浅岡真一 独断流

2005年08月30日

すべての“暴力”が本当に悪なのか…

高校野球のあるべき姿

 今夏の甲子園大会は、これまで以上に熱戦が相次いで盛り上がったと思います。一方で明徳義塾が直前に出場を辞退したり、2連覇を達成した駒大苫小牧が直後に部長による部員への暴力が発覚し、危うく優勝が取り消しになる“異変”が起きました。結局、2連覇は認められ、同時に、脇村春夫・日本高野連会長名で「暴力のない高校野球を目指して」とする声明を発表しました。

 まず、最初に記しておきますが、この理想論に反対するつもりはありません。ただ、指導者の選手への度をわきまえた制裁と上級生による下級生へのイジメ、暴力行為は次元の違うことだと考えます。

 かつて、闘将・西本幸雄氏が近鉄を率いていた時、こんな話を聞いたことがあります。

 「大事な子供さんたちを親御さんから預かって、何とかいい選手にしたいという気持ちで一杯だ。また、人間としても成長していくように指導していく責任もある。だから、時によっては鉄拳を振るうこともある。それが選手たちや親御さんへの誠意だと考えているんだ」。

 オールドファンなら、西本氏の厳しい指導はよくご存知でしょうし、番記者として殴られはしなかったけどよく怒られました。この闘将の考え方を、ほとんどの高校野球の指導者がお持ちになっていると私は信じています。

 もう一つ、プロ野球記者として何百人も取材してきましたが高校時代、殴られた経験がないという人は一人としていませんでした。時代が違う……と言ってしまえばそれまでですが、果たしてそうなんでしょうか。

 無気力プレーや全力疾走、ベースカバーを怠った球児に「キミ、それはダメですよ」と語りかけるだけが本当に愛情のある指導でしょうか。大ケガをさせるような制裁は論外ですが、バットでお尻を叩くぐらいは許されていいのではないでしょうか。

 近頃、暴力事件の発覚が多くなったいるのは事実ですが、それは発覚が多くなっただけで、むしろ昔に比べれば実際には減っていると確信しています。その発覚にしても、関係者からの“タレ込み”が多いと聞きました。

 このあたりも含めて、私は近頃の家庭教育に遠因があるのではないか、と考えています。親が子供を殴らなくなったということはあちこちで耳にします。私は団塊の世代の最後ぐらいの育ちですが、ウソをついたり、人に迷惑をかけたりしたら、親に教師に殴られるのが当然、という時代でした。

 殴られることによって目覚めるということは、今でも通用します。痛みを知ることによって、逆に人に暴力を振るってはならないということも学びます。私には1男2女がいますが、時には鉄拳を用います。教師に殴られても、筋が通っていれば「ありがとうございます」という腹づもりです。下級生へのイジメなどは痛みを知らないことも一因ではないでしょうか。

 伏見工ラグビーの山口監督は愛ある鉄拳をしてきました。亡くなられた明大・島岡監督も同様です。今年全国の高校野球部員数(5月31日現在)は16万5293人と、過去最高に達しました。失礼にあたるかもしれないが、全員が品行方正、完ぺきな人格ばかりでしょうか。言葉だけでなく、適度な肉体的制裁は時には効果的だと思います。

 何も軍隊式な指導や理不尽な暴力を礼賛するつもりはないですが、余りに暴力否定ばかりが先走ると、選手と父兄の好き放題のクラブになってしまう危惧さえあります。

 いつものコラムより長くなってしまいましたが、私は“愛に溢れる”指導方法は必ずあると信じています。

 日本高野連からクレームがくるかもしれませんが、それこそ、私の独断流なんですから…

 ※このコーナーへの疑問、ご意見、反論を募っています。なにわWEBにアクセスしてください。
(次回は9月6日更新予定)


