2006年11月22日
夢をかなえた早大・宮本賢
野球を始めた小学1年のときからの夢だった。大学1年のときには鳥谷敬(阪神)、青木宣親(ヤクルト)ら4人の先輩のプロ入りを間近で見た。「絶対プロ行くけん」。そのとき岡山弁で誓った約束が3年後に果たされた。
しかし、プロ入りだけを目標に努力を積み重ねてきたわけではない。目の前の試合で勝つ、ただその一心で練習に励んできた。そのために宮本賢が最も気をつけていたことがケガをしない体づくりだった。
「ケガをしなかったことや休むことなくたくさん投げてきたタフなところが評価されたのだと思う」。本人もそこに自信をのぞかせる。1年秋から中継ぎ、抑えにフル回転。3年春からはエースとして早大のマウンドを守ってきた。先日の明治神宮大会で引退するまで、長期離脱は1度もない。肩を痛め1週間の安静期間を言い渡されたが、指名打者でオープン戦に出場していたこともある。
今年は春季リーグ戦のあとに日米大学野球と世界大学野球で約20日間日本を離れた。帰国後、休む間もなくオープン戦に突入し、秋季リーグ戦は6試合投げ防御率0・82を残したが、疲労は当然ピークに達していた。しかし、宮本はそんなことを一切口にしていない。唯一、神宮大会決勝で亜大に敗れたときに「(連投などの)疲れがあった」と認めたくらいだ。自分に厳しく、妥協を許さないのが宮本。小・中・高・大学と各世代で主将を経験している責任感の強さもある。
日本ハム入りが決まった21日の記者会見は、とても静かで淡々としたものだった。逆に宮本の人間性を垣間見てとれた。報道陣が話を広げようとさまざまな質問をぶつける。「対戦したい打者とかいませんか?」の問いには「いや、自分はまだそんなレベルではないので。まずは1軍に上がることを最低目標としたい」。
新聞記者を泣かせるかのようにあっさりと答えた。だが、それは謙虚に自分を見つめているだけなのだ。
クールな印象かもしれないが、リーグ戦でアンダーシャツを裏表に着て投げたこともあり「天然でひょうきん」な一面も持っている。こういったグラウンドとのギャップの大きさも彼の魅力の1つかもしれない。
◆宮本賢(みやもと・けん)1984年(昭59)7月18日生まれ。岡山県出身。関西-早大。リーグ通算23勝6敗。日本ハムへの希望枠入団が決まっている。174センチ、78キロ。左投げ左打ち。好きな選手は早大の先輩・ヤクルト藤井秀悟。
November 22, 2006 11:02 AM | コメント (11)
2006年11月16日
神宮大会優勝投手、亜大・糸数の目に涙
「ホッとした。嬉しかった」。優勝の瞬間、マウンドの糸数敬作(中部商=4年)は両手で小さくガッツポーズをし、押し寄せるチームメートの歓喜のなかに消えた。その目には涙。遅咲きエースが学生最後のマウンドでその味を噛み締めた。
ちょうど1年前の神宮球場。部員の不祥事により2部に所属していた亜大は、入れ替え戦に勝利し1部復帰を成し遂げていた。その試合で先発していたのが糸数だった。しかし、3回で6安打を浴び降板している。
この試合に限らず、自分の持つ力を出せぬまま途中降板することが多かった。「スタミナもないし、変化球も全然だった」。高校時代の恩師・神谷嘉宗監督(現浦添商監督=51)は「糸数は優しい子。優しすぎるのもあってメンタル面が弱い」と課題をあげていた。今春も1勝しかできず、青学大とプレーオフになった試合では、途中からマウンドを任されるもダメ押しタイムリーを浴びて目の前で胴上げを見た。
しかし、最上級生という立場が糸数を変える。夏季キャンプに4年生投手で唯一選ばれ「責任感が出た」という。7~8月にかけては1週間で多いときは1800球を投げ込んだ。すると、秋は春より倍の59回を投げ、防御率も0点台と安定した投球を披露。中1日の日本一をかけた決勝では「思いっきり投げていたら、いつの間にか9回になっていた」と余裕の表情に。生田勉監督(40)も「決勝戦は糸数以外は考えていなかった」と絶大な信頼のもとエースを送り込んでいた。
ほの暗い空の下、縦じまのユニホームが紙テープが舞う中で喜びを爆発させた。この光景は昨年の入れ替え戦と似ており、重なって見えた。違うのは試合が日本一をかけたものであること、糸数が自分のピッチングをし「達成感があります」と笑顔で言えたことだ。
◆糸数敬作(いとかず・けいさく)1984年(昭59)11月7日生まれ。沖縄県出身。180センチ、86キロ。右投げ右打ち。最速148キロの本格派でスライダー、チェンジアップなど変化球のキレも抜群。大学・社会人ドラフトでの指名が期待されている。
November 16, 2006 08:51 AM | コメント (3)
2006年11月15日
高知の強さには秘密があった
高知のトップバッター・大菊裕之(2年)。準々決勝の広陵戦では初回にいきなり三塁打を放ち、先制のホームを踏んでいる。だが、そこからは4打席凡退。その反省をふまえての準決勝だった。
「特に意識している」という注目の第1打席は中前安打。そのまま先制のホームを踏んだ。3回は左中間へ二塁打、5回にも右前安打で5打席3安打1四球で4得点という最高の働きを見せ、チームを初の決勝進出に導いた。「うれしい。正直ここまで来れるとは思っていなかったです」。
秋の高知県新人戦で格下相手に4-20で敗れてこのチームは始まった。旧チームで2番遊撃手で出場していた大菊はショックでたまらなかった。「それまで練習がダラダラしていても注意できない自分がいた」と主将としての責任も痛感。この仲間と甲子園に行きたいという強い気持ちを思い出し、厳しく接するように心がけた。
