記者コラム「見た 聞いた 思った」

村上秀明

2006年12月30日

PCの副産物 変換ミス

 年賀状を書いていて、書きたい漢字がとっさに出てこない。こんな経験はないでしょうか。あて名や裏面の基本デザインはパソコンで印刷するにしても、たった一言書き添えたい文章の漢字が出てこなかった。昔は簡単に書けたはずなのに…。いかにパソコンの「変換機能」に頼っているかを痛感している。

 パソコンを使うと確かに早く、きれいに文章が仕上がる。書きたい漢字もキーボードを使い変換していけば、いくつかのパターンから「これっぽい」「これだろう」と、ほとんどは正解にたどり着ける。この選択できてしまう形式が、個人的には漢字能力(特に書く力)の低下につながっているのだろうと思う。

 先日、興味深い新聞記事を目にした。財団法人の日本漢字能力検定協会(京都市)が「漢検“変漢ミス”コンテスト」の結果を発表したというものだ。一般から応募された「変換ミス」の文章を、インターネットのオンライン投票で順位付けをする年間コンテストだ。2079作品が集まったという。

 最優秀賞の「年間変漢賞」には「遅れてすいません。回答案です」を変換ミスした「遅れてすいません。怪盗アンデス」が選ばれた。会社員の男性が、終電間際に会議の資料を仕上げ、確認せずに焦ってメールを送信したときのミスで、同僚から「怪盗が遅刻しちゃだめだろう」「腰の低い怪盗だな」と大笑いされたという。

 他のエントリー作品も「正しい変換」→「変換ミス」の形で紹介する。

 「ラフにハマってしまって…」→「裸婦にハマってしまって…」

 「花屋で献花買って行くね」→「花屋で喧嘩勝って行くね」

 「阿寒湖の毬藻」→「アカンこの毬藻」

 「運転席側に置きっぱなしだけどよろしくね」→「運転席がワニ置きっぱなしだけどよろしくね」

 どれもこれも、状況を想像すると笑えるが、エントリーリストをずっと見ていたら徐々に笑えなくなった。常にパソコンを使って言葉を変換し、記事を書く仕事をしていると、新聞上の変換ミスは笑って済まされないからだ。変換ミスは誤字、脱字などを含め「赤字」と呼ばれる。完ぺきに対処しなければいけないが、恥ずかしながら、永遠のテーマでもある。

 「“変漢ミス”コンテスト」の作品は極端な例だが、個人的に「変換」でミスするのは、おっちょこちょいもあるだろうが、漢字の能力に自信がない証拠だと自覚している。今年は、漢字学習のゲームソフトが発売2カ月で想定売り上げの10倍を上回る55万個を突破したという。パソコンが必需品のようになり、漢字を手で書く機会が少なくなったといえる時代だからこそ、分かる気がする。

 読めるけど書けないという現状を打破し、「変換」だけに頼らない漢字の知識を身に付けなければ、と感じている。記事を書いている立場で情けない限りだが、漢字を書き間違えて無駄になった数枚の年賀状を見ていたら、何かやらなきゃと思った。

December 30, 2006 12:04 PM

2006年12月20日

ばんえい競馬はナマ

 「怪獣みたい」。率直な第一印象だ。その主役たちの荒々しい息遣い、「ガシャン、ガシャン」と激しく鉄がぶつかり合う音が響き、想像をはるかに上回る迫力があった。何げなく足を運んだが、とにかく興奮したことを覚えている。

 ばんえい競馬を初めて生で観戦したのは、10年前の入社間もないころだった。北海道・岩見沢競馬場で、サラブレッドの2倍近くの800キロ以上もあるばん馬を見た。鉄そりを引く姿は、新聞の写真やテレビの映像より大迫力。レースは、独走状態だった馬がゴール直前で力尽きてばったり止まるケースもあった。その馬の馬券を買っていた人にはたまったもんではないが、ハラハラドキドキ感は十分あった。

 そのばんえい競馬が存廃問題に揺れていたが、民間委託での来季の存続が正式に決まった。これまでは、北海道の4市(旭川、岩見沢、帯広、北見)で構成する市営競馬組合で運営し、昨年度まで約31億円の累積赤字を抱えて浮上した存廃問題は、帯広市の1市単独開催で決着した。具体的な開催案はこれからだろうが、活路が開かれたことには違いない。

 各地で行われた署名活動など関係者やファンの熱意が形となって表れた。世界唯一の競馬を守ろうと「救世主」に名乗りを上げたのが、ソフトバンク関連企業だった。新会社を設立し、馬券販売や払い戻し、入場料徴収などの業務を請け負うことになる。さらに、インターネット技術を活用した新たな販売戦略を推し進めるという。

 確かに当面の存続で決着したが、あくまでも運営支援のソフトバンク・プレイヤーズとは単年度契約。08年度以降の保証はどこにもないのが現状だ。ある調教師が漏らした「民間会社はもうけがなければすぐに手を引くだろう」という不安も分かる。携わる企業も、決してボランティア団体ではないからだ。単年契約はプロスポーツ界でいうとベテラン選手に多い。先を見ながらでも、とにかく目の前の1年が勝負だ。