August 30, 2005 11:16 AM

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コメント

僕は暴力は嫌いだ。理不尽に相手に殴りかかるのは明らかな悪であるし、そんなこと幼稚園でも教えている。でも監督から選手への教育の一手段として手をあげるは有効だし、そもそも暴力とは別物として考えるべきだと思う。「愛の鞭なんて綺麗事だ」みたいに言う人がいるが、逆に暴力絶対反対、世の中から暴力をなくそうという考えのほうが綺麗事である気がする。暴力を一掃するなんていうのは理想論であって、暴力をある程度容認して、それをどのようにしつけとして確立していくかを考えるべきなのではないだろうか。それに人の話を聞かない選手に手をあげるのは家庭の仕付けの積み重ねの無さが原因であって、指導者の問題でははない。話を聞かない選手に話だけで理解させることが出来る理想の指導者なんて実際ほとんどいないし、いたとしても並の指導者に真似の出来るテクニックではないだろう(出来たらとっくに真似しているはずだ)。しつけとしての暴力は時に必要なのだと、選手の、子供の為にだからこそ認めるのが愛情のある社会の考え方であるべきだ。

投稿者 がんばれスポーツマン : 2005年10月23日 01:36

私が中学生のときに入っていた部は、野球ではないスポーツですが全国大会の常連のようなチームでした。
練習はかなり厳しく、もちろん暴力は多々ありました(監督は女性です)が、それはやる気がないプレーや礼儀がなってない選手に対してで、一生懸命やって失敗したときなどは絶対殴られませんでした。
また、いいプレーをしたときは褒められましたし、厳しい先生に褒められるのはとても気持ちよかったのを思い出します。
「殴られた選手が、本当に楽しんでスポーツをやっているのだろうか?」という意見が投稿されていましたが、私は楽しんでプレーしていましたし、今でもいい思い出として残っています。
部員の保護者も暴力をふるわれているということは知っていましたが、先生には感謝していたように思います。

今、暴力行為が大きく取り上げられていますが、保護者が反応しすぎなんじゃないかと思います。
悪く言ったら過保護というような感じでしょうか?
選手は厳しい練習に耐え、高いところを目指して頑張っているのに、一人の生徒の保護者がたれ込み、問題として公になることによって3年間の努力が無駄になってしまうというのは、選手にとってどうしようもなく悲しいことだと思います。

もちろん理由のない暴力・理不尽な暴力は絶対になくすべきですが、愛の鞭というのは確かに存在するとも思います。
長文・乱文で失礼しました。

投稿者 女子高生 : 2005年09月30日 15:15

このニュースをきっかけに高校野球から暴力が無くなることを願います。ちくる、ちくると否定的にいいますが、被害にあった本人がこのことを訴えるには相当な勇気が必要だったと思います。自身の経験によって賛成される方がありますが、子供の頃虐待に合った人は虐待する大人になるという事実がありますが、これも全く同じケースでしょう。その方はたまたま幸福な人生が送れただけで、その暴力のせいで不幸になってしまった被害者はたくさんいると思います。暴力なしでも楽しい運動部生活は送れますし、信頼関係も築けます。アメリカだったら優勝取り消しどころか、その部長は子供の虐待で即逮捕です。日本は女性や子供に対する人権に関してあまりにも欧米に比べて遅れています。日本人として情けなく思います。

投稿者 KK : 2005年09月24日 13:33

今回の事件は暴力沙汰です。まず気合を入れるのや、間違いを正すには「一発のみ」が許されるギリギリの範囲です。
今回のように何発も殴るというのは、間違いなく上位のものによる不必要な暴力です。
もし暴力が教育的に必要というかなら、選手。監督両者が堂々と、お互いを殴り合いで正否を決めればよい。
高野連も選手と監督者との相互暴力沙汰を認可した上で。
私も子供が危険な行為をした時には一発殴り体に覚えさせましたが、一発こっきりです。
バシバシ叩いた事なんて一回もありません。

