2006年06月30日
楽天野村監督のすごい存在感:高山通史
よく人間には「オーラ」というものがあるといわれる。一説にはその人が醸し出している、ある種のエネルギーと説明されることもある。霊感が決して強くはないというより、まったくないが、よく取材をしていて感じる(ような気がする)ことがある。新庄や小笠原から「今は寄ってくるな」とそばにいくと、そう解釈してしまう雰囲気のことがある。
勘違いかもしれないが、その「オーラ…」というタイトルの付いた番組が人気なのだから、それぞれの人が「確かに実在する」ということに共感する部分が少なからずあるのだろう。今まで取材をしてきた中で「この人がすごいなあ」と思った中の1人が、楽天野村監督だ。
昨年11月、社会人野球の日本選手権。その前日に大学・社会人ドラフトがあり、野村監督が指揮を執っていたシダックスに武田勝、小山の両選手が所属していたため、そのまま1回戦を取材する幸運に恵まれた。敗れた後の記者会見。初めて肉声を、耳で聞いた。パイプイスに腰を掛け、あの「ぼやく」姿と雰囲気は、なかなか近寄りがたいものがあったが、なぜかもっと取材をしてみたいという興味が同時に沸いた。
6月30日の楽天戦の試合前。新庄、武田勝の2人が、吸い寄せられるように野村監督へ近づいていった。ちょうどそのころは食事を取るなど試合開始に備え、いつもは思い思いにリラックスしている時間。2人はわざわざ野村監督が登場する時を見計らって、あいさつへと向かった。特にいつもはロッカーにいる新庄が、普段のリズムを崩してまで接しようと感じるのが、野村監督なのだ。
2カ月以上も前のことで、しかも私事で恐縮だが、その野村監督とちょっとだけ「接点」があった。4月のフルキャスト宮城での楽天戦。室内練習場で高田GMと談笑していると、その横を野村監督が通り掛かった時だ。自分は同監督が嫌う、ヒゲを生やしている。そのため高田GMにいきなり、首根っこをつかまれ「こいつはヒゲがありますけれど、注意してくださいよ」と突き出されたのだ。
楽天の担当記者はヒゲも、もちろん茶髪もいない。厳しいことを言われるのかなと一瞬で覚悟を決めていたが、返ってきた一言に、あ然。「日本ハム担当記者なら、いいんじゃないか…」。ボソボソと話しながら、ニヤッと笑っていた。ちょと短絡的すぎるが、この懐の広さが、人間を、選手を引き付けるのだろう。よく「絶対的なリーダーがいない」といわれる日本ハムだが、いつの日か、野村監督のような存在感が、チームの中心にあって欲しい。
June 30, 2006 11:39 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2006年06月27日
スーツ姿で取材することにこだわる訳:上野耕太郎
甲子園から神宮、そして神戸と続いた遠征から26日、北海道に戻ってきた。6月にもかかわらず、蒸しぶろのような甲子園では食欲が減退。梅雨のうっとうしさも味わった。
そんな遠征中、選手数名から声を掛けられた。
「何でスーツ着てるんですか。見ているこっちが暑くなりすよ」。
確かに周囲を見渡してみても、ジャケットを着ている記者はほとんどいない。36歳。個人的にはあまり考えなくてすむので楽だ。「服装に気を使わなくていいから」と答えていた。
それも理由の一つではあるが実は違う。野球というスポーツ、チーム、そして選手に対しての自分なりのリスペクトだ。プロ野球取材が年齢的に遅かった私にとって、せめて身だしなみくらい、という気持ちだった。どこかの元社長が球界参入の時、ノーネクタイをとがめられていた。その是非はともかくだ。
仕事につながっているかは別の話。野球取材の先輩からは「その服装じゃ、選手とキャッチボールとかできない。一緒に汗をかくのも取材の一つ」とも言われた。取材する側にもその手法はさまざま、個性もある。選手との相性もある。自分に合った方法を探ることも必要だ。
逆に選手たちには記者を「うまく使ってほしい」と思うときがある。照れ屋なのか「プレーで表現している」という意識からなのか「自己プロデュース」に対しての意欲が薄い気がする。そのプレーの中に隠されているもの、そしてプレーヤー自身を知りたい。それを聞き出し、正確に伝えていくことが仕事だと思う。
