浅岡真一 独断流

2006年05月26日

故障は不可抗力だったのか

オリックスの失速

 セパ交流戦も半ばに入ってきました。昨年と同じく各チームは好不調の波が激しく、かなりの格差が出てきました。とりわけオリックスの低調が目立ってきています。数重なる連敗で、このままではプレーオフ進出も難しくなりそうな状況です。

 チームが不調になる原因はいくつかの要素があるものです。投手陣の乱調、攻撃陣の不振が主なものですが、バファローズの場合はレギュラー陣の故障・離脱が大きいでしょう。

 まず4月30日の西武戦で後藤が本塁のクロスプレーで左足を痛めてしまい、1軍登録を抹消になってしまいました。さらに5月6日のロッテ戦で平野恵がファウルフライを追ってフェンスに激突し、胸、右手首、下半身と各個所にケガを背負いました。

 さらに21日の阪神戦、阿部真がホームに滑り込んだ際に右手首を痛め、途中交代、その後「右手首舟状骨骨折」と判明、手術を余儀なくされ、前半戦の出場は絶望となりました。

 今年の宮古島キャンプ、中村監督は二塁手だった平野恵をセンターにコンバートし、5年目の後藤を二塁で起用、阿部真との三遊間コンビを組ませるべく、チーム構成を進めようとしていました。仰木前監督が生前から持っていた構想を昨秋のキャンプから少しずつ試していたからです。

 「後藤は身体能力が素晴らしい。鍛えたらいい選手になると思うよ。平野恵も同じ。ゴールデングラブ賞を取れるんじゃないか。阿部真も守りが安定しているし打撃も勝負強い」。

 清原フィーバーで沸き返る中、宮古島で中村監督から希望にあふれるセリフを聞いたことがあります。シーズンに入り、後藤は同監督の期待ほど伸び切れず、レギュラー定着までは至っていませんが、他の2人は名脇役の仕事を果たしてきました。

 「阿部真のケガは痛い。野手が足りなくなってしまった」と同監督は嘆いていましたが、果たして3人のケガは仕方なかった……だけでしょうか。

 平野恵のガッツあふれるプレーはファンの感動を呼んだ部分もあったでしょうが、あくまでファウル。ある首脳陣は「あそこまで追いかけることはなかったのに……」と漏らしていました。自身もチームも傷つくプレーになってしまったわけです。

 後藤、阿部真の場合は状況が違って、ホームでのクロスプレー。後藤は滑り込むのをちゅうちょし、阿部真はスライディングせず矢野の後ろから回り込んでタッチアウト。

 近頃、かなり見かけるのですが、ホームへの生還でスライディングしない選手がいます。タッチをかいくぐるテクニックの一つですが、直線的に走りこんできてスライディングするのがもっとも速いし、それが基本でしょう。

 85年の阪神の日本一戦士・木戸克彦氏(本紙評論家)に尋ねてみたところ「回り込んできたら、腕でも下半身でもブロックしやすい。やはりストレートに滑り込んでこられるのが、イヤですね」と捕手の立場からこう答えました。

 担当記者に聞いたところ阿部真は足に軽い痛みを抱えていたとか。だからスライディングをちゅうちょしたのかもしれませんが、結果的にはそのためらいが、大ケガにつながってしまったということです。

 基本に忠実に--。野球は、いやスポーツすべてがその積み重ねだと思いますね。

May 26, 2006 10:36 AM | コメント (0) | トラックバック (4)

2006年05月19日

心ある投手がほとんどでは……

金本への内角攻め

 野球の原点とは一体、何でしょうか。作戦の妙、選手心理の微妙なアヤが絡んで両チームが勝敗を決するゲームですが、まず投手が打者に投げることからスタートします。当たり前と言われればそれまでですが、ここから始まり、投手は懸命に抑えようとし、打者はボールを選びながら、ヒットを打つことに専念するわけです。

 そこには、捕手を含めていろんな駆け引きがあります。打者側からいえば配球を読む、狙い球を絞る、センター返しを心掛ける、長打を狙うなど個々に、またチーム一体で攻略しようとし、投手はそれらに対処するべく工夫します。

 ホームベースの横幅は17インチ(43・2センチ)と野球規則で定められています。高低を使って打者にマトを絞らせない一方で、この左右、内外角に投げ分けるのも、投球術です。そりゃあ、いい時の藤川の速球なら多少、制球が狂っても打たれないでしょう。しかし、そんな速球派ばかりではありません。

