2007年01月30日
ドリームチームで沸いているが…
星野ジャパン
先週の球界は、08年北京五輪の野球が一番の話題になりました。阪神のSD・星野氏が代表監督に内定していたのは既成事実ですが、その参加メンバーを巡って、球界関係者はこぞって全面協力を唱え、1月24日のオーナー会議では、前回のアテネで1球団2人以内であったのを撤廃、どの球団から何人選んででもいいことが決定しました。
オーナー会議で五輪野球の派遣選手が論議されるのは異例のことで、何としても金メダルをと、珍しく?12球団が一体となりました。特に巨人、星野氏が所属する阪神がリーダー格になったのです。世間の野球ファンは喝采を送ったようで、マスコミも大々的に報道しました。星野代表監督は統率力も、厳しさも兼ね備えており、異論はありませんが、ひねくれ者の私としてはどうも釈然としないのです。
まず、第1点は何度かこのコラムで書いてきましたが、五輪は本来、アマチュアの最高峰であるべきだと考えるからです。イチロー選手も同様のことを言っていますが、今回はアマもドリームチームに協力的でした。もともと84年ロス大会から公開競技になり金メダルを獲得。その後、92年、バルセロナから正式競技に。00年のシドニーでプロアマ合同となり04年の長嶋ジャパンは全員プロでした。
そこには金メダル至上主義が昂揚していったからで12年のロンドン大会では競技種目から外され、今回が最後になるかもしれないから、というのが最強チームを作ろうというムードをかきたてました。ある球団トップは「日本が優勝すれば世界にアピールできる」という趣旨のことを語っていましたが、果たしてそうでしょうか。
日本は米国に継ぐ野球大国。そのチームがVしたからといって各国に刺激を与えることは出来ないと思います。それよりかつての吉田義男氏がフランスに渡ったように、地道に各国に指導者を送る方が効果的でないでしょうか。ロンドン大会で外された第一の理由が普及率の低さなのですから。
最後はペナントレースの中断です。継続審議となっていますが、戦力不均衡になるのだから、まず中断されるのは必至。予選突破もまず間違いなく、現在の予定では08年8月6日から代表合宿に入り、13日に北京入り、決勝まで進めば23日まで滞在します。その間20日弱。コンディション調整もあり1カ月弱、中断されると思っています。
その間、日本のプロ野球ファンはゲームはもちろん贔屓(ひいき)の選手のプレーが見られないのです。それでもいいのですか? とファンの方にお聞きしたいですね。さらに、その空白が、プロ野球人気の低下につながらないかと懸念します。その間、甲子園大会はありますが、その“夏の風物詩”だけで、補完できるのでしょうか。
多くの批判が寄せられるのを承知で、私見を書かせてもらいました。
January 30, 2007 11:16 AM | コメント (8) | トラックバック (1)
2007年01月23日
「門戸は開けておく」とはいうけれど…
前川投手の解雇
予想通りの処罰でした。業務上過失傷害と道交法違反の罪で起訴された前川克彦被告(28)が保釈された18日、オリックスは同日夕刻に大阪市内の球団事務所で記者会見を行い、同被告の解雇を発表しました。
かなり大々的に報道されたのでご存知の方が多いと思いますが、もう一度、振り返ってみますと事件が起きたのは新春6日昼過ぎ。大阪ミナミの繁華街で自家用車を運転していた同被告は自転車を運転していた女性をはね、1週間余りのケガを負わせました。
その女性と口論していたとき、府警の機動隊員が現場に駆けつけ、免許証の提示を求めると彼は車に戻り逃走。その際、その隊員がナンバープレートを記憶していたことから、翌未明、同被告の自宅を訪れ、任意同行、大筋で容疑を認めたことから逮捕されたのです。
球団は即座に「無期限謹慎」の処分を発表したのですが、その後、警察の調べによって、02年にスピード違反など累積点数が超過し免許停止になっていたことが判明。さらに隠ぺい工作のため、バンパーの一部を塗料で上塗りしていたことまで発覚しました。
前川投手と言えば、PL時代に甲子園で活躍、96年に近鉄にドラフト1位で入団。3年目に初勝利を挙げ、01年には12勝9敗でリーグ優勝に貢献しました。04年に川尻投手との交換で阪神に移籍、そして06年には相木投手との交換でパ・リーグに復帰。左腕エースと期待されながら、昨季は1勝7敗、今年は本人も復活を期していたでしょう。
この略歴を御覧になってお分かりになるでしょうが、近鉄、阪神時代から無免許で運転していたのです。最近の1軍選手はマイカーで球場への行き帰りするのが常です。ですから今回の事件はいつか起きる可能性があったわけで、オリックスだけではなく、前2球団の管理の甘さを指摘されても仕方ないことでしょう。
30数年前、ある選手が知人の車を運転中に衝突事故を起こした。この時、提示した免許証が同僚のもので無免許が発覚した。球団は無期限謹慎処分にした後、オフに解雇。しかし改悛(かいしゅん)の情が認められ、1年間の空白を経て、他球団でプレーすることが認められた例があります。
