2007年09月29日

ノート

慶応ボーイの意地を見た

 東京六大学リーグも折り返し地点を迎えようとしている。7季ぶりの優勝を狙う慶大は、ここまでの2カードでその意地を如何なく見せていた。

 春2位の明大と4日がかりの死闘。延長戦のない1回戦では9回に3者連続適時打が出て、同点に追いつき引き分け。最後の2イニングを相沢宏典(3年=熊本)が完璧に抑えたのも大きかった。2回戦は8回に明大の同点のランナーを中堅手・青池悠五(4年=静岡)が見事な返球で刺し、先勝。翌日、緊迫した投手戦も7回に加藤幹典(4年=川和)が被弾して2-2。エースの思わぬKOだった。

 しかし、このとき慶大ベンチの違和感に気がつく。なぜなら、第1試合で法大ベンチは早大に逆転されたとき静まり返り、彼らの沈黙はベンチ奥にいたコーチが声をあげるまで続いていた。対照的に慶大のベンチはまるでリードしているように明るかったのだ。雨のなか、スコアラーもビニール袋をシートにかぶせてベンチ最前列で身を乗り出して叫んでいる。

 「いけ、相沢!逃げるな!」。

 加藤の後を任されたのがやはり相沢。明大後攻のプレッシャーのなかで5回1/3を無失点に抑えた。10回には再び青池がスーパー返球を見せ、サヨナラ負けを回避。延長12回の末に再び引き分けた。慶明戦が4回戦までもつれこむのは00年秋以来。このときも山本省吾(現オリックス)というエースがフル回転し、佐藤友亮(西武)の好返球がチームを救った。今のチームはこの代とかぶって見えて仕方がない。

 ここまで全試合を投げている加藤はいつもの笑顔で言った。「投げすぎ?そうですねー、疲れがないわけではないですけど、実りの秋ですね」。

 2度目の引き分けを他のナインはどう受け止めていたのだろうか。後輩・中林伸陽(2年=慶応)がチームの雰囲気を語る。「4年生たちが“まだ試合ができるぞ”と喜んでるんですよ。楽しそうです(笑)」。

 勝つことはできなかった。だが、それよりも負けなかったほうの大きさをかみ締めているのだと思った。

 先制を許した4回戦だったが、チーム状況を映し出すかのように漆畑哲也(2年=慶応)が逆転2ランを放てば青池もだめ押し。黒星発進でがけっぷちから連勝した立大戦に続く勝ち点を奪った。

 早慶戦を制して優勝を決めた00年秋と同じ結末を目指して、陸の王者は突き進む。

September 29, 2007 06:52 AM | コメント (2)

2007年09月22日

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埼玉栄の白崎に注目

 昨年夏の埼玉県大会、埼玉栄の白崎浩之内野手はあまりの暑さに頭がくらくらしたという。生まれ育った北海道岩見沢から埼玉へやってきて、この秋から副主将に就任した。

 「プロに入りたい。それなら内地のほうが見てもらえる機会が多いから」と埼玉栄への進学を決めた。練習を見学したときに木村文和(現西武)を見たのも強い刺激になっている。両親も自分の力を試すなら厳しい環境のほうがいい、と意志を尊重してくれた。岩見沢シニアではエースで3番の大黒柱。評判通りの野球センスですぐに「1番三塁」のレギュラーをつかんだ。大きな故障もなく、徐々に関東でも注目を浴びる選手になっている。2年時には先輩から遊撃のポジションを奪い、新チームからは3番に座っている。

 だが、自分のアピールポイントを尋ねると答えに詰まった。「…。木村さんはチャンスで確実に打っていた。凡打を見たことがないくらいすごい選手なんです」。一緒にプレーできたのがたったの4カ月とはいえ、プロ入りした先輩の背中は大きかった。木村と自分を比べたら、とても現状に甘んじている場合ではないと痛感している。

 さらに、今夏甲子園に出場した地元・駒大岩見沢(北海道)の存在も意識。エース・白崎勇気(3年)はいとこ。1番を打っていた青山佳朗(2年)はチームメートだった。出場を聞いたときは「駒大に行っておけば良かったかな…」と悔やんだのが正直なところ。

