース金村は一夜明けて「ショックです」と消え入りそうな声で話した。選手会長の金子は「何もできることはないが、1日でも早い回復を祈りたい」と沈痛な面持ちで話した。WBCで一緒に戦った小笠原はその試合前練習で、報道陣との接触を避けるようにしていた。福岡だけでなく、札幌も異様なムードだった。

 私事だが4歳年下の妹に今年3月、長男が誕生した。名前は鉄生(てっしょう)君。王監督の特集番組に登場した同監督の兄鉄城さんの名前からヒントを得て名付けた。野球を何も知らない20代の夫婦を引き付けた、王監督という存在。日本ハムの記録的な連勝でパ・リーグは今、混戦模様だ。だがずっと日本ハムが、ヒルマン監督が、追いかけてきた、あの大きな背中がいないと寂しい。

July 7, 2006 03:04 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)

2006年07月05日

「強い」という印象は大切:上野耕太郎

 オーナー会議の取材で東京出張中に、今回のコラムを書いている。会議には12球団の担当記者が集まってきた。そこで話題になったのが、最近の日本ハムの快進撃だ。「プレーオフは間違いないんじゃない」「手がつけられない感じだねぇ」。「若い投手がどんどん出てきてるね」。各担当はそういった感想を持っているようだ。

 個人的にはリー、武田勝といったけが人も出ているし、決して他チームを圧倒しているという印象はない。何とかやりくりしながら、接戦をものにしている。ヒルマン監督も「連勝にはこだわらず、1日を集中すること。我々におごり高ぶる余裕はない」と言う。小笠原、金子といった主力選手も「連勝もするけど、うちは連敗もする。負けをどう少なくするかがカギ」と口をそろえる。

 ただ、この「強い」という印象は大切だ。毎日、日本ハムの試合を目前で見ているのは当事者、各担当記者だけ。他チームの先乗りスコアラーもカード別に担当者が変わり、全試合を同じ人がチェックしていることはない。当然、相手チームの選手が勝ち方について詳細に知っているわけではない。相手に精神的なプレッシャーを与える上でも、「強い」というイメージが定着するのは大きい。特に交流戦が終わり、久しぶりのリーグ再開だ。「この前とチームは全然違うな」という意識を相手に植え付けることは良い傾向だ。

 慢心はよくないが、この夏をうまく乗り切ると希望が見えてくる。若い選手も多く、慢心ではなく自信をつければ強さが本物になる。それだけに連勝後の戦い方が今季を左右するように思う。

July 5, 2006 11:24 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (5)