浅岡真一 独断流

2006年08月25日

県外流出は「悪」なのか…

高校野球の原点

 今夏の甲子園は沸きに沸きました。第88回全国高校野球選手権大会。決勝戦の再試合がその極め付けでしたが、1回戦から熱闘が相次ぎ、劇的な逆転勝ちも多く、近年になく素晴らしい大会になり、高校野球の新しい1ページを作る17日間になりました。

 ところで、今大会開幕前の5日、日本高野連からあるデータの集計が発表されました。いわゆる「野球留学」の実態調査の結果で、まず地方大会に参加した4112校で選手登録したのは7万6374人、このうち約4%にあたる3096人が県外選手でした。

 県外選手とは、通学する高校の所在地と異なる都道府県の中学出身者のことでその内訳となると、大阪が409人と最多で次の兵庫が128、さらに神奈川91、東京82、京都62と続いています。一方で0だったのは秋田、富山、鳥取、島根の4県でした。

 これは、かなりの推測ですがトップ5に近畿が入っているのは、野球少年が多いこともさることながら、ヤングリーグ、ボーイズリーグなど硬式野球経験者が多く、関東ではリトルリーグ、いずれも小学生のころから硬式になじんでいていることが大きいと思っています。

 流入の方は愛媛の73がトップで、以下東京、山形、島根と発表されました。この調査は昨年10月に次いで2度目で、日本高野連によると、ほぼ同じ傾向が出たとのことです。

 こういう調査が行われるようになったきっかけは、ここ10年近く、いわゆる“県外軍団”が何校か全国大会に出場、活躍することが増えてきて、世間で話題になってきたからでしょう。前述したように硬式経験者が多ければ“促成栽培”がしやすくチーム作りはスムーズにいくメリットはあるでしょう。

 さて、この県外流失は果たして非難されるべきでしょうか。正直言って、私は結論を出しかねています。日本高野連の田名部参事は「今後もできるだけ(調査の)結果をオープンにし、一定の抑止力に期待したい」と語り、肯定的な態度を示してはいません。ただ「進学の自由」は誰にでもあり、これを裁くことはできません。

 例えば自分が保護者で、子供が他府県で野球をしたいと願い出れば簡単にノーとは言えません。ある高校から熱心な勧誘がきた場合にも、その学校の教育、指導内容が優れていたら、にべもなく断れないでしょう。ただ地元の球児たちには決して歓迎されないケースも出てきます。

 今夏の全国大会、49代表のうち、18人のベンチ入りメンバーがすべて県内選手だったのは18校。3分の1強を占めていました。この中にはベスト4に進出した鹿児島工も含まれています。初陣での大健闘にすがすがしさを感じられた方も多かったのではないでしょうか。

 約0・4%の流出選手と3分の1強の“純粋地元軍団”。今大会の盛り上がりとともに、胸に去来するものがいろいろとありました。

August 25, 2006 12:22 PM | コメント (12) | トラックバック (14)

2006年08月18日

1試合ずつ全力を、ファンのためにも

苦境の阪神

 中日と思わぬ大差がついてしまいました。直接対決で7連敗。敗因はいろいろとあるでしょうが、中日の手堅い作戦、戦術と投攻守が上回っていたことはいなめないでしょう。でも終わったことを悔いていても仕方がありません。再度、出直すしかないのです。

 大多数の評論家、マスコミ、野球ファンはもはや逆転Vは絶望的だと思われているようです。私もその思いは強いのですが、一方で奇跡が起こり得る可能性も残されていると考えているのです。

 いくつかの根拠(こじつけ?)を挙げてみましょう。まず、中日がこのままの勢いでゴールインするとは限らないという点です。実際、昨年のドラゴンズは交流戦で大失速、開幕ダッシュの貯金を使い果たし、阪神の猛追撃が実った例があるのです。