 今回決まった民間委託によって、今までになかった発想、販売戦略が可能になるケースが増加することは十分期待できる。関係者は特に、ソフトバンクの知名度とインターネット技術に期待する部分も大きい。楽観視はできないが、赤字体質から脱出するための売り上げ増の起爆剤になるのか注目したい。

 馬券販売額のアップと並行し、生で見る魅力の発信も不可欠に思う。北海道民でも、なかなか生観戦したという経験者が少ないように感じる。地元だけではなく、道外や海外向けにツアーを提案するのもいいだろう。96年に岩見沢競馬場で行った現役馬とインドゾウの競走が話題を集めたように、競馬場にファンを集める意外性のあるアイデアがほしい。

 関係者には不本意な形だろうが、今、ばんえい競馬は注目を集めている。永久的な存続が不透明でピンチともいえる今こそ、逆に足を運んでもらうチャンスのはずだ。「1度見に行こうか」。売り上げ増も大事だが、そう思わせる取り組みに期待したい。10年前、初めて見たばんえい競馬は今でも鮮明な記憶に残っているからこそ、強く思う。

December 20, 2006 11:27 AM

2006年12月10日

北海道発「もっこり」

 北海道東部にある阿寒湖で先日、国の天然記念物マリモの「冬支度」作業が行われたというニュースが流れていた。秋まで展示されていた場所から移動させ、来春まで鉄かごに入れて湖底に沈められるという。その光景を見て、あらためて思った。そういえば、今年はマリモの活躍が目立っていたなあ、と。

 年末になると10大ニュースとして、その1年を振り返るが、北海道関係だけでもいろいろなことが記憶に残っている。全国区の話題としては、日本ハムの日本シリーズ制覇、コスモバルクの海外G1制覇、駒大苫小牧が夏甲子園準優勝などがすぐに出てくるが、独断と偏見で隠れ上位候補だと思っているのが「まりもっこり」旋風だ。

 「まりもっこり」とは、マリモをモチーフにしたキャラクターだ。愛嬌(あいきょう)のある大きなタレ目で、下腹部が「もっこり」と膨らんだスタイルが最大の特徴。決して品のあるキャラではないが、若者を中心に「キモカワイイ」という評判を呼び、10万個が大ヒットと言われる業界で1年余りで30万個を超える爆発的ヒットをかっ飛ばした。

 人気は津軽海峡を渡り、2月のトリノ五輪に出場したフィギュアスケートの「ミキティ」こと安藤美姫が携帯電話のストラップに使っていたことで、全国的に火が付いた。先日取材したニュージーランドからのラグビー留学生のバックにも「まりもっこり」はぶら下がっていた。北海道内のお土産店には欠かせない有名キャラクターとして定着している。

 「もっこり」部分を引っ張ると振動する種類も発売されたが、商品化のきっかけもばかばかしい。もともとは、札幌市内の観光物産品総合卸会社社長のダジャレだった。社員の反応は冷たかったが05年2月に発売開始。地元の阿寒湖畔では当初「マリモに失礼」と不評だったといい、ホテルでの販売扱いを断られるなどしたそうだが、メディアを通じて人気が広がった。

 今では「べにいもっこり」(沖縄バージョン)「もっこりんご」(信州バージョン)など北海道以外にも続々と進出。北海道発信のものが全国に広がると、たとえ「もっこり」と品のないキャラクターでも誇らしく思うし、うれしい気分になる。全国へのブーム発信は何より「北海道は元気だぞ」と感じさせてくれるようで、頼もしい。

 全国からの観光客が絶えない旭川市の旭山動物園は冬期営業も活気がある。ラーメン、ジンギスカンに負けないぞと、札幌市内に200件以上の専門店があるスープカレーが北海道の食文化に加わった。札幌の初夏の風物詩となったYOSAKOIソーラン祭りなど、ここ十数年で北海道から全国にその名をとどろかせているものがある。

 威勢のいい部分だけを並べたが、夕張市が巨額赤字を抱え財政破たん、多額の赤字を抱えるばんえい競馬の存廃問題など、明るい話題だけではない。何かに立ち向かわなければならない人も多くいる。ただ、そんな北海道だからこそ、北海道発の「元気印」から何かを学びたい。そして、発信していく精神を忘れたくないと思っている。

December 10, 2006 11:16 AM

2006年11月30日

心のケアが最も大事

 1人の高校生が天国に旅立った。北海道・白樺学園高アイスホッケー部の伏屋(ふせや)智史さん(享年18)が先日、帰らぬ人となった。5日に釧路での試合中にパックが首に当たり、意識不明の重体が続いていたが、意識が戻らないまま亡くなった。取材する側としても、あまりにも残念で、やりきれない事故だった。

 関係者によると、開始直後に痛ましい事故は起きた。相手チームの選手がシュートを放った際、DFの伏屋さんがゴール前で前のめりになったところ、左耳の下にパックが直撃したという。ヘルメットをかぶり、首に布製の防具(ネックガード)を付け、規定通りだったが、肌がわずかに露出した部分に当たったという。

 北海道連盟の関係者は「日本では過去に聞いたことがない」と顔をしかめた。伏屋さんは体を張った必死のプレーで失点を防ごうとした際、ヘルメットとネックガードのわずか数センチの部分に、約7・5センチの硬いゴム製のパックが当たってしまった。「確率的には万が一にも満たないような想定外」とあ然とした関係者もいた。一生懸命に戦った結果だと思うと、本当にやりきれない。

