2008年02月25日

ノート

センバツ出場校訪問記・沖縄尚学 最終回

 午後からは場所を学校のグラウンドに移動。まだ前々日の雨の影響が残っていました。

 泥濘を直す作業が始まったが、これは日常茶飯事の光景。グラウンドは校舎の地下1階部分が部室という変わった仕組みになっている。とても広い部室は全学年共同使用、奥にはウェート場もある。用具やマシンもここにあり、選手はゴロゴロと押して出てくる。この位置は右翼にあたるため、地面から校舎の一番上までネットがかけらている。

 また、部室出入口付近が指導者のスペースになっており、来客者にとって打撃練習中ともなればグラウンド入り口からの道のりは非常に危険…。そんなときは選手が護衛役を買って出てくれる。この日は2年生の大屋純人(まこと)マネジャーがサポートしてくれた。
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 3つのケージを利用してフリーバッティングが始まった。鋭い打球がネットにぶつかっては落ちていく。「危ない!」、「上がった上がった」と注意を促す指示があちこちから聞こえる。校舎の窓ガラスを割ることも珍しくない。そんなときは学校前の修理店がパリーンという音と同時に駆けつけてくれるらしい。中堅付近にあるブルペンは3人が同時に投げられる屋根付き。この日も東浜巨投手(2年)、上原亘投手(2年)、比嘉祥也投手(1年)がそろって投球練習していた。評判の投手陣をひと目見ようと本土からの来客も多い。“沖縄尚学投手陣 共通認識五箇条”のもと、さらなるレベルアップを目指す。
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 最後は「今年から毎日やっている」というベースランニングの進化系メニュー。「前まではベースランニングでやっていたんですが、よく考えたらランニングホームランなんて滅多にない」。

 単打、二塁打、三塁打、それぞれベースへ(1)最短コースで(2)真っ直ぐに(3)膨らまないように、を徹底させる。この日は三塁打を11秒06で走った選手がいた。比嘉監督はチーム一の俊足・上原壮央外野手(2年)を呼んで「11秒06を切れなかったら、全員アヒル(歩き)だからな」と指示。これには選手たちも「うわ…。きつい」と顔を曇らせた。

 何とか回避しようと考える選手たち。本当は右打ちなのに左打席からスタートしようとしたり、スパイクの土を念入りに落としてみたり。すかさず監督から「いつから左打ちになったんだよ!」と突っ込まれた。

 仲間の声援を受けて上原壮選手ゴール。まだタイムを言っていないのに「いえーい!」と盛り上がる。結果、見事にクリアし拍手が沸き起こった。
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 比嘉監督は話す。「僕は投手出身。大学時代の学生コーチ経験が生きているところもあるけど、野手メニューはいろいろな人に聞いたり、調べたりとまだまだです」。今の2年生は監督就任時ちょうど1年生、つまり同監督の1期生になる。新垣君は「僕たちの監督になってうれしかった」と就任を喜んだ。この代で、もう1つ記念碑を建てるつもりだ。
(おわり)

◎・・・沖縄尚学高校硬式野球部グラウンド
グラウンド=センター100m、右翼45m、左翼90m。ブルペン3つ、室内練習場はなし。
練習時間=平日:15-20時、休日:9-17時
夜間=照明4基完備
交通=那覇バスターミナルなどからバス、「沖大前」下車すぐ。
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☆比嘉監督はじめ沖縄尚学高校の皆さん、お世話になりました。センバツでの活躍を祈っています。(矢島彩)

※次回は丸子修学館高校を予定しています。

February 25, 2008 05:37 PM | コメント (0)

2008年02月24日

ノート

センバツ出場校訪問記・沖縄尚学 その3

 比嘉監督にチームのキーマンになる選手を紹介していただきました。

【比嘉監督推薦】 新垣匠外野手(2年)

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 悩ましげな表情で口を開いた。「一生このまま“大会”には出られないのかなあ。ついてないのかなあ」。新垣君はここまで3大会連続で怪我に泣かされた。その悲劇ぶりが凄まじい。昨春の県大会は開会2週間前に左足を疲労骨折。夏は外野守備でダイビングに失敗。春の骨折から復帰して1週間しか経っていなかった。

