2007年04月21日

佑ちゃんの快投見た憲伸の大学デビュー戦:伊藤馨一

 4月14日、ハンカチ王子こと早大・斎藤佑樹投手が早大の新人では史上初の開幕投手を務め、東大を相手に6回を1安打無失点の好投で、デビュー戦白星を飾った。6大学リーグの新人の開幕投手は77年ぶり、勝利投手は80年ぶりだった。昨夏の甲子園優勝投手の歴史的デビューを違った思いで見ていた投手がいた。それが中日川上だった。

 川上 斎藤君と同じ世代の選手は(楽天田中を筆頭に)今年、プロでもそこそこやっているし、もし(斎藤が)直接プロにきていたとしてもそこそこはできたでしょう。ただ、いきなりいい結果を出せたというのは大したもんですよね。

 川上の言葉の裏には自らの苦いデビュー戦の記憶があった。94年4月17日。徳島商から明大に入学したばかりの18歳は東大2回戦でリリーフ登板。いきなり東大北村に本塁打を浴びるなど2回2安打1失点のホロ苦デビューとなった。前年夏の甲子園で8強入りを果たし、名門・明大で1年春からベンチ入りした「エリート」にとってはショッキングな1発だった。

 川上 正直、鼻っ柱をヘシ折られたというか…。大学のレベルを思い知らされました。東大はハマッたら抑えられますけど、1つ間違えばやられる。いい勉強になりました。

 いきなりの晴れ舞台で、川上はマウンドの怖さを身をもって思い起こさせられた。そんな悔しい思いを原点にその後、エースとして大学通算28勝を挙げた。東大戦で喫したまさかの1発が、川上の常に打者に向かっていく、ピンチでも逃げないという投球スタイルに少なからず影響を及ぼしたことは間違いないだろう。

 12日の阪神戦で相手投手のボーグルソンにまさかの1発を浴びるなど7回3失点で負け投手となった川上は、試合後にこう語気を強めた。「油断したわけじゃない。投手は打者に対していつも必死に投げているんです!」。19日には打球を右ひざ付近に受けて降板。大事を取って20日に登録抹消となった。苦難の道のりが続いているが、心の部分は変わっていない。今後の復調に期待したい。

April 21, 2007 03:10 PM 投稿者:伊藤馨一

2007年04月14日

甲子園ざわめかせたルーキー浅尾の速球:益田一弘

 速い。浅尾の直球が速い。今季初の阪神戦となった10日。大学・社会人ドラフト3巡目浅尾拓也投手(22=日本福祉大)が、プロ初登板のマウンドに立った。7回の3番シーツから始まる阪神の中軸が相手。スタンドは4万8455人の虎ファンが埋め尽くす。ルーキーには厳しい場面だ。

 プロ初球はストレート。いきなり自己最速タイの152キロを記録した。スライダーを1球挟み、150キロを2球。最後は変化球で中飛。続くは4番金本。浅尾が「プロで対戦してみたい」と名前を挙げていた相手。直球は2度の152キロと151キロを計測した。結果は四球だったが、ルーキーの快速球に甲子園がざわめいた。

 速さは人をひきつける。他競技でもそうだ。五輪の花形は陸上男子100メートル。世界一速い男の称号はその優勝者に与えられる。サッカーでも「野人」と呼ばれる浦和FW岡野は全盛期に、ただボールを蹴って走る、シンプルな動作と圧倒的な走力でDFを置き去りにして観客を熱くした。大相撲の朝青龍は小柄な部類に入るが、抜群の俊敏さで、200キロ超のハワイ出身力士を次々と撃破。横綱に昇進で巨漢力士優位と言われた角界に一石を投じた。ボクシングでも往年の辰吉は、相手が反応できないほど回転の速い連打で観客を熱狂させた。

 初登板翌日。浅尾は「いつかは155キロを出したいです」と目を輝かせて言った。無名だったアマ時代と違って、プロで体系的な指導を受ければ、球速がアップする可能性は十分ある。速さには魔力がある。絶対的なスピードは、技術と経験を凌駕(りょうが)する。まだ新人で改善点も多いが、イケメン速球王のストレートには、お金を払って見にいく価値がある。

April 14, 2007 09:50 PM 投稿者:益田一弘

2007年04月07日

現役時代と変わらぬ川相コーチのスタンス:鈴木忠平

 「71・KAWAI」-。2ケタになった背番号が初々しかった。3月30日、開幕戦(対ヤクルト・ナゴヤドーム)、中日の川相昌弘内野守備走塁コーチ(42)が第2の野球人生を歩み始めた。

 動く-。これが川相コーチのモットーだという。

 「選手にどのタイミングで、何を言うか。いくつも注意しても聞いていないこともある。ミスをなくすために最低限の確認事項だけを選手の頭に残るように伝えないといけない。難しいよ。でもすべては経験だから、とにかくまずは自分が思うように動いてみようと思っている」。

 3月17日、日本ハムとのオープン戦(札幌)から一塁ベースコーチに立った。攻撃時は相手バッテリーと走者に、守備時は内野陣の位置に神経をとがらせる。声をかけ、身振り手振りで伝える。トイレに行くのも、水を飲む暇もないほどだった。

 おだやかな外見とは裏腹に現役時代から熱く、激しかった。巨人を自由契約となり、中日に移籍した04年の沖縄キャンプでインタビューを申し込んだ。冒頭から巨人退団のいきさつを聞いた。質問するうちに顔色が変わってきた。

 「そんなこともう話したくないんだよ! なんで過去のことばっかり振り返ろうとするんだ! オレはこれから先のことを考えたいんだ!」

 ものすごい剣幕に驚いた。ただ、そこから自らの信念を熱く話し始めた。

 「世の中にたくさんの人間がいて、プロ野球選手になれるなんてすごいことなんだ。だからプライドとか関係ない。どの球団でも行くし、年下でもすごい選手がいたら教えてもらおうと思うし、若いやつに負けないようにノックを受けて足を動かすようにする」

 少しでも長く野球をやるために動く。「ジイ」という愛称の40歳はまるで少年のような表情だった。

 コーチとして迎えた開幕戦、2-3と逆転された直後の8回に中村紀が同点二塁打を放つと一塁ベースから二塁へ走った。肩をたたき、声をかけた。くるりと振り向くと今度は一塁ベンチへ走った。

 「あれはノリに代走が出るかどうかを(ベンチで)確認したんだ。次の回の守備のこともあったから」。

 背中の番号は重くなってもスタンスは現役時代と変わっていなかった。

April 7, 2007 12:39 PM 投稿者:鈴木忠平