記者コラム「見た 聞いた 思った」

寺沢卓

2006年12月27日

不快?不便?車内携帯

 よく行く酒場で常連のオヤジとこんな話になった。「なんで携帯電話は電車内で使っちゃいけないのかな」。

 そんなの簡単……と思ったが、本質的な理由が見当たらないことに気付いた。ペースメーカー利用者に影響が出るため、生命にかかわることなのでダメ。これは分かるのだが、車両端の電源を切るエリア以外で通話はできないのだろうか?

 社会的にいけない行為だろう! 説得力に欠ける。ならば、大声で酔っぱらいが上司の悪口をグチグチとぶつけ合っている方が、よっぽど醜悪。即座に下車してもらいたい。

 電話での会話は許されない行為なのに、携帯電話でのメール通信、パソコンでの作業、携帯型ゲーム機を使用することは容認されている。これだって電波を発するだろう。通話と同じ弊害があって当然でしょ?

 何が違うのか。あるとするならばそれは耳に聞こえる音である。会話の全体像を理解できるかどうか、それが重要ポイント。酔っぱらいのたわごとにしても、同じ話ばかり繰り返すおばちゃんらも、ズボンを下げてやる気のなさそうなしゃべり方をする20代も、会話が成立していて、どんなことをしゃべっているか認識できることが最小限の安心感をもたらすのだと思う。

 対して、携帯電話での会話は相手が目の前にいないため、電車内で会話の全容を知りうるのは、車内で会話している本人しかいない。よって、何をしゃべっているのか分からないことがストレスになる可能性は否定できない。実際に、通常の会話より迷惑に感じるという調査結果も米国にはあるようだ。理解不能な会話の垂れ流しが不快の原因の1つといえそうだ。

 また、うがった見方かもしれないが、車内での通信環境を保てないがゆえに、電鉄会社側が車内通話を悪にしてるようにも思える。つくばエクスプレスは別として、移動中の電車内で電波を維持することは至難の業だ。新幹線などはトンネルに突入するたびに回線が切れる。ちょっとした愚痴になるが、車内から記事を送れず、途中下車したことは数知れない。電車内で電波が切れることなく通話できるようにする設備投資を惜しんでいる金銭的な事情もある?

 電車に乗っている最中に重要な電話がかかってくる。でも、現状では会話することはできずに周囲に気を使いながら「今、電車なのでスミマセン」。効率が悪すぎる。

 ここで提案したい。痴漢行為防止の女性専用車両があるのだから、通話可能な車両を期間限定で運行してみてはどうか。JR東日本本社広報室に聞いたが「そのようなことを企画する予定は残念ながらありません」とのこと。もうちょっと車内サービスを考えてもいいんじゃないですか?

 酒場に戻る。常連のオヤジは真っ赤な顔でさらにいう。「タバコ好きにとっては居心地の悪い世の中なのよ。灰皿だらけの喫煙車両もつくるべ。肺がんで死んでもいいし、いすもいらないからさ」。まあ、それもいいのかな。

December 27, 2006 11:05 AM

2006年12月17日

築地場外のターレー

 築地市場移転を知ってますか? 2016年、東京五輪誘致計画で、築地市場跡地にメディアセンターを設置する、とある。ん、跡地? 12年に中央区築地の東京中央卸売市場は、直線距離で南東に約3キロ離れた江東区豊洲に引っ越しをする予定になっている。

 勘違いしちゃいけないのは、通称「築地場内」と呼ばれる仲卸エリアが移転して、一般の人たちが自由に買い物できる「築地場外」はそのまま残る。

 なぜか? 分かりやすく説明すると、場内は都の土地。場外は個人所有なので、移転対象は場内だけ。場外残留の認知度が低いため、場外の若い衆はどのようにアピールすればいいか頭を悩ませている。

 昆布の老舗「吹田商店」の5代目吹田勝良さん(41)はNPO法人「築地食のまちづくり協議会」のイベント係だ。「なんとかターレーを使いたいんスよ。築地の顔ですから」。築地に足を踏み入れた人なら見たことがあると思う。ドラム缶みたいなエンジン部分に丸いリングのアクセルとハンドルがあって、その後方は全部荷台。魚を運ぶ、恐ろしく低速で走る市場特有の乗り物だ。最高時速は15キロ。正式名称はターレット・トラックだが、みんなターレーとしか呼ばない。

 車両登録が必要で、公道は走れる。「できれば、これでパレードをやってみたい。でも、以前、警察署に道路使用許可を提出したら、あっさり却下。あきらめきれないから今年10月、近くの公園で試乗会をやったら行列ができた。これ、絶対ウケるんだけどなぁ~」。吹田さんは未練タラタラである。

 で、実際、市場の駐車場で試乗させてもらった。左のギアは前に倒せば「前進」、後ろに引けば「後進」。大きな下のリング(ハンドル)をグルグル回して、その上のリング(アクセル)を下に押すと簡単に動く。右足のペダルがブレーキだ。説明1分で誰にでも運転できてしまう…普通免許は必要ではあるが。

 楽しい。試乗会とパレードを組み合わせれば最強のアピール材料になる。例えば、晴海通りを銀座まで移動して、日曜なら銀座通りは歩行者天国になるから、そこで100台ぐらいで行進したら迫力ありそうだ。「築地場外は残ります」などの横断幕と「ターレーみたいに低速で」とかで交通安全も訴えたい。

 どうせなら荷台に200キロ級のマグロとか、昆布やめんたいこ、市場長靴、竹で編んだ四角い買い物かご、焼きたての卵焼きなど名物を展示しながら低速で走れば親子連れも大喜びだろう。

 日刊スポーツも築地の住人。場外を盛り上げられるなら、ひと肌もふた肌も脱ぎますよ!