投稿者 愛のムチと暴力 : 2005年09月20日 17:50

 子供という面で言うと…

 我が家にも子供がいるが、子供が言葉で説明して親の言いつけを聞くのなら、こんなに楽なことはない。多分、今頃世の中「イイ子」だらけになって、さぞかし平和な社会になっているはず。しかし、現実はそうではない。
 今は子供だって立派に「権利」を主張する。じゃあ「義務」…社会常識と言ってもいいだろう…は果たしているのかというとそうではない。要するに無責任に権利だけ主張する状態である。大人の世界だと社会常識を逸脱した「言葉の暴力」と言われるぐらい…。
 「鉄拳」だけが暴力じゃない。「言葉の暴力」だってあるのだ(教師、親、子供どの立場においても。)。鉄拳は否定するけれど、言葉の暴力に触れている意見がないのは寂しい。言葉で言えばいいってものじゃない。
 何でも言葉で解決するのならば、戦争だってなくなる。


 スポーツという面から言うと…

 人間って楽をしたい生き物である。水が低きに向かって流れるように…。
 まず、根本的にスポーツは「戦い」なのだ。これを忘れてはいけない。

 軍隊的、権力的を否定するけれど、そもそも監督ってそういうものじゃないのか?監督は勝つことを目的としてチームをまとめ上げ、戦術を徹底する。これを行うのに「権力」が無ければ選手にナメられる。精神論と言われようとある程度の軍隊的統制が取れなければ、戦術を徹底し、究極の競り合いにおいても普段の力を出すことができるという「芸当」をすることはできない。
 また、例えば「全国」を目指すチームと「エンジョイスポーツ」を目的とするチームは、同じチームたり得ない。全国を目指すチームは「戦闘集団」であって、そこに一定の統制がなければ目的を達成することは困難である。だから「エンジョイスポーツ」チームのケースと論を混同してはならない。
 もし高校生を「大人」と認めるのならば、それらの見極めもできるはず。また、イヤだったら本人の意志でやめればよい。

 結局…
 スポーツの指導を暴力のみで行うことは無理がある。指導者に理論と指導力の裏付けがなければ単なる「暴力教師」だ。それは私も重々理解している。しかし、みんなが思っているほど高校生は「大人」ではない。言うことが理解できるから「大人」だとしたら、言葉を理解するオウムだって大人である。頭で理解できないのならば、犬猫と一緒。あとは、「体で分からせる」か「切り捨てる」しかない…というのは当然の帰結である。運動部における暴力という行為は、「まだ掬い上げようとする意志」が働いている。
 それでも根本的に暴力はイカン…となると、それならば、本気で勝ちに行くのかスポーツをエンジョイするのか、チームの指導者はあらかじめ生徒にその方向性を明らかにすればトラブルは少なくなると思う。「戦い」に勝ちに行くのだから鉄拳は辞さないと宣言しておけば、殴られたって文句はないだろう。それが「大人の判断」というものだ。

 だから…というわけでもないが、私は「体育会系」の部活動がイヤで参加しなかった。これが私の学生時代に出した結論である。

 長文にて失礼。

投稿者 体育会系嫌い : 2005年09月16日 18:32

「愛の鞭」の暴力が必要だという多くの意見を読んで愕然としています。
自分でも、事の善し悪しを教えるための「厳しさ」は必要だと思います。
しかしそれは、あくまで言葉や行動のうえでのことで、暴力は論外です。

この問題で忘れていけないのは、体罰を与える側の人間、大人たちは常に社会的に強い立場の人間だということです。この暴力は、相手が絶対に反抗できない弱者であることを前提に振るわれている卑劣なものなのです。こうして育った子が将来、人の上に立った場合、どうなるかは容易に想像できます。

もうひとつ、暴力は説明をしません。「犬が叩かないとわからないように、子供もわからない」と書かれた方がいますが、子供は犬と違って、言葉を理解する能力をもっています。高校生になれば、人並みに判断力や、反省をする能力も持ち合わせています。「良い」と「悪い」だけで教育するレベルはとっくに抜け出しています。本当に裏づけのある正論ならば、言葉や行動で表現できるものだし、子供達も納得します。暴力を振るわれて「わかりました」という子は、「納得」ではなく、「服従」しただけなのです。

体罰を与える指導者は
1.自分の体験から、これ以外の手段を知らない
2.これ以外に、自分の立場を守るだけの内容が無い
3.「愛の鞭」を暴力の口実にしている
という場合が多いと思います。