 秋、3度目の正直とはいかず、悲劇は初戦2日前。紅白戦中に牽制球が右腕を直撃した。主軸のはずが、出場は九州大会での代打2打席だけに終わった。大会後、お守りを手首に巻くようにした。もちろん家族も必死だ。新垣君曰く「お母さんは毎日僕が怪我しないように祈ってます」とのこと。甲子園では「体のごつい選手が多いから」という理由で横浜高(神奈川)との対戦を望んでいる。持て余し続けた打棒を、思う存分爆発させるつもりだ。

 ◆推薦理由「大会前になるといつも怪我しちゃって・・・。でも、打力とか潜在能力はすごいんですよ。
このままセンバツまで順調にきてくれることを祈ります」(比嘉監督)

 新開球場では普段学校のグラウンドではできない実戦練習が中心になりました。

 挟殺プレーをメインにしていたが、ランナーも一生懸命だった。一、三塁、一、二塁など、スキがあれば果敢に次の塁を陥れていく。だからどちら側にも「今の違う!」、「ナイスプレー!」と注意や賞賛の声が飛ぶ。実戦形式練習はこの日が年内初。「ミスを恐れず、次に生かすことを考えよう」と積極的に動いていく。さすが沖縄、半袖姿の部員が10人ほどいる。特に際立っていたのが長浜好秀選手(2年)。五厘頭にガラガラになった声でチームを盛り上げる。チーム一どころか教室でも常に明るい沖縄尚学が誇る元気印だそう。2年生は明るさが持ち味。石原コーチによれば「真面目な子が多い」のも特徴だ。甲子園出場校には“例年より真面目、大人”と言われるチームが意外と多い。
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 外野手の視界感覚、飛球への入り方にも時間をかける。外野の守備練習が学校のグラウンドではできないからだ。その間、投手陣はファールグラウンドで投内連係の練習。指導にあたるのはもちろん比嘉監督だ。

【郷土の食べ物】

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 沖縄といえばゴーヤチャンプルー。しかし、波照間友作一塁手(2年=写真左)はパパイヤチャンプルー、黒島侑也捕手(2年)にはフーチャンプルーが入っていた。フーとは“おふ”のこと。お吸い物などで大活躍のおふも、沖縄では炒めるのが一般的。黒島君のものは塩、コショウで味付けられており、柔らかい食感が絶妙だ。フーのイントネーションが独特で、「違います」と何度も訂正されてしまいました・・・。でーじ勉強たーちなりやびたん!(大変勉強になりました)
(つづく)

February 24, 2008 12:28 AM | コメント (0)

2008年02月22日

ノート

センバツ出場校訪問記・沖縄尚学 その2

 比嘉監督はコーチ、副部長を経て06年6月に監督に就任しました。

 愛知学院大を卒業して、わずか3年目のこと。99年センバツ優勝左腕への期待とは裏腹にプレッシャーを感じていた。恩師・金城孝夫元監督(現・長崎日大高監督)、角田篤敏前監督(現・作陽高監督)というベテラン監督の後。2人ともコンスタントに甲子園出場を果たしている実績がある。

「監督が自分に代わって“出られなかったら、どうしよう”というのがあったんです」。

 間もなく、監督の胸中を知らずに不祥事が起こる。06年9月、部内暴力により対外試合禁止処分に科せられた。センバツを狙っていたが秋季県大会へも出場できなくなった。

「試合に出られない時点で負けることよりも強烈でした。勝ち負け以前に基本的な部分が足りなかったんだと」。

 この一件が監督の掲げる“思いやりのあるチーム”作りの原点になった。今日も練習前も、道具を出しっぱなしにしていたことを注意。「道具、帽子、シャツ、スパイク。親に買ってもらったものだ。ぐちゃぐちゃにしたままとか、感謝の気持ちがない証拠だよ。1つの物をきれいに置く、そこまで気を配ってやることで感謝が形になるんだろ」。寮でも上級生全員がゴミ分別係、ネット修繕係など何らかの役職につき責任感を持たせるようにしている。

 「グラウンドでは威圧感があって厳しい。褒められることは少ない」と話す選手。しかし、比嘉監督は「甲子園を決めて選手には本当に感謝しているんです」と何度も繰り返している。
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 就任と同時に指導体制も総入れ替えした。宮古島出身の伊志嶺大吾副部長は大卒1年目で3兄弟全員が甲子園経験者、石原昌彦コーチもOBだが、普段は会社員だ。平日は仕事を終えてからグラウンドに直行している。その話に触れると、神妙だった顔つきが一変する。「石原コーチとは誕生日が6月29日で同じなんですよ。副部長の伊志嶺は教育実習のときに連絡先を聞いたら、携帯番号の下3ケタが一緒。僕も伊志嶺も番号変えられないですよ(笑)。2人とも運命を感じました」。

