2007年07月25日

菊地、北京でマサ直伝スクリューだ:益田一弘

 サッカーの日本代表が、アジア杯で準決勝に進出した。21日のオーストラリア戦ではGK川口がPK戦で2本も止めた。中国で開催された04年の同杯でも同様の活躍を見せた。猛烈なブーイングの中で、鬼神のような存在感。日本代表にとって中国は「完全アウエー」だった。そんな過酷な状況でのプレーを心待ちにする選手が中日にもいる。

 大学・社会人ドラフト3巡目菊地正法投手(22=東邦ガス)が、中国・北京で8月18日から6日間にわたって開催される「プレ五輪」の日本代表1次候補選手30人に選ばれている。プレ五輪は、08年の本大会に向けて大会運営や施設の状態をチェックする予行演習的なもの。シーズン中のためにファームの若手や大学生が中心。菊地は「最初は驚きました。マネジャーから『パスポートあるか?』って聞かれて。海外には行ったことがないから初めて申請しました」と笑った。

 初の海外遠征、しかも開催地ではアウエーの洗礼が待つ。それでも22歳は「ヤジやブーイングに負けないようにしたい。まあ中国語はわからないので、気にならないでしょ。言葉の勉強もしないようにしますよ。野球をやりにいくわけだから」と受け流した。社会人の三菱自動車岡崎では野球部の活動自粛を経験。先の見えない中で自主練習を続け、東邦ガス移籍からプロにたどりついた苦労人だけに、肝が据わっている。

 技巧派のルーキー左腕は、緩急と制球で勝負する投球で「山本昌2世」を目指している。北京での勝負球は、マサ直伝のスクリューと決めている。「逃げるボールで勝負したい。ただ選考に受かることが先決です」。1次候補選手の30人は8月8日から神戸での直前合宿で24人に絞り込まれる予定。サバイバルを果たし、中国での経験を大きな財産にするつもりだ。

July 25, 2007 10:15 PM 投稿者:益田一弘

2007年07月13日

オレ竜の鉄人・井端誕生の瞬間:伊藤馨一

 継続は力なり。言うや易く行うは難しという典型的な言葉だろう。1日のヤクルト戦(秋田)でそんな記録が1つ達成された。中日井端が500試合連続出場を達成した。中日では809試合連続出場の球団記録を持つ江藤慎一以来、2人目の記録だった。故障はもちろん、極度の不振などがあっても達成不可能。記念の花束など、派手な祝福はなかったが、プロ野球選手として誇れる記録だ。

 04年4月から続く記録。これまで何度も危機はあった。直近では5月13日の巨人戦。9回の攻撃で二ゴロに倒れた後に左ひざを抱えて倒れ込んだ。試合後は関係者に背負われるなど、重症ムードが漂った。だが、次戦となる15日のヤクルト戦に先発出場してヒーローになった。「井端はこっちが心配になるくらいに(出場に)執念を燃やしているね」。ある関係者はあきれたようにこう話した。

 そんな「執念」について井端はこう話す。「苦労してつかんだレギュラーですからね。そんな簡単に休むなんてできないですよ」。97年ドラフト5位入団。1位は川上だった。左ひざ手術歴などがあった小柄な大卒野手への期待はそれほど大きいとはいえなかった。1年目の9月に1軍昇格を果たしたが、リーグ優勝した2年目の99年は1軍出場ゼロ…。そうして迎えた00年が最初の転機だった。

 「あの年はダメなら辞めるくらいの覚悟で、壊れてもいいからやってやろうと思っていました」と井端は振り返る。シーズン後半に遊撃に定着。規定打席不足ながら92試合に出場し打率3割6厘をマーク。プロ野球選手としての礎を築いた年のオフに、当時の星野監督にこう言われたという。「(試合に)全部出て初めてレギュラーだ」。その言葉を胸に、井端は翌01年には全試合出場を果たした。

 試合に出場する厳しさを知り、レギュラーを不動のものにした井端だが02、03年は故障などで全試合出場することはできなかった。そうして迎えた03年の秋に第2の転機が訪れる。落合監督が就任して初めての秋季キャンプ。志願参加の井端に落合監督はこう話したという。「骨が折れたりしない限り使うから」。わずか数秒のやり取りだったが、心に響いた。オレ竜が誇る鉄人誕生の瞬間だった。

 もちろん、コンディションには細心の注意を払っている。「何をしないといけないかは分かっています」とケアの方法論も確立している。だが、それ以上に大きいのは自分の置かれている立場を受け入れ、向上心を持ち続けてきたことだろう。心技体のども欠かせないが、あえていえば心の部分が大きかったと思う。井端は次の目標を「1000試合です」と話す。11日現在507試合連続出場中。単純計算で2010年にこの言葉が実現する。