それと、たれこみを非難する声がありましたが、これは痛いところを付かれて逆切れしているような感があります。

投稿者 野球大好き : 2005年09月13日 09:04

 あなたみたいな大人達がいるからいつまでたっても人を殴る指導者がいるのではないでしょうか?殴られたり、精神的につらく感じる暴力もあるはずです。それで選手が萎縮し、本来できるはずのプレーができなくなる、ミスをする、殴られる・精神的につらい思いをする。繰り返しではないかと思います。これは高校野球に限られたことではなく、他の競技でも、そして日本という国がそうなってしまっている場面が多いということではないでしょうか?中には「そんなの関係ない、弱いだけだ」と言う方もいるでしょう。
でも人には口があります、多くの人は話をして伝えることができます。暴力で指導をなさる方は口がないのですか?大抵あるでしょう。言葉で伝えられないのですか?できるからそこに存在しているのしょう。
 なぜ殴る指導者は共通して自分の言動を美化するのか理解できません。下に意見を投稿された方たちもそうです。犯罪行為と殴られたくて殴られた方なら別ですが!!、愛があるなら、その人を思うなら、責任があるなら、指導者ならその人にとってもっと良い指導はないのか、工夫をする、考える能力を使うべきだと思います。
 お遊びという表現ではなく、スポーツは楽しむものです、そこに暴力指導は必要ありませんし、まわりの人たちも気分を害するはずです。殴られているスポーツ選手は今、競技をしていて気分良く楽しめているのでしょうか。多くの人が感じるその競技を始めた頃の気持ち良さは残っているのでしょうか。
 浅岡さんはゴキブリではないと思います。ゴキブリは人の目が届かない所で行動している時が多いです。浅岡さんは世界中の人が観覧できるインターネット上で自分の意見を、しかも後々自分に反対意見が来るかもしれないことを書いています。これはすごいと思います。それと「父兄」「親御さん」という表現は良くないと思います。父親のいない家庭、両親がいない人、つらいと思います。「保護者」という表現はいかがでしょうか。

投稿者 去年は高校生、疲労ナーバス : 2005年09月12日 14:46

昔、星野氏が阪神の監督に就任した時、とあるスポーツ新聞が一面で
『どの選手が多く殴られるか』競馬の予想みたいにした記事を載せていましたが、それを見て寒気がしました。
愛のある暴力が許せるのなら夫婦間でも暴力はOKなんですね?
大体西本監督なんて元陸軍の下士官じゃないですか。
何でも美談にするんだから。
僕も高校で野球やってたけど愛のある暴力なんてまず無いですって。
衝動的なモンばっか。笑わせんなってカンジですね。

投稿者 元 : 2005年09月07日 00:08

私は、甲子園出場常連高の生徒でした。今年も出場していました。今の監督は私の時のコーチでして、そりゃ 怖かったです。そのコーチがグランドに入っただけで周りの空気が全然違います。背筋がピンと張ります。特別言葉遣いが乱暴な訳でも、鉄拳を振るうわけでもありません。むしろおとなしいぐらいです。しかし、ノック中トンネルをすると『バックー』と言われて思いっきりケツバットされます。そりゃ痛いのなんのって・・・ゆっくり走ってるともう1発、グリップエンドで頭叩かれた事もありました。でも・・なぜか嬉しいんです。(変な性癖がある訳ではありませんので誤解がないようにお願いします。)初めてされた時は、そのコーチに近づけた様な、見てもらえた様な、そんな嬉しささえありました。こんな私って可笑しいでしょうか?

