2006年10月15日
福留が背中の「1」に込める思い:鈴木忠平
福留の背中にある「1」-。それはただの背番号ではない。この3年間、見続けてきてわかった。リーグ最高のバットマンへの成長を支えた「福留流哲学」の象徴なのだ。
今年3月、WBC日本代表でイチローに出会った。アリゾナ州フェニックスの球場で、ロサンゼルスの焼肉店で、天才が野球論を語った。多くの選手があこがれの表情で聞き入っていた。福留もいた。ただ聞きながら心の中でつぶやいた。
「やっぱりすごいな。でも…、こういう話を聞いて参考になるって思っているようじゃ、オレ、まだまだだめだ!」。
7月には右ひざを痛めて戦線離脱した。2軍で治療に専念した17日間、福留の自宅にある40インチの大型テレビに、野球中継が映し出されることはついになかった。じつは04年、落合中日が西武と激闘を演じた日本シリーズ7試合も福留は見ていない。左手人指し指骨折で出場できない間、チームの勝利を祈りながらもテレビのチャンネルを合わせることはなかった。画面の前に座ってもあえて他の番組を見た。
福留 野球はテレビで見たくない。オレはテレビを見ながら『そこ違うよっ』って言っている人間ではない!って思っている。オレはあそこの中でプレーしている人間なんだ。見る側じゃない。やっている側の人間なんだよ。
故障した時、ナゴヤ球場でリハビリをしていると、あこがれの視線で若手が集まってくる。そんな時、福留はこう言う。
「おまえたち、先輩から教えてもらうのはいい。でもその反面、悔しいと思ってやれよ。教えてくれるっていうことは『おまえにこれを教えても、オレは負けないよ』って言われているのと一緒なんだぞ!」。
18年前、宮崎・串間キャンプで見た立浪にあこがれて中日に入団した。ただ同じプロのグラウンドに立った瞬間、夢を他人からもらうことをやめた。
福留 小さいころは立浪さんとかにあこがれて、すごいなと思ってこの世界に入った。でもプロになっても、すごいなと思ってたら情けなくないか? 消えるボールが投げられる。10割打てるならすごいと思うかもしれない。でも三振することも、エラーすることもある。オレと同じことをするんだから、すごいと思うことはないんじゃない? オレはそう思うし、これからもそうやっていくよ。
オンリー・ワンでありたいという反骨心とプライド。それを背番号「1」に込めて戦ってきた。
October 15, 2006 04:29 PM 投稿者:鈴木忠平
2006年10月11日
「落合節」の意図、本人に直撃:伊藤馨一
「お前ら(報道陣)には関係ない」。
「分かろうとするな」。
「お前らには分からないよ」。
落合語録としてはポピュラーなフレーズだ。特に逆転負けを喫した後などにはたびたび登場してきている。報道陣=背後にいるファンを無視したかのような言葉。就任から3年間、内部情報の漏えいに最大限の配慮をするなど秘密主義を貫いてきただけに、どういう意図でこういう発言をしているのか。それを落合監督にぶつけてみると、こんな答えがかえってきた。
落合監督 だって試合が終わった直後なんだから。まずオレの頭の中がグチャグチャになって混乱しているし、興奮状態になっているんだよ。オレ自身がそんな状態で分からないのに、マスコミにうまく言えるわけがないだろう。だから、ああ言うしかないだろう。伝えようにも、誰にもわからないことなんだから。秘密にしないといけないとかそんなんじゃない。
どんな時でも冷静沈着。ピンチの時にも、それを薄ら笑いの中に包み込んで決して本心を表に出すことがないのがオレ流。だが、その裏では落合監督の頭の中が混乱、興奮状態に陥っていたということらしい。つまり、動揺を悟られないための手段が冒頭の発言に結びついていたということだ。それを裏付けることができる材料として、確かに大逆転負けや作戦失敗など、想定外の事態が起きた時に、そういった発言が出たことが多かったことを思い出した。
今年はそんな落合節がほとんどなくなった。唯一、あったのが8月20日に巨人戦の連勝が11でストップした試合後に発した「一生忘れられない試合。自分に腹が立つ。詮索するなよ…」という言葉だろう。
0-2の5回無死満塁で打席に入る佐藤充に耳打ち。それを受け、バントの構えをしたまま見逃して三振に倒れた。佐藤充は「見たままです」とだけしか語らなかったが、スクイズを匂わせることで内海をかく乱する狙いがあった。が、結果は最悪だった。この試合に敗れたことを境に、順風だったVロードに逆風が吹き始めたが、それでも今年のチームには想定外の出来事が少なかったということだろう。
昨年、初めての交流戦で15勝21敗と大敗。V逸の原因となったように、落合中日にはでたとこ勝負に弱いという弱点はある。それでも、弱点を克服してゴールをトップで駆け抜けた。
October 11, 2006 01:58 PM 投稿者:伊藤馨一