December 17, 2006 01:07 PM

2006年12月07日

元気になったカズさん

 3年前の12月5日、先輩が倒れた。脳梗塞(こうそく)だった。横浜・伊勢佐木町にある居酒屋のオヤジだ。名前は「カズさん」。注文されたくし焼きを出して、裏口ドアを開けた直後に意識をなくした。火のついていないタバコを右手に持ったまま、直立不動で倒れた。

 地面に頭を打った。診断は脳挫傷。カズさんの奥さんは「前頭葉が圧縮されて、担当医に『覚悟して』といわれた」。翌年の正月明けに知らされ、1月中旬、入院先に見舞いに行った。

 カズさんは高校のハンドボール部の9期上。神奈川県覇者として高校総体に出場した。この世代は神様だ。特にカズさんは主砲で私たちの代のコーチ。さらに当時教師を目指していたカズさんは生物の教育研修に来ていて、私のクラスの副担任だった。記者になってからも「あんな記事でいいのかよ」と真剣に怒られた。世話になった項目を指折り数えたらきりがない。

 見舞う前に奥さんから「ビックリしないでね」と告げられた。白い包帯がぐるぐるとカズさんの頭を包んでいた。「おお、寺沢。なんだ元気そうだな」。掛ける言葉が逆だよ、と思いながら、話しているとすぐに違和感に気付いた。私を認識はしているけど、カズさんはハンドボール部顧問の教師になっているものだと思い込んでいた。

 「なあ、この前の試合な、オマエ、もうちょい走らなきゃ」「相手もいいチームだったよな。オレも右サイドから攻めろ、って指示すべきだった」「でもさ、あのシュートは良かったよ。オマエ、背ぇ高いんだから、もっと自信持て」。

 見舞いに行って励まされた。否定もできずに30分ほど、やってもいない試合の話をした。妙に具体的で、本当に試合をしたのかもなぁ、と錯覚した。病院を出て、北風を浴びて熱くなった頭が冷えたら、涙があふれてきた。いい大人がワンワン泣いていた。何も恩返しできない情けなさでいっぱいだった。

 倒れてから3年。カズさんは定休日の月曜以外、毎日くし焼きを受け持つ。最初は教師だと信じていたから、店に何でいるのか分からなかったという。毎日、お客さんと接しているうちに「ああ、オレは飲み屋のオヤジなんだ」と分かるようになったらしい。一緒に働く家族は病人として扱わなかった。今も体にまひは残っているけれど、意識がしっかりしているのは、家族がカズさんを甘えさせなかったからなんだと思う。

 小さな積み重ねが、破壊された脳を復活させる奇跡となったはず。病院ではない日常生活がリハビリになって、仕事ができるなんて、そんな都合のいい状況は多くない。くしくもカズさんは復活できる環境にあった。でも、最終的には本人にやる気を起こさせる家族の支えが最も大きかったのだと客の私は痛感する。

 今はもう、あのハンド談議はできないし、カズさんも「覚えてねぇーよ」と笑う。カズさん、今日飲みに行くからカウンター空けておいてください。

December 7, 2006 10:13 AM

2006年11月27日

ホラ大丈夫じゃ…ない

 会社が築地にある。たまに早く終わると(それでも午後9時ごろだが)新橋まで歩いてみたりする。銀座のネオンの海を泳いでいると、クリスマスの電飾で彩られた街路樹の光がまぶしい。そんな時に限って「酔ってないよぉ、どぅあぃじょうび」と、ろれつの回らない声が耳に飛び込んでくる。いやいや、全然大丈夫じゃない。こんな状態で車のハンドルを握られたら交通事故は間違いない。

 これから忘年会シーズンになる。飲酒運転による事故の記事を書くことになるだろう、多分。何でそんな事故が起きるんだろうか? 酔っている人のほとんどは、こういう。「大丈夫」。その延長線上で無責任に車を運転してしまう。迷惑な話だ。

 シラフで酔った体験ができるグッズがある。プリズムに似た特殊なレンズをはめ込んだゴーグルだ。かけてみると目の前の世界がグニャグニャとゆがむ。社内でいすやごみ箱をジグザグに置き、試しに歩いてみると、足元がふらつき派手に転倒して腰を強打した。ゴーグルを外すと、すぐシラフに戻る。酒を飲んで車を運転しようとは絶対思えなくなる。

 栃木県警ではこのゴーグルを10組購入して、今月1日から運用を開始した。同県警交通企画課の弓田哲司課長補佐は「飲酒運転撲滅の講習で寸劇をやったこともあるが反応はイマイチ。ところがこのゴーグルだと飲酒状態の危険性をすぐに理解してもらえる。効果は抜群」と話す。同県警では、さらに12セット追加購入して県内全20署に配備した。山梨県交通安全協会でも購入しており「酒気帯びなどの免停講習などで使用したい」と話している。神奈川県警でも導入を真剣に考えているという。

 正式名称は「フェイタルビジョン」。米国製だ。日中用と暗く見える夜用のセットで5万円。安い買い物ではない。日本における輸入・販売総代理の権利を今年10月に得た東和医療器(東京都足立区)には連日購入希望の電話が鳴り響く。「11月から本格的に営業を始めましたが、すでに10件以上の成約を得た。問い合わせも1日20~30件。体験教育グッズを多く扱ってるが、こんなに反響が高いのは初めて」と中瀬一夫社長は驚いている。

 私も酒は好きだ。よく飲む。でも、運転だけはしない。事故を起こしたら家族に何と説明できるだろう。「大丈夫だった」なんて言えるわけはない。強打した腰の痛みは覚えておこう。飲んだときに思い出せるように。

November 27, 2006 02:29 PM

2006年11月17日

“ギタカバ君”が群馬活性化の鍵

 カバがギター? はて、何だろう?

 「社会面担当者さま」という封書は月に200通はくだらない。その郵便物の山の中に、このカバがいた。そのギャップに引き寄せられた。だって、カバはギターを持たないでしょ。名前は「ギタカバ君」。来年3月4日、群馬県前橋市で行われる「フォークソングス・カバーズ・コンテストinぐんま」(通称カバコン)のマスコットキャラクターだ。

 気になって実行委員会事務局に聞いた。「あのマスコットで『何だ、こりゃ?』と思ってほしかった」とは副委員長の加藤和広さん。まんまと術中にはまった。

 カバコン企画会議中に加藤さんがパソコンで、マウスを動かしながら約1分で描き上げた。横から別の委員が口を挟み「これ、マスコットにすんべ」ということになった。なんとも単純な理由で、イラスト業者に発注することなく決まった。この委員会は民間主導で、企画は仕事を持つ一般市民の有志で考えている。

 昨年、群馬県を舞台にしたNHKの朝の連続テレビ小説「ファイト」が放送された。放送期間中、観光誘致にもつながったこともあり、県民が元気になるイベントをつくるための「ファイトぐんま県民会議」を県が発足させた。