投稿者 タケ : 2005年09月06日 22:29

20数年前に甲子園に出場しました。

当時の我が野球部の監督は、ビンタはあたりまえ、時にはグーで殴られたことも。
1年生の時に、あまりに練習がきびしくて集団脱走。それでもだれひとりとして辞める者はいませんでした。親もビシビシやってくれという親ばかり。
私は、これだけ素質のあるみんなが、これだけ練習して結果が出ないはずがないと思っていました。
3年生の時、決勝で9回ウラ二死ランナー無しから逆点で甲子園出場。監督が大泣きしている姿を見て、数々の鉄拳のことを思い出しながら監督に感謝しました。たとえそれが、甲子園に出れなかったとしても気持ちに変わりはありません。
社会人になってからも、たいてのことはビクともしません。あの練習してきたことを思うと、どんなことにも精神的に耐えられますから。

投稿者 元球児 : 2005年09月06日 12:57

浅岡さんの本論には同感です。大賛成です。
今の世の中、権利を主張しながらも義務を果たさない、そういう無責任な人が多いです。
例をあげれば、電車内で自分の子が他の乗客に迷惑をかけているのに、叱るどころか、親も携帯電話で談笑し、さらに迷惑をかけている。
以前ならその場で親が子供を張り飛ばしているでしょう。
これを暴力といえるのかどうか?

親バカなら我が子をかわいがることで美しい言葉ですが、今の世の中は、前記のように子供と同等で常識をわきまえない、いわば「バカ親」が多いのが非常に残念でなりません。

話を元に戻すと、家庭でしつけられていない子が学校に入学し、自分の夢だけを求めて部活動に入ってくる。大勢の部員を預かり、本来、家庭でやらなければならないしつけまでを強要され、指導に熱心なあまり、悪いことをした部員を叱れば、親から感謝されるどころか、クレームをつけられ、挙句の果ては学校からも処分を課せられる。
運動部の監督、部長に心から同情します。

投稿者 坂村 英俊 : 2005年09月05日 15:26

殴られるなんて当たり前。
それがイヤなら部活をやめるべし。

口で言って聞くような選手は通用しない。

投稿者 : 2005年09月05日 13:31

私もいままでいくつかの部活動、サークルに所属してきましたが、正直鉄拳制裁を否定はしません。ただし、それは与える側にも理由があって、かつ受ける側にも明らかに非があるときに限定されると思います。
自己に非があるとき、そしてそれが手抜きであった場合はしょうがないと思う。逆に、与える側も確固たる信念があってこそできるのであって、その日の機嫌に左右されたり、理不尽であったならば、即刻処分を受けるべき。
なにより、最近明るみに出ているのはすべて「タレコミ」であるところがいちばんの問題でしょう。

投稿者 元応援団 : 2005年09月04日 22:14

暴力・いじめが悪いのは当たり前のこと。高校野球とか、暴力事件とかじゃなくて、根本的には家庭教育の問題でしょう。悪いことしたら叱られるのは当たり前で、いくら子供が「暴力だ」と声を大にしても大人の判断で事が大きくなったり、もみ消されたりする。今回のことでも「被害球児」の親が噛み付いたことなんだと想像していますが、真相なんかは当事者しか分からず、騒ぐのはいつも家庭教育を抜きにした「教育論」をこねる大人です。言っちゃなんですが、元暴走族の頭やってたプロ野球監督もいるし、ロッカールームで生意気な後輩をボカボカに殴って舎弟にした「番長」もいますしね。プロに入ってすぐにタバコ吸ったり酒飲んだりするのが、ばれちゃった「超高校級」エースもいるし・・・高校生って、そんなに「美しくない」と思うし、ちゃんと親も学校も教育できてないことが多いと思いますけどね。スポーツは確かに学ぶところはあるけど本来はPlayする=楽しむもので、「体育」なんて言葉を使って教育の本質みたいなことを語るのは筋違いじゃないでしょうか。

投稿者 人の親として : 2005年09月04日 11:15

どうしても体罰を容認したいのなら、生徒から教師への暴力も容認するべきだ。片方だけが認められるのは不公平であって、自分が殴ってもいいが殴られるのはいけない、という卑怯さを教師が見せるべきではない。本当に生徒との間に信頼関係があるのなら、教師が殴っても生徒は「反撃」しないだろう。
生徒に殴り殺されてもいいという覚悟の上なら、体罰がすべて悪いとは考えないが、それだけの覚悟を持っている教師はどれだけいるのだろうか。

投稿者 じゅんじゅん : 2005年09月04日 11:12

 「すべての“暴力”が本当に悪なのか」という問いかけは、無意味です。暴力を売り物にしている格闘技や、不当な暴力に対抗するためには必要でしょう。しかし、それ以外に必要性は感じません。
 こういう事件がおきると不思議なのは、被害者にも落ち度があったとする意見が必ず出てくることです。自分より立場の弱いものを暴力で言うことを聞かせる事が「愛の鞭」であり「教育」だと真剣に考えている人があまりに多いのに驚かされます。
 暴力でしか責任、協調、寛容は教育できないのでしょうか?