 しかし、そう脳裏をかすめたのも一瞬だけ。甲子園は見ずに気温40度のグラウンドで汗を流した。それよりもっと強い後悔がある。1年夏の市立川越戦。自分のエラーがきっかけで木村の代の夏を終わらせてしまったことだ。あのときのプレーを今でもときどき思い出すという。

 「自分の選んだ道が違っていなかったことを証明したい。そして、もうあんな悔しいことをしたくない」。

 戸栗和秀監督(42)は「潜在能力はあるのに、それをまだ出し切れていない」と伸びしろに期待している。

 18日の市立浦和との地区代表決定戦、5度あった守備機会も無難にこなし、4回には右中間へダメ押しの適時三塁打を放った。「打撃も守備も少しずつ(木村さんに)近づきたい」と白崎。今年好投手ひしめく埼玉で、快音とともに成長を刻もうとしている。

 ◆白崎浩之(しらさき・ひろゆき)1990年(平2)8月20日生まれ。北海道出身。小学1年のとき岩見沢第一アトムズで野球を始める。岩見沢シニアでは投手兼遊撃手。2年夏にジャイアンツカップに出場、3年春には全国大会16強入り。野球を始めるきっかけとなった兄貴博さん(22)を尊敬している。183センチ、73キロ。右投げ右打ち。

September 22, 2007 06:48 AM | コメント (5)

2007年09月14日

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駒大・榊原主将が欲しいもの

 春に7季ぶりのAクラス入りを果たし名門復活を予感させた駒大。今秋も開幕から3連勝と好スタートを切った。ここまで14打数8安打と好調なのが主将・榊原浩司(4年)だ。

 1割7分9厘。昨年1年間フル出場して、前年からは考えられないような不本意な打率を残してしまった。次の打者が好調だったこともあいまって、不振ぶりがひと際目立った。榊原は結果が出ないとすぐに打撃フォームを変えていた。指導者、チームメートなど色々な人からアドバイスを受けたが、すべてを聞き入れようとしてしまう優しい性格も災いし、それを繰り返しているうちに1年が終わってしまったというわけだ。

 「打席でも訳がわからなくなって、1球ごとにフォームを確認してました。気持ちに余裕もなくて楽に入れなかった」。

 入学直後から試合にも出場し、下級生のころから主軸を打っていた。外野手に挑戦させてまでスタメン起用するところにも期待の大きさが現れていた。チームトップの打率を残した2年秋、勝てば太田誠監督(当時)がリーグ500勝という試合で、同学年の東洋大・大場翔太(4年)からサヨナラ本塁打を放ったことがある。無数のフラッシュを浴びながら人懐っこい笑みを浮かべていた。

 しかし、その表情を見る機会が急激に減った昨年。リーグ戦を終えると苦しい本音がこぼれ落ちた。

 「打てないですね。悩んでますよ…」。

 主将にも就任し、落ち込む姿を見せるわけにもいかない。少しずつではあるが、自分に厳しい榊原の姿勢が解決のヒントを与えてくれた。春季リーグ戦中盤に差し掛かると快音が聞かれるようになる。結果的に2割6分7厘まで回復した打率は「自分の形が作れるようになった」と納得のいくフォームを見つけられた証拠だった。さらに榊原にとって追い風にもなったのが8月に行われた東都選抜による国際大会だ。コーチとして帯同した中大・清水達也監督(43)も「榊原が一番よく打った」と労うように、日本選手では“3番遊撃手”として唯一フル出場。現在、同じ状態で最後のリーグ戦を迎えられている。

 「雰囲気がいい。自分もチームも落ち着いている。リードされても最終的に追いついていればいいというくらいの気持ちです。個人タイトルですか?それはいいです」。

 入学してから入れ替え戦も優勝決定戦も経験した。欲しいのは優勝しかない。

 ◆榊原浩司(さかきばら・こうじ)1985年(昭60)6月4日生まれ。三重県出身。小学1年のときに四日市トップーエースで野球を始める。中学時代も同チームに所属し、エースとして活躍。ボーイズの日本代表にも選出された。仙台育英(宮城)では1年夏に甲子園出場。50メートルは6秒0。176センチ、74キロ。右投げ左打ち。

September 14, 2007 07:19 AM | コメント (6)