罪人にムチ打つことはすべきではないでしょうが、無免許はもちろん、当て逃げの後の逃亡、隠ぺい工作はプロ野球選手という“公人”うんぬんではなく、人間としてのモラルの問題で、かつてのある選手より責は大きいでしょう。
ただ28歳の若者、極悪人のレッテルだけで済ましたくないと思います。「犯すは人の業、許すは神の業」というフレーズが頭をよぎります。このままで人生を棒に振って欲しくない、プロ復帰は無理としても、第2の人生に真摯に向かって欲しいと願うばかりです。
オリックスにも要望したいのは、果たしてどんな更正の手助けをするのか、ということ。例えば、老齢者の介護の補助をするとか、社会奉仕活動は、いろいろあるはずです。球団首脳が言明したのだから、具体的に示す使命があるのではないでしょうか。
January 23, 2007 12:38 PM | コメント (28) | トラックバック (3)
2007年01月16日
少しは手向けの勲章が…
故梶本氏の殿堂入り
享子夫人が通知書を受け取った瞬間、ふとあの棺の中の安らかな顔を思い出した。昨年9月23日に呼吸不全で逝去、25日に最後のお別れをした。来年こそ、と心の中で語りかけながら…。
12日、野球博物館(東京ドーム内)で今年の野球殿堂入り選出者が発表されました。競技者表彰で阪急ひと筋、実働20年で254勝を挙げた故梶本隆夫氏が、特別表彰でアマ野球の永年の指導を続けられてきた松永怜一氏が選ばれ、記者発表が行われました。
私は志願して上京出張、式に出席させていただきました。故梶本氏の享子夫人も御礼の挨拶をされ、その記事は13日付で掲載されましたが、まだまだ書き足りないことがあり、あえて今回のテーマにさせていただきます。
まず競技者委員会のメンバーは野球記者15年以上を経験した313人で構成されています。候補者の詳しいことは省きますが、10人連記で有効投票数の75%を占めれば選出されるシステムになっています。
私はかねてから“灰色のブレーブス”と揶揄(やゆ)される中、米田哲也氏(既に殿堂入り)とともにチームを支えた左腕エースが選出されないのはおかしいと主張してきました。同業者の批判にもなるようですが、挨拶で根来コミッショナーが「遅すぎた」と異例の表現をされたのは胸がすく思いでした。
故人には“正と負の勲章”があります。正は日本初の9連続奪三振(57年7月23日の南海戦)、負は200勝以上投手でただ1敗ですが、負け越し投手。もう一つは66年のシーズン、15連敗を喫したことです。負と記しましたがある意味で正より誇りある勲章です。それだけチームが必要としていたからです。
15連敗の年、享子夫人から逸話を聞きました。連敗が始まってから、服装を替え、愛車を駆る球場への経路をいろいろ変更してみたとか。「最後の頃は着る服も尽き、通る道も無くなってしまったんですよ」と40年前のことを懐かしそうに話されました。
そんな梶本氏がことのほか可愛がっていたのが長女の息子さん田村将人君(小学生6年生)だったそうです。3歳ごろからキャッチボールの相手をし、今も野球に熱中しているとか。内定を聞いた9日、その将人君から「じいじいへ」と祝福のFAXが入り、享子夫人は涙したようです。
その愛孫とは縁が深かったのでしょう。逝去の前日夕、見舞いに訪れ夫人が「ご飯でも食べに行きましょうか」と言うと故人は「オレも一緒に行く」と返したのです。さすがにそれは無理。2人で食事に行き、夫人は寝泊まりしていた病院に帰ってきました。
異変に気付いたのは翌朝。故人が呼吸していないのに気付き看護師に知らせたのですが時、既に遅かった。ただ、手を握ると温かく「あの温もりは一生、忘れません」と。その温かさを五体に秘め、通知書を共有された。先輩、後輩の球界関係者への感謝を何度も繰り返し「本人もこの名誉を何よりも大喜びしているでしょう」と天国の亡き夫の心情を代弁、挨拶をしめくくられた。
January 16, 2007 12:36 PM | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年01月09日
天を以って得るは固く 人を以って得るは脆し
あるコーチの賀状
いつの時もそうですが、特に正月は時の経つのが早く感じます。もう次回の更新には松の内が明けています。私の三が日は酒、いや焼酎浸りでしたが、そんな中で1つの楽しみは、それなりに来た年賀状を読むことでした。年末にもらった喪中のお知らせを哀しむ一方で友人・知人、球界関係者が健康に過ごされているのを確認して何故かホッとさせられます。
余談になりますが、年賀状の販売枚数、投函率は年々減少しているとか。やはりメール時代の影響なのでしょう。それと社内でのやりとりを自粛する企業もあるとか。これも要因としてあるでしょう。
ところで、今年いただいた賀状で目に止まったのが冒頭の見出しに挙げた文言でした。差出人は東北楽天イーグルスの小野和義2軍投手コーチでした。かつて近鉄の左腕エースなどとして活躍、古巣のコーチも務め、オリックスとの合併問題で仙台に新天地を求めたのでした。