 12日からのソフトバンク-阪神戦で金本への執拗な内角攻めが物議をかもしました。3試合とも、各投手陣がかなり厳しい投球をしていました。金本は冷静でしたが、岡田監督は初戦から怒りを露(あらわ)にしていました。

 ソフトバンク側は、3戦目の杉内が「いい打者は内角を突かないと」と思惑通りだったことをゲーム後、明かしていました。王監督も「あそこで投げなければ相手の思うつぼ。勝負の世界なんだから」と危険球ではないと主張しています。

 岡田監督も金本が沈着な態度、コメントをしたから余計に言葉を荒らげたのでしょう。フルイニング出場の記録更新中もさることながら、チームの柱となる4番打者。一軍の将として姿勢を強く訴えたかったのでしょう。ただ「また甲子園があるからな」というセリフはいかがなものでしょう。

 3戦目の松中の最終打席で能見は内角を突きました。松中は「あれは明らかでしょう」と“報復”をにおわせましたが、これも黙っていて欲しかったと思っています。監督と相手の4番のコメント。6月2日から3連戦に尾を引きかねないことは確かです。

 私は四球や危険球を巡って安易に「遺恨」という言葉を使うのは好みません。何も正義感面(つら)するつもりはないですが、内角攻めに双方が神経過敏になると、野球の楽しさ、妙味を失うことになると危惧しています。

 そこでふと思い出したのが、かつての真弓明信(現本紙評論家)のサヨナラ打です。詳しい日時は記憶してませんが、確か83年のヤクルト戦。チャンスで打席に立ち、某投手の初球は頭をかすめました。続く2球目、足を踏み込み快打を放ったのです。「あそこでは絶対、打っとかなアカンのです。次にまた(頭部へ)こられるでしょう。あの程度でビビらんと思わせんとネ」。ゲーム後のコメントは未だ耳に残っています。

 そういえば、金本もソフトバンクとの2戦目、3安打を放ちました。多少の厳しい攻めをハネ返してこそプロではないでしょうか。

 確かに過去、チームとして死球を与える命令が下されたことはあったし、個人の投手として意図的な投球をした例は見聞きしてきました。しかし、余りに殺伐としていて本来のあるべき野球ではないでしょう。

 全員が……と確信を持って書けないのは残念ですがほとんどの投手は、そんな邪悪な考えを持ってないと見ています。自分もプロ野球選手、相手の選手生命、その後の人生に影響を与えるのが危険球であることは分かっているはずです。

May 19, 2006 10:20 AM | コメント (17) | トラックバック (2)

2006年05月12日

続小説「ある元総帥の哀しみ、慨嘆」

阪神の統合問題

 彼が社長に就任した時にまず、何を手がけたか。何と向こう20年間の事業開発計画だった。電鉄の第一の使命は乗客の安全輸送であることは、もちろん認識していた。その点にも最大限の力は注いでいた。社長業半ばまでは、朝は自社の車両に乗り、乗客の動向を見ながら駅員、乗務員のサービスにも目配りをしていた。

 もちろん、顧客サービスが第一で、座席に座ることなくつり革に手をかけていた。ただ、全線で40キロメートルの走行距離、阪神タイガースや春夏の高校野球で甲子園への往復の“余禄”があるとはいえ、利用客の大幅増は見込めない状況の中で、企業の発展を旧本社があった西梅田開発に求めた。

 動きは素早かった。就任1年4カ月足らずで西梅田開発チームを設立。その6年後には第一期工事着工。その後、阪神・淡路大震災で鉄道は大打撃を受けたが、路線の立て直しを図りながら、この計画は頓挫することなく続けられた。

 そして1997年3月「ハービス大阪」なるアメニティー施設が誕生、2カ月後にその中核となる「ザ・リッツ・カールトン大阪」が開業した。現在も盛況を誇っている同ホテルは土地、建物が阪神所有で、運営は世界各地でノウハウを持っているチェーンとの提携は画期的なことだった。

 その後も第二期計画を遂行するなど、就任直後のプランは順調だったが、彼には“もう一つの顔”があった。長年にわたって阪神タイガースのオーナーを務めたことだ。

 こちらの顔の方がマスコミに取り上げられることがはるかに多かった。ただ就任当初はそう熱心ではなかった。だが、程なく電鉄の中に占めるタイガースの存在の大きさを認識し始めた。ただのシンボルだけではいけない、とも考えた。

