2007年02月24日

「うまく抜く」本能で知る堂上直:鈴木忠平

 今キャンプの不思議の1つに高校生ドラフト1巡目・堂上直のバッティングがある。初めてのシート打撃を行なった11日、3安打デビューした。さらに初めての練習試合となった16日の韓国SK戦では途中出場で2安打した。大物ルーキーもキャンプ中盤までは目立たず存在感が薄くなっていた。その矢先に輝きを放ち始めた。

 ドラフト指名を受けた直後、堂上直を愛工大名電の合宿所で取材したことがある。1番の武器は何か? と質問した。その答えが「勝負強さです。大事な時、ここが勝負という時に打てるというところが自分のいいところだと思います」だった。プロもチャンスでは足がすくむという。そこで打てるか、打てないか。人生を左右するその勝負に堂上直はプロ入り前から自信を見せていた。

 なぜ、実戦形式になると打てるのか? ある関係者はずばりこう言った。「試合がない日のバッティングと、試合前のバッティングでは内容が全然違う。集中力の配分を知っているんでしょう。でも、さぼっているという意味ではない。一生懸命やっているんです。たぶん本能的なものだと思うんです」。

 本紙紙面でも紹介したが堂上直のメニューはハードだ。連日の特打、特守に加えて落合監督に2時間近くノックでしぼられることもある。手のマメがつぶれて練習を途中でやめたことはある。ただ新人8選手中4人が1度は故障で別メニュー調整となったのに対して堂上直は1度も通常メニューから外れることはなかった。

 プロの世界には「うまく(手を)抜け」という言葉がある。いつも全力ではパンクする。いつどこで最大限の集中力を発揮すればいいのか。それをかぎわけなければ自分を守れないし、ベストのパフォーマンスも見せられない。父と兄がプロ野球選手という環境で育った堂上直には、すでに「どうやってメシを食っていくか」が身についているのかもしれない。

February 24, 2007 04:17 PM 投稿者:鈴木忠平

2007年02月13日

キャンプ1年目に見た、鉄腕岩瀬の非凡さ:伊藤馨一

 キャンプが始って10日あまりが過ぎた。2月は、今年1年を左右するといってもいい大切な時間だ。特に新人選手にとっては、技術はもちろん意識の面でもプロのレベルの高さへの驚きはあるだろうし、初めての環境への戸惑いもあるだろう。またアマチュア時代とは違う役割を求められたりすることも出てくる。その対応を含めてチームに溶け込んでいくことが大切になってくる。

 そんな中で一番印象に残っているのが99年。岩瀬の1年目のキャンプだ。同期のドラフト1位福留に周囲の注目が集まる中、大学、社会人を経てドラフト2位(逆指名)で入団した細身の左腕は地に足がついていた。ブルペンで投げた宝刀のスライダーは当時の星野監督をして「えげつない曲がり方をしよる」と言わしめた。そんな声にも一喜一憂することなく、シーズンへの準備を進めていた。

 象徴的だった言葉はこれだ。「自分なりに(プロでの)イメージがあるんです。初勝利のことも頭では思い描いていますよ」。驚いた。即戦力の触れ込みで逆指名で入団した左腕も、高校、大学、社会人時代を通じて全国的には無名。当時はスカウトも「社会人で急激に伸びた。素材は素晴らしいものがある」という評価。そんな中、岩瀬はチームでの自分の居場所を中継ぎだと考えていたのだ。

 現在でこそ「あれは(当時の監督の)星野さんに『今年(1年目)はリリーフで頑張ってくれ。来年は先発をやらせるから』って言われたからですよ」と笑い話にしている。だが本音は別だった。「短いイニングでバーッと全力でいくのが性に合っていたのかな。この仕事だったから、ここまで来られたのかもしれない」。プロでの成功のカギは1年目のキャンプでの中継ぎとの「出会い」だった。

 「この世界(プロ野球)で生きていくために、何をすればいいかを常に考えていくのがプロ」。落合監督の口癖だ。いわば岩瀬はそれを実践していたわけだ。8年連続50試合以上登板や史上初の2年連続40セーブ、さらに400試合以上登板での通算防御率1点台など、奇跡的な数字を打ち立ててきた左腕の原点は1年目のキャンプだった。日本球界屈指の鉄腕の非凡さを改めて感じている。

February 13, 2007 06:33 PM 投稿者:伊藤馨一

2007年02月03日

41歳山本昌、憧れの「全日本」:益田一弘

 「全日本」という言葉に、新鮮な驚きを受けた。星野ジャパン誕生から一夜明けた1月26日。山本昌が、ナゴヤ球場でたった1人の自主トレを行った。その帰り際に08年北京五輪について聞いた。「日本代表に興味はありますか?」。

 山本昌は来年は43歳になっている。現実的に北京のマウンドに立つことは困難ではある。だがプロの選手には強烈なプライドがなければ、毎日を戦っていけない。山本昌の口からあふれ出た言葉は、こちらの予想以上に情熱的だった。

 「招集されれば、応じますよ。1度は全日本のユニホームを着たいという憧れはある」。

 日本代表でもジャパンでもなく、全日本。まだ五輪もメジャーも身近でなかった83年に中日に入団して、プロ24年目を迎えるベテラン左腕の年輪を感じさせる言葉だった。それとは裏腹に、まるで子どものようなに純粋なあこがれが無邪気な口調ににじみ出ていた。

 その姿に、サッカー担当時代に取材した横浜FCのFWカズを思い出した。カズも「現役である限りは代表のユニホームは夢」といまでも口にする。神戸時代の04年11月。当時、日本代表を率いたジーコ監督が「代表の功労者」としてカズの招集を計画した。神戸は金びょうぶを並べた会見場を準備したが、現役代表選手らの反対もあって見送られた。それでもカズは「可能性が少ないのはわかっている。でももう1度行きたい」と公言している。どんなに困難でも最後の代表入りが現役生活を続けるモチベーションになっている。

 山本昌は「まあ冗談ですけどね」とも口にしたが、その顔は真剣だった。200勝まであと9勝に迫ったプロ中のプロが、日の丸に特別な感情を抱いている。自身の全盛期で五輪のプロ参加が認められなかった90年代への郷愁もあるかもしれない。41歳が口にした素朴なあこがれにハッとさせられた。

February 3, 2007 03:26 PM 投稿者:益田一弘