2006年05月12日
続小説「ある元総帥の哀しみ、慨嘆」
阪神の統合問題
彼が社長に就任した時にまず、何を手がけたか。何と向こう20年間の事業開発計画だった。電鉄の第一の使命は乗客の安全輸送であることは、もちろん認識していた。その点にも最大限の力は注いでいた。社長業半ばまでは、朝は自社の車両に乗り、乗客の動向を見ながら駅員、乗務員のサービスにも目配りをしていた。
もちろん、顧客サービスが第一で、座席に座ることなくつり革に手をかけていた。ただ、全線で40キロメートルの走行距離、阪神タイガースや春夏の高校野球で甲子園への往復の“余禄”があるとはいえ、利用客の大幅増は見込めない状況の中で、企業の発展を旧本社があった西梅田開発に求めた。
動きは素早かった。就任1年4カ月足らずで西梅田開発チームを設立。その6年後には第一期工事着工。その後、阪神・淡路大震災で鉄道は大打撃を受けたが、路線の立て直しを図りながら、この計画は頓挫することなく続けられた。
そして1997年3月「ハービス大阪」なるアメニティー施設が誕生、2カ月後にその中核となる「ザ・リッツ・カールトン大阪」が開業した。現在も盛況を誇っている同ホテルは土地、建物が阪神所有で、運営は世界各地でノウハウを持っているチェーンとの提携は画期的なことだった。
その後も第二期計画を遂行するなど、就任直後のプランは順調だったが、彼には“もう一つの顔”があった。長年にわたって阪神タイガースのオーナーを務めたことだ。
こちらの顔の方がマスコミに取り上げられることがはるかに多かった。ただ就任当初はそう熱心ではなかった。だが、程なく電鉄の中に占めるタイガースの存在の大きさを認識し始めた。ただのシンボルだけではいけない、とも考えた。
まず球団独自の黒字化、そのために戦力を整えることも大事だが、何より一軍の将に有能な人材を登用することを重要視した。世評「阪神はケチだ」と言われているが、それは誤解。必要なお金、そこに論理性があればオーナー決済で出してきた。
一例を挙げれば、85年の初の日本一。この年から球団経営が黒字転換したが、選手、首脳陣への報奨金は雌雄を決した西武の数倍あった。外国人獲得でも出した(失敗例もあったが)。
監督選任には陣頭指揮を振るい、金も使った。78年にブレイザーを招聘したことはあったが、歴代は“生え抜き”が慣例になっていたが、その発想は捨てた。99年、ヤクルトを退団した野村克也氏を招き、同氏が辞任すると星野仙一に白羽の矢。5年間も“外様”にチームを預けた。
これが実を結び03年に星野阪神がリーグ制覇。後を受けた生え抜き・岡田監督が05年V。晩年の総帥は外部-内部と交互に指揮官を任せるのがベストと考えていた。新しい血の導入する必要性を感じていた。だが今は代が代わり、この構想が続くとは限らない。
皮肉なことに、村上ファンドが目を付けたのは彼が心血を注いだ2つの「企業価値」だった。事業開発もタイガースも多くの社員の尽力があり、彼一人の功労ではないが、20数年ケン引してきた老年の哀しみは深い。
阪急との統合は現状、大きな進展はない。今後の展開も読み辛い。しかし、体調不良の今、もうほとんど関心はない。
May 12, 2006 09:36 AM
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