July 13, 2007 07:02 PM 投稿者:伊藤馨一

2007年07月10日

李が変身、変化恐れず「オレ流」に:益田一弘

 郷に入りては郷に従え。中日の新外国人李炳圭外野手(32=韓国LG)が、変身した。覇気のない“緩慢プレー”と揶揄(やゆ)された守備が劇的に変化した。「韓国最高の打者」が、周囲をあ然とさせる全力プレーを繰り返している。

 6月30日ヤクルト戦。李が初回、いきなりダイビングキャッチを試みた。およそ打球には届かない距離だったが、185センチ、82キロの巨体で飛んだ。4回の福川の本塁打でもフェンスをよじ登ってグラブを伸ばした。打球はスタンドインしたが、プレースタイルの変化を予感させた。

 チャージを繰り返す姿は、すぐに実を結んだ。7月3日広島戦。7回に右中間の打球を地面スレスレでダイビングキャッチ。ベンチからは「おいおい、初めてじゃないか」という驚きの声ももれたという。1死後にも浅いフライを猛ダッシュで前進して再びダイブ。2度の好プレーで岡本を救った。翌5日広島戦では走者として三本間で挟まれたが、粘りに粘って最後は本塁にヘッドスライディング。タッチアウトだったが、生き残ろうとする姿はまるで若手選手のようだった。

 きっかけは6月6日の2軍落ちだった。首脳陣から「緩慢プレーの撲滅」を要望された。韓国担当の田承桓(チョン・スンファン)広報によると、李は外野手として「確実なプレー」をモットーにしているという。外野手のミスは傷口が大きくなるだけに、まずは打球を後逸しないことが最優先。李にとって自分のプレースタイルは「緩慢」ではなく「確実」のはずだった。開幕わずか2カ月で韓国で10年間培った流儀を曲げることを求められ、従った形だ。

 だが李は、変化することを恐れなかった。「チームのスタイルもあるし、首脳陣に求められるプレーを理解したのでそれをやっている。これを続けていきたい」。「守り勝つ」落合野球を担う上では、まだ中堅手としてホームへの返球など物足りない部分もある。だが母国で積み上げたものを放棄し、新しい野球に挑戦する。その姿は多少ぎごちなくても、尊い。【益田一弘】

July 10, 2007 09:24 PM 投稿者:益田一弘

2007年07月04日

夏場にこそ必要、渡辺の「一芸」:伊藤馨一

 「スーパーサブ」は、控え選手であって、控え選手ではない。中日では勝負どころの最後の一手として、試合の終盤に投入される。12球団屈指の投手力、守備力を生かした「1点を守り切る」先行逃げ切りの落合野球ではある意味、大砲よりも存在価値は大きいといえるかもしれない。オレ竜ではスーパーサブ査定なるもので他の控え選手と差別化している。新たな「レギュラーポジション」といってもいいかもしれない。

 中日では渡辺、英智がそうだった。逃げ切りを狙っってウッズに代えて一塁に渡辺、外野に英智を入れて守備固めをするのが、ここ3年間のオーソドックスな試合の進め方だった。落合監督就任初年度の04年には鉄ぺきの守備で優勝に貢献したことが認められて控え選手としては異例となるゴールデングラブを受賞している。とかく「脇役」とされがちな守備固め要員の2人だが、守り勝つ落合中日の象徴的な存在でもある。

 だが、今年は異変が起きている。チームが交流戦を戦い終えた翌日の6月25日、渡辺が出場選手登録を抹消された。ここまでの今季成績は34試合に出場、15打数2安打、打率1割3分3厘だった。26日、ナゴヤ球場で行われた2軍の練習に合流したベテランは、フリー打撃の後、約200球のロングティーを行うなど、炎天下で精力的に汗を流した。「呼んでもらえるように頑張るだけです」。そう話す表情は真剣そのものだ。

 その裏にはチーム状況の変化があった。2月の沖縄キャンプで中村紀がテスト入団。これにより昨年三塁の定位置を獲得した森野が左翼に回った。99~02、04年の5度のゴールデングラブ獲得の実績からも分かるように、豪快な打撃だけでなく、中村紀の三塁守備には定評がある。さらに左翼を守る森野は一塁も守ることができる。そして左翼に英智を入れれば、攻撃力の低下を最小限に抑えて守りを固められることになる。

 プロは実力の世界。結果を残さなければ生き残っていけないとよく言われる。そんな世界で渡辺は、守備力という「一芸」を武器に今年5月にはプロ12年目でFA権を取得した。1度も規定打席に到達した経験がない選手による異例の権利取得でもあった。勝負どころの夏場では99、04、06年と3度の優勝を知るベテランの経験は、チームにとっても大きな力となるはず。ナゴヤ球場からの巻き返しに期待したい。

July 4, 2007 03:10 PM 投稿者:伊藤馨一