 県を5分割して前橋市を含む中部、西部、東部、吾妻、利根・沼田に県民局を設置した。「ファイト」冠イベントを開催するための土台だ。中部県民局ではカバコンを実施することになった。

 県職員が地域で元気な人に声を掛けた。加藤さんが赤城山をベースにするフォークソングデュオ「ガーネット」を奥さんと組んでいたことから白羽の矢が立った。「この手のコンテストは自作曲ばかり。でも会場は群馬。昔のフォークならお客さんも口ずさめて盛り上がる」。確かにそうだ。

 来年07年は団塊世代が大量退職する初年度。バリバリに働いているころに勇気づけられたフォークで「ファイトを出してもらいたい」との理由もある。アコースティックギターで勝負するコブクロやWaTの人気で10~20代の参加にも期待を寄せる。私もアリスだったら歌詞なしで全部歌える。

 地方で町の活気がなくなったことを嘆く声は多い。若者は都会を目指すし、地方主導の道州制は本当に運用されるのか。結局、独自で立たなければ地方活性化なんて無理。群馬県が活性化のモデルケースになるかもしれない。

 「ファイト」では地元民オーディションから映画もつくった。大規模な物産展も成功した。ソフトボールやサッカーの大会にも「ファイト」をつけて地域ぐるみのイベントに変わった。地方発の文化が生まれれば、住んでいる地域がより誇らしく思える。

 カバコンでは来年1月15日まで参加者を募るという。全国で予選を勝ち抜いて、前橋市がフォークの聖地となって全国大会……そうなったら楽しいべなぁ。

November 17, 2006 11:00 AM

2006年11月07日

大学が変わらなきゃ

 高校3年生の必修科目の履修不足が問題視されている。当初、富山県内の高校の問題として報道されたが、同じようなケースが全国で浮上してきた。熊本県以外の46都道府県で確認され、対象となる生徒は8万人を超えた。

 これは「高校3年生」に限った現象にしかすぎない。2次募集も含めた大学入試が来年1~3月に迫っているため、政府も3年生だけに絞って対策を練っている。しかし、大学受験をするのは高校3年生だけではない。浪人生がいる。

 浪人生は受験前に卒業した高校に行き、大学受験に必要な書類を申請する。成績証明証だ。履修した各科目の評価点が記入されている。大学側にしてみれば、卒業に必要な履修単位数に達しているかを確認する重要な書類になる。ただ、これが改ざんされているかどうかは大学側には判別できない。

 厳密にいえば、未履修科目に評価点のついている成績証明証は公文書偽造になり、その証明証を持つ浪人生は高校を卒業しておらず、学歴は中学卒業で止まっている状態といえる。

 関東のある県の教育委員会関係者に聞くと「すでに学校長が卒業を認定している。だから問題ない」という。さらに卒業証明書の文書偽造に関しては「それは文科省に聞いてほしい」。学校と国に丸投げだ。

 こんな重箱のスミをつつくようなことは本来書きたくない。「浪人生も未履修だ」なんてことは氷山の一角。現在の教育が大学受験を中心に動いていることが大問題なのだ。

 大学の受験科目以外は必要ないのか? 先人の行いを検証し、現代に生かす歴史は不要なのか? 各地の気候条件や産物を知ることができる地理は? 実用的ではない受験英語は? 大学に入るためだけの難しい受験問題は本当に必要なのか?

 都内有名大学の教授がこう話す。「学びたい人だけ大学生になればいい。大卒だから有能なのか。合格すると自由に遊べる今の大学は腐っている」。この教授の親族がニュージーランドの大学に留学しているという。その親族は地質学を専攻していて、担当教授が教室から外に出て、歩きながら地層を指さして突然講義を始める。その説明の一言一句が重要で常に気は抜けない。「こういうのが本当の勉学。うらやましい」とその教授はつぶやいた。

 大手予備校Yの元国語講師で、絶大な人気を誇ったAさんもいう。「少子化で大学もこれから淘汰(とうた)される。今の『お勉強』の受験では教育とはいえない。実用性のある『勉強』を受験に反映しないと意味がない」。

 受験期間中は問題集や参考書とにらめっこして、塾で受験テクニックを詰め込む。それだけでは通用しない、一般教養を受験科目にするような大学が数多く出てきてほしい。未履修は高校の教育体制の問題だけではない。学ぶ場として大学が変わらなければ、同様の問題は間違いなく繰り返される。

November 7, 2006 11:08 AM

2006年10月28日

ハワイ人ビー玉お京

 15日、ハワイをマグニチュード6・6という激しい地震が襲った。地震発生直後は連絡が取れなかったが、後日、国際電話でオアフ島在住の日本人女性と話すことができた。相楽晴子さん。20年前にフジテレビのドラマ「スケバン刑事2」にレギュラー出演し「ビー玉のお京」役で人気を博した元アイドルだ。

 相楽さん 地震は朝7時ごろで爆睡中でしたね。夢の中で、電車がものすごい勢いで通り過ぎるなぁとウトウトして…ああ、近くに線路なんてないや、と不自然な気持ちになって、大きなトラックかな? と思い直して目を開けたら家全体が揺れていて、ようやく地震と気付きました。

 豪快だ。聞いていて思わず笑ってしまった。

 ハワイはようやく見つけた安住の地という。92年にロサンゼルスで写真集の撮影をし、その際にコーディネーターをしていたゲイリー・ヘインズ氏と知り合って恋に落ちた。遠距離恋愛の末に95年に結婚。当初はロスに住んでいた。英語も十分できす、レストランで注文すら取りにきてくれない差別も受けた。精神的に疲れ切っていた時期だった。

 ようやく生活に慣れてきた01年9月11日、米中枢同時テロが発生した。飛行機に乗るたびに不安がつきまとった。同時テロから2年間悩み抜いて、7年住んだロスを離れ、3年前にオアフ島に引っ越した。サーファーだったゲイリーさんが、かつて3年間住んだお気に入りの島だった。

 それまでハワイを訪れたことはなかったが、いい印象はゼロ。年末年始になると取材されることを分かっていながら「カメラ向けないで」などという芸能人ばかり。ブランド品を買いあさり、ゴルフざんまい。

