2006年08月29日
ベテラン山本昌に聞く打撃の「極意?」:伊藤馨一
三塁手、遊撃手が三遊間に寄る。そして浅めに守る外野も左に寄る。山本昌が打席に入った時、相手チームがとる「山本昌シフト」だ。独特のフォームから放たれる打球は、圧倒的に左方向に飛ぶことが多い。相手にとってはダメージの残る打たれ方だろう。28日現在、プロ23年間でここまで130本の安打を積み重ねてきている大ベテランの打撃での「極意?」とは、どんなものか聞いてみた。
一言でいえば、1つの打席を大事にするということだろう。山本昌の打撃に一見、怖さはない。130安打のうち長打は7本の二塁打があるのみ。あとはすべて単打だ。巨人桑田と並んで、現役投手最多の7本塁打を放っているエース川上の破壊力とは対極にある。一方で球団歴代6位の通算犠打130は、現役投手最多。「1つのバントが自分を助けるんですよ」という言葉がそれを表している。
技術的にも、それは表れている。左方向への打球が多いこと、そしてここまでホームランが1本もないことについて、山本昌はこう話す。「どういうボール(球種)がくるのかを最後まで見て振っていますからね」。「山本昌打法」の秘密は、ギリギリまでボールを引きつけて打っていることにあるというのだ。それが通算62四球につながっている。同41の桑田を引き離して現役投手ダントツだ。
山本昌の打撃について、落合監督がかつてこう評したことがあった。「ウチで一番、バントが上手いのはマサだよ」。打撃センスのいい選手は、バントも上手いという持論のオレ流監督にとっても「山本昌打法」は理にかなっているということかもしれない。「ボクは泥臭い投手ですから」が山本昌の自分評。できることをしっかりやるというスタイルは、投げる、打つに共通している。
August 29, 2006 02:42 PM 投稿者:伊藤馨一
2006年08月22日
ブラウン発言に激怒した落合監督の思い:鈴木忠平
優勝へ独走しているオレ竜が「スパイ疑惑」に揺れた。広島ブラウン監督の発言に、落合監督が激怒した一件は、球団間の話し合いで収束した。だが、その裏では“被害者”となった人たちもいた。
8月18日、東京-。騒動が決着した3日後、落合監督は訴えかけるような口調で話し始めた。
「うちの先乗り(スコアラー)はすごく貢献しているよ。もちろん野球をやるのは選手だけど、それだけじゃない。そういう情報もあって初めて勝てるんだ。3年間で先発外したの何回か知っているか? 1回だけだぜ。すごい確率だと思わないか?」。
発言の意図はすぐにわかった。ブラウン監督の主な指摘はグラウンド内での球種伝達だったようだが、中にはスコアラーの情報収集活動まで触れた報道があった。決着した以上、追加批判はしない。だが、同監督はプライドを傷つけられたであろう自軍の“007部隊”を何とか擁護したかったのだ。
落合監督は就任した04年セ・リーグ5球団に担当スコアラーを配置。情報戦のゴングを鳴らした。先発予想に始まり、投手と打者の傾向と対策まで。担当者は対戦成績が悪ければ外された。プレッシャーと戦い、練習開始前から球場に姿を見せるオレ竜007は他球団の関係者、担当記者にも有名だ。そして落合監督の言葉が本当ならば、04年から現時点まで先発予想の的中率は385分の384で、じつに9割9分7厘。まさに驚異的な確率だ。
では、その1回は…。田中監督付スコアラーはこう述懐した。「あの時なあ…。オレが監督のところに謝りにいったんだよ。でも『外れることもあるさ。気にするな』って言ってくれたんだ」。その試合、先発予想が外れた落合中日は敗れた。だが、監督室をノックし、平身低頭でわびるスコアラーを指揮官は責めなかった。それから信頼関係は深まったという。
様々な憶測と、疑惑を呼んだブラウン発言。真偽は定かではない。だが公の場で発言した以上、その証拠を公にすべきではなかったか。自分の仕事を否定された裏方には、疑いを晴らす場は与えられないのだ。
August 22, 2006 01:05 PM 投稿者:鈴木忠平
2006年08月18日
17年目で区切り到達、苦労人・井上の言葉:伊藤馨一
