浅岡真一 独断流

2007年07月30日

忘れ得ぬ甲子園のドラマ

松山商-三沢の死闘

 また、夏の風物詩の季節近づいてきました。甲子園の全国高校野球大会です。他の高校スポーツでも同様ですが、どんな試合でも多くの方々の思いがこもって素晴らしいプレー、ゲームが展開され、ファンの方々にも感動を与えています。

 大阪本社が発行している関西版、さらに名古屋版では「伝説」というコラムがあり、過去88年間を振り返って名勝負、熱闘を振り返る連載を掲載しています。その第一回が51回大会(1969年)の松山商-三沢の決勝戦で、私が執筆、既に掲載は終わっています。

 年配の方は記憶に残っておられるかもしれませんが、若い方はご存知ないかもしれません。決勝戦は18回で引き分けドロー。決勝戦での再試合は史上初。翌日の再試合で松山商が勝ち、深紅の優勝旗を愛媛に持ち帰りました。

 この死闘だけでもすさまじいゲームですが、それにもまして、この試合ですさまじいヒーローが生まれたのは、高校野球の歴史を塗り替えたことが、鮮烈な思い出として残っています。青森・三沢のエース、太田幸司氏です。

 元祖甲子園アイドルと断言させてもらいます。父・暁(さとる)さんと白系ロシア、母・タマラさんとの間に生まれた美青年。前年夏から3度連続、甲子園大会に出場。もう女学生を中心に人気はうなぎ上り。当時、筆者は大学生でしたが先輩記者から、いろんなエピソードを聞きました。

 大会本部は彼一人をガードするのに苦心惨憺。一方であるデパートの電化製品売り場では1か月弱前のアポロ11号の月面着陸の際の2倍以上の人だかりができ収拾がつかなかったとか。

 逆に、松山商のエース・井上明氏は“仇役”ような役目を背負いました。明大に進学し、現在は朝日新聞大阪本社の野球記者として健筆を振るってられますが名門校の重圧を背負いつつ「東北勢に負けてはならない」と自分を駆り立てたと取材で明かしてました。

 15回裏1死満塁カウント0-3まで追い込まれながら、涙をにじませながら踏ん張り、翌16回の1死満塁を切り抜けたのも、そんな意地からだったのだろうと受け取りました。

 4日間、45回連投した太田氏は“悲劇のヒーロー”として脚光を浴びその後、近鉄にドラフト1位で入団。追っかけは相変わらず。いつかコーちゃんから殿下と愛称が変わり、寮に殺到する追っかけギャルにある先輩が「パチンコに行った」というと藤井寺の前のパチンコ店に女学生が溢れ返り、大混乱したとも聞きました。

 2人のライバルは雌雄を決した瞬間(4-2)涙を流しませんでした。「ああやっと終わったんだなあ」と同じセリフを口にしました。青春のエネルギーをぶつけあった若者同士しか分からない思いなんだなあ、うらやましくもあり、二人にしか分からない絆なんでしょうね。

 太田氏は現在、MBSのコメンテーター。井上氏は「人生最高の思い出」で語りました。ただともにマスコミの仕事をしながら、過去の栄光に執着はしていませんでした。人生かくありたい……と勉強させられる取材、拙筆でした。

July 30, 2007 04:37 PM

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コメント

訂正

白川の関
白河の関でした。

念のため・・・高校野球で優勝できるのは雪の少ない福島以南・・・優勝旗が白河の関を超えるのは何時のことやら・・・と、仙台育英も、東北高校も、達成できなかった長年の夢を、駒大苫小牧があっさりとクリアした時に、高校野球は大きな分岐点をむかえたのかな???
 北国が勝つのは素晴らしいことだけれども、プロとアマチュアが、いっしょの土俵で戦っていては、勝敗に興味はわかないから、必然スターを作って祭り上げでもしないと、興行は成り立たないわなぁ・・・・・。

投稿者 弧愁庵人 : 2007年08月11日 19:46

>38年前は太田選手が率いる三沢が負けたため・・・・
???松山商や、井上投手が勝って悪役になったなんて、初めて聞きました。勝っても、ヒーローとして賞賛されることが少なかったのは事実ですが・・・。

 マスコミは今の野球で記事になるのは誰か?
ということにしか興味は無いのですよ。

ヒーローは別として、悪役まで作り上げるのはどうもねぇ・・・。

三沢高校、太田投手に対して日本中が興奮したのは
雪国のハンディキャップ、東北、北海道勢はまるで歯が立たない現実の中で
「もしかしたら白川の関を越す現実を見るのではないか?」
という、弱いものに肩入れする気持ちが強かったからでしょう。

 関西の留学生が、大雪の中、プロ真っ青のドームの中で猛練習する北国のチームなんて時代では、誰も応援しませんね!