移転3年目、新庄が引退を表明した。交流戦はどこへ行っても「日本ハム戦は良く観客が入る」と言われた。移転の「導入部」は成功した。その大きな要因でもある新庄が去っていく。日本ハムにとって「新庄後」という時期が近づいてくる。取材する自分も新しいシーズンに備えなければいけない。ただリスペクトすることだけで良いのか、批判するときも紋切り型になってはいないか-。ヨレヨレになった自分のスーツ姿を鏡で見て、そう思い返した。
June 27, 2006 10:38 AM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (0)
2006年06月23日
最低限のマナーはやはり必要:高山通史
甲子園。日本中の数ある球場の中でただ1つだけ「聖地」という、枕ことばを使うことがされる偉大な球場だ。少なくとも私は、そう思っている。新庄の同球場でラストゲームになる可能性が高い、19日阪神戦の試合前。はらわたが煮えくり返るようなシーンに出くわした。
試合前練習で、新庄よりもひと際、目立っていた一団がいた。「関係者パス」を着けた20代前半と思われる若い女性2人だった。ともに丈が短い、ノースリーブの肌をあらわにしたワンピース風のスカートでベンチに腰掛けていた。時には黄色い笑い声を上げ、はしゃいでいた。しかも何と日傘まで差していた…。ほかに一緒に同行していた若い男性数人も、携帯電話で写真を撮るなど大はしゃぎ。少なくとも記者の周囲は、あ然としていた。
日本ハムのある球団幹部のご子息が招待した、ご一行だ。あえてそのご子息を「彼」と呼ばせてもらうが、その「彼」は20歳を超えた立派な大人だ。球場へ招待することは決して悪いとは思わない。だが球場へ来るには最低限のマナーがある。しかも、これから試合が始まるという時にだ。
プロ野球選手、しかも彼が遠からず関係する日本ハムの選手たちの「戦場」、「職場」なのだから。
すでに開門されており、そのシーンを目にしたスタンドの来場者が「何、あの人たち?」と指をさして話している声も耳にした。選手や「本当」の球団関係者が座るべきベンチを、いつまでも占拠していた。しかもその女性の1人は、新庄のレプリカユニホームの上着を着ていた。下はスカートのままで…。揚げ句の果てには大切な試合前の練習を終えた新庄を呼び止め、ベンチ裏で写真撮影をせがんでいた。いくら関係者とはいえ、そんな「特権」があっていいわけはない。
だが、その女性たちの「罪」を一方的に責めるわけにはいかない。連れてきた「彼」は前回の甲子園での阪神戦でも同じ女性たちを連れ、練習見学に来ていた。その時以外にも何度か球場で見掛けたことがある。責任は「彼」によるところが大きい。その「彼」はしっかりと球場、しかも試合前に来る時の最低限のマナーを知っているべきだからだ。その同行者たちへ事前に、あるべき姿、行動を伝えるべきだと思う。そうすれば少なからず、そのような格好と振る舞いではなかったはずだと思うからだ。
本拠地移転前年の03年秋、私は初めて日本ハムでプロ野球担当の記者になった。他社も含めて、先輩記者たちからは取材時は「最低限、襟付きのシャツを必ず着用すること」などという服装、また「先発投手の登板日の試合前練習の取材に配慮すること」などルールを教えられた。時には厳しく、プロ野球界について教えられた。
だが、その時には「彼」に対して注意を与える、ほかの球団関係者はいなかった。みんな見ていたのに、黙っていた。残念なのは、いつも紳士的なヒルマン監督が笑顔で、以前から面識がある、その女性たちへ自ら歩み寄って記念撮影をしていたことだ。メジャーをテレビでしか知らないが、本場アメリカでは許されるのか。だが、監督も日本球界で4年目のはずだ。過去にそのようなシーンはあったのか。自分がこれから戦おうとする時に…、少なからず失望してしまった。
私は立場的に「彼」に注意できる分際ではない、と思う。だが、我々にとっても「職場」だ。しかも私自身が幼少時からずっとあこがれていた、甲子園での出来事だから、なおさら怒りが込み上げたのかもしれない。あの「聖地」のグラウンドレベルで感じる、あの伝統の浜風に、ミニスカートが揺られてはいけない。銀傘は似合うが、絶対に日傘は似合わない。グラウンドレベルに立つ、しかも試合前に来る資格はない。