 自身も監督になれたのは運命だと話す。卒業後1年間は県内の大学で地歴の教員免許修得に励んでいた。「そのときにたまたま大城(英健)部長から声がかかっただけなんです」。その幸運をも引き寄せる比嘉監督。実力と行動力が備わっていたからこそ得られたものだ。ライバルである興南高の我喜屋優監督、浦添商高・神谷嘉宗監督は「公也は沖縄の宝だ」と温かく見守っている。

 比嘉監督は優勝当時中学生だった私にとって大ヒーローだ。さまざまな人物像を思い描いて、この日を楽しみにしていた。取材前日は卒業式で準備から慣行まで大忙しだった。カレンダーにはたくさんの取材予定日が書き込まれてある。きっと同じことを何度も何度も聞かれているに違いない。それにも関わらず、1つも嫌な顔せず丁寧にいろいろなことを教えていただいた。監督に抜擢された理由、ベテラン監督たちが“公也、公也”とかわいがる理由がわかったような気がする。
(つづく)

February 22, 2008 12:42 AM | コメント (2)

2008年02月20日

ノート

センバツ出場校訪問記・沖縄尚学 その1

 今にも雨が降りそうな空のなか、那覇空港に到着しました。強風のせいか、17度という気温よりもずっと寒く感じました。今年の沖縄は連日こんな天気ばかりだそうです。

 やっとの思いで見つけた横断幕は、出発ロビーに大きく掲げられていた。市内へ向かうゆいレールの車内は観光客ばかり。地元の人は自家用車がメーンで、乗らない人は全く乗らないそうだ。沖縄の通学事情は自転車かバス、または家族の運転する車。通勤に合わせて子供を送迎するパターンも多く、朝6時台から学校に来る生徒もいる。

 沖縄尚学高校は国場(こくば)という那覇市内でも交通量の多い場所にある。通勤ラッシュの時間帯は渋滞が激しく「歩いたほうが早い」という声も。周辺は小学校や大学などが密集しており、沖縄尚学の正門も沖縄大のすぐ隣りだ。県内有数の進学率を誇る中高一貫校。中学に軟式野球部はあるものの、高校では学業を優先させる生徒が多い。小高い丘の上にそびえる校舎は6階建て、全長約120メートル。エレベーター(教員と一部の生徒のみ利用できる)が必要不可欠なほどの大きさだ。99年センバツ優勝記念の石碑がグラウンドを見守るように昇降口に飾られている。野球部員のほとんどが普通科体育コースに所属し、平日は15時から練習できる。
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 グラウンドは校舎と一般道路を結ぶ坂道に広がる。今や全国を代表する強豪校だが、環境は決して良いとは言えない。左翼90メートル、右翼45メートルと狭く試合は不可能。住宅街のため大会直前以外は金属バット使用禁止。雨天練習場もなく、冬(3日に1日は雨だそう)や梅雨時は大変だ。さらに火曜と木曜は中等部が使用し、学校行事があれば駐車場になってしまう。公営球場を借りようにも、この時期はプロ・アマがキャンプで利用するため確保が難しい。さすがに学校側から専用グラウンド建設の声が出ているそうだ。

 取材日は丸1日晴れた貴重な1日となった。朝8時半に集合して、車で30分ほどの新開球場(南城市)へ向かった。
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February 20, 2008 11:45 PM | コメント (0)

2008年02月16日

ノート

センバツ出場校訪問記・東北(宮城)最終回

 東北ナインは午後2時にグラウンドへ集合し、フリーバッティングが始まりました。

 5人程度がティーメニューを同時進行で消化していく。「このままずっと外で練習したいです…。打席に立ってピッチャー見たときの感覚とか目に入るものが、室内と外では全然違うんです」(選手)。その話を聞くと、ゲージに入る選手の顔が心なしか嬉しそうに見えた。今日の練習テーマは「元気良く声を出して」ということであちこちから威勢のいい声が聞こえる。気を抜くと、「おいおい、声が出てないじゃないか!」と寮監・武内充さんが選手よりも大きな声で喝を入れているのも微笑ましい。