投稿者 wan : 2005年09月03日 13:39

叩くより言葉で説明したり、上手い練習方法を考えられなかった監督の力不足としかいいようがありません。

愛の鞭で旦那が頑張って、昇進し収入がよくなるのなら、どんどん旦那を愛で叩きますよ。

それをしないのは相手を人間として尊重しているから。愛の鞭などと言って暴力を肯定しているのは、人間を動物以下に扱ってるのと同じです。

投稿者 恐妻 : 2005年09月02日 20:42

個人的な意見として浅岡氏の意見に賛成です。
なぜ叩かれたのか、その理由がお互いにわかっており、それが納得のいくものであるかどうか、そしてそれを築くのは、お互いの信頼関係だろうと思います。

また、明徳義塾との処分がフェアじゃない、との意見もありますが、私はこれが当然かと思います。
駒大苫小牧と明徳義塾の一番大きな違いは、「学生の不祥事」か「教師(指導者)の不祥事」か、という点でしょう。
学生が起こしたものであれば学生が責任を取るべき、これは明徳義塾のケースかと。指導者が起こしたのであれば、学生が責任を取る必要はない。これが駒大苫小牧のケースでしょう。

そういう意味でも、私も駒大苫小牧のケースは刑事事件として処理すべきだと考えます。

投稿者 T2 : 2005年09月02日 17:33

まったく同感です。どう考えても家庭環境に問題があるのではないでしょうか?親が自分の若かりし頃をすっかり忘れてしまい、子供に甘くなりすぎてしまう。子供に嫌われたくないなどと思っているのかも。犬が叩かないとわからないように、子供もわからない。ではどうすれば良いのか。やはりちゃんと状況や理由を説明してあげるべきでしょう。多分昔のように何も言わなくてもなぜ叩かれるのかということがわかっていたのにもかかわらず、今の生徒はそれがわからなくなってきているのだと思います。僕の担任だった先生は鉄拳を振るうことで有名でした。ただ怖かったのですが先生は殴った後に必ず理由を説明してました。それで生徒も納得したものです。というより文句を言ったりそれを不思議に思ったりした生徒はいなかったのではないのでしょうか。なぜならそれは正当な行為だったからです。雨と鞭。まさに他の方々が書いているように大事なことなのだと思います。僕もそんな家庭に育てられました。殴られたのならその分頑張ってやろうと思うくらいじゃないと野球なんてやるな!と言いたくなってしまいます。僕は吹奏楽部でしたが、鉄建よりもひどいことを他の生徒の前で何度も先生から怒鳴られました。それは殴られるよりもつらいことです。でもそれに負けじと頑張りました。名門校にはそれなりに伝統があるでしょう。だから勝ってきた。どんなことでも我慢して野球をするくらいじゃないと勝てませんよね。自分が親になったらそういう教育をしなくてはいかんと思ってます。自分に厳しくそして他人にやさしくなれるように。分別のあるそして達観できる人間になれればと。

投稿者 アヴォ太 : 2005年09月02日 03:38

殴られた側は、「自分の考えを押し通したければ、殴ればいいのか」と“学習”するんです。

“愛の鞭”とか“誠意”と美化されて、殴られる側に立つ事がない視点でモノを言う人があまりに多く、あきれます。

断固として暴力はNO!と過剰なぐらい言わないと、同じような構造で起きているいじめや暴力が解決されない事が、どうして理解できないのでしょう。情けない。

私は青春時代を野球部で過ごしました。全国でもそこそこのチームでした。そこで学んだ一番大きなことは、野球の技術でも勝つ事でもなく、「愛情をもって接すれば、暴力を全く用いなくても、チームはひとつになれるし、結果も出せる」ことです。