 ところが住んでみると、近所の住民からも歓迎され、ロスで味わった孤独感はなかった。自然に囲まれていたことや、アウトドア好きな夫の影響ですっかりキャンプ大好き人間になってしまったという。

 地震直後、外に出て家の中を点検すると電気がつかない。停電だ。ハワイでは台所のコンロも電気なので、家の中では何もできなくなってしまった。

 相楽さん キャンプ道具があったから、家の前でご近所さんと一緒にバーベキューで夕ごはんにしたの。電気は全然つかなかったから、そのまま寝ちゃったんですけど、翌朝には復活してました。もし停電が続くようなら海岸にテント出して、魚でも釣って、自生しているバナナやパパイアを食べて、なんとかなるかなぁ~、と思ってましたね。

 電話口ではあるが、自然の中で生活しているたくましさを感じた。同時に心の余裕も伝わってきた。今は夫の仕事を手伝っていて、芸能活動はしていない。南野陽子らとセーラー服で活躍した相楽さんも38歳。日本の政界の黒幕と対決した「ビー玉のお京」は、地震にも動じない立派なハワイ人になっていた。

October 28, 2006 09:22 AM

2006年10月18日

泥まみれ素足の代表

061018-1.jpgスパイクを脱いで合宿するラグビーリーグの日本代表(撮影・川口晴也)

 この写真は何でしょう? 決して新スポーツ「素足ラグビー誕生!」ではない。日本代表の強化合宿での1枚だ。ただ、一般的な15人制ではなく、ラグビーリーグと呼ばれる13人制。W杯予選直前合宿が7~9日に都内の河川敷で行われた。取材した日は前日に豪雨が降り、グラウンドはぬかるんでいた。最初はスパイクを履いていた選手だが、自転車で通りかかった都の監視員にこう言われたという。

 「来週、ここで幼稚園の運動会があるのよ。スパイクだと荒れちゃうでしょ。脱いでくれないかな」。

 で、靴下になって練習再開。監視員のおじさんは、彼らが日本代表であることなど知るよしもない。

 ラグビーリーグは19世紀末に北部イングランドで生まれた。大半の選手は別に職業を持ち、日曜以外は働いていた。平日開催の試合に出場するために仕事を休む保証として、クラブへ金銭を要求してもめた。クラブや協会との交渉に決裂した北部の選手たちが、独自リーグを立ち上げた。試合でけがをしないように、接触プレーとなるラック、モール、ラインアウトを廃止。また、相手にタックルを6回受けた時点で攻守交代となる新ルールもつくった。従来のラグビーを「ユニオン」と呼んで「リーグ」との差別化を図った。

 オーストラリアでは「ユニオン」よりも人気が高いという。日本では93年に協会が発足したばかり。定期的なトーナメントが行われている。同協会最高責任者で日本代表の小西周さん(36)は「競技者は約200人。代表選出の通知しても音信不通の選手もいる。大変です」と話す。

 13回目のW杯は08年11月、10カ国が参加して実施される。6連覇中で開催国のオーストラリア、ニュージーランド、英国、フランス、パプアニューギニアは出場権を得ている。欧州から2カ国、環太平洋から2カ国、残り1枠は環太平洋3位が、日本と米国の勝者と対戦して決まる。2度目挑戦で初出場を目指す日本代表は23日に渡米し、25日に米国と予選を戦う。

 サッカーや野球などと違い、ラグビーリーグのような地味な競技の日本代表は、選手層の薄さ、資金調達など苦労は絶えない。それでも小西さんは「私も元ユニオンだが攻守の切り替えの早さは俊敏な日本人向きで楽しい。1月の練習試合で米国には10-40で敗れたが、絶対勝って歴史を変える」と情熱を傾ける。

 人気スポーツも最初はそんなもの。選手らの熱い思いとプレーが見る者の心を打ち、競技の輪が広がっていく。今は認知度が低くとも、幼稚園の運動会に負け、素足で練習したことが笑い話で語られる日が来てほしい。

October 18, 2006 08:58 AM

2006年10月08日

美しい国のクマは…

 クマの出没が止まらない。1日には秋田県仙北市でSMAPの草なぎ剛の遠縁にあたる草なぎ幸雄さんがクマに襲われた。持っていたなたで反撃して事なきを得たが、今年はこんな事件が頻発している。

 長野県では昨年度からクマ出没をデータ化している。昨年度は出没1044件、狩猟も含めた捕殺は123頭で、9人が負傷した。今年度は出没が8月末で早くも1953件になり、捕殺は9月25日現在で232頭、人的被害は今月5日まで12人で、うち1人は死亡している。

 今月2日には大野市(福井)が2年ぶりにクマ対策本部を設置。人的被害はないが、5日までに市内で痕跡も含めた出没情報は91件で、9月以降は82件。昨年10件に満たなかったことを考えると異常な増え方だ。これでは山歩きや山菜採りもできない。

 秋田県田沢湖地区猟友会の真崎薫さん(59)は「大声で話していても襲われる。憶病で音のする方には近づかないのに。山によっぽど食い物がないんだ」と言う。山梨市牧丘猟友会の藤波敏会長(69)は「山にワナのオリを10個仕掛けた。ハチミツをたっぷり仕込んだけど、引っ掛からない。そりゃそうだ、里に行けば、巨峰、ナシ、リンゴの畑からいい香りがプンプンしてるんだもの」とため息をつく。

 環境省の自然環境局野生保護課では、クマを含めた野生動物の各県統計を出しているが、これは捕獲件数であって出没件数ではない。しかも発表されるのは2年後。自治体や個人での対策はもう限界で、ここは政府主導の「全国クマ対策本部」を設置するしかないだろう。

 安倍首相は9月29日の所信表明演説でこう言った。「世界最高水準の高速インターネット地盤を戦略的にフル活用して生産性を大幅に向上させます」。そこで、ネット普及政策の中でできそうなクマ対策を提案したい。まず、各地の猟友会に協力してもらってクマに麻酔弾を撃ち込み、GPS(衛星利用測位システム)ICチップを体内に埋め込む。ホームページ上でクマの居場所を情報公開すれば被害は減る。

 山間部での携帯電話の受信状況を向上させることも必要だろう。電波が通じれば山岳遭難も減る。NTT出身の世耕弘成首相補佐官の腕の見せどころか。

 猟友会に新規登録するハンターは減少傾向にある。クレー射撃で五輪出場経験のある麻生太郎外相に頭数調査会の名誉総裁になってもらい、若いハンターを育成するのはどうだろう。五輪選手が育ち、メダルでも獲得すれば「クマのおかげ」のコメントが世界を駆け巡る。