伝統を重んじてきた阪神担当の先輩、ベテラン記者もその光景に驚いていた。「彼」は周囲から突き刺さるように飛んでいた視線を、敏感に感じていたのか。私が取材していて感じる「彼」の父は繊細でエネルギッシュで行動的で、存在感のある球団幹部だ。その遺伝子を受け継ぐ「彼」は今回、いろいろと感じていてほしい。次回、グラウンドで再会できる時を楽しみにしたい。変わっていることを願って…。遠からず、球界に携わっている、簡単に「関係者パス」が何枚ももらえる1人の人間なのだから分かるはずだ。
June 23, 2006 11:01 AM 投稿者:高山通史 | トラックバック (2)
2006年06月20日
同学年の立石投手の活躍が刺激になる:上野耕太郎
立石投手には頭が下がる思いだ。投手陣最年長の36歳が、今季初登板のヤクルト戦で要所を締めた。
今季は背中を痛めて、開幕から2軍暮らし。今季初先発に「厳しいだろうな」との感想を持っていた。いい意味で、予想を覆された。5回を4安打1失点に抑える好投。勝ち星こそつかなかったが、見事な内容だった。
個人的な話になってしまうが、同学年の立石投手の活躍が刺激になる。プロと運動不足のおじさんとを比較しても何だが。ちょっと階段を駆け上っただけで息が切れ、筋肉痛になってしまう自分を思うと、そのすごさを感じる。140キロ以上を投げ、マウンドでのいでたちには、ベテラン特有の「おっさん臭さ」がない。
ただし、会話の端々で「枯れた」魅力を感じる時がある。グラウンドではまったく笑顔を見せない選手だが、一歩外に出ると表情が一転する。腰が低く、気さくで笑顔が絶えない。そして周囲への気配りが、さりげない。同じ年の私にも、敬語は絶対に崩さない。
日刊スポーツのカレーの連載で協力をして頂いたが、店の人へのサービスも忘れない。「一番おいしいときに食べないと、調理してくれた人に失礼ですから」と、汗を拭きながらカレーを黙々と食べる。その姿を店員さんは、うれしそうに見守っている。その光景を見ながら、人の機微が分かる「大人」を感じた。
チームが苦しいときに先発、中継ぎにフル稼働し、涼しい顔をしている。自分を大きく見せようとか、ほめられたいとか、そんな子供じみたところが、一切ない。チームの切り札的な存在。社会人として、また家庭人として-。淡々として味のあるそんな36歳に、少し嫉妬(しっと)したりする。
June 20, 2006 11:10 AM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (0)
2006年06月16日
人気の球団マスコットB・Bはすごいんです:高山通史
さて、突然ですが「なぞなぞ」です。日本ハムで1番ハードに毎日、練習している人は誰でしょう? そんな投げ掛けをされたら、私が真っ先に名前を挙げる「人」がいます。それは人気の球団マスコットのB・Bです。この人? いや、この愛らしいクマはすごいんです。
ホームゲームの試合前、選手が昼食または夕食を食べているころ、ロッカールームの裏など人目につかないところで、バック宙を何度も何度も繰り返しています。その前にはもちろん、入念なウオーミングアップを欠かしていません。グラウンドで出番がない冬場には、連日のようにイベントに出演。しかもパフォーマンスが低下しないため、毎日の筋トレも欠かしていないと、近い関係者が話していました。
今年は公式戦の合間を縫って、旅を続けています。目的は、札幌ドームの試合中に放映されている映像企画「212物語」の撮影のため。現在は市町村合併で180市町村になりましたが、04年の本拠地移転時の北海道内の全212市町村をすべて訪れ、撮影してくるというもの。ちなみに交流戦明けは23日音威子府村→24日羽幌町→25日剣淵町→26日深川市→27日苫前町と、5日連続ロケという強行軍です。
