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2006年12月23日

ノート

斎藤佑樹の魅力とは…

 今年のアマチュア野球界を振り返る上で、斎藤佑樹(早実=3年)を語らずにはいられないだろう。

 彼にはやはり、同年代の高校球児とは一線を画すような魅力がある。テレビや雑誌のインタビューを追っていて、気付いた人がいるかもしれない。例えば、以下の言葉は大学進学を表明した記者会見の一部だ。

 「アメリカ遠征、甲子園大会という大舞台を通じてプロ野球やアメリカの野球のさまざまな影響を受けましたが、最終的には最初から希望していた大学進学は変わりありませんでした。(アメリカ遠征で)他チームの仲間と一緒にプレーしたことで気持ちが大きく揺らいだのですが、野球選手としても人間としても未熟だと思うので、大学で成長できたらと思います」。

 とにかく1文が長い。ほかの高校生なら「アメリカ遠征、甲子園大会を通じていろんな影響を受けましたが、大学進学を決断しました」と簡単なものになるだろう。なかには「大学進学にしました」とひと言で終わってしまう選手もいるかもしれない。しかし、斎藤の場合はどんなインタビューでも“~だったが~なので~した”と起承転結・理由がはっきりわかる場合が多かった。つまり、しっかりと自分の考えを言葉にできるのである。

 では、このようなあらたまった場所ではなく甲子園の場合はどうだっただろうか。大一番となった夏の甲子園2回戦・大阪桐蔭戦のあと、斎藤の周りを何十もの記者が囲んだ。背中は汗びっしょりで蒸し風呂のような暑さが襲う取材通路だったが、斎藤はいたって涼しげな表情、口調で振り返っていた。私はこのとき斎藤からは最も遠い位置で必死にメモを取っていた。そして僅かなスペースから顔を出して質問してみた。

 「6回は内の真っ直ぐですよね?ここで抑えられたのも経験の差だと思いましたか?」。
 「はい。インコースを予定通り詰まらせました。やっぱり(中田翔は)2年生だなと思いました」(斎藤)。

 驚いた。聞いている間も、話している間も斎藤は私の目をしっかりと見ていた。それ以来、斎藤に取材をするときは彼の目線を追うようになり、どんなときでも相手の目を見て話すことがわかった。しかも、「たまたまです」とか「気持ちです」などという高校球児にありがちな「慣用句」はほとんど聞かれなかった。話を聞いている間も、こちらの話をちゃんと聞いているのか小さくうなずくような仕草を見せるときがある。

 対話もでき、自分の考えも丁寧に述べる斎藤。別の言葉で言い換えれば、高校生らしからぬ大人っぽさがある。その性格がそのままクレバーと言われるピッチングにも出せる。早大でさまざなな技術や影響を受ける斎藤は、ますます魅力的な人間になるに違いない。

December 23, 2006 09:53 AM | コメント (11)

2006年12月15日

ノート

センバツ21世紀枠を検証しました

 21世紀枠を導入して、来春で7回目のセンバツ大会になる。導入当初は賛否両論だったが、宜野座、隠岐、一迫商など話題性のある学校が大会を盛り上げたこともあった。15日、来春79回大会の21世紀枠候補が9校に絞られるがその前に過去の21世紀枠候補を振り返ってみたい。

01年 安積、宜野座
02年 鵡川、松江北
03年 柏崎、隠岐
04年 一関一、八幡浜
05年 一迫商、高松
06年 真岡工、金沢桜丘

 ここまでの21世紀枠出場校の通算成績は5勝12敗。最高は01年宜野座のベスト4で、03、04、06年は2校とも初戦敗退。もうちょっと頑張ってほしい気もする。03年から導入された希望枠の方は今のところ2勝4敗だ。

 選出されたのはすべて公立校。候補に挙がる学校の多くが公立校という影響もあるのだろう。07年も約8割が公立校だ。また、東西でそれぞれ1校ずつ選出されているのがわかる。なかでも東北地区は最多3回、島根県からは2回の選出。中国地区はもっぱら山陰2県に絞られている。逆に東海と近畿は1度もない。過去の近畿地区の顔ぶれは、耐久や桐蔭といった古豪が多いのだが…。今年は和歌山県から県和歌山商が3度目の推薦を受けている。なかには「候補の常連校」的な存在の学校もある。上山明新館、彦根東、県和歌山商、米子西、都城泉ヶ丘の5校は07年を含め、最多3度の推薦になる。米子西に至っては3年連続だ。

 では、落選をバネに?、後に一般枠で甲子園に出場できた学校はどれくらいあるのだろうか。
※頭の数字が出場年、あとの数字が落選した年(調査対象280校)
06夏・光   南…04、06年
02春・宇都宮工…01年
03春・花咲徳栄…02年
04夏・修   徳…03年
02夏・日本文理…01年
05夏・静 清 工…02、05年
02夏・久居農林…02年
04春・立命館宇治…02年
02春・大体大浪商…01年
05春・大産大付…03年
06春・岡山東商…04年
06春・今 治 北…05年
06春・伊万里商…02、06年
05夏・清   峰…04年
06夏・鹿児島工…05年
06春・八重山商工…05、06年

 これを見ると、九州地区の躍進ぶりがうかがえる。04年に選出された清峰は、秋の長崎県大会で優勝したことが評価された。05年夏に甲子園初出場を決めたのを機に3季連続甲子園出場と、一気に全国の強豪校へと名乗りを挙げた。八重山商工、鹿児島工も今年の高校野球を大いに沸かせてくれた。今後も九州の21世紀枠候補校は要チェックかもしれない。今年は大分県の連合チーム・豊後大野連合や宮古島の宮古などが候補に挙がっている。