 同高は悲報から4日後、全国大会に出場。遺影とともに伏屋さんが事故当時着用していたユニホーム、スティックをベンチに入れて戦った。伏屋さんの両親から「辞退しないで息子の分も頑張ってほしい」との思いを託され、出場に踏み切った。さらにもう1つ、出場の理由があった。「(シュートを放った)相手チームのことを考えると出場した方がいい」(同校関係者)との判断だった。

 これを聞いた時、あらためて考えさせられた。シュートを放った高校生は、どんな思いをしているのだろうか。得点を奪おうと懸命にプレーしてシュートした結果が、偶然にも悲劇を生んでしまった。家族、関係者の気持ちを考えるといたたまれないが、一番やりきれない思いをしているのは、シュートを放った選手かもしれない。

 後日、対戦相手の学校関係者に話を聞いた。「(伏屋さんの)両親からの激励が大きくて、今は頑張るしかないという気持ちになっている」。シュートを放った選手は、クラブ活動を続けていると聞き、ひとまずはホッとした。そして、悲しみのどん底にいるはずの伏屋さんの両親の気配りに感動した。

 アイスホッケーは確かに体がぶつかり合うハードなスポーツといえる。ケガが絶えない競技かもしれないが、今回は誰が悪いというわけではない不慮の事故。当事者の心には一生残っていく出来事で、尊い命が失われてしまったが、シュートを放った選手は自分自身を責めないでほしいと思う。

 これからは、再発防止のための徹底的な安全管理はもちろんだが、シュートした選手をはじめ事故現場にいた選手たちの心のケアが最も大事だと思う。学校の垣根を越えた選手同士の励まし合いも必要だろう。ベッドの横にアイスホッケー関係の本を山積みにするほど競技を愛していた伏屋さんも、そう思っているような気がしてならない。ご冥福をお祈りしたい。

November 30, 2006 10:07 AM

2006年11月20日

すっきりしない続投

 仮定の話だが、ある会社員が夢を追うため、同業種の別会社の面接に堂々と行ったとする。そして夢破れて再び会社に戻ってきたら、周囲の人間はどう感じるだろうか。「残念だったね」という同情、もしくは「また一緒に頑張ろう」という激励もあるだろう。その一方で、不快に思う人はいないだろうか。「今までと同じように一緒にやれるのか」と疑いの目を向ける人はいないだろうか。

 日本ハムの優勝パレードが18日、札幌市内で盛大に行われた。その中で笑顔を見せていたヒルマン監督が16日、来季の続投を表明した。メジャー監督就任の夢が消滅し「戻ってこられることをうれしく思う」と話し、来季は5年目の指揮を執ることになった。が、何かがすっきりとしない。特に日本ハムファンの中には、そう思った人も少なくないのではないだろうか。

 同監督は10月末に渡米し、大リーグ3球団の面談を受けた。レンジャーズは国際電話での面談でも可としていたが、ヒルマン監督自らが直接面談を希望し、夢に向かってトライした。日本ハム側も容認し、決して契約上のルールは犯していない。もちろん、夢に向かって行動することは素晴らしいし、そのチャンスをつかもうとする姿勢は共感できる。だが、今回の続投を素直に受け止めることができないでいる。

 プロの契約はビジネスである。FA移籍、トレードも当たり前のように行われる。そこに義理人情を入れてはいけないのかもしれないが、客観的に経緯をたどると「愛」を感じなかったからではないか。日本ハムが「最終手段」の扱いを受けた印象が強く、ビジネスライクな行動に映ったのが「しこり」の要因のような気がする。

 同時期に、FAでの去就が注目された広島の黒田博樹投手が残留を決意したのが、あまりにも対照的だったこともある。「育ててもらったカープ相手に目いっぱいボールを投げ込める自信がなかった」。広島ファンの大声援に心を揺さぶられ、義理人情を重視した形だろう。そもそも黒田と外国人監督を比べるのが、間違いかもしれない。大きく言うと、国民気質、文化の違いもあるだろうし…。

 特に北海道のファンがどう感じたかに不安を感じている。実際、野球好きの知人から「大リーグ監督がダメだからって、続投させるの」「シンジラレナ~イのは監督の行動じゃないの」と、数々の不快を表す声を聞いた。アジアシリーズVまで導いたヒルマン監督の行動を快く理解するファンもいるだろう。だが、一部かもしれないがすっきりしない気持ちのファンがいるのも事実だろう。

 チームは新庄の引退や主力選手の去就問題など、アジア王者になってから明るい話題が少ないが、経過はどうあれ、ヒルマン政権が再スタートする。ペナントを狙うための戦力補強も大事だが、わずかかもしれないが「溝」を少しでも早く埋める行動、発言をしてほしい。今日19日のファン感謝デーは、その第1歩になるのではないだろうか。

November 20, 2006 10:17 AM

2006年11月10日

金で買えない距離感

 年末は全国各地のホテルでディナーショーが行われるが、札幌市内のホテルにはトップアイドル松浦亜弥がやってくる。あややにとっても初めてのディナーショーらしく、ちょっとした注目だ。料金3万2000円を高い、安いと感じるのはそれぞれだと思うが、大会場でのコンサートでは味わえない「至近距離」が醍醐味(だいごみ)には違いない。