 投手陣は球場の外で延々とランニングメニューをこなしていた。30分走4ポイントなど、距離や時間によってポイントが分かれており1ヶ月で300ポイント以上獲得しなければならない。投手にとってランニングは大事なトレーニング。ご飯を食べるような日常生活感覚で取り組んでほしいと五十嵐監督は考えている。わざと走り終えて苦しそうな選手に話しかけてみた。「ポイントはおまけみたいなものです。自分のために走ってるから関係ない」と高い志しに感心。ポイント制導入6日目、すでに彼は157.4ポイントを獲得していた。今度はさっきまでパソコンでデータを打ち込んでいた阿部功太郎マネジャー(1年)も走っていた。マネジャーも「体が鈍るから」と毎日10周走っているそうだ。
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 時計の針が16時をまわると、さすがに東北の冷え込みは厳しい。ネックウォーマーの選手を見ると、寒い地方に来たことを実感する。小澤先生にカイロをいただき、バッティング練習を見学してみる。ボールの数が多いせいだろうか、ボール拾いの時間はほとんどなかった。五十嵐監督は黒いバットを片手にじっと練習を見つめている。ときどき選手に話しかけ、2人で相談するように指導していく。
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 室内では我妻敏コーチが2人1組になった投手陣に100本ノック中。選手は泥だらけになりながらボールを追っていた。この熱気ぶりは窓ガラスの凄まじい結露が物語っている。
 練習は「充電日」という自主練習にあてた月曜日と、授業のある金曜日以外の平日は14~19時くらいまで。30分以上かかるグラウンド整備に指導者も加わり、てきぱきと土をならしていく。
「声を出すことにしても何にしても、今日だけじゃなくて継続していかなければ意味がない」(我妻コーチ)。東北高校野球道場と書かれたグラウンドで、鍛錬の日々が続く。
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◎・・・東北高校硬式野球部グラウンド
グラウンド=センター120m、ブルペン4つ、室内練習場(ブルペン2つ)
練習時間=平日:14~19時、休日:9~16時
夜間=照明4基完備
交通=JR東北本線・仙台駅、市営地下鉄・泉中央駅からバス。「泉ビレジ1丁目」下車すぐ。
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☆五十嵐監督はじめ東北高校の皆さん、お世話になりました。センバツでの活躍を祈っています。(矢島彩)

※次回は沖縄尚学高校を予定しています。

February 16, 2008 11:19 PM | コメント (0)

ノート

センバツ出場校訪問記・東北(宮城)その2

 「この時期にグラウンドが使えるのはありがたいですよ」。東北の五十嵐征彦監督、31歳。意外にもセンバツは初挑戦になります。

 昨秋は左腕エース・萩野裕輔(2年)を中心に日替わりヒーローが誕生した。明治神宮大会では横浜(神奈川)を最後まで苦しめ4強に残った。東北と言うと、野球留学生の多い印象があるが、今年は違う。ベンチ入り18人中、12人が県内。しかもそのうち3人が学校のある泉区出身だ。

「この代は私が監督になって初めて(中学時代を)見て集まった子たちなんです。県外の子も勧誘しているわけではなくて、東北で野球をやりたいと言って来ています。うれしいですよね」。
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 間もなく就任5年目、「以前から考えていたことですが、今まで小さいいろいろなことを言いすぎてしまっていた。選手が実行する前に、僕がストップをかけて邪魔していたところがあったと思います」と反省を口にする。神宮大会後、スコアボードに“全力疾走に勝る技なし”と書いた。この全力疾走にはさまざまな意味合いが含まれている。まずはチームの特徴である足の速さを生かすため。盗塁はほとんどがノーサインだ。また、自分たちができる当たり前のこと徹底させるため。そして、失敗を恐れない全力プレーを目指すため。