 15日に絞られる9校は来年1月26日の運命の日まで長い長い冬を過ごすことになる。

December 15, 2006 10:30 AM | コメント (12)

2006年12月01日

ノート

言葉を大切に、国学大竹田監督

 この秋、27季ぶりに1部に昇格した国学大が東都大学リーグで旋風を巻き起こした。

 通算成績は8勝6敗1引き分けで3位。8勝のうち5勝が逆転勝ちで、なかでも青学大1回戦は9回に2点を入れてサヨナラ勝ち。2回戦は8回に3点、9回に1点を入れて引き分けに持ち込んだ。また、5勝を2点差以下の僅差でものにしている。連敗は1度だけ。2死からの得点も多く、ここぞの場面で出る連打が光った。この勝負強さに亜大の生田勉監督(40)は「しぶとい…」と舌を巻いていた。

 チームを指揮する竹田利秋監督(65)。東北を甲子園8強に導くこと6回、仙台育英では1989年夏に宮城県勢初の準優勝。27年間で27回の甲子園出場を果たし、宮城の野球を全国区にした名将だ。

 試合後、取材に応じる竹田監督は他大の監督とは雰囲気が少し違う。言葉を選びながらじっくりと話すのだ。「言葉は相手を動かすために心に入っていくようにしなければいけない。だからすごく大事にしている」。それは、選手の前でも変わらない。例えば、竹田監督はよく下級生たちに「嶋がいるうちに色々なことを学んでおけ」と言っていた。嶋とは、楽天入りする正捕手・嶋基宏(4年=中京大中京)のことで人間的にも技術的にも“理想の捕手”として信頼を置いていた主将だ。私は「嶋選手をお手本にして吸収してほしいということですね」と確認したが…。

  「いや、お手本ではない。言っていることは同じなんだけどお手本という言葉では感覚が違ってしまうんだよね」。つまり、お手本と聞いた嶋はそれを意識して自然体で無くなってしまうという。もう1つは、お手本だと真似をするだけで学ばない子もいる点。

 竹田監督のミーティングの最後は、クエスチョン形式で終わるという。「いつも“~だろうか?”という感じで答えを言わないんです。“え?結局何が言いたかったんだろう?”と理解できない子もいます。でも、それは僕たちを考えさせるためにわざとやっているんだと上級生になってわかったんです」(嶋)。

  「高校野球なんか特に“はい・いいえ”の会話が多いでしょう。自ら決断しようとしないんです。簡単に答えを求めようとしている」。だから、例えば故障した選手に対して「A病院へ行ってこい」という一方通行な指示は出さない。仮に通って治らなかった場合、選手は「監督の指示に従っただけ」と陰で言い訳という逃げ道をつくるからだ。まずは、行くかどうかを確認し、病院を選ばせる。治らなかったときは次にどうすればいいか考えさせる。

  「人間、失敗したときや上手くいかないときにどうするかです。逆境での強さが大切。試合も同じです。私は試合中にサインを出すことは少ないほうだと思います」。確かに、嶋がベンチに座る監督の顔を確認する回数は少なかった。それは、嶋本人も実感しているようだ。

  「ボールではなく、ベンチの監督と対話しながら打席に入るチームもあった。1球1球見ている選手もいるんです。苦しいときも自分で考えなきゃ勝てないです」。

 10月5日に行われた亜大2回戦。負ければ青学大の独走を許すことになる大事な試合だった。先発には、全試合に中継ぎ登板していた相原佳人(4年=長泉)を起用した。

  「気持ちが強いんです。落ち込まない子だから」との理由で抜てき。「自分がやるしかないと思った。最初からリリーフの気持ちで投げた」という相原は渾身の126球で2失点完投勝利。「竹田監督のおかげで僕なんかがリーグ戦でも投げられるようになりました」。

 高校時代は無名の存在だった相原。この秋の活躍で社会人チームで野球を続けられることになった。

 ◆竹田利秋(たけだ・としあき)1941年(昭16)1月5日生まれ。和歌山県出身。和歌山工-国学大。68年から95年まで東北、仙台育英で監督を務め佐々木主浩、斎藤隆(ドジャース)らを育てる。96年に当時2部だった母校の監督に就任し、渡辺俊介(ロッテ)や矢野謙次(巨人)をはじめ、一昨年からは3年連続でプロ野球選手を輩出している。

 ◆嶋基宏(しま・もとひろ)1984年(昭59)12月13日生まれ。愛知県出身。中京大中京では二塁手としてセンバツに出場。同期に深町亮介(中京大-巨人)。大学入学後、捕手にコンバートされ2年春からリーグ戦に出場するようになる。今秋はベストナインを獲得。「プロはどこでもいい。何巡目でもいい」と話し、3巡目指名で楽天入りを決めた。179センチ、82キロ、右投げ右打ち。

 ◆相原佳人(あいはら・よしひと)1984年(昭59)4月14日生まれ。静岡県出身。長泉では夏の静岡大会2回戦が最高。大学では1年時からベンチ入り、中継ぎ、抑えを中心に登板。大学通算(1部)6勝3敗。右横手から最速142キロのストレート、カーブ、スライダー、ツーシームを投げる。178センチ、70キロ。右投げ右打ち。

December 1, 2006 01:54 PM | コメント (11)