 初めてディナーショーに行ったのは、10年前になる。入社1年目で販売部所属となり、新聞販売店の奥様方と北海道滝川市のホテルに足を運んだ。音楽に合わせてステージ脇から登場したのは布施明。歌っていた曲は「君は薔薇より美しい」だった。

 張りのある声以上に驚いたのは、本人と客席が予想以上に近かったこと。会場は100人ほどだったと記憶しているが、「シクラメンのかほり」を歌いながら布施は各テーブルを回って握手するなど会場内を動き続けていた。ファンが布施の腕に触れたり、逆に肩を抱かれたり-。目がハートになっていた年配女性も多かった。個人的には熱烈ファンではなかったが、それ以降、かなりの親近感がわいた。

 ファンになる第一歩は、こういう単純なきっかけが大きいような気がする。中学1年で、旭川スタルヒン球場で初めてプロ野球の広島-大洋を観戦したが、大洋新浦とポンセ、広島ランスに向けて、使い捨てカメラのシャッターを押しまくった。写真をアルバムに張って以来、気になる選手になった。大学時代には、何げなく行った女子プロレス会場で人気選手の井上貴子と握手した。触れ合うことで距離感が一気に縮まった気がした。

 日本ハムがこのほど発表した選手が北海道内行脚という企画に、とても好感を持った。22、23日に札幌だけでなく、旭川、函館など計7エリアでトークショーやサイン会を行うというものだ。18選手が9組に分かれて、北海道各地にあいさつに出向くが、ここまで大々的に遠方まで訪問するのは初めてのことだという。

 北海道のチームとはいえ、今季の札幌ドーム以外のホーム公式戦は旭川、函館の2カ所(2試合)だけだった。札幌以外のエリアでは、日本ハムは「テレビの中のもの」という距離感を持つ人が多いかと思う。日程的にシーズン中は難しいが、こういうオフ期間に金子、森本が最北の稚内市などプロ野球と縁が少ない地域に赴けば、触れ合う絶好の機会になる。まさに「ディナーショー感覚」で大賛成の企画だ。

 去就が確定していない選手もいるが、ファン獲得の最大の功労者といえる新庄剛志が引退した。日本一には沸いたが、北海道に定着するための本当の勝負は始まったばかりだと思う。プロ野球球団として、当然ながら最も広大なエリアをフランチャイズにするチームだけに大変な部分はあるが、ファンとの距離感を少しずつでも縮めていってほしい。

November 10, 2006 01:09 PM

2006年10月31日

ひちょり意外な活躍

 日本ハムの興奮は意外なところにも波及していた。44年ぶり日本一は、多くの北海道民に夢、感動を与えたのは間違いないが、あるマイナースポーツにも「感激」と「刺激」を与えていた。プロ野球とは、まったく異なった競技といえるスピードスケート界だ。

 日本一決定の翌日、長野・エムウエーブで全日本距離別選手権の公式練習が行われた。北海道出身者が多く、会場に行くと顔見知りの関係者から握手を求められるなど、自然と日本ハムの話題があがった。テレビ観戦したという選手は多かったが、話題の中心は引退試合だった新庄剛志外野手より、圧倒的に森本稀哲外野手だった。

 なぜか? ビールかけの映像で、スピードスケートの競技用ワンピースを着ていた姿が映し出されたからだ。スポーツ用品メーカーのミズノが、日本ハム選手側の「北海道らしいものでもっと目立つものを」というリクエストにこたえ、数種類のアイテムを準備。「ジャンプスーツもあったようです」(ミズノ広報)という状況の中、森本がスピードスケート用を選択していた。そんな姿に「親近感がわいた」とスケート関係者は口をそろえた。

 「日本ハムには勇気を与えられた」と話したのは帯広市出身で、長野五輪金メダリストの清水宏保だ。「マッサージそっちのけで試合を見ていた。森本選手は(スケート競技用の)サングラスも付けていたし格好はばっちりでしたね」と、ワンピースの着こなしに合格点を与えていた。

 トリノ五輪で選手団主将を務めた岡崎朋美(清里町出身)は「ひちょりさん、すごい感激です。北海道ならジャンプの格好かなと思っていたけど、スピードスケートなんて。会場で待っています」と熱烈ラブコール。森本自身は「笑い」の演出用だったかもしれないが、「間接的に競技PRをしてくれた」と大まじめに喜ぶスケート関係者も多かった。

 スピードスケートは冬季競技の中では、過去に多数の五輪メダルを獲得した花形だが、マイナースポーツのイメージをぬぐえていないことは関係者も認識している。特に五輪直後のシーズンは、どうしても注目度が下がってしまう。だからこそ、ファン開拓のアクションの必要性を、新庄を筆頭とする日本ハムから感じ取っていた。日本スケート連盟の鈴木恵一スピード強化部長は「ああいうエンターテインメント性は大事だよな」と刺激にしていた。

 水面下では、ファン拡大のための改革の動きが始まっている。チアリーディングチームが競技の合間に競技を披露するなどのコラボレーションを考案中。まだ正式な形にはなっていないが、どこまで可能か現在、検討している。スケート場の気温が低いことなどクリアする面は多いが、集客作戦の動きには違いない。