「現役時代に比べて、今の子供は“失敗したらどうしよう”という気持ちが強い。挑戦してから後悔したほうがいいですから」。

 五十嵐監督にとっても全力疾走は原点回帰につながっている。平成5年春、選手として出場した甲子園で土佐(高知)と対戦した。正直試合内容は緊張でよく覚えていない。「でも、土佐高校の全力疾走には目を奪われました。尋常じゃない走り。すごかった…」。監督室のガラスケースには名門校の名前が入ったボールがたくさん飾られている。しかし、土佐だけは別の段にあった。
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 また、野球部ノートならぬ自己管理日誌も日課となっている。成功も失敗も両方書いて、毎日出す子は伸びる傾向が高いとのこと。試合や大会の後にはレポートを提出させ、五十嵐監督が選手たちの反省を1つにまとめて伝えてあげる。そこからは選手だけでミーティング。ビデオを見ながら意見が飛び交う。「理想は選手同士でサインを出して、監督はノーサインの野球です」。そうは言うものの、道のりはなかなか険しそうだ。

「全力疾走も普段の練習ではまだまだですよ。ノートも書くスペースを減らしても書かない子がいたり、忘れたり無くしたり(苦笑)。僕も日々勉強中です」。

104年の伝統を受け継ぎつつ、挑戦は始まったばかり。そんな五十嵐監督の指導について選手は…。「選手の立場に立って、野球をのびのびやらせてくれます」というものが複数の選手に共通していたことだった。
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【五十嵐監督推薦】 立花幸平一塁手(2年)

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 スイング数は数えない。毎日気がすむまでバットを振っている。消灯ぎりぎりまで振って、お風呂や洗濯の時間が無くなりそうな日もある。「一番練習すると言われてうれしいですけど、それはチームでの話。全国を見たら自分より振ってる選手はたくさんいますから」。頼もしい言葉の裏側には「悔しくてしょうがない」経験があった。昨秋の東北大会、優勝の輪のなかで自分だけが浮いていた。4試合でたったの1安打。打順も3番から7番に降格し、監督や仲間をも悩ませた。甲子園でも何番を打つかわからない。でも、活躍するイメージはできている。「完璧なフルスイングなんです。ホームランみたいな感じ。想像通りいってくれればいいですね」。努力の成果が花開くと期待したい。

 ◆推薦理由 「命名するならバットマン。チームで一番練習しますし、バットを振る量もナンバーワンです。期待の意味も込めて」(五十嵐監督)

(つづく)

February 16, 2008 11:08 PM | コメント (3)

ノート

センバツ出場校訪問記・東北(宮城)その1

 第2回は春夏通算38回の出場を誇る名門・東北(宮城)です。新幹線・はやてに乗って宮城県へ。しかし、トンネルを抜けても、そこは雪国ではありませんでした。

 雪がほとんどなく、走っている車からも雪の痕が見受けられない。小雪の散らついていた東京を考えれば、ものすごい違和感。仙台駅前は歩道橋がくもの巣のように張り巡らされている。駅北側には遠くから見ても目立つ出場記念の横断幕が掲げられていた。その歩道橋の下にバスターミナルが広がっている。小澤洋之部長から「この時間帯は何分にバスが出ていて、料金は500円です」と親切に教えていただいた。1時間に2本ペースで出ている、泉ビレジ行きのバスに乗り込んだ。街中を抜け、吉成台、中山台という丘をぐんぐんと上がっていく。このあたりは区画整理された新興住宅街だ。頂上から今度は一気に下っていくのだが、その途中で東北高校泉キャンパスを見渡すことができる。

 駅からバスに40分くらい揺られ「泉ビレジ1丁目」バス停で下車。目の前に泉キャンパスの正門が見えた。大学キャンパスのような広大な敷地内には陸上競技場、テニスコートなど様々な施設(写真)が立ち並ぶ。
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 東北には全部で9コースの学科があり、キャンパスは2つ。この泉キャンパスはクラシック特別進学コースや留学制度のあるインターナショナルコース、野球部員の8割以上が在籍するスポルティーボコースなど5コース、約800名が学んでいる。校舎の見た目はオレンジ色、中は壁がコンクリートで無機質な感じがおしゃれだった。昇降口には野球部の優勝旗や、荒川静香さんなどフィギュアスケート部OBの写真がずらり。
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 泉キャンパスの一番奥に野球場と室内練習場、野球部寮・勿忘(わすれな)荘がある。1990年完成当初、プロ野球関係者が見学に訪れたほどの施設だ。室内練習場には同時に2人が投げられるブルペンも完備。球場はスタンド、専用トイレもあり、1階部分が監督室のようになっている。このスタンドの良いところは、バックネット裏以外のすべてのスペース、つまり内外野の芝生でも見学・観戦ができることだ。球場入り口には練習試合の日程も書いてある。東北は遠征に出ることは少なく、ほとんどの練習試合をこの球場で行う。
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(つづく)

February 16, 2008 11:01 PM | コメント (1)

2008年02月05日

ノート

センバツ出場校訪問記・安房(千葉)最終回

 日も暮れ始めたころ、グラウンドに「エアロビー!」の声が響きました。選手たちはニヤニヤしながら右翼付近へ移動。テニス部の女子生徒も見つめるなか、ミュージックスタート!