 さらに、試合数の消化の差です。8月17日現在で中日の方が6試合多く多く残しています。一般的な見方では今の好調ぶりから有利な要素とされていますが、これは“両刃の剣”。負け数が増える危険性も含まれているのです。特に主力にケガ、故障が出た場合には(決して望んでいるわけではないですが)産みの苦しみを味わうことになってきます。

 逆に阪神にはプラス材料が出てきます。藤川、久保田の強力救援陣がこのコラム掲載中に復帰しているはずです。ウィリアムズを含めたJFKの揃い踏みは今季初めて。先行→逃げ切りのタイガースのパターンの態勢が整うわけです。

 そして何よりも選手のモチベーション。それは15日からの準地元(京セラドーム)に戻ってきた選手たちのプレーぶりを見て、痛感しました。1000試合連続イニングを2打点で達成した金本が、サヨナラ打を放った浜中が「我々は諦めていない」と断言し、他の選手からも同じ思いが伝わってきました。

 「一縷の望み」の縷(る)とは細糸を意味するらしいのですが、軍団が細いと思っていないの、は頼もしい限りです。さらにトラ党は「五縷」、「十縷」だと信じていると感じました。それには中日の勝ち負けを気にせず、目の前の1試合ずつに全力を尽くすしかないでしょう。

 先の京セラドームは前売り完売。月末の巨人、中日戦もほぼ完売と聞いています。かつてのトラ番時代、夏場から“秋風”が吹いていた時代があったことからすれば隔世の感があり、チーム全体が感謝の気持ちを心に秘めていることも、実感しています。

 今年のスローガンは「BE THE BEST FOR THE FAN」です。もちろん、プロだから自分の技量を最大限発揮することが第一ですが、その後押しをしてくれるのが、今や日本一と言っていい阪神ファンだと思っているのです。

 取りあえずは月末の6連戦、特に対中日3連戦には“聖地の魔力”をフルに味方にして五縷、七縷にしてもらうことに期待したいものです。

August 18, 2006 11:52 AM | コメント (4) | トラックバック (12)

2006年08月11日

良識保って持ち帰りを…

甲子園の土

 今年も“夏の祭典”で、熱戦が繰り広げられています。全国高校野球選手権大会。各都道府県の代表が集い、頂点を目指した戦いが連日、行われています。勝っては喜び、負けたら肩を落とし、涙を流す若者がほとんどです。そして、甲子園を去る“最後のセレモニー”が、グラウンドの土を持ち帰ることです。主にスパイクシューズのバッグにかき入れ、青春の思い出として故郷に戻るのです。

 いつの頃からこのようなセレモニーが始まったのか、不勉強で申し訳ないのですが、球児たちの行動を見るたびに思い起こすことがあります。それは今から48年前のことです。

 1958年の第40回記念大会、まだ本土復帰がなっていなかった沖縄から首里高校が初めて参加しました。その頃はやはりレベルの差があり、初戦で敗退。選手は各自、甲子園の土をバッグに詰め、航路で帰途につきました。しかし当時は米国の統制下にあった沖縄、検疫に引っ掛かり那覇港の海の下に捨て去られてしまいました。

 当時、私はまだ小学生。とはいえ、新聞などでかなり報じられたので、記憶に残っています。首里の選手たちは無念やろな…と幼心に思ったものです。

 ところが、この悲劇には後日談があったのです。首里の選手たちの悲嘆を知ったある日本航空のスチュワーデス(現キャビンアテンダント)さんが、土に替わるものとして「甲子園の石」を桐の箱に包み、当時の主将にプレゼントしたのです。選手にとってはかなりの心の救いになったことでしょう。

 そんな思い出をもちながら、今夏の大会、本紙の田口真一郎記者のコラム(関西版)に目が止まりました。「甲子園の土はお土産じゃない…」との見出しで書かれたその記事の骨子は、大会前の甲子園練習で室内練習場付近に置かれていた補充用の黒土をある監督が持ち帰るように指示しました。これには阪神園芸の職員、関係者も怒り、あきれ果てたということです。