自らが伝え、諭す能力のなさを拳の正当性に置き換えるあたり、結局、“剣はペンより強い”のでしょう。野球に携わる関係者が3世代ぐらい一掃されないと、結局、野球はマイナースポーツとして競技そのものの輝きを削られていくのでしょう。

投稿者 Nutts : 2005年09月01日 10:26

私が子供を叩く場合は二つあります。
一つは明らかに子どもが悪いこと、人に迷惑をかける行為をした場合。
そしてもう一つはたいしたことでもないのに自分にストレスが溜まっていてつい手を出してしまう場合。
親としては最低の後者の理由で叩かれた子どもの方はたまったものじゃありません。当然私の理不尽さにむくれます。
ただし前者の場合はほとぼりがさめると子どもは特に甘えてきます。悪いことをした。という実感が子どもにもあるのでしょう。
叩かれる理由が生徒にもはっきりわかるものであれば多少の体罰は必要だと考えます。

投稿者 : 2005年09月01日 10:26

本当にありがとうございます。
暴力に対して、ひとりでもこの様なコメントを
言ってくれないかと思っていました。心から共感しました。

投稿者 北国の春 : 2005年09月01日 10:26

暴力を辞書で調べると
1 乱暴な力・行為。不当に使う腕力。
2 合法性や正当性を欠いた物理的な強制力。
となっています。暴力と愛のムチは区別されるべきでしょう。
根本が違うと思います。しかしそれを判断するのは受けたほうであるということが難しいです。野球部長が暴力をしたのか愛のムチを加えたのかはわかりませんが今回の問題は少なくとも受けた側が暴力と感じました。私自身のことをいえば愛のムチとしてとらえ結果的にいい方向に訓練されたのでとてもその行為に感謝しています。

投稿者 野球部員 : 2005年09月01日 10:25

暴力は、相手が大人だったら、傷害罪として、刑事処分の対象とされる。相手が子供だから許されるなんて、信じられない。愛があるかどうかは、言い訳にすぎない。すべての教育現場から、暴力を一掃すべき。警察は断固として対処すべし。そのぐらいの気持ちで、体罰や暴力を、教育現場から一掃してほしい。
体罰が原因で深刻なトラウマになる子供たちが多い。大人に対する暴力よりも、深刻だ。重罪にすべきだと思う。
教育者は、力に頼るのは甘えだし、教育者として失格だということに気づいてほしい。

教育現場の体罰=暴力について、問題になると、謝罪程度ですませる感覚がわからない。刑事処分の対象と思う。

投稿者 体罰はきらいです : 2005年09月01日 10:21

結局は暴力は無くならないだろうし、発覚すれば処分を与えれば良いのでは。今の教師に「愛」を求める時点で記者は幼稚なのでは。

投稿者 どっちでも良い。 : 2005年09月01日 10:14

今回の事件について、まだこんな事が行われているのかとがっかりしました。殴った回数の多い少ないはともかく、ご飯を3杯食べなかったからといって部員を殴るなんて夏の全国大会を2連覇した野球部のやる事ではないでしょう。確かに、ミスをしたり態度の悪い部員は叱られて当然であってもまずは口で注意するべきであり、それでも分からないのなら、分かるまで説明するか退部させるべきです。それが出来ないのなら、指導者としての資格はないでしょう。
暴力でもって指導するというのはもうやめないと高校野球だけでなく、日本のスポーツ界全体に悪い影響を及ぼすのは確実です。

投稿者 まなぶ : 2005年09月01日 01:42

 我が家の二男は、高校球児でした。たくさん殴られたと言っていました。殴られるなかで、責任、協力、寛容を学んだようです。殴られるのが嫌なら高校球児になんかならなかったら良いと思いますよ。

