2007年03月12日

ひちょりの原点「神宮球場」:高山通史

 いろいろな意味での原点で、開幕への思いを強くしていました。12日、雨天中止になったヤクルト戦。室内練習場を出て神宮球場の外周を歩きながら、ひちょりを取材しました。「懐かしいですね。高校の時、ここで試合をしていましたから」。東京出身、帝京時代は甲子園出場への最終関門、プロ入りへのきっかけにもなったのが、この球場。長い、長い14泊15日、関西~四国~関西と渡り歩いた遠征を終え、ようやく総仕上げの関東遠征に突入しました。ひちょりの気持ちを高ぶらせる、聖地が神宮。いろいろな思いを語ってくれました。

 「あの時。見ていてくれましたか?」。感慨深そうな表情で切り出した、何げない一言から神宮への思い入れが伝わってきました。昨年7月のオールスター第1戦。監督推薦で初選出されました。引退を決めていた新庄氏と最初で最後の晴れ舞台。試合前のイベントで頭部を緑色にペイントし、触角のような物を2本着けて登場したのです。「ピッコロ大魔王」にふんし、一気に注目の的に。全国のファンへ、日本ハムに、ひちょりあり-を印象づけた、第1歩がこの神宮だったのです。

 翌日の宮崎の第2戦では本塁打&ホームスチールを決め、またもカッパに見えるようなドーナツ型のカツラをかぶりプレー、パフォーマンスを敢行。そして、さらにダメ押しが、オールスター明けの後半戦初戦の楽天戦。プロ初のサヨナラ打を放ち、一気に大ブレークをするきっかけにしたのです。「あのサヨナラヒットが大きかった。『森本って何をするんだろう』って、みんなに思ってもらえたと思うから」。自らプロ野球人生のポイント、分岐点ともいえる経験をしたのが、この神宮からだったのです。

 日本ハムは98年、ドラフト4位で当時遊撃手だった、ひちょりを指名しました。松坂世代の中では、それほど目立つ存在ではありませんでした。でもなぜ、指名に踏み切ったのか。当時の担当スカウトの1人、山田シニアディレクターに聞いたことがあります。

 主将を務めていた高校3年時のある練習を視察にいったそうです。同校グラウンドに隣接する病院の屋上から性格分析などのために、練習以外の行動をチェックしたそうです。すると誰よりも、後輩よりも早く練習場へ来て、たった1人で黙々と水をグラウンドへまいていたそうです。全員が練習しやすいようにと一生懸命に周囲へ尽くす、そんな献身的な姿を見たことが、指名を決意した1つの理由だったそうです。

 昨季も、そういえばそうだったと思います。後継者に期待した新庄氏に応えようと、一生懸命に勇気を振り絞って数々のパフォーマンスをしていたように思えます。自分のため-という思いと同時に、そちらへ向いている気持ちも大きかったのだろうと個人的に推測します。でも、今年は違う。たった1人で、ファン、チームのために行動をしなければいけない立場にいます。チームリーダー候補の1人です。パフォーマンスがすべてではありませんが、プレーでも、ひちょりのオリジナリティーを発揮することができるのか。ポスト新庄とされてはいますが、ひちょりの個性を生かしていくには「脱・新庄」も今季のテーマの1つになってくると思います。

 春満開が近い東京、原点の神宮で聞いた「今、勝手にテンションが上がっています」という言葉。開幕後にその高ぶっている思いを、どのように形にしていくのか。また新しい原点を、どこかで見つけてくれたらと期待をしています。

March 12, 2007 12:57 PM 投稿者:高山通史

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