 ちなみに、甲子園の土は日本一とプロ野球選手の誰もが認めるところ。これまでいろいろ改良が加えられてきましたが、現在は国内の黒土と中国福建省の白砂を輸入し、これをブレンドしているのです。しかも時節の雨量と日差しを考慮し春には砂を多めに、夏には黒土を多めに調合しているのです。

 グラウンドキーパーたちが丹精込めた土。しかも、それは阪神園芸の所有物でもあります。負けた選手が持ち帰るのはあくまでもサービスであって、球児たちへの思いやりなのです。それを勘違いして、補充用を持って帰れと言うなんて指導者と言えないでしょう。野球を教えるだけで十分だなんて、高校野球ではあってはならないことです。

 奇しくも今夏の選手宣誓、三重・中村主将は「『ありがとう』の気持ちを白球に込め…」と感謝の気持ちを堂々、宣言しました。その感謝は甲子園、阪神園芸にも向けられるべきでしょう。さらに言えば、かつての首里高校選手の無念さもかみしめて欲しいものです。

August 11, 2006 10:59 AM | コメント (0) | トラックバック (13)

2006年08月04日

ゲーム後の会見は監督の公務では…

岡田監督の拒否

 まさかと思いましたが、やはり試合前の“宣言”通りでした。

 7月30日のヤクルト戦、阪神は終盤、藤川が3イニングを熱投、12回時間切れ引き分けに終わりました。ゲーム後、岡田監督は追いすがるトラ番記者に「しゃあない」とひと言だけ残しそのままロッカーに消えてしまいました。

 通常、甲子園でゲームが行われる時は勝っても負けてもプレスルームに監督は姿を現し、取材陣の質問に答えることになっています(勝利時はその前にテレビのインタビューに応じます)。もう30年以上も続いている慣例のようなものです。

 ところが、この日は試合前から「今日はしゃべらんで」と語り、その考えを貫いたわけです。

 怒りの原因は、当日のあるスポーツ紙に「岡田よ、落合を見習え」と1面にデカデカと見出しが躍ったことです。原稿の内容はスタンドの声を集め、中日の監督のさい配に見習うべきところがある、というコメントなどを集めたものです。

 私が読んでも、原稿そのものは大して過激ではなかったのですが、見出しが岡田監督の逆鱗(げきりん)に触れ、その1社だけを排除して会見をしたら、騒ぎが大きくなるからいわば「連帯責任」をトラ番全体に科したということになります。
 就任3年目で初めての拒否、私は残念でならないのです。何よりもタイミングが悪過ぎました。長期ロードへ旅立つ最後の試合、スタンドも満員になり、テレビで長時間、見ていたファンも多かったことでしょう。そういう方々へ、8月の巻き返しの意欲、決意を示して欲しかったと思うからです。

 記者の仕事はいろいろありますが、ファンとチームの“つなぎ役”になるのも使命だと思っています。選手のコメント、エピソードを伝え、監督のゲーム後の手ごたえ、さい配の説明を引き出して、ファンに届けることで両者の距離を近づけることになると思ってきました。

 そのあたりは岡田監督も十分に理解しているでしょう。キャンプや遠征時で食事会を開くなど担当記者とのスキンシップを図る気遣いもやってきた同監督なのに今回の会見拒否はよほどその見出しが腹に据えかねたのでしょう。

 ロードに出た巨人戦、1戦目は悔しいサヨナラ負け。岡田監督は会見こそ行わなかったものの、帰りのバスへの道すがら、トラ番の質問に答えていました。さらにその深夜、宿舎取材に駆けつけた連中に声をかけバーでグラスを傾け合ったと聞きました。

 岡田監督特有の気配りが出たと言えますが、先に書いたように、担当記者はあくまで“つなぎ役”。特に今や球界一の人気球団、やはりゲーム後の会見は「給料のうち」だと思います。早く正式会見をして(このコラムが掲載中に復活する可能性はありますが)、旧来の形に戻って欲しいものです。

 付け加えるなら、復活した以後は二度と拒否をしないことを願っています。

August 4, 2006 11:46 AM | コメント (6) | トラックバック (17)