15日の広島戦(広島)で井上が史上411人目の通算1000試合出場を達成した。プロ17年目での区切り到達は、決して早くはない。むしろスロー達成だろう。だが、井上はしみじみとした口調でこう話した。「高校からピッチャーで入団して、途中から野手に転向して…。これで終わりじゃないけど、いろいろあった中での1000試合だから、よくやってきたんじゃないかと思っているよ」。
89年、井上は鹿児島商からドラフト2位で投手として入団。2年目の5月にはプロ初登板を果たすなど順調。だが井上は投手時代をこう振り返る。「野球をやっている感がなかった」。当時の中日は今中、山本昌の全盛期。杉本(現ソフトバンク投手コーチ)らが左腕王国を形成。一若手左腕に簡単にチャンスが回ってくる状況ではなく、1、2軍を往復する生活…。精神的にも疲れ果てていた。
そう思い悩んでいたプロ4年目、94年の開幕直前に最初の転機が訪れた。当時の島谷2軍監督から打者への転向を打診されたのだ。「元々、打つことは好きだったし、今のままでいるよりもいいかと思った」と井上。その年、札幌円山球場で行われたジュニア・オールスターに出場、2本塁打を放ってMVPを獲得するなど頭角を現し、転向は順調なスタートを切った。
そんな井上が本当の意味で自信を得たのは、98年5月の阪神戦だったという。「その時、ずっと打てていなかったけど、中込さんからホームランを打てた。あれから上がっていった。あれがなかったら、今のオレはないかもしれない」。その後、右翼の定位置を獲得し、翌99年にはリーグ優勝に貢献した。17日現在、井上は1001試合に出場しているが816試合が99年以降のもの。プロ生活を左右した大きな1発だった。
そして今季。選手会長に就任したが、試合ではベンチスタートとなることが多くなっている。それでもこう言い切る。「声を出すとかいろいろやることはあるよ。いいムードをつくりたい。いつも試合に出ている時と同じ気持ちだよ」。井上はレギュラーを経験した選手としては最も難しいことを続けている。一転、二転、三転のプロ野球人生で区切りに到達したベテランの言葉には味があった。
August 18, 2006 09:56 AM 投稿者:伊藤馨一
2006年08月08日
鉄人・谷繁の大記録の「礎」とは:鈴木忠平
緑の芝生を蹴る。その一足、一足が、大記録への礎だった-。7月26日、谷繁が捕手として史上4人目となる通算2000試合出場を達成した。「プロに入ってから1度も大きなケガしなかった。だからここまで来れたんだと思う」。その言葉の裏には、プロスポーツの世界で生き残る極意が隠されていた。
試合前、谷繁の姿を探すのは簡単だ。ウォーミングアップが終わると必ず1人で走る。ナゴヤドームなら中堅フェンス付近を。ビジターならば左翼線付近を。他選手が打撃、守備練習に散っていくのをよそに、30メートル前後の短いダッシュを黙々と繰り返す。時間にして約10分。だが、この姿こそ現役最多出場捕手谷繁を象徴しているのだ。
三木トレーニングコーチは谷繁の肉体をこう説明する。「筋肉がやわらかい。だから疲れても、ハードな練習をしても張りにくい。うちに来てから肉離れは1回しかしてないんじゃない?」。年齢とともに故障が増えるのはスポーツ選手の宿命。特に肉離れは典型的だ。谷繁はその宿命に逆らっている。やはり天性なのか? 同コーチは首を振った。「オレはそれだけ長くできるのは意志の力だと思う。あいつ試合前に走ってるでしょう。これと決めたことは調子がよかろうと、悪かろうと必ずやる。そういう意志力がある」。
2000試合を達成した翌日、谷繁は試合前ダッシュの理由をこう説明してくれた。「オレもいろんな選手を見てきた。辞めていく選手は走れなくなっていくんだ。だから、オレは走る。捕手は特に足の前の筋肉ばかり使うんだ。だからバランスを取るために後ろの筋肉を使う短いダッシュをやろうと思った」。そしてこうもつけ加えた。「若いやつがベテランになった時『そういえば谷繁さんがあんなことやっていたな』と思ってくれたら…」-。その日の阪神戦。第1打席の遊撃へのゴロに激走した。内野安打。走れる35歳は、その足で同点のホームを踏み、チームは逆転勝ちした。
天性だけでできるほどプロは甘くない。走るという苦しく、単純なことをいかに続けられるか-。これからも続くだろう谷繁の出場記録にはシンプルだが、最も難しいプロの秘訣が隠されている。そして、これから何人の選手がそれに気づくのだろう。
August 8, 2006 01:27 PM 投稿者:鈴木忠平