なかなか難解な言葉なのでその添え書きを記せば、ご理解できると思います。
「自然栽培と養殖栽培とを比較してみればわかるように、みずから努力して鍛え抜いた人と他人の力を借りて過保護に育てられた人とでは、デキが違う。」
彼は2軍コーチの職務を放棄する気などないはずです。むしろ、手助けは目一杯するが、プロならば自身で創意工夫、節制をして1軍で活躍できるようにするべきだと、彼の哲学を行間紙背に感じました。
東北楽天は1年目の05年、昨季と最下位にあえぎました。ただ勝ち星は9つ増え、チーム防御率も5・67から4・30と大きく飛躍しました。エースと頼む岩隈が故障で大きく出遅れ、1勝2敗。一場、グリン、山村らが奮闘したのですが、岩隈の誤算がありながら、それなりにチームの形態をなしてきたということでしょう。
もちろん、野村監督の手腕、1軍投手コーチの指導力があったからこその数字だと分析できますが、小野コーチも縁の下の力持ちとしてかなり貢献したのではないかと思います。
楽天といえば、あの田中将大投手(駒大苫小牧)という素質あふれる逸材を獲得しました。野村監督がどんな教育方針で臨むか、大いに興味あるところです。いきなり1軍でローテーションに組み入れるのか、じっくり育成するのか、キャンプ、オープン戦次第になりそうですが、もしかしたら2軍スタートになるかもしれません。
その時こそ、小野コーチの指導力、教育方針が問われることになるでしょう。これまで数多くのコーチを見てきて「教えたがり屋」が前に出過ぎて、あたら素質ある若者が志半ばで球界を去っていくのを見てきました。まあ、小野コーチの哲学なら、そんな教育をしないだろうと期待しています。
楽天の投手陣が整備されれば、パ・リーグもさらに活性化されます。2軍コーチの「手助け」を楽しみにしています。
January 9, 2007 03:59 PM | コメント (2) | トラックバック (4)
2007年01月01日
白熱のレースを、元気与える戦いを
今年の初頭に
皆さん、明けましておめでとうございます。今年もこのコラムを担当することになりました。昨年は貴重なご意見、ご批判をいただきありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
さて、いきなり私事で恐縮ですが、昨年暮れの22日、立命大、産業社会学部で、「ゲストスピーカー」として特別講義をさせていただきました。「スポーツ紙の歴史、変遷、そして今後」というテーマで1時間半、直前までかなり緊張していましたが、約40人の聴講生は、それなりに耳を傾けてくれたようですし、そうトチることもなく、終えることができました。
スポーツ紙の誕生は46年3月6日創刊の日刊スポーツ(東京)でした。終戦からわずか7カ月弱も驚きで東京の社史によるとタブロイド判4頁、1部50銭(朝日新聞はブランケット判2頁で15銭)ながら、1万5000部、完売したのです。
1面に発刊の言葉が掲載されていますが、要旨はスポーツをもっと大衆が楽しめるようにしていきたい、という論調でした。
その後、各スポーツ紙が発刊されるようになり、東京の日刊も経営者が交代、わが大阪も「オールスポーツ」(50年1月20日)でスタート、苦境の時代を経て57年に「大阪日刊スポーツ」と改題されました。
まあ、時代の世相、景気に左右されながら、今日に至っていますが、先記の発刊の言葉は原点だと思っています。読んで元気が出る、勇気が湧く、さらにギャンブルでは的確な情報を提供するなど、喜怒哀楽に溢れる紙面が読者の共感を得るものでしょう。
長々と私事を綴りましたが、今年のスポーツ界はさらに大衆に楽しんでもらえるようであって欲しいと願っています。野球ではイチロー、松井秀、松坂、井川らのメジャーでの活躍を望みたいですね。
国内では激しいペナントレースの展開です。今年から両リーグで「クライマックス・シリーズ」としてプレーオフ制が導入されることになりました。果たして、これがファンに受け入れられかどうか、私の最大の関心事です。2位と3位の球団が3試合制で戦い、勝者が1位と5試合制で、その覇者が相手リーグの勝者と7試合制で日本一を争うシステムです。
昨季のパは日本ハム、ソフトバンク、西武が終盤までデッドヒートを繰り広げましたが、セは優勝・中日と阪神が3・5ゲーム差、3位ヤクルトとは10差ありました。一昨年にさかのぼればV阪神と中日が10差、横浜とは17差でした。野球は何が起きるか分からないし、短期決戦ではなおのことです。一昨年、同制度で横浜が1位になっていたら、どんな反響があったでしょうか。
さらにリーグ1位に1勝のアドバンテージなしと決まりましたから、番狂わせが起きる可能性は一段と高まりました。
異論は大いにありますが、既に決定事項。両リーグとも白熱の試合を続け、ダンゴレースになることを願うばかりです。ファンあってのプロ野球。楽しく、明るい灯を世にともして欲しいですね。
January 1, 2007 11:36 AM | コメント (2) | トラックバック (0)
