2006年09月19日

大記録消したミス、実は大記録アシスト:鈴木忠平

 山本昌、ノーヒットノーラン-。史上最年長の快挙が生まれた16日阪神戦(ナゴヤドーム)から一夜明けた17日、各紙にはこぶしを突き上げるベテラン左腕と、そこにうれしそうに駆け寄るナインたちの写真が。しかし、待てよ。写真の隅に複雑な表情の選手が1人…。森野だった。4回に失策。結果的に完全試合を消してしまったのだ。

 「僕に聞かないで下さいよ…」。試合後はバツが悪そうにコメントして球場を後にした森野は、翌日のナゴヤドームでも元気がなかった。打撃不振ということもあって、練習中からまったく笑顔は見られなかった。だが、傷心の本人とは裏腹に山本昌も、野手陣も実は“感謝”していたのだ。眉間にしわを寄せ、深刻な表情で練習する森野のかたわらで、こんなやりとりがあった。
 川相 (バント練習場に来た山本昌に)おっ、ノーヒッターだ! マサにミラクルですね~。
 山本昌 やめてくださいよ。でも、森野は元気なかったな。気にしなくていいのに…。
 川相 まあ、あれであいつも絶対忘れられない選手になったんじゃない。OB会のたびに『あの時、おまえが…』って言われるんだろうな~。
 山本昌 ははは…。でもあれは4回だったし、全然記録なんて意識してない時だからいいんですよ。むしろあれがあったからできたと思う。まあ、8回とかにやっていたらとんでもないけど…。
 荒木 そうですよね。僕だって8回くらいに内心で『森野、よくやった』って思っていましたもん。
 回が進むたびに投手も、そして野手にもプレッシャーがかかっていく。そういえば快挙達成の直後、一塁ベンチでは福留がベンチにもたれてぐったりしていた。「疲れた~」。息を大きく吐き出すと目をしばしばさせていた。
 ノーヒットノーランでさえ、そうなのだ。まして1つの四球も、エラーも犯せない完全試合となれば重圧は計り知れない。四球を恐れるあまり制球が甘くなってノーヒットノーランまで失った投手もいる。大記録を消した1つのミスが、もう1つの大記録をアシストした-。選手たちの話を聞いていると、そう思えなくもない。

September 19, 2006 01:35 PM 投稿者:鈴木忠平

2006年09月12日

「10・8」知る川相が感じるVへの手応え:伊藤馨一

 8月20日を境にした中日の失速と、阪神の追い上げで伝説となった「世紀の1戦」がクローズアップされてきた。「10・8」。94年にナゴヤ球場で行われた中日対巨人だ。勝った方が優勝という究極の試合。当時の巨人長嶋監督は「国民的行事」といい、落合監督は「本当の天王山というのはああいう試合のことをいうんだ」と話した。今年に置き換えれば当時の巨人が中日で当時の中日が阪神という図式が成り立つ。

 94年の巨人と同じように中日も8月中盤にマジックを点灯させて、独走状態に入ってから失速している。これがあの伝説の1戦を思い返させる条件となっている。だが、それに反論したのは当時、巨人の不動のレギュラーだった川相だ。「外からは同じように見えるかもしれないけど、あの時とは全然違うよ。今のウチ(中日)の方が全然上だと思う。心配いらないんじゃない」。その理由は、打線の力の違いだという。

 「当時の巨人はとにかく打てなかったからね。勝つ時には1-0とか2-1とか接戦ばっかりだった。ピッチャー(斎藤、槙原、桑田)がよかったから、何とか勝てていた。一昨年(04年)のウチみたいなチームだったんじゃないかな」。松井、中日からFA移籍の落合らタレント集団に見えたが、内野の要だった川相は「守り」のチームだと見ていた。打てない焦りからチーム全体が守りの気持ちになり連敗地獄にはまり込んでしまったというのだ。

 川相の「安心理論」は、現在のチーム状況が上向いているという手ごたえもあっての発言だ。現在は登録抹消され、メンタルアドバイザーとしてチームに帯同しているが上昇を感じたプレーがあったという。それが9日の1回、1死一塁で福留の浅い右前打で荒木が一気に三塁を陥れた走塁。「悪い時っていうのはみんな消極的になる。それでどんどんハマっていくんだけど、あれで吹っ切れた」。その試合で辛勝したチームは10日に圧勝。約半月ぶりの連勝を飾っている。

 「油断はできないけど、これからはここ3週間みたいなことはないと思うよ。みんながこれまでやってきたことを思い出しているからね」。プロで24年間生きてきた経験者として、ゴールへの手ごたえを感じ取った。最後に川相に「94年はどういう年だったのか」と聞くと、こういう答えが返ってきた。「いい経験かもしれないけど、ああいうのは、できればもう経験したくはないね」。そこには体験した人間でないと分からない苦悩が詰まっていた。

September 12, 2006 01:30 PM 投稿者:伊藤馨一

2006年09月05日

球児の速球打ち砕いたオレ竜野球の気骨:鈴木忠平

 オレ竜が藤川を打った。8月30日阪神戦(甲子園)1点ビハインドの9回裏2死走者なし。井上が152キロの“火の玉ボール”をバックスクリーン右へたたきこんだ。

 「速い球を打つにはそれなりの前段階がある。準備ってものがあるんだよ。それに『わかっているのに当たらない』とかよく平気で選手が言うよな! 引退した選手ならまだしも、現役でまだ対戦するんだろう。オレだったら口が裂けても言わない」。

 井上の同点弾を見た時、1カ月前に落合監督がこう言っていたのを思い出して当日の紙面で紹介した。ただ、このオレ流・藤川論にはまだ続きがある。あれは8月上旬、東京-。「では監督なら打てますか?」。その質問にこう答えた。

 落合監督 昔はあれより速いピッチャーはたくさんいたんだ。江川? それだけじゃない。村田兆治なんか、あれより速いストレートにものすごいフォークがあった。それでも打たれていたんだ。今は全体の打撃練習は増えたけど、個別でやることが減ったからな。

 あの投手を打ちたい。あの球を打ちたい。個と個のぶつかりあいだった昔のプロ野球。特にパ・リーグではそんな練習が当たり前だったのだろう。ロッテ落合が、阪急山田のシンカーを狙い打ったように。ただ組織と組織の色合いが強くなった現代では特定の個人にしぼった練習は少ない。それを落合監督は「技術の問題」と言ったのだろう。そしてもう1つ-。

 落合監督 昔はスポーツができるやつはみんな野球をやったんだ。今はサッカーとか、陸上とか、他のスポーツにもいくだろう。その影響もあるんじゃないか。

 現代のプロ野球選手の運動能力は低下しているのではないか? いつしか打撃論は、スポーツ論に発展していた。

 野球が変化し、スポーツが多様化し、相手の力を潔く認めることが美徳とされる時代になった。それでもオレ竜は藤川を打った。井上は阪神ファンの「あと1球!」のコールで魂に火がついたという。いつの時代でも勝負に1番大切なもの。それは落合監督や、井上に象徴される気骨ではないだろうか。

September 5, 2006 01:07 PM 投稿者:鈴木忠平