 ツキノワグマは九州、四国、中国地区や紀伊半島で絶滅危機にあるという。研究者にとっては頭数調査に加わることで、生態系の実情を把握できる。野生グマが、絶滅したニホンオオカミのようにならない保証はどこにもない。

 クマの出没は、動物と人間と自然の共存関係崩壊の警鐘である。「美しい国、日本」へ、再チャレンジ、憲法、教育基本法改正以外にもやるべきことはある。

October 8, 2006 11:13 AM

2006年09月28日

父と牛丼…記事担当

 18日に1日限定で吉野家が牛丼を復活させた。その取材をして、紙面で「牛丼担当」と書いたことから、大学の同級生、仕事関係、浪人時代の後輩、さらには恩師、そして吉野家ディー・アンド・シー広報IR担当から「日刊スポーツは牛丼担当までつくっているのか?」との質問を受けたので、牛丼との因縁について話します。

 初めて「吉ギュー」と出会ったのは、小学校3年生か、4年生のころ。当時は週刊少年ジャンプ「サーキットの狼」が火付けとなって、スーパーカーブームが花開いていた。東京・晴海国際展示場で開催された「外国車ショー」に両親と弟と一緒にワクワクしながら足を運んだ。長い行列に並んだこともあって、自然とおなかもすいてきた。横浜市の自宅に帰る前に国鉄新橋駅前のSL広場横で遅いランチを食べた。それが吉野家だった。

 「今日は東京に来たから牛肉でも食べるか」。米国産の牛肉とオレンジは輸入制限されていたこともあって、日常食だった記憶はない。「牛肉でも食べるか」の「牛肉」に高級感が漂い、「でも」と簡単に言い放つ父親に頼もしささえ感じた。

 人生初めてのカウンターでの食事。足をブラブラさせながら、大人になった気分でハシを構えていた。昼間なのに頭に手ぬぐいを巻いたおじさんが牛皿をつまみに日本酒を飲んでいた。その光景を見て、牛丼ではなく無性に牛皿を食べたくなって、父親に丼飯をつけて注文してもらった。

 食べ盛りだったので(今でも大食いだが)、次々に注文して弟と競うように皿を重ねていった。その横で父親が、ちょっと自慢げにビールをコップに注いでいた。実際、その時は「こんな豪華な食べ物を知っているお父さんはすごいなぁ」とも思っていた。父親を尊敬できた理由の1つが吉ギューだった。

 今はもう初吉ギューを食べた新橋店はないが、JR新橋駅周辺を歩くと重ねた牛皿を思い出す。

 だから牛丼担当というわけではないが、牛丼の節目の日には、父親を思い出しながら都内を駆け回って取材をしている。すき家の牛丼も、松屋の牛めしも、すき家の傘下となったなか卯の牛丼も、1度も販売休止しなかった神戸ランプ亭の牛丼も大好きだ。それぞれに個性があるし、産国の違う牛肉で安い価格の商品を提供できるんだから、日本発ファストフードとしてもっと自慢していい。

 ただ、昨今の過熱ぶりに違和感を覚える。18日の「復活祭」で吉野家は記念手ぬぐいを無料配布した。前半はオレンジ地、後半は白地の2種を配った。インターネットのオークションで、たった1本に1万円の強気な設定額も登場したが、1本1000円だって買い手はつかなかった。

 吉野家に問い合わせると、次回10月1日からの5日連続販売では、手ぬぐい配布はしないという。プレミアグッズなのかもしれないが、そこでもうけようという心根に、あきれる前に悲しくなってきた。

September 28, 2006 09:35 AM

2006年09月18日

牛丼復活に安倍さんは

 自民党の総裁選が終盤を迎えて…、盛り上がらない。そりゃ、そうだ。安倍晋三官房長官が国会議員票、党員・党友票合わせて703票のうち600票を超えそうだ、なんて情報が乱れ飛ぶ。結果が見えているからだ。

 安倍さんの掲げる政権公約には、聞こえのいいものが並ぶ。だが、キャッチフレーズ「美しい国、日本。」のように、分かりやすそうでいて、具体性がないため迫力不足は否めない。

 このままなら安倍さんが20日に自民党総裁となる。翌21日が誕生日。総裁就任初日に、バースデーケーキのろうそくを吹き消す…何かよくできたシナリオだ。

 皮肉なことに大きく差をつけられた谷垣禎一財務相、麻生太郎外相の方が個性では目立ち始めている。

 谷垣さんはビシッ、とクシを入れたスキのない髪形で「絆(きずな)」を合言葉にして、まじめで実直そうなキャラクターを確立させた。今後は自身のホームページに「絆」というタイトルで、オリジナル演歌でもつくって、携帯電話の着メロ配信でもすれば話題性が増すのではないか。日本蕎麦(そば)協会の会長を務めているあたりも、なかなかに渋さが光る。

 麻生さんも遊説するたびに、ご当地演説で聴衆の支持率をグングン上昇させている。オタクの聖地・秋葉原では「『キャプテン翼』は、中東では『キャプテン・マージド(翼)』と呼ばれている。日本がサマワに送った給水車にもマージドのシールが張られていたので、(自衛隊は)襲われなかった」と漫画通ぶりを発揮した。札幌市では「東京も福岡も雪でイベントはできない」として、雪祭りの経済効果に触れて地方活性化を訴えた。あるテレビ局記者は「麻生さんは使えるブイ(ビデオ映像)が多い。その地方でどんなことをしゃべるのかが面白い」と話している。

 さて、そこでどのようなパフォーマンスが飛び出すのか注目したいのは吉野家の牛丼が復活する明日18日。今年7月、BSE問題で揺れた米牛肉の輸入再々開が決まった。その当日、川崎二郎厚労相は米牛肉を食べるか、との質問に「立場上、食べますよ」と答えた。文脈からすると、担当大臣だから仕方なく食べるのか? とガッカリした。