 SMAPの弾丸ファイターに乗って踊り始めた! 先ほどの筋トレで見せていた苦痛な表情はどこへいったのか、とびきりの笑顔が弾けている。女子生徒の感想は「楽しそう」、「混ざりたい」、「でも、ちょっと怖い(笑)」とのこと。

 次はAvril LavigneのGirl friendというスピード感溢れる曲だ。馬跳びをするなど振り付けもハード。選手も「この曲はきついんです」と、息が苦しそうだ。しかし、3曲目で再び笑顔が戻る。児玉コーチいわく「仲良くなろう系です」という大塚愛のPEACHだった。お尻を左右にフリフリさせたり、手をつなぐところは歌詞そのもの。極めつけは全員でハートマークを作った締めの部分。あまりのインパクトに思わず拍手してしまった。この振り付けは専門家がトレーニングやリズム感を意識させて作ったもの。休みなしで約10分間踊り続けることはなかなかハードだ。毎年1月初旬に柔道の早朝寒稽古に参加している野球部員。その練習終了後から授業までの間に覚えたそうだ。野球部の恒例行事としては1月の寒中水泳も1つ。「20分くらい泳ぐんですけど、寒いより痛い…」らしい。
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 「せっかく出させていただくんだからちゃんと準備していかないと。その意識がまだまだ低いよ」。練習が終わり、早川監督が部員に伝えた言葉だ。グラブの芯で捕らなければいけないボール、大きい当たりを打とうとしてしまうバッティング、返事。これら当たり前のことを35人中1人も欠けることなく、やれないうちは必ずボロが出ると話す。

 「“やってるつもり”では周りも認めないし、うちみたいな学校は勝てない。2時間の試合で相手からどれだけ嫌がられるか。それは相手チームのことよりも自分たちのできることを精いっぱい、元気良くやることしかないんです」。

 過去を振り返ると、勝てるようになったチームは返事の早さやタイミングが抜群に揃っていたという。見事な返事に聞こえても、選手たちは「もっとしっかり返事しよう!」と言い合っている。それは自分たちはまだまだと自覚できている証拠。35人の気持ちが本当に1つなったとき、甲子園にも安房旋風が吹き荒れそうだ。

 帰りは学校から車で20分ほどの金谷港から東京湾フェリーに乗った。安房も毎年恒例の湘南学院(神奈川県横須賀市)との練習試合で利用しているそうだ。頭の中でPEACHが延々と流れること35分、久里浜港へ到着した。(おわり)

◎・・・千葉県立安房高校硬式野球部グラウンド
グラウンド=陸上部と併用、ブルペン3つ、室内練習場はなし
練習時間=平日:16~19時、休日:9~16時(不規則)
夜間=ノック、バッティング練習は無理
交通=JR内房線・館山駅 下車徒歩15分

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 ☆早川監督はじめ安房高校の皆さん、お世話になりました。センバツでの活躍を祈っています。(矢島彩)

February 5, 2008 11:06 PM | コメント (9)

ノート

センバツ出場校訪問記・安房(千葉)その3

 グラウンドに戻ると、交代でお昼休憩に入っていました。学年別の小さな部室、倉庫では安房のスタンドを彩るピンクのメガホンが眠っていました。しかし、甲子園はスクールカラーの紫色に統一する予定だそうです。応援部やチアリーディング部もなく、結成されるかどうかは未定ということでした。

 【郷土の食べ物】
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 本田浩祐捕手(2年)のお弁当(写真左)に南房総の名産品・食用菜花の炒め物が入っていました。今が収穫時期という旬の野菜。「普通に食べると苦いけど、これはコショウが効いてますよ」。茅野啓介選手(1年)のほうには鯨の竜田揚げが。茅野選手の住む和田町(南房総市)は日本で4カ所しかない捕鯨地区の1つ。鯨料理は決して珍しいものではないそうです。んーどちらも本当に美味しそうです!