スタメン9人中6人が系列の高知中出身に対し、大菊は青柳中出身だ。中学時代に県選抜に召集された際に森田将之(2年)と仲良くなったのが高知入学の決め手。「本当にいいやつなんです。しかも、高知中の子たちとだったら一緒に強くなって甲子園に行けると思った」。当時7季連続甲子園出場を誇っていた明徳義塾には見向きもせずに高知を選んだ。どん底から這い上がってこれたのもチームメートの存在が大きかった。
チームは今大会2試合で無失策。四国大会でも3試合でわずか1失策だった。これはチームが掲げる「守りからリズムを作る野球」にぴたりと当てはまる。主将として「チーム全体でそれができている」と答えながらも「四国大会の1失策は自分なんです。今思うと情けないですよね…」とこっそり悔しそうな表情も見せていた。
「打撃は調子が良くなってきた。明日もしっかり守って四国地区代表としても勝ちたいです!」。
November 15, 2006 09:44 AM | コメント (3)
2006年11月14日
広陵の秘密兵器・野林が神宮デビュー
開幕直前のメンバー変更申請。広陵(広島)は1年生右腕の野林廉をベンチに入れた。中国大会はスタンドで応援していた秘密兵器が上々の全国初登板を果たした。
中学時代(ナガセタイガース)は関西地区の硬式野球選抜に報徳学園の近田怜王(1年)らとともに選ばれた実績を持つ。このとき、すでにストレートは最速137キロを計測。当時、広陵が甲子園出場を逃していたこともあり、中井哲之監督(44)は「おまえが(甲子園に)出られるようにチームを変えてくれ」と野林に声をかけたという。
期待に応えるように入学直後からベンチに入り、春、夏のマウンドも経験。「入学してからずっとうまくいっていた」と、新チームではエースの野村祐輔(2年)とフル回転している青写真を描いていた。入学時から順調に背も伸び、体重も7キロ増。
しかし、それと同時に成長痛が野林をおそった。「悔しかった。コントロールもおかしくなって、いろいろ調整したけど…」。心の乱れがボールにも表れた。県大会こそベンチ入りも、中国大会前には「おまえは試合では使えない」と直接宣告され落ち込んだ。
だからよけいに今大会のベンチ入りが嬉しくてたまらなかった。6点ビハインドの6回から登板。4番打者を外角いっぱいの136キロのストレートで見逃し三振。スライダー、カーブ、フォークといった多彩な変化球も武器に4イニングを無安打に抑え、毎回白い歯を見せながらベンチに戻っていった。
浮かない表情の中井監督も「野球を楽しんでいたね。成長株が期待通りの投球を見せてくれた」と目元を緩める。「とにかく嬉しかったし、自信になりました。近田にも負けたくないですね」。ライバルとの対決にむけ、野林が1歩目を踏み出した。
◆野林廉(のばやし・れん)1990年(平2)7月21日生まれ。大阪府出身。186センチ、78キロ。右投げ右打ち。神宮大会は背番号15でベンチ入り。好きな選手は松坂大輔。
November 14, 2006 08:15 AM | コメント (2)
2006年11月13日
旭川南・小池監督の笑顔が見たかった
いつも目じりを下げながら穏やかに語る旭川南・小池啓之監督(54)。しかし、今日は眉間にしわを寄せっぱなしだった。「ベンチで試合を見ていて、こんなつまらない試合は初めてでした」。7~9回まで7者連続を含む16奪三振を喫した。自慢の走塁も随所で空回りし、盗塁も2度失敗。攻撃面のミスが目立ったようにも見えるが、敗因は違った。「いや、今日はピッチャーでしょ。昨日の練習でもすごく調子が良かったのに。今日神宮に来たら腕は振れてないし、気負っていた」。立ち尽くすエース・浅沼寿紀(2年)を目の前に言い切った。浅沼は表情を変えぬまま、じっと監督を見つめていた。
「立ち上がりが悪くてそのまま引きずってしまった。いつもは修正できるけど、雰囲気に飲まれた」。武器のカーブが決まらず、序盤から制球に苦しんだ。6失点のうち5失点を2死から失い、どことなく集中力も持続できず。敗退後、涙こそなかったが「精神面の弱い泣き虫だった」入学当初に戻ってしまった。「全道大会のときはこの子たちすごいなーと見ていたけど全国に来てやっぱり子供だなと思いました」。
小池監督と浅沼はトレーニングと精神面強化のために毎朝10キロのランニングを日課としている。もちろん神宮大会出場が決まった翌日も走った。3年前、腸間膜静脈血栓症で手術・入院し今も薬が手放せない生活を送っている小池監督。報道陣の取材に座って対応することも少なくない。それでも、自分の体より子供たちのために全力を注いできた。
全道大会決勝進出前のことだ。「この子たち本当にいい子たちばかりなんだよ。例えばね、宿泊先で汚れを見つけてホテルの人にブラシを借りに行ったらしい。そのことをあとで褒められたんだ。知らなかったから驚いちゃった。父兄もいい人たちばかり。自慢みたいになっちゃったけどだから行かせてあげたいんだよね、甲子園」。小池監督は今のチームが好きでたまらない。
今日の表情からは悔しさというよりも今までの成果を発揮できなかった寂しさも表しているように見えた。それを間近で見た浅沼。「初心に戻って出直します」来春、小池監督の笑顔を甲子園で咲かせてほしい。それが一番の薬でもあるはずだ。
November 13, 2006 10:06 AM | コメント (0)