 数万人のファンが集まる大会もあるスケート王国オランダでは、楽団がポップな曲を奏でながら会場内を歩き回り、ファンを飽きさせない。本拠地の札幌ドームに4万人を超すファンを集めた日本ハムも、試合以外でも観衆を楽しませた。「喜んでもらえるなら着ぐるみでも着ますよ」と岡崎。刺激を受けたスピードスケート界の改革に期待したい。

October 31, 2006 11:32 AM

2006年10月21日

戻った原田スマイル 

 長野五輪金メダリストが先日、手提げ袋にたくさん入ったポケットティッシュを道行く人に配っていた。スキージャンプで5度も冬季五輪に出場した原田雅彦氏(38)だ。JR札幌駅南口で、白い帽子をかぶり青いジャンパーを着て、現役時代と変わらない人懐っこい笑顔を見せていた。

 今年2月のトリノ五輪後、現役を退き所属先の雪印コーチに就任。今年6月には、07年に開催されるノルディックスキー世界選手権札幌大会(来年2月22日開幕)の広報大使に任命された。人気、国際的知名度から抜てきされたもので、6月に人生で初めて街頭PRのためティッシュ配りをしたが、今回はもう慣れたものだった。

 その表情は明らかに今冬とは違っていた。トリノ五輪本番のノーマルヒル予選で、体重に比べて長すぎるスキー板を使ったと判断される規則違反で失格。失意のまま帰国し、3月の国内大会では代名詞にもなった「原田スマイル」は消え、神妙な顔つきが印象的だった。「スポーツだから厳しい意見もある」と、聞こえてくる非難の声もすべて背負い込んだ。

 あれから7カ月。戻ってきた「原田スマイル」にトリノ五輪を振り返ってもらった。

 「期待があったし、自分のためにやれる環境じゃなかったのかなって。今はプレッシャーから解放されたし、ずっと(五輪に)5回も出ている人だからすごいよね(笑い)。代表として誇りに思っている。(失格は)山あり谷ありの人生で1番最初に来る試練だったのかな。人生はこんなものだと思っているよ」。

 ジャンプ競技は30年以上続けてきたが、コーチ業は今季が「1年生」。練習でジャンプは飛んでいるのかと聞くと、好きな野球に例えて「キャッチボール程度(の軽め)」と返ってきた。新人コーチは「お手伝いをしているだけ」と話した後、真剣な表情でこう言った。「これからの選手には悔いのないようにやってほしい」。とてつもなく重みのある言葉に聞こえた。

 原田氏は今、チームの活躍と同じくらい、世界選手権を大成功に導くのが使命と感じている。集客のための数々の街頭PR、イベントやメディア出演をこなしている。欧州では5万人以上の集客があるノルディックスキー世界選手権だが、アジアでは来年の札幌が初開催。「ぜひ札幌をヨーロッパのような大会にしたい」というのが願いだ。

 街頭PRを行っている地元札幌市は、当然のことながら日本ハムが熱い。「世界選手権のPRは野球フィーバーが終わらんことには」と冗談交じりに笑ったが、「選手もビールかけでスキーゴーグルをかけていたでしょ。それに、道民は1つのスポーツに熱中することがあらためて分かったからね」。明るく前向きにとらえていた。

 街頭では歩行者から「あっ、本物だ」と指をさされ、知名度では衰えはない。これが第2のジャンプ人生が始まった原田雅彦氏の今である。

October 21, 2006 09:03 AM

2006年10月11日

ばあちゃん「ごめん」 

 何げなく見ていたテレビのバラエティー番組で、目頭が熱くなったのは初めてだった。

 「ちょっといい話」という、ゲストが体験談を披露するコーナーだった。お笑いコンビ、ブラックマヨネーズの吉田敬が、祖母とのエピソードを語った。話が終わると涙する出演者もいて、会場全体が感動に包まれている雰囲気が十分に伝わってきた。自分も昼間からジーンとした。

 テレビを見ていない方のために、記憶に残っている範囲で内容を要約すると次の通りだ。

 幼少時の吉田は両親の事情で祖母に育てられた。そのうち、両親と住むようになり、祖母とは徐々に疎遠に。しばらくして、久しぶりに祖母に会いに行った時、自分の名前を間違えられ「2度と会いに来るか」と腹を立てた。その後、会うことはなく祖母が他界。葬式で親せきにこう告げられ、心が揺れた。「おばあちゃんはその日、名前を思い出せずにかわいそうなことをしたと泣き続けていた。最近は目が見えにくくなったが(吉田が出演する)テレビに向かって、あれはタカシだよねと繰り返していたよ」。

 エピソードを話し終えた吉田は最後に、天国にいる祖母に「ごめんな。ありがとう」と声を大にした。短い言葉だったが、込み上げてくるものがあった。同じ気持ちになった。自分も天国へ旅立った2人の祖母に「ごめんね」と言いたかった。

 3年前に他界した母方の祖母は晩年、痴呆症を患ってしまった。母や母の兄妹は「本当なら自分の家で見てあげたい」と強く願っていたが、やむを得ない事情で専門の施設で暮らしていた。自分が住む札幌市から車で2時間ほどの町にある施設で、社会人になってからも、家族とともに何回か会いに行った。