 午後、ランナーを想定した実戦的な打撃練習に入った。早川監督は「加藤ちゃん、いける?」と3年生の加藤投手をマウンドへ呼んだ。緊張感の走る現役ナインに早川監督がゲキを飛ばす。「(現役は)さっきまでマシンでいっぱい打ってアップ完了してるんだからな」。そうは言っても、加藤投手のボールはマシンよりもはるかに速い。選手は打とう、打とうという気持ちが先走り、ほとんどを打ち取られた。ネット裏で見ていた指導者たちも「やっぱり普通のバッティングさせてもらえないなあ」、「もうちょっと打ってもいいんだけどね…」とつぶやく。「こういう実戦的な練習は例年より前倒しでやっています。野球カンを思い出させないといけないですから」。初めてのセンバツへ向けて試行錯誤の日々が続く。加藤投手は「しのいで、しのいでというのが安房の野球。出るからには1勝はしてもらいたい」とエールを送る。

 今度はけん制を意識した走塁練習。ベースへの戻り方、瞬時に立つ方法などをあらためて確認した。また、仮想甲子園も体験した。何千という観客が訪れる甲子園で、ランナーコーチの声が聞こえるかどうか? まず、コーチ役にチーム一大きな声の中川翔矢左翼手(2年)を抜てき。それ以外の選手にも叫ばせた。だが、結果は「ほとんど中川君の声が聞こえない」というものだった。本番では自分の判断も重要になってくることを学んだ。(つづく)
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February 5, 2008 10:56 PM | コメント (0)

ノート

センバツ出場校訪問記・安房(千葉)その2

 早川監督にキーマンになる選手を聞いてみました。すると渡辺涼平二塁手(2年)の名前を挙げてくれました。

【早川監督推薦】 渡辺諒平二塁手(2年)
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 渡辺君は全打席バスターの構えから打つ。昨年夏、「ボールと顔の距離が遠くなってしまう」と悩んだ末に考えたものだ。2番打者ながら、秋はチーム打率を超える3割1分3厘をマークした。「長打は頭にありません。後ろにつなぐことしか考えてないです」。一生懸命が口癖。小学生のとき、安房のキビキビとした練習を見てひかれた。「甲子園は夢だった。普段の練習から1球1球に集中して一生懸命やるだけです」。この日も遅くまで特守を受けた渡辺君。トレードマークのオレンジ色のシューズが茶色くなるまで頑張ってほしい。

 ◆推薦理由 「必殺仕事人と呼んでいます。渋くていぶし銀のような2番打者です。普通の構えを見たことがないですね。どうしたら打てるようになるか、自分の生きる道を見つけたんでしょう。そのままセーフティーをやってアウトになったこともあります(苦笑)。でも、フェンス直撃も打つし、周りの子が打たないときに打ってくれるんですよ。守ってもセカンドとして重要なポジションにいます。他の選手が目立つけど、渡辺も欠かせないです」(早川監督)

 フリーバッティング中、陸上部員がランニングを始めた。しかも、レーンにあたるネット裏や外野の中を平気で走っている。よく見ると、安全なところまで外野手が交代で並走していた。部員が多いときはバッティングを中止してバント練習に切り替える。この光景は早川監督が現役のときから変わってないという。どんな方法で陸上部員を守るのがいいか? 毎年改良を重ねている成果なのか、ボールが直撃したことは無いそうだ。もちろん陸上部以外の通行人も守ってくれる。

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 早川監督は打つごとに選手にアドバイスを送る。ある選手はランナー一塁の場面で右飛という結果だった。
「どこが悪かったかわかるか?」(監督)。
「最低限の仕事としてランナーを進めようと思って、右方向を狙いすぎました」(選手)。
「(中軸を打つ)おまえにそんな仕事は期待していない。センターでいいんだよ」(監督)。
「はい!」(選手)。
1人ずつ、しっかり会話をしているのが印象的だった。もう1つは、注意・アドバイスをする上で当該選手と全選手にむかって指導をしていることだ。そのせいか、早川監督の声は選手に負けないくらい大きくて響く。