 総裁選3候補なら、どう答えるのだろうか。「吉ギュー」の復活は約1年7カ月ぶり。午前11時から100万食限定で販売する。これを使わない手はない。谷垣さんなら「日本人と米国産牛肉の絆は固いんです」かな。麻生さんは「筋肉マンの大好物。第1話から街角で牛丼を食べていた」とでも得意の漫画ネタでくるか。安倍さんは「おいしいですねぇ」程度か。

 ある記者との立ち話。「安倍さんはハシの持ち方が美しくないようだよ。何かをつかむとバッテンになるんだと」。ならばなおさら見てみたい。個性で目立つチャンス? ハシで自信がないならスプーンを使うウルトラCもありますよ。

September 18, 2006 11:03 AM

2006年09月08日

旅は気持ちが大切

 日本を飛び出て海外に行くときに、何が心配か。そりゃ、言葉だろう。12歳から義務教育で英語を習っている割にまともにしゃべれないし、日本語が通じてくれる国なんてまずない。日本人は損だなぁ~、と思ったことは100回はくだらない。

 友人が5日、欧州に飛び立った。日本語以外の言語がまったくダメで「もしかしたら日本語もあんまり理解できていない」と豪語する藤原寛一さん(45)だ。職業は旅人。オートバイで世界各国を巡っている。26歳でオーストラリアの1周旅行をして以来、約20年間、世界のどこかをオートバイで駆け回っている。

 世界を走破するライダー、というと格好良さそうだが、その姿はこぢんまりとしている。馬力のない50CCの原付バイクにこだわり、ゆっくりと旅をする。「走る」じゃなくて「歩く」に近い。ゴールを目指すことを主眼とするのではなく、寄り道に熱中するタイプだ。今では奥さんの浩子さん(43)と一緒にあちこちに行っている。

 日本で旅の原稿を書いて、資金が貯まると言葉の通じない国の道でのんびりと車輪を転がす。常にテーマを持って走り、今は電気バイクでの世界1周だ。

 04年4月から北米横断して、一時帰国。そして同年11月から年越ししながらオーストラリアを横切って日本に戻り、05年5月からポルトガルから欧州を駆け抜け、再び日本に帰ってきて、今年2月からアフリカ大陸を北上していた。8月9日に成田空港に降り立ったと思ったら、もう最後のアジア横断を見据えてアテネに旅立ってしまった。

 この電動バイクの旅だけで34カ国を訪れている。旅先からの届いたメールは100通を越えた。そのメールを開くたびに「言葉は通じないんだけど、気持ちで分かりあえるのよ。いや、世界にはいい人が多いね」というような内容がつづられている。

 一体どんな様子で会話しているのか、と聞いたことがある。

 「もう、体全部を使うんですよ。何か食べたきゃ、おなかを押さえる、熱っぽかったらおでこに手を当てる。それでダメなら絵を描いて気持ちを伝える。そうすれば自然と相手の気持ちも分かってくるの」とヒゲ面で白い歯をのぞかせる。

 今度の旅はギリシャからトルコを抜けて、アフガニスタンの国境沿いをなぞって、イランを走る。インド、タイ、ベトナムなどを走って台湾から船便で日本に帰ってくる。やはり言葉の分からない国ばかりだ。

 「大丈夫だよ。不安なのはラマダン(断食期間)にぶつかること。日中は食べられないんだよね」。

 腹が減れば食べる。道があるから進む。人がいるから話しかける。藤原さんの信条だ。物事を難しく考えちゃいけない。分からないことで悩むんではなく、できることを最大限に伸ばす。言葉にとらわれちゃいけない。

 今度はどこの国から勇気のもらえるメールが届くだろうか、楽しみだ。

September 8, 2006 09:19 AM

2006年08月29日

信じて花開くまで継続

 本当の本物は必ず支持される。

 飛行機に乗ると、ある楽しみがある。81個の升目の中に無造作に1~9の数字が入っていたり、何も入っていないパズルだ。その空欄に1~9の数字を埋めていく。法則は縦横の1列でそれぞれ9個の升に1~9が1個ずつ入る。さらに9つある3×3の升にも1~9が1つずつ入る。縦、横、3×3で同じ数字がダブらないようにする。通称「数独」だ。

 機内冊子には、初心者用の簡単な問題が1つ、そしてやや難しめの問題も1つ。計2題を完全に解けたら「勝ち」と勝手にルールを決めている。国内便なので、所要時間は1時間前後。今までの戦績は4勝1敗。唯一の黒星では、残りあと4升の終盤で「6」が1列に2つ登場してきて、修正不可能になってさじを投げた。

 最近、この「数独」を日本に持ち込んだ人物を取材した。東京の下町でパズル雑誌の編集会社「ニコリ」を経営する鍜冶真起(かじ・まき)さん(54)だ。鍜冶さんが「数独」と名付けた。正式名称は「1ケタ数字が重複しない」という法則から「数字は独身に限る」である。

 海外では「SUDOKU」と書かれ「スドク」の「ス」にアクセントをつける。今年3月には、初の世界選手権がイタリアで開催された。

 世界約80カ国で発売されているが、やり方さえ理解できれば、数字は世界共通だから、難しい翻訳も不要だ。

 考案したのは米国人の建築家。鍜冶さんが84年に米国を訪れたときに、現地で購入したパズル雑誌の隅に掲載されていた。ナンバープレース。9×9の升目に挑戦して、面白さにハマったという。その年に発刊したパズ
ル雑誌に自作の数独を載せてみた。

 すると、読者から「私もつくった」とのメモとともにオリジナル問題が全国から殺到した。88年には数独の単行本も出版。固定ファンがついたが、爆発的なヒットには至らなかった。

 劇的な変化を迎えたのは21世紀に入ってから。ニュージーランド人の大ファンが、鍜冶さんの許可を得て、英紙タイムズに売り込み、04年11月から毎日問題が掲載された。英国中で話題となって日刊紙がこぞって掲載。その波が欧米に広がり、日本でも05年から注目され、今年はゲームソフトまで発売されるまでになった。
 世界的な人気となった理由について、鍜冶さんはこう考えている。「クロスワードは季節や時代の言葉を入れないと面白くない。でも数独は9つの数字だけだから20年前の問題も色あせない。問題の蓄積ができたから20年後のヒットで良かった。ただ、もうそろそろ過去の問題を全部使い切りそう。新作をどんどん作らないと」。