 だが、まともな声を掛けてあげることができなかった。久々に会った時の祖母は、子どものように変わっていた。正直、ショックだった。昔は、遊びに行けば食事を作ってくれ、優しく接してくれた祖母が、別人になってしまったようだった。現実として受け止めることが難しかった。夢だと思いたかった。施設に何度か足を運んでも、真っ正面から受け止めることができなかった。

 結局、優しい言葉を掛けてあげることができなかったように思う。最後まで対応に戸惑っていた。ベットの上で小さくなって息を引き取った祖母を見て、後悔の念がわいてきたのだけは、今でもはっきりと覚えている。父方の祖母が亡くなった時もそうだった。一緒に暮らした時期に優しくしてくれた祖母に「ありがとう」と言えれば…。

 「後悔先に立たず」ということわざがある。人生は後悔だらけかもしれないが、ちょっとした勇気で減らせる気がする。先延ばしせず、悪いと思ったら「ごめんなさい」、感謝の気持ちがあれば「ありがとう」と素直に言いたいと思う。実家の一室で並んでいる2人の祖母がほほ笑む写真は、これからの生き方を教えてくれている。

October 11, 2006 12:06 PM

2006年10月01日

「明暗」から「明明」へ

 2つの並んだテレビ画面にプロチームの現実が見えた。

 27日、プロ野球の日本ハムがリーグ最終戦でプレーオフ1位通過を決めた。会社内でテレビ観戦したが、歓喜で沸き返った札幌ドームの熱狂ぶりが画面からも十分に伝わってきた。北海道本社の編集部では8台のテレビで、各局の映像が同時に見られるようにしているが、日本ハムの熱戦の横の画面に映っていたのが、北海道のもう1つのプロチーム、サッカーJ2のコンサドーレ札幌だった。

 同時間帯に、札幌ドームから車で約15分、わずか6キロほどの札幌厚別公園競技場で公式戦を戦っていた。雨模様の悪天候もあるが、観衆は同競技場の開催ではクラブ史上最少を10年ぶりに下回る3896人。消防法で定められた収容人数4万3473人の超満員だった札幌ドームの約11分の1。あまりにも対照的な映像だったが、はっきりと現状を映し出していた気がした。

 この試合で6-0と大勝し、J2の5位に浮上したが、J1昇格のチャンスが生まれる3位以内には厳しい状況は続く。J2降格から4年目。J1定着のための若手育成のスタンスもあり、我慢のシーズンが続いているとはいえ、上位争いでなければ世間の注目は徐々に薄れてしまう。必然的に報道も縮小気味になってしまっている。

 J1に再昇格した01年には「岡ちゃん」こと岡田武史監督のもと、強敵相手に健闘し、7月の横浜戦では札幌ドームに過去最多の3万9319人を動員した。札幌ドームが完成したばかりのタイミングもあるだろうが、シーズンの平均観客動員数は2万人を突破。華々しく輝いていた時期が確かにあったし、27日の寂しい観客数もまた、現実だった。「プロは強くなくては」。この言葉に尽きると思う。

 2つのテレビ画面から、お互いへのメッセージが発信されているような気もした。日本ハムは今季終盤戦で快進撃を見せたが、リーグ優勝は81年以来遠ざかっていた。その間、Bクラス(6チーム中4位以下)が15回。苦しんだ長い年月を経て、ようやくたどり着いたレギュラーシーズンの1位通過。コンサドーレ札幌に対する「悔しさの分だけ喜びがある」という激励に見えた。

 コンサドーレ札幌は、北海道初のプロチームとして大観衆に支えられた時期に比べると、成績とともに観客動員数は低迷。ある文献に北海道民の気質が「新しいもの好きでミーハー感覚が強い」と表現されていたが、その真偽は別として、栄光とどん底を味わってきたのは確かだろう。日本ハムに対する「強さの継続こそ大事だぞ」という教訓に見えた。

 今季の札幌ドームの日本ハム戦には、4万人を超す観客が何度も詰めかけた。昨年までは、3分の1も入っていない閑散とした試合も見てきただけに、ファンの反応は素直だとつくづく思う。当然、ファンがいなければ成立しないのがプロチーム。テレビ画面に映し出された道民2球団の「明暗」だったが、「明明」の日が来ることを心待ちにしたい。

October 1, 2006 12:49 PM

2006年09月21日

悲劇呼ぶ人ごと感覚

 悲劇はいっこうに止まる気配がない。飲酒運転による交通事故が全国で次々と起こっている。8月に福岡市で幼児3人が亡くなった痛ましい事故の後、連日のように報道されているが、それでも後を絶つ気配がない。マスコミがいつも以上に各地の飲酒運転事故を報道するため、増加の印象があるのかもしれないが、少なくともゼロに近づいていないのが現状だろう。

 先日まで、警察庁が「取り締まり強化週間」を定め、全国各地で検問が行われたように、当然ながら撲滅の動きは活発化している。アルコールを提供する飲食店では、飲酒運転をしない誓約書を書かせたり、客の送迎、代行運転の手配などを始めたところがあるという。飲酒運転の同乗者や、酒類を提供した側の責任も確かにあるだろう。だが、限りなくゼロに近づけるには、結局は本人の意思以外の何ものでもないような気がしている。