投稿者 山崎 葉子 : 2005年08月31日 20:47

野球は軍隊の影響が一番強く残っている競技だと思います。

特に高校野球は。

あの一糸乱れぬ入場行進、勝利至上主義、8/15の正午にわさざわざ試合を止めての戦争犠牲者への黙祷など。

暴力を交えた指導も軍隊の影響が残っているように思えてなりません。

投稿者 SPORTS評論家 : 2005年08月30日 23:08

「試合に負けて泣く者は練習に泣かない者だ!」
死ぬほどの練習に涙しない選手には試合に勝つ資格が無いという意味の飛田穂洲の言葉ですが。
おそらく松坂大輔やダルビッシュはそんな練習をしなくても勝っているわけですから今の選手たちがこの言葉を聞いてもピンとはこないくらい理不尽な言葉だと思われます。
しかし、甲子園大会はそういう理不尽な練習や部活動の上に歴史を重ねてきて、それを放送局や新聞社が美辞麗句で覆い隠してきたわけです。そこを理解しておれば鉄拳制裁やケツバットなどは当たり前のことでそれを暴力などという単純な言葉でひとくくりするのは間違いであると思います。
今回の事件に関してもマスコミはその理不尽さを知っているにも関わらず単なる暴力事件として取り扱うという矛盾を露呈しております。
この矛盾は高野連自身も抱えている訳で、それは甲子園大会を無理矢理「健全なスポーツ」として成立させようとする無理な論理がそうさせているのであろうと思われます。炎天下で投手に連投を強いるような試合を続けさせる甲子園大会は健全なスポーツとは言えません。
健全なスポーツではないのですから多少殴られたり叩かれたりされても仕方の無いことです。部員の親もそれを承知しておくべきです。
そんなことよりも今回の事件で重要なことは「不祥事の報告を怠った」という同じ理由でありながら駒大苫小牧は優勝を認められ、明徳義塾は出場辞退という全く異なった処分がなされた訳で、これはフェアではないということです。
高野連のアンフェアなこの処分を騒がないマスコミ自身もアンフェアです。
こういうアンフェアな姿勢をもっとも嫌ったのが飛田穂洲ではないでしょうか?

投稿者 珍打くん : 2005年08月30日 19:33

昔の話なんて関係ない。昔は10発殴ってて、今は7発だから今の指導は優しいね。ってバカか
昔と比べるまでもなく、悪いもんは悪い
やっと悪い事が表立って発表できる世の中になったってだけ

10000歩譲って、選手、指導者の意思統一がとれた愛のムチはありだとしても、その殴られた選手からタレこまれてるようじゃ話になんないよ
思いっきり、その指導方法失敗してるじゃん

ただ、こういう指導方法だと怪物みたいなのが生まれにくくなるとは思う
指導方針に関わらず真っ直ぐ自分の道をいける天才は問題ないけど、天才ゆえに甘えた練習しちゃう人って多そうだし

投稿者 虎ッキー : 2005年08月30日 19:21

私もまったく同意見です。
本音で話す人には説得力があり、すばらしく感じられました。

投稿者 布川 好見 : 2005年08月30日 19:13

私も最近暴力が増えているというわけではなく、ただ公になっているだけだと思います。
度が過ぎれば良くは有りませんが、殴られないと感じられないこともあると思います。ある意味言葉で伝えれば良いと言った意見も良く聞きますが、私はきれいごとだと思います。あくまでも私の意見です。

それより何より、この問題になった(体罰を受けた)選手が学校で村八分にされないことを願います。

タレこまれる方はその内容によって一番大事な選手(被害者)がその後どのようになるかを考えるべきではないでしょうか?

一生一度の高校生活が悪い思い出にならないことを願います。

投稿者 10年前は高校球児 : 2005年08月30日 17:37

愛のある、というか教育指導のための鉄拳(体罰)とは、原則として一回に一発に限られるものだと思っているのですが、今回の駒大苫小牧野球部長氏が

「平手でたたいたり、バットで何回か押した(小突いた?)のをまとめると10回くらい」

まとめて行なったのは、「愛のある鉄拳」というよりも春の大会敗戦直後で彼自身にストレスが溜まっていた捌け口にしたものといわれて仕方ないように思います。

投稿者 ミルクコーヒー : 2005年08月30日 12:21

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