最近は試合後に、時には徹夜になることもありながら、球場で居残りの編集作業を行っています。試合中、たったわずか5分ほどのために、ここまでかける執念がすごい。労力に対する効果を度外視しても、ファンを喜ばせるためのこだわる強い意志がなければ続きません。その姿を担当3年目になり、ややマンネリ化した自分の姿と重ね合わせて見ると…。人間的に? 見習わなければいけないと深刻に悩む、今日このごろです。
June 16, 2006 12:01 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2006年06月13日
札幌ドームの集客プランを考えてみた:上野耕太郎
新庄が札幌ドームを満員にしようとさまざまなアイデアを画策している。その努力には頭が下がる思いだ。球団も次から次へと集客のプランを出している。午後7時半以降には割引になる「730チケット」もその1つ。最初に始めたのは日本ハムだが、その後各球団が採用し、球界の盟主、巨人も実施することが決まった。
引退宣言通り、新庄がチームを去れば集客の面で不安も残る。現在、交流戦期間中だがビジターでの日本ハム戦は人気が高い。中日との9日からの3連戦でも土日の試合は大入り袋が振る舞われたほどだ。小笠原もFA権を取得。チームの顔が一気に流出してしまう可能性もある。
心配ばかりもしていられない。じゃあ、お前さんも考えなさいよ、と言われてしまうだろう。もし、何の制約も、お金の制限もなく変えられるのであれば…。個人的に言うなら駐車場なのかなぁと思う。北海道は車文化ですからね。球場横に巨大立体駐車場を建ててしまうなんてどうでしょうね。サッカー用の引き込み芝があって、難しいんでしょうけど。東京ドームのように球場側はレジャーランドにするとか、1度で2度、いやいや3度おいしいという状況が理想。球場に来ることでの「お得感」がほしい。
スポーツ文化がドームのある羊ケ丘から発進されるような感じになれば、最高だと思う。日本ハムが移転した。新庄がその序章を奏でた。「新庄後」は何を求め、何を生み出すのか。球団や行政からの「お達し」を待っているばかりではいけないと。新庄の満員への戦いを見て、自分も何かをしなければと、思ったりした。
June 13, 2006 11:22 PM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (1)
2006年06月09日
絶景だった超満員の札幌ドーム:高山通史
6日阪神戦。新庄が札幌ドームの屋根から落下してきた。観衆は実数発表以後、最多の4万3473人。その光景を見た新庄も、きっと壮観な絶景だっただろう。新庄は翌日、OBの八木裕氏に「上しか見ていなかった。上から見ていたら、もう…」と明かすほどの高所恐怖症だが、ぎっしりと埋まったスタンドは見えていたはずでしょう。
バックネット裏上部にある記者席から見る、その光景もすごかった。本拠地を北海道へ移転したのを機に、担当になって3年目で初めての経験だった。3月25日楽天との札幌ドームでは初の開幕戦も4万2393人だったが、その時は土曜日。阪神戦は火曜日で、条件を加味すれば異様な状況だったと思います。いつも、こんなスタンドなら、仕事にも気合が入る(断じて、普段は入っていないわけではありません…)というものです。
この2戦は、球団指定の満員化計画の該当試合。いわば「狙って」、しかも新庄パフォーマンスがあることを告知し「仕込んで」の大動員です。来年は新庄がいなくなったら…、果たしてどうなるのか。きっと、このような状況になっていることがなかったのではないかと思います。翌7日は2万7831人。これもウイークデーにしては堂々の数字。だが個人的にはちょっと拍子抜けしたというのが本音です。
しかもその翌7日の始球式には、試合の協賛会社の要職者の男性がマウンドにいました。その投球が捕手までノーバウンドで届き、どよめきが起きていました。だがなぜ、この人(この方には罪がありませんが…)がと、思わずにはいられません。来年は球団が生まれ変わった年から支えてきた新庄にある程度、頼ってきた動員法が変わります。黙っていても、新庄見たさに球場へ通っていたファンが少なからず離れていくでしょう。