 最終的には信念。これはすごい-そう信じることが大事。たとえ世間に注目されなくても、何かが心に刺されば、それは本物。花開くまで継続していれば、それは失敗とはいわない。

August 29, 2006 12:15 PM

2006年08月19日

勝利呼んだ谷間精神

 敗北は最良の教師、なんである。

 サッカー日本代表のオシム監督が、9日のトリニダード・トバゴ戦に向けた会見で残した言葉だ。ちょっと深読みをすると、あるメッセージが込められている。かなり独断ではあるが、ある世代に向けられている、という推理が成り立つ。

 16日に行われたアジア杯最終予選のイエメン戦。2-0で勝った。しかし、試合内容は標ぼうする「走るサッカー」からはほど遠く、動けないで戸惑う選手がほとんど。テレビ観戦していて、正直、退屈な時間が多かった。それだけに2得点の瞬間が輝いて見えた。

 MF阿部勇樹(24=千葉)が先制ヘッドをねじ込み、FW佐藤寿人(24=広島)が相手GKのこぼれ球を押し込んで2点目をロスタイムにもぎ取った。この2人は勝利に飢えた「谷間の世代」なのだ。

 99年のU-17(17歳以下)世界選手権にはアジア予選で敗戦して出場できず、01年のワールドユース(Wユース)選手権(21歳以下)には出場したが1次リーグ敗退。記憶に新しい04年アテネ五輪(23歳以下)も決勝トーナメントには進めなかった。99年Wユースで準優勝した小野、高原、稲本らが「ゴールデンエージ」と称されるのに対して、勝ち運のないことから「谷間の世代」と呼ばれた。その中心が阿部であり、佐藤寿だった。

 01年にアルゼンチンで行われたWユースの同行取材をした。阿部は右足骨折でメンバー入りもできず、佐藤寿は人目もはばからず号泣した。だが「谷間」の目指したサッカーの質は悪くなかった。オフ・ザ・ボールの一点に意思統一されていた。相手ボールならば複数人で奪いに行き、パスコースをつぶす。味方ボールなら、ボールを持たない選手がスペースを探して走り回る。そしてパスの基本はワンタッチ。どんなに敗戦を重ねて実現できなくとも、その理想スタイルは変えなかった。

 当時のヘッドコーチだった小野剛さんは「システムは関係ない。DF2人だけ残して一気に8人がゴールする意識を持っていい。ボールを持っていないときの動きが重要」と教えてくれた。ただ、理論と実践の差があまりに大きく勝利に結び付かなかった。

 「谷間」の理想はオシム監督のサッカーに似ている。偶然かもしれないが、小野さんは今、日本サッカー協会の技術委員長に就任している。イエメン戦の2得点は理想の形だった。阿部は相手DF5人の間をすり抜け、佐藤寿はゴール前で誰もいないスペースに陣取っていた。染みついたオフ・ザ・ボールの精神がゴールに直結したはずだ。

 イエメン戦の招集メンバー22人のうち「谷間の世代」は半数の11人。過去の日本代表で「谷間」が最大派閥になったことはない。今までの敗北はむだじゃない…そう思わせる効果はあった。埋もれた才能を花開かせつつあるオシム監督のメッセージは、どこまでが想定内だったのだろうか。

August 19, 2006 10:18 AM

2006年08月09日

世代をつないだ朝食

 究極の朝飯をいただいた。

 先日、青森県八戸市を取材で訪れた。朝4時にもなると、東の空は白み始め、目が覚めてしまえば、腹もグーと欲望を訴えてくる。

 取材過程で、世間話をしていたおじちゃんから「な(あなた、の意味)も、ここまで来たんなら、いさばのかっちゃに会ってこ」とアドバイスを受けた。「いさばのかっちゃ」の正体を聞いた。どうやら「市場のお母さん」のことらしい。

 かつて釣り担当をしていたので、早起きは得意。JR八戸線の陸奥湊駅前に行けば分かる、とのこと。現地には午前5時に着いた。

 市場は大好きだ。会社も築地市場のすぐ近く。出張に行けば国内外に関係なく、その土地の市場に足を踏み入れる。弁解するわけじゃないが、市場を歩くと、その土地の雰囲気に触れられ、原稿になんらかのスパイスを加えられる可能性だってある。決して、胃袋の欲求に負けているわけじゃない(と思う)。

 朝露を含んだ心地いい空気を吸い込みながら、歩いていくと、開店前の一般商店の前に、農作物や魚介類を風呂敷の上に並べたおばちゃんがズラリと並ぶ。ほぉ~、このおばさま軍団が「いさばのかっちゃ」か、朝飯はどこで食べられるやら…んん?

 探せども食堂は見つからず。どうもガセ(うその情報)のにおいがプンプンしてきた。

 ちょっとすねながらブラついていたけれど、その場の活気ある雰囲気に押されて、機嫌は直り始めた。やや上りの坂道、目線を10度ほど上げると意味ありげな建物発見。緑色の看板にイカ、タコ、エビにおそらくヒラメと思われるイラスト。明朝体で「新鮮な海の幸」。記者の…いや、食いしん坊のアンテナがピピピ。

 建物内に入ると、もうそこはパラダイス。魚だけじゃなくて、乾物や野菜も含めて全56店舗。八戸市営魚菜小売市場というそうだ。イカ、アジ、タコそれに冷凍じゃないマグロの刺し身。生ウニやイクラが牛乳びんにびっちり入って700円。焼き物はサバ、ニシン、イカと目移りしちゃう。た、食べたい。建物内の片隅にテーブルといすのセットが5組あった。食堂か?

 「店で買ってきたものをここで食べるのさぁ~。ご飯は1杯100円、おみそ汁は20円よ」と手ぬぐいを首に巻いた「かっちゃ」が教えてくれた。さっそく刺し身のイカ、アジ、マグロ(各200円)と100円の漬物を購入。ご飯も2杯食べて、みそ汁すすって920円なり。大満足だ。

 ありそうでないシステム。「かっちゃ」に聞くと「ただ、売ってるだけじゃ、せがれや娘っこは継いでくんね。いつでもご飯さ食べられるように、この机さ、置くようになって、若いお客も来るようになって、子どもらも店に立つようになったのよ」。後継者問題解消で始めた苦肉の策が、話題になったという。断絶しそうな世代をつないだ机をなでると、木のぬくもりを超えた温かさを感じた。

August 9, 2006 09:20 AM

2006年07月30日

攻めに出た奈良観光

 奈良の観光がピンチだ。

 そ、そんなアホな。奈良っちゅうたら観光の王道やんか…。もちろん、奈良は日本の歴史の玉手箱だ。ただ、奈良の観光関係者が危機感を募らせているのは事実なのだ。

 その対応策として今月19日、東京の流行発信地・代官山に「奈良市東京観光オフィス」がオープンした。

 事前にこの情報が耳に入り不思議に思った。大仏のようにドデ~ンと構えていれば、東京に事務所なんぞ出さなくてもいいのでは?