 学校へ行ってみると、あいにく校舎は工事中だった。敷地内には歴史を感じさせる幹の太い木や松などが聳え立つ。一方でそれらに混じって温暖な館山を象徴するヤシの木の姿も。正面玄関の石碑には「文武両道」の文字が彫られていた。1年生は工事の影響で春から統合する安房南の校舎で授業を受けている。安房水産と館山の統合も決まっており、少子化は深刻だ。(つづく)

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February 5, 2008 10:47 PM | コメント (0)

ノート

センバツ出場校訪問記・安房(千葉)その1

 「センバツ出場校に潜入せよ!」。出場校選考会が終わった1月25日夕、気まぐれなデスクから突拍子もない指令が出ました。「潜入? 忍者じゃあるまいし」と思いながらも、興味がわきました。もちろん「潜入」ではなく、アポを取っておじゃましています。第1回は21世紀枠で初出場の安房(千葉)に行ってきました。題して「センバツ出場校訪問記」。36校全部は回れそうもありませんが、読んでみてください。

 東京駅から最寄りの館山駅まで特急列車で約2時間。安房高校のある館山市は房総半島最南端に位置する。駅を降りるとJRの掲示板、駅前までの通路、飲食店など至るところに“センバツ出場おめでとう!”の文字。大手ガソリンスタンドの電光掲示板にも出場を祝うメッセージが流れていた。

 お祝いムードの市内を歩くこと15分、校舎を通り抜け一般道を渡ると第2グラウンドに着いた。周りは住宅街。裏の畑から大根が早く収穫してと言わんばかりに頭を出している。午前9時、アップを止めた35人の選手たちが元気のいい挨拶で迎えてくれた。頭の真上が見えるくらい深いお辞儀だ。

 第2グラウンドは変わった形をしていた。イメージとしては400メートルトラック競技場。ハンマー投げなどを行う芝生部分が野球部のグラウンドになっている。右翼側にはテニスコートと弓道場、左翼側は民家が並ぶ。「ここでの練習試合はたまにしかやりませんね」。すこし高い声が特徴の早川貴英監督。母校を率いて13年目を迎える。部長の森政幸先生も、児玉秀一コーチも野球部OBだ。

 モットーは「常に全力で」。選手たちは少しの移動でも全力疾走で、返事も写真の通り元気いっぱい。
「相手からしたら元気のあるチームが一番嫌ですからね。それに、うちのような普通の県立高校は自分たちのできることを精いっぱいやらないと勝てません」。新しい戦力や難しい技術に頼るのではなく、今あるものにより一層の磨きをかけていく。これが安房高校野球部だ。

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 この日、旧エースの加藤寛人投手(3年)が練習に参加していた。昨年夏、チームを県4強へ導く“安房旋風”を巻き起こした1人だ。彼は右スリークォーター気味の変則投手だった。今年の佐野公亮投手(2年)も右上手ながら独特の投球フォームをしている。

 「毎年そういうピッチャーばかりです。前は左利きのセカンドもいたんですよ。いつも見てくれは悪いんです(苦笑)。でも、勝つのが目標。そのためには千葉という強豪ひしめくなかで、普通に、きれいにやったら勝てない」。

 最初の2年間は結果が出ずに苦しんだ。99年、春と秋に初めて4強に進出した。「満足はしてなかったですが、その先がなかなか…」。00年から3年連続8強止まり。決勝進出への壁がなかなか打ち破れなかった。そして、志学館、東総工などのシード校を次々と倒していった07年夏。早川監督は初めて夏の大会で4強まで勝ち上がった。新チームにも鹿嶋勇太捕手(2年)、鈴木雄也遊撃手(2年)、岩沢寿和中堅手(2年)のセンターラインが残った。秋の県大会でも“定位置”の準決勝まで勝ち上がる。

 「夏、秋と連続でベスト4。今回を逃したら、もう(今後の)決勝進出はないという覚悟でした」。優勝候補筆頭・木更津総合を相手に、12三振を喫し、11安打も浴びた。しかし、前半のリードを守り続け5-4で勝利を手にした。早川監督は「木更津総合さんは10回やっても勝てない相手です。おしん野球ですね」と耐えて耐えてつかんだ勝利を振り返った。児玉コーチは「ようやくこの子たちで実った。勝つコツを教えてくれた3年生にも感謝です」と話した。(つづく)

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February 5, 2008 10:38 PM | コメント (3)