雪国のチームは冬は長靴はいて、まず雪かき・・・・なんてことは、今でも大部分のチームがやっていることなんですけれどもね!

斉藤君が雪かきをしながら長靴姿でグランドに立っている姿を見たとしたならば、僕は永遠のファンになっていたかもしれませんね・・・・・・。


投稿者 弧愁庵人 : 2007年08月11日 19:34

 私は38年前のことを知っているほど大人ではないのですが、私のような若年層にとって一番鮮明に記憶に残る甲子園の死闘といえば、もちろん去年の早実対駒大苫小牧の決勝戦だと思います。結果早稲田実業が勝利を収めましたが、そこで生まれたヒ-ローが言わずと知れた斉藤祐樹です。
 彼は一躍国民的ヒーローになりました。しかし、最近私は彼の周りで起きている不可解な現象に怒りを隠せません。
 最近は、CSなどおかげで、さまざまな野球の試合を見ることができるようになりました。そのCSで、先日の大学野球に春季大会を見てみると、とても不思議なことが起こりました。(確か、法政対立教だったと思います。)なんと、2回あたりから観客がゴソッっと減っていくのです。その現象が起こった理由は、その後明らかになりました。なんと、大学野球連盟が、「早稲田戦以外の試合を10試合見たら早稲田戦のチケットプレゼント」というスタンプカードを配布していたらしいのです!つまり、早稲田戦で斉藤祐樹見るために、見たくもない試合に足を運びスタンプを押してもらったらろくに試合も見ないでとっとと帰るという客がいるということだったのです。これはマスコミが面白おかしく伝えていた「斉藤選手の過剰報道」の中で知りました。
 大学野球連盟やマスコミに聞きたいです。早稲田戦以外を戦っていた選手たちの気持ちはどうなるのでしょう?斉藤選手からヒットを打った選手、または斉藤選手が打たせた凡打をエラーした選手を悪役に仕立てあげてまで、利益を得る理由がどこにあるのでしょう?連盟は大学生が健全に野球を行う場を用意するものであり、そしてマスコミは、大学野球を興行としての野球として、報道していいものなのでしょうか?・・・・と。
 38年前は、太田氏率いる三沢が負けたため、松山商と井上氏が悪役となりました。しかし今回は、斉藤選手があまりにも無難に「栄光の道」を進んでいるため、多くの「やられる悪役」を生み出してしまいました。斉藤選手に課せられた、「罪なき責任」はあまりにも大きい。しかし、それに負けず斉藤選手にはもっと成熟した人間になって欲しいです。(斉藤選手は淡白に振舞っているので、そこがせめてもの救いです。)そしてなにより周りの人間の誠意ある対応を求めたいです。
 
 
 

投稿者 おかだ犬だキュン : 2007年08月11日 00:26

最近は東北の強豪も関西人が多いとかね。
駒大苫小牧も主力は大阪、兵庫の野球留学組。
甲子園に我が子をだしたいが、近畿は無理だから
北に行く。変な逆転現象が起こってるのも事実。

数ヶ月前に話題となった特待生問題とも
重なる事象かもしれないけど。

あと、近隣県の組み合わせって反対やな。
境界に相当する甲信越が反対していたとか。
北から12県ずつA,B,C,Dブロックに分けて
A vs, C, B vs Dとして、B vs. Cの組み合わせを
避ければ解決出来たんじゃあないの?

眠い。寝ますzzzZZZ

投稿者 和田コーチ : 2007年08月06日 03:30

私は岩手生まれで、北奥羽(岩手、青森)代表としての三沢の戦いには、ほとんど伝説に近い想い出を東北人は感じています。

正キャッチャーが故障して「小比類巻」が頑張ったこと、何故あそこでスクイズしなかったのかなど・・・私達、蝦夷地の民は狂喜乱舞したのでした。

あの頃高校野球は、地元住民が心の底から応援した、一大イベントでありました。

街にも、村にも、それ無しでは語れないような、国民的なイベントというような重さがありましたね。

今、それを望むのは無理でしょう。
地域予選だって、頑張ってBEST4目指すのが昔の甲子園くらいかな・・・だって、

フェアじゃないんだもの!

投稿者 弧愁庵人 : 2007年07月30日 17:46

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