 「そんなことありまへん。観光客数は減っとります。これからの観光は、待ちではなく、攻めんといかん」と昨年7月に就任した藤原昭市長は話す。

 「奈良の観光危機」を裏付けるデータがある。04年に奈良市を訪れた観光客は1293万人だった。前年比だと99万7000人減。03年までは5年連続で増えていただけにガクン、と落ちたのは目立った。ちなみに、昨年の東京ディズニーリゾート(TDR)は2476万6000人、大阪市のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は831万4000人。つまり、TDRの半分、そしてUSJよりはちょっと多いぐらいの集客力といえる。

 身を持って感じたことがある。02年6月、サッカー担当で当時開催していたW杯日韓大会を取材した。日本と1次リーグで同組だったチュニジアのキャンプ地が奈良県橿原市で、3日間密着した。奈良には駅の近くに必ずレンタル自転車がある。これは便利だった。ただ、夕方までに返却が大原則。お願いしたけど「あかん、その日ごとの返却がルールやさかい」と断られた。これで自転車を何日か借りられたら便利だろうなぁ~、とそのとき漠然と思っていた。

 「そうなんですわ。自転車だって何日かまとめて借りられたら、観光も楽しくなる。お客さんから保証金3000円ほどもらっておいて、無事に返ってきたら保証金返却、っちゅうシステムでええですやん」と藤原市長は腕組みをした。そして、本質的な問題を挙げた。「奈良は有名だと思ってるからか案内表示も少ない。問題はもてなす気持ちをどれだけ持つか。観光資源は山ほどある。それをどうアピールするか」。

 東京観光オフィスには、近畿日本ツーリストの社員2人が出向してスタッフとなる。お役所仕事になりがちな業務に民間のノウハウを導入する作戦だ。

 それにはまずアピール材料をつくらなければいけない。今年3月、奈良県内の史跡解説をするガイド27団体が、観光ボランティアガイド連絡会を発足させた。無料で案内した観光客を「ほな、よろしく頼んます」と他地域のガイドに引き継ぐ。奈良を隅々まで案内してくれる。ガイド登録は1200人を超える。

 また、今年から世界遺産の平城宮の清掃ボランティアも活動を開始した。その平城宮は4年後に遷都1300年の節目を迎える。そう、ゴロで覚えた「納豆(710)食べに平城京」だ。きっと盛り上がるだろう。ただ、大仏のように座っているだけでは、せっかくの節目も台無し。東京観光オフィスが奈良1300年の歴史を変える窓口になる。

July 30, 2006 09:15 AM

2006年07月20日

イモで人生を楽しむ

 されどイモなのだ。

 「まぼろし」の小さな看板を掲げて壺(つぼ)焼きイモを売っているおじさんがいる。築地の路上で、ビーチパラソルを広げ、リヤカーに乗せた壺の中から蒸し焼きされたサツマイモを取り出す。

 皮は焦げない程度にパリパリ。その皮がうまい。かむほどに甘みがジュワ~と染み出てくる。山吹色に輝く身は、舌の上でフワッとばらけて両ほおに流れ込む。口いっぱいに香ばしさが充満する。特に皮の下は歯に触れるだけで溶けてしまいそうだ。

 別にグルメじゃないが、B級のうまいもんには目がない。壺の中がどうなってるのか。気になったので、聞いてみた。

 「壺の下にさ、焼けた炭を入れて(壺の)上にイモをつるすのよ。2時間ほっておくと、皮までおいしいイモができる。炭は備長炭じゃ高温すぎてダメなんだ。すぐに燃え尽きちゃうような安い炭がいい」。

 おじさん、61年前に神風特攻隊の最前線基地だった鹿児島県知覧飛行場にいた。17歳だった。基地では「イモ5・麦3・米2」の割合で炊かれる主食が出た。

 「うまくねぇんだ、これが。サツマイモが妙に甘ったるくて、この世にこんなまずいもんがあるとは思わなかった」。

 3日後に飛び立つ、という日が8月15日だった。特攻隊は解散となり、5000円を渡されて上官から故郷に戻るように指示された。天文館の周辺を歩いていると、湯気を放つ壺が目に入った。イモを売っていた。腹がグ~と鳴って反射的に30銭を出していた。

 「イモなんか食いたくないのよ。まずい思い出しかないから。でも、皮ごと食べたらうまかった。同じイモなのに、今度はこの世でこんなうまいもんはないと感激しちゃったよ。イモ売りのおじさんに聞いたら『同じイモでも手の入れ方次第』と長々と説明されたっけ」。

 帰還後、おじさんは築地の魚市場で地道に働き、72歳で仕事を辞めた。そのまま、隠居する道もあったが、どうせならやりたいことを気ままにやりたいと考えていた。埼玉県川越市に壺イモがあると聞いて、押しかけで修行を申し出た。無給でただ手伝うだけ。72歳の手習いだ。半年後には壺イモ職人になっていた。

 「最初はカミさんも息子もやめてくれ、って反対されてさ。朝3時に起きて、やっちゃ場(野菜市場)でイモを仕入れて、きれいに1本ずつ洗ってさ。炭に火を入れて、イモを壺につるす。夕方に店じまいして、家で晩酌して夜6時にはおやすみだよ。5年やってるからなじみもできた。今じゃ、誰も反対しないよ」。

 生きてりゃ、何があるか分からない。マズいと思ってたものだって、調理法によってはごちそうになるかもしれない。それにイモで人生を楽しめるおじさんもいることは知っておいても損じゃない。いや、「たかがイモ」と思っていることを「されどイモ」にできるような、そんな話を引っかき集めてきます。新参者のあいさつに代えて、読者の皆さまよろしくお願いします。

July 20, 2006 12:30 PM