浅岡真一 独断流

2007年06月30日

穏やかで眼力優れた方、安らかに

河西元スカウトの死去

 いつかは、この日が来ると思っていました。もう体調に変調をきたして10数年、晩年は車いす生活を余儀なくされ、外出、散歩することもままならなかった。元気かな…と電話をかけたのは半年あまり前、今年に入ってでした。口も耳も正常で「今度、機会を見つけて顔を見にいきますよ」と言うと「あんまり無理せんでエエで」といかにもあの方らしい言葉が返ってきました。

 そして6月25日、腎不全で帰らぬ人に。後輩から連絡を受けて、通夜に行かせてもらいました。ご遺族の配慮もあり、死に顔を拝ませてもらいましたが、享年87歳、やややつれてはいましたが、私の知る安らかな表情はそのままでした。

 河西俊雄さんは名門・明石中から明大を経て、戦後間もなく近畿グレートリンク(南海の前身)に入団。その後阪神に移り、二軍監督などを務め、58年にスカウトに転身。近鉄に新天地を求めたのは確か79年のことでした。

 もうその頃は好々爺の年代。ギラギラした態度はなく、いつもにこやかで激しいスカウト活動に従事しているふうにはとても見えなかった。メン類が好きで餅そば、かやくそばを美味しげに食べていたのは、未だに記憶に残っています。

 もう一つ、好んだのがマージャン。行きつけの麻雀店でパイを握っていたのを見て私は「おっさん、こんなことをしている場合かい!」とつい若気の至りで怒鳴ってしまいました。

 実は前年、ドラフト1位指名したある選手の交渉が難航しており、ベテラン男の手腕が必要だとイレ込んでいたからです。カワさんはこんな失礼な詰問にも「まあ、ええやないか。毎日行ってもすぐに承諾するわけでもないし、担当もおるんやから」と笑顔で答えてくれました。

 ただ、人がいい訳でもありませんでした。阪神時代は江夏、藤田平、掛布、近鉄では野茂、阿波野らの大物を独特の人柄で口説き落としたのですが、その眼力は、見た目の素質豊かな人材以外を発掘したことです。その典型的な例が現オリックス・ヘッドコーチ、大石大二郎です。

 亜大の主力選手として活躍していましたが、身長165センチ程度、プロでは不安視されていましたが、80年ドラフト2位指名を故中島チーフスカウト、西本監督に進言。「足が速いのはもちろんだが、体が筋肉質。大きく化ける可能性があると思った」。

 その眼力はピタリ。82年に新人王を取り、ポスト“世界の福本”として盗塁王4度。実働17年間で1824安打をマーク。一時期の近鉄のスターになった時「よく育ってくれたよ」と目を細めていたことも忘れません。

 スカウト問題で揺れる昨今、気概を胸に秘めながら柔和さを全面に押し出した大正生まれの侍。私にとっても人生の恩師の一人でした。

June 30, 2007 11:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月22日

勇躍する青年ライバルの初夏

マー君と佑ちゃん

 いろんな思いを込めたんでしょう。マー君こと楽天・田中将大投手は甲子園の投手板に手を当てました。20日の阪神戦、先発マウンドに上った18歳のルーキーは投球前に手の平いっぱいに10カ月前のことを思い出していたかもしれません。 

 野球にはドラマ性が溢れているからこそ、多くのファンに支えられているのでしょう。あの昨夏の甲子園大会。早実と駒大苫小牧の決勝戦、延長15回引き分け、翌日も熱闘を展開、最後は早実に凱歌が上がったことは、多くの方の記憶に残っていることでしょう。

 その後、早実のエース、佑ちゃんこと斎藤佑樹投手は早大へ進学。田中は高校生ドラフトで楽天に指名され、プロの道を選択しました。

 マー君が1年目からローテーション入りできるか、活躍できるか、楽天ファンだけでなく、プロ野球ファンは注目していましたが、さすが野村監督の眼力は素晴らしく、即戦力として抜擢しました。

 そして、交流戦というシステムが最高の舞台を用意しました。あの懐かしい甲子園のプレート。ただ、プロの世界は厳しいもの。ドラマは実現しませんでした。2回まで3失点で5回で降板。先に仙台で1点に抑えられた阪神にも意地があったのでしょう。

 5勝目は逃がしたとはいえ、チームトップの勝利数、今やエースと呼んでもいい存在感。球宴のファン投票でもトップ。球界のパ・リーグの活性化にも貢献しています。

 一方の佑ちゃん。大学野球、特に東京六大学の人気復活に多大な効果をもたらせています。彼のスゴさはただ人気があるのではなく実力があることを証明しているからです。

 春季リーグの優勝には原動力の一人となり、6月の第56回全日本大学野球選手権では準決勝、決勝と先発し、ともに勝利投手。同大会の早大33年ぶりの優勝の主役を務め、MVPにも選ばれました。

 余談ながら、決勝戦を急きょテレビ中継(NHK教育)することは前代未聞。関東ならいざしらず、関西のスポーツ紙が東六のヒーローを1面で報じることなど、私の仕事人生の記憶ではなかったことです(現阪神・岡田監督が阪神にドラフト1位指名されたケースとは異なります)。それほどの快挙であったと言えると思っています。

 現状では、斎藤がやや一歩先んじている感がありますが、それはプロとアマの差があり、論じることではないでしょう。ただ、お互いが励みになっているのは間違いないでしょう。

 青少年の暗いニュースが最近は増えてきている中で二人の“心の絆”はうらやましくもあり、何より嬉しいというのが実感です。別に野球でなくてもいいでしょう。他のスポーツでもいい、刺激になるライバルがいることは、一つの財産です。スポーツの素晴らしさを近頃は再認識しています。