 例えば、周囲がいくら酒を勧めようが、本人に断る勇気さえあれば、そこで飲酒運転が起こることはないはずだ。飲酒事故を起こす人の「ちょっとだけなら大丈夫だろう」という軽い感覚も、強い意思があれば完全にシャットアウトできると思う。何より、交通事故は自分には関係ないことと思い込んでいる「人ごと感覚」が心理の根底にある気がする。

 恥ずかしながら、自分も交通事故を起こしてしまったことがある。9年前、入社2年目のことだった。飲酒運転ではないが、販売部所属だった当時、北海道・オホーツク海沿岸の小さな町の山道で前方3台を巻き込む追突事故を起こしてしまった。脇見をした瞬間、前の車の急停車に気付くのが遅れたからだ。

 追突してしまった前方の運転手、同乗者の方たちの命には別条がなく、自分自身も約2カ月の入院、リハビリで社会復帰することはできたが、多方面に多大な迷惑を掛けた。車は快適な生活を送る重要なアイテムだが、ときには走る凶器にもなり得る。あらためて痛感させられたが、もう遅かった。一瞬にして、他人の人生を変え、自らの生活も大きく変えてしまうところだった。

 入院先のベッドで何度も思った。「まさか自分が」「交通事故は自分には関係ないと思っていた」。自分の心の中にも、このときまで「人ごと感覚」がこびりついていたのだ。不注意の運転を引き起こしたのは、この感覚以外のほかならないと思う。もっと早く何らかのきっかけで意識改革ができていれば…。自戒の念とともに、後悔の気持ちが今でもわいてくる。

 今まで交通事故に無縁だった人が「人ごと感覚」を180度転換するのは容易ではないかもしれない。それでも、警察の検問実施、自治体や飲食店の地道な活動は、ドライバーの意識改革の手助けにはなるはずだ。過ちを繰り返さないためにも、最近の飲酒事故の悲劇を教訓にしたい。これをきっかけに、まずは1つの意識から撲滅してほしいと思う。「オレ(ワタシ)には関係ない」という精神を。

September 21, 2006 12:09 PM

2006年09月11日

うわさ利用町おこし

 北海道・旭川市の旭山動物園は、今年8月の入園者が60万4376人だったという。上野動物園の2倍以上で、約36万人の人口を考えると驚異的な数字だ。全国に広がり、今ではすっかり観光名所として町の活性化に一役買っているが、北海道内には夕張市のように財政破たんした自治体もあり、町を取り巻く状況はさまざまだ。

 町おこしには名所、名物をPR、イベントの開催などやり方は多数あるだろうが、北海道南西部にある室蘭市での活動は少しユニークだ。やっていることは極端に言うとうわさ話を広げること。発信源の不明なうわさに対し、真剣に真っ正面から取り組んでいる。

 同市内に白鳥大橋が開通したのは98年6月のこと。構想から着工まで30年かかり、完成までさらに10年の歳月を要した。室蘭港に架かる長さ1380メートルの東日本最大のつり橋で、自動車専用道路だ。純白の橋で白鳥が翼を広げたような形に見え、夜間には風力発電によるライトアップが行われ、若者中心に観光スポットとなっている。

 「白鳥大橋をカップルで渡ると結ばれる」。そんな縁結びのうわさが、04年末ごろから地元を中心に広がり始めた。発信源は不明だが、地元メディアでも徐々に取り上げられるようになった。「愛の懸け橋」としてのうわさを広めて活性化に生かそうと、市民団体「白鳥大橋ハッピープロジェクト」が立ち上がったのは昨年3月だった。

 市職員や学生、NPO法人関係者など20~30代の若者が集まり、これまでデートマップ作製や年越し行事を企画した。地元出身の女性シンガー・ソングライター百香(ももか)も、白鳥大橋を題材にしたバラード曲を今年3月に発表。中央競馬の札幌開催中に実施されるレース「白鳥大橋特別」では、2年連続で実際に橋を渡って結ばれたカップルが表彰式のプレゼンターを務めPRしてきた。これらの活動は町おこし団体だけではなく、民間や行政機関が一体となったもので、それだけ真剣度が伝わってくる。

 さらに今月2日には、初めて縁結びのバスツアーを実施した。定員には届かなかったが北海道内から8組のカップルが参加し、銀粘土の指輪作りや、幸福の鐘を一緒に鳴らす甘~いツアーを楽しんだという。うわさを真実に変えてしまうのではないかと思わせるくらい、バイタリティーにあふれ、数々の企画をつくり出す市民団体には頭が下がる思いだ。

 05年度に室蘭市を訪れた観光客は120万3200人で、前年度比で約5万人減だったが、年末の年越しイベント「白鳥大橋カウントダウン」は前年比16・8%増の3500人が集まった。うわさから始まったプロジェクトで、白鳥大橋の認知度は着実に増しているように思う。

 同市は鉄工業を中心に栄え、かつての人口は20万人近かったが、05年の国勢調査で58年ぶりに10万人を下回った。そんな中、簡単に消滅しかねないうわさを有効利用するために立ち上がった若者たち。その姿勢は、町おこしを考える他の市町村へのヒントになるのではないか。個人的にはその発想の柔らかさを見習いたい。夢のあるうわさがどんな広がりを見せ、町がどう変わっていくのか行方を見守りたい。