 まず球団独自の黒字化、そのために戦力を整えることも大事だが、何より一軍の将に有能な人材を登用することを重要視した。世評「阪神はケチだ」と言われているが、それは誤解。必要なお金、そこに論理性があればオーナー決済で出してきた。

 一例を挙げれば、85年の初の日本一。この年から球団経営が黒字転換したが、選手、首脳陣への報奨金は雌雄を決した西武の数倍あった。外国人獲得でも出した(失敗例もあったが)。

 監督選任には陣頭指揮を振るい、金も使った。78年にブレイザーを招聘したことはあったが、歴代は“生え抜き”が慣例になっていたが、その発想は捨てた。99年、ヤクルトを退団した野村克也氏を招き、同氏が辞任すると星野仙一に白羽の矢。5年間も“外様”にチームを預けた。

 これが実を結び03年に星野阪神がリーグ制覇。後を受けた生え抜き・岡田監督が05年V。晩年の総帥は外部-内部と交互に指揮官を任せるのがベストと考えていた。新しい血の導入する必要性を感じていた。だが今は代が代わり、この構想が続くとは限らない。

 皮肉なことに、村上ファンドが目を付けたのは彼が心血を注いだ2つの「企業価値」だった。事業開発もタイガースも多くの社員の尽力があり、彼一人の功労ではないが、20数年ケン引してきた老年の哀しみは深い。

 阪急との統合は現状、大きな進展はない。今後の展開も読み辛い。しかし、体調不良の今、もうほとんど関心はない。

May 12, 2006 09:36 AM | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年05月05日

小説「ある元総帥の哀しみ、慨嘆」

阪神の統合問題

 一体、何をやっているんだ!、チェック体制が出来てないのか、管理が甘過ぎるじゃないか!

 彼には憤り、怒り、哀しみが五体に駆けずり回っていた。

 昨年9月末、M&Aコンサルティング(村上ファンド)の阪神電鉄株の買い占めが明るみに出た直後、元総帥は、落胆の思いを隠せなかった。もう現役を退いた身、ほとんどの会社がそうだが、経営には口を挟まないが、特に阪神はその伝統が根付いている。

 しかし、よほど腹わたが煮えくりかえったのだろう、一度、総務の責任者に「何でいままで気付かなかったんだ」と怒りをぶつけてしまった。

 自身がトップだった20数年間、管理体制は万全だったという自負がある。また幹事証券会社以外の幹部ともたまにコンタクトを取るなどしてあらゆる情報を得るなど、異常な自社株の売買には目を光らせてきた。だからこんな“失態”が起きることは考えられなかった。

 発覚した時点では全体の25%超だったが、彼は今後も買いが進むことを予知していた。その予想通り、村上ファンドは攻勢に攻勢を続け、現在は45%超にまで達してしまった。

 実は昨年、阪神電鉄は創業100年を迎えた。トップを退いたとはいえ、相談役としての肩書きを持つ、現役最古参。60年以上も勤務した生き字引として百年史(社員、及び関係者に配布)の編纂の中心的役割を果たすべく週に2、3度は野田にある本社に出向き、時には細かい部分にも筆を加えていた。

 いわば“最後のご奉公”であったが、その仕事をしながら苦々しい思いは去ることはなかった。村上ファンドとはファンド(基金)の日本語訳が適切なように資金を各方面から集め、それを基本的には株券の取得に運用、大株主として当該企業に提案したり、取得額より高値で売り抜け、その利ざやを資金提供者に配当してきている。果たして、次の一手は…やはり長年の経営者的思考は拭えることはできなかった。

 そして迎えた2日、阪神電鉄は村上ファンドから届いた提案書を公表した。既に一般紙、スポーツ紙に大々的に取り上げられているが、その骨子は村上世彰氏を含め取締役の過半数を村上ファンド関係者で占めることを要求したこと。経営支配をさせてもらうという要求だった。

 4月に入り、阪神間のライバルだった阪急電鉄(阪急ホールディングス)が株の買却に名乗りを挙げ、経営統合を表明した。今回の村上氏側の提案にも、統合への意欲を示すコメントを出したが、売買価格には差があり、今後の推移は予断できない。

 そんな嵐が吹き抜ける中、85歳の元総帥は体調を崩した。高齢ならば、あり得ることだが、果たしてそれはすべて“身”だけであったのかどうか。心の空洞も一因ではなかったのだろうか。

 ※これはあくまでフィクションです。次回に続編を綴らせてもらいます。

May 5, 2006 11:07 AM | コメント (1) | トラックバック (1)