June 22, 2007 11:05 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年06月10日

一部が緩和され、やがて夏の大会が…

野球特待生の問題

 4月末のこのコラムで日本高校野球連盟(脇村春夫会長)=以下、高野連=が遂に野球特待生についてメスを入れることを取り上げました。全国4200余の加盟校に対して日本学生野球憲章で禁止されている「野球選手であることを理由としたスポーツ特待生制度」を調査、結果は既にでていますが“違反者”は376校、7971人と判明しました。

 筆者はさもありなん、の感を受けましたが、高野連はその多さにややショックを受けたようです。ただ一方ですぐに緩和策を講じました。経済的な理由で退学や転校せざるを得ない特待生に限り今年は各学校の裁量で支援を認め、5月31日まで対外試合の出場禁止も6月1日から解除。野球部長も同日から復帰を認められました。

 さらに来年以降に関しては、今月下旬までに野球留学を助長するような制度を認めない方向で新基準を設けることを明らかにしました。

 前回に特待生は「完全悪」なんでしょうか…と記し、50件近いコメントをいただきましたが、半分以上が特待生擁護派でした。他のスポーツ紙のアンケート調査でも70%強が完全根絶に反対しています。高体連がそれなりに認めている現状、その差異に疑問を持つ方もいるでしょう。

 この問題を学校、生徒、保護者、高野連が最も納得出来るにはどうしたらいいのでしょうか。筆者は2つ挙げたいと考えます。一つはブローカーの完全排除と日本学生野球憲章の見直しです。

 ブローカーというのは、高校へ斡旋する中学野球、主に硬式のクラブチームの関係者です。かつて経験したことですが、ある大会のネット裏にいると「彼は〇〇高校」「こっちは××高校」と何人もの進路を口にする関係者はいました。15年以上前の夏のこと。この方が謝礼をもらっていたかは定かではないですが、1人の斡旋者であることは確かです。

 ここまで高野連が関与するのは無理でしょう。各学校の自浄作用を待つしかありません。中学、いや小学生から硬式球を握っているのだから、まさに即戦力。野球部にとっては、欲しい人材。ただ、ブローカーに様々の風聞は絶えないし、頼りきっては「教育の一環」とは言えないでしょう。
 そして日本学生野球憲章ですが、制定されたのは1950年。それから57年、社会情勢は大きく変化しています。大学ではスポーツ特待が一部で認められており高野連とはやや“温度差”があります。このあたりは精査していく必要があるでしょう。

 課題を残しながらも、一部で中止が懸念された夏の高校野球大会はもう間もなく開催されることになりました。高野連の軟化、夏の風物詩だけは途絶えさせてはならない、という思いがあったと分析しています。

June 10, 2007 01:11 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月01日

まだまだ巻き返せるぞ阪神

岡田監督に変化と変身が

 5月30日の西武戦で阪神は連敗を4でストップさせました。虎党にとっては、ホッと一息ついたことでしょう。試合は今岡の2ラン、桧山のソロで逆転し、先発・下柳から久保田、藤川の万全リレーで、甲子園球場に久しぶりに六甲おろしがこだましました。

 ゲーム内容は、決して磐石ではありませんでした。4回に一発攻勢が出たものの相変わらずのタイムリー欠乏症。送りバントは2度不成功。投手力に頼る白星でした。

 でも勝ちは勝ち。筆者の経験からして、その試合の中身より、白星を得ることの方がチームに順風をもたらす状況があります。交流戦4カード目にして初めての先勝。これは、チームにいい影響を与えるのではないかと感じ、現に翌日も西武に逆転勝ちしました。

 2回前にこのコラムで書いたのですが、今年から交流戦は2試合ずつ。先手を取られると、選手はプレッシャーを感じるものです。まだ借金は5。その西武戦に先勝されれば、8となっていたのですが、取りあえず危機は脱したと思っています。

 もう一つ、このゲームでヒット・エンド・ランを2度使ったことにも注目しました。結果は実りませんでしたが、岡田戦術に変ぼうの兆しを見ました。本紙の梨田昌孝、木戸克彦氏らほとんどの本紙評論家らが“仕掛け”を提言してきました。一家言を持つ岡田監督のこと、それに触発されたとは考えにくいですが、苦慮した上で攻撃の幅を広げたのでしょう。

 ただ、イバラの道はまだ続きます。矢野大腿痛、ウィリアムスが肩痛で二軍落ち。シーツの不調など、戦力ダウンは明らか。この苦境を脱していくことが、将来の阪神につながっていきます。まず5割復帰、プレーオフ進出の3位以内に入ることを目標にチームのモチベーションにすべきでしょう。

 それにあまり連関しないのですが、岡田監督のゲーム後の記者会見拒否。5月28日、ロッテに連敗した後、担当記者との定例のゲーム後の会見、プレスルームに現れなくなりました。あるスポーツ紙の企画原稿に怒りを覚え、勝敗に関係なく試合前から決めていたとのことです。

 昨季も1試合あり、筆者は「会見は公務」と記しまた。TVのインタビューには応じるが、30、31日もロッカーに無言で帰りました。筆者は特権意識は持ってないつもりで、監督と阪神ファンの“橋渡し役”との思いでやってきました。エンドランを2度もやったのは、どんな意図か、それを伝えるのが仕事だと考えてきました。

 岡田監督なりの言い分はあるでしょうが、トラ番たちはそんな思いを持ち続けています。新聞記者を第一に思う必要はないのです。球場に座れるのは5万人足らず。それより何百倍のファンがいるか。機会があれば監督本人、球団フロントに具申したいと思っていましたが、2日の日本ハム戦後から、会見は再開されました。

June 1, 2007 11:47 AM | コメント (11) | トラックバック (1)