セでは巨人の東京ドーム、阪神の甲子園、パではソフトバンクの福岡ドーム、ロッテの千葉マリンと、個人的に素晴らしい雰囲気を持つ球場があります。札幌ドームも成功のモデルケースとして、いろいろな球団の手本になっていると聞きます。新庄の数々のパフォーマンスは1度限り。だが今後ずっと続く、球団の「パフォーマンス」がどうなるのか注目していきたい。
June 9, 2006 10:39 AM 投稿者:高山通史 | トラックバック (0)
2006年06月06日
投手陣の完全崩壊:上野耕太郎
連鎖反応という言葉通りの展開に目が点になった。
このコラムは6月5日に書いている。明日からは阪神戦がスタートするが、ちょっと心配だ。
チームの屋台骨を支えていた投手陣がこの5試合、完全に崩壊してしまった。きっかけは5月30日の巨人戦。4点差をリードしながら7回にまさかの9失点。勢いに乗った巨人打線を、それまで絶対的な安定感を誇っていた武田久ですら止めることができなかった。ここから、連夜の逆転負け。巨人は息を吹き返し、防御率2点台を誇ってきた日本ハムの投手陣の快進撃が止まった。
投手陣の好調のピークが疲れなどにより落ちてきたのは確か。それ以上に気になるのはマウンドでの「表情」だ。
良い時期には、選手全体は自信に満ちあふれていた。鼻が上を向いているとでもいうのか。堂々とした態度だったが、そのムードが失われつつある。
昨年も失速した交流戦、5連敗で正念場を迎える。ただし試練の時は序盤にもあった。ソフトバンク・ズレータからの暴行で金村が離脱していた時期、江尻、ダルビッシュ、橋本、八木、リーの先発ローテで戦った。この5人の昨年までの通算勝ち星はわずか19勝。同様に武田久、マイケルの勝利の方程式も昨季までの成績は合わせて6勝3セーブだ。実績では他球団にかなわない。逆に失うものがないという勢いが混戦のパ・リーグを演出した。
前半の踏ん張りを無にしないためにも、「バブル」で終わらせてはいけない。ここで持ち直すことができれば、近い将来、投手王国が見えてくる。この1週間の戦い方は、これからの数年を左右するような気がして仕方がない。
June 6, 2006 10:32 AM 投稿者:上野耕太郎 | トラックバック (0)
2006年06月02日
「サムライ・ブルー」な小笠原:高山通史
6月。日本中は今、W杯サッカー一色に染まっている。プロ野球の存在感が、ちょっとだけ薄くなっている今日このごろ。「サムライ・ブルー」のジーコ・ジャパンが注目の的だが、日本ハムにも実は1人、その称号にふさわしい人がいる。小笠原道大選手だ。
それぞれトレードカラーを持つ選手が多く、新庄選手は言わずと知れた「赤」。「侍」の愛称を持つ小笠原選手は「青」がお気に入りだ。打撃練習で使用するマスコットバットにスパイク、ウオーミングアップ用の汗出しシャツ…。ほぼすべての用具にワンポイントで「青」を使っている。しかも鯨をモチーフにしたイラストが施してある。
99年オフから同名の小笠原諸島の観光親善大使を務めている。周辺の海域を回遊する「ザトウクジラ」をウオッチングの名所。それで鯨というわけだ。同選手本人の言質を取ろうと、いろいろと聞いても多くを語ってはくれないが、関係者や先輩記者らの話を総合すると、海の「青」から由来するもののようだ。
ただ先日、ちょっとした「事件」が起きた。先月15日にFA権を取得。オフには残留、米も含めた移籍か、ちょっとした騒動になることは必至だ。すでにどうなるのか動向が気になるところ。そんな折、某OBから爆弾発言が飛び出したのだ。青いバットを指さして「それ(中日)ドラゴンズ・カラーやないか」。その時、小笠原選手は苦笑し、うつむき、言葉に詰まっていた。しかも何も返答せずに無言で…。
さらに周りにいた私も含めた記者はもちろん、あ然。私事だが今オフ、すでに引退を発表した新庄選手の去就とともに、超要マークの懸案事項が同選手の動向。ただの「サムライ・ブルー」で済んでくれれば、少しは仕事が楽なのだが。W杯ムードの中、あの青いユニホームを見ると、ふと連想するのはなぜか小笠原選手(ちなみにMF小笠原満男ではない)。サッカーに集中し切れない、精神的にブルーな日々はまだまだ続く。
June 2, 2006 12:21 PM 投稿者:高山通史 | トラックバック (1)
