2006年07月14日

主力の離脱、「強制力」必要だったのでは:伊藤馨一

 8日、福留が右ひざ痛で出場選手登録を抹消された。6月25日に本塁上での交錯プレーで右ひざを痛めた後もチームに帯同。調整を続け、6日の巨人戦(東京ドーム)に代打で実戦復帰後は、スタメン復帰へ着実に前進していると思われていただけに寝耳に水の抹消劇だった。そんな中、荒木がポツリともらした言葉が妙に耳に残った。「孝介(福留)もボクと同じ(思い)だったんですかね…」。

 荒木は、今季の開幕直後に右肩を痛め、それをかばってプレーするうちに右わき腹も痛めた。我慢すればプレー可能。それが積み重なった結果5月28日に登録抹消となり、再登録された1日まで約1カ月間の時間を要した。体が動かないわけではないため、選手は復帰へ向けて練習を続ける。そして首脳陣も1軍に帯同させる。試合に出たい選手と出したい首脳陣の思惑が招いた結果だった。

 福留の場合は負傷翌日、6月26日に名古屋市内の病院で行った検査の結果は右ひざ打撲で骨、じん帯には異常は見られなかった。そのため首脳陣は1軍に帯同しながら治療、調整を行う方針を固めた。ウォーキング、打撃練習など順調に進んだと思われていたが、全力疾走できず登録抹消となった。「見切り発車」的に1軍に帯同した結果、好転せず抹消となったのは、荒木と同じだった。

 シーズンを戦う中で選手は大小さまざまな故障を抱えている。レギュラーとして試合に出続けているならなおさらだろう。コンディションが万全でない中で、いかに結果を出していくかが力量ということになる。自分から「無理です」と言う選手はなかなかいない。福留と荒木。ともに我慢強く真面目な選手だけに、今回は首脳陣の「強制力」が早期復帰への特効薬だったのではなかったかと思う。

July 14, 2006 10:30 AM 投稿者:伊藤馨一

2006年07月05日

現役最多出場捕手・谷繁の「勲章」:鈴木忠平

 6月29日、神宮球場-。谷繁が古田を抜いた。通算1986試合目の出場を果たした中日の正捕手に対しヤクルトの選手兼任監督は出場せず、1985試合のまま。「そうなの? 全然知らなかったよ! でも…。すごいことだな」。現役最多出場捕手となった事実は知らなかった。だが知れば感慨は押し寄せてきた。

 ともに90年代を代表する捕手。プロ入りも1年違い(谷繁88年、古田89年)。世間では比べられることも多かった。だが、谷繁は一般的に言う「ライバル」とは少し異なる独特の競争意識を5歳年上の古田に抱いている。

 「そりゃあ、昔は意識した時期もあったよ。でもチーム内での立場が違う。古田さんは2000本も打ってるし、ベストナインも何回も獲ってる。でもそういうのじゃなくて、捕手はやっぱりチームが勝つことだと思う。オレはそれにこだわっている」。

 首位打者を獲得し、クリーンアップを打ち、労組選手会の会長も務めた古田は捕手であると同時に、主砲であり、リーダーだった。それに対して谷繁は「捕手」に徹してきた。純粋にライバル視したこともあったという。だが年齢を重ねるごとに気づいたのだろう。捕手にとっての勲章はチームの勝利であると。

 この日、中日は6-4でヤクルトを下して3連戦を2勝1敗と勝ち越した。谷繁は3試合ともフル出場していた。古田の優勝5回、日本一4回に対して谷繁は優勝2回、日本一1回。これを抜いた時、初めて捕手として勝ったというのか-。そして、そのチャンスは谷繁に十分に残されている。

July 5, 2006 11:07 AM 投稿者:鈴木忠平