September 11, 2006 09:55 AM

2006年09月01日

求む!スターホース

 29日のホッカイドウ競馬旭川開催で、少しユニークな名前の競走馬がデビューした。2歳の牡馬で、その名は「ニイカップギレン」。名前の通り、北海道・新冠町の町議ら9人で組織する「新冠軽種馬議連組合」の所有馬だ。議連組合として競走馬を所有するのは日高管内7町で初めてのことで、ちょっとした話題を集めた。
 結果は6頭立てで4着。「初当選」とはいかなかったが、地元から34人の応援団が駆け付け、パドックに横断幕を掲げて声援を送った。町の基幹産業である軽種馬生産と、道営競馬そのものの活性化に一役買おうという目的の競走馬所有。観衆955人の旭川競馬場で初披露となった地道な動きだが、立派な話題作りといえる。
 相次いで地方競馬が廃止に追い込まれている中、日本最大の馬産地日高があるホッカイドウ競馬も例外ではない。210億円余りの累積赤字を抱え、今年度から3年以内に赤字額を半減し、単年度の収支均衡に見通しをつけることを条件に存続が決まったのは昨秋のこと。厳しい環境下にあるには違いない。
 そんながけっぷちの中、例年以上に熱い話題が目立っている。7月上旬には、大リーグなどで活躍した「大魔神」こと佐々木主浩さんの所有馬がデビューを果たした。現役時代、決め球としていたフォークボールにちなんで、馬名は「ミスターフォーク」。初戦は7頭立てで最下位。「名前が良くないのかな。フォークは落ちるから」と苦笑いだったが、注目は浴びた。
 6月には中高年の星が3度目のデビューを飾った。12歳のキャニオンロマン。人間に換算すれば50歳近い年齢だが、13頭立ての5着と健闘した。故障で2度引退したが、2度目の引退後は種牡馬になる予定だったが適性がなく、繁殖牝馬の発情を確認するアテ馬を務めた。苦難の道のりを歩んできた末の復活走に、関係者は「団塊世代の励みになる」と期待は大きい。
 今春には道営競馬では初の白毛の競走馬マルマツライブが初出走を果たした。父青鹿毛、母栗毛のため突然変異とみられるが、デビュー戦3着と観衆を沸かせた。ファンを引きつけるバラエティーに富んだ話題馬たちが続々と登場。それに加え、経営改善に取り組む道営競馬が、馬券をインターネットで販売するために業務提携するなど、起死回生の地道な動きを続けている。
 ただ、残念ながら現時点では、爆発的な売り上げアップとはいっていないようだ。それでも着実な、地道な動きがなければ人気の基盤は確立できないと信じて見守りたい。あとは、高知競馬ハルウララのような全国的な話題になるようなスターホースの出現を望みたい。たとえ話題づくりだけの客寄せホースでもいいと思う。クラス、年齢を超えた話題馬同士の夢対決があってもいい。
 ホッカイドウ競馬のスター、コスモバルクが今春の国際G1シンガポール航空国際Cを制し、地方馬として史上初めて海外G1制覇を達成したのは記憶に新しい。今週も中央競馬札幌開催で出走予定のバルクが、道営競馬に注目を集めさせている今だからこその思いがある。いろいろな話題馬が登場しているだけに、話題づくりの灯が燃え続けることを願いたい。

September 1, 2006 10:35 AM

2006年08月22日

予期せぬ災難対策を

 ザ・ドリフターズの人気コント「雷様」は気楽に見られたが、こっちの「雷様」は怖かった。20年以上も前の話だが、自宅に雷が落ちた。ごう音とともに、テレビの裏側から煙が出て、壁が焦げたシーンが、今でも鮮明に記憶の中に残っている。周囲に話すと、よく笑いの「ネタ」として受け止められるが、近所も停電となった正真正銘の直撃だった。

 怖いものを表現した言葉「地震 雷 火事 おやじ」もうなずける。当時、部屋が真っ暗になり、煙が出たテレビの裏に雷様が降りてきた錯覚に陥った。恐怖心から一生懸命にへそを隠した記憶もある。母親によると家財保険で新しいテレビを購入したそうだが、災難は突然やってくるものだと人生で初めて思ったのが、このときだったかもしれない。

 先日、東京都など首都圏で約140万世帯が該当する史上2番目の大規模な停電が起きた。電気が止まり、信号機が一時停止し、交通網がストップし、テレビのニュースを見ているだけでもかなりの混乱ぶりが伝わってきた。影響を受けたエリアの住民にとっては、甚だ迷惑な話だが、個人的にもっと驚かされたのは、停電を引き起こした理由だった。

 重要なライフラインだが、意外ともろいんだなというのが率直な感想だ。旧江戸川にかかる送電線にクレーン船のクレーンアームが接触。確かに信じられない事故で業者のミスだが、1カ所(3本)の送電線が損傷しただけで、あの広範囲なエリアで電気が簡単にストップするとは思わなかった。このような事故は想定外だろうが、人々の生活に絶対欠かせない「生命線」にしては、無防備な印象を受けた。

 札幌市でも今月7日未明、観光名所の時計台近くの市道で、水道管工事中の業者が誤って水道管を損傷させ、大量に漏水した。噴水のように噴き上がった水が、一時は高さ10メートルに達したという。この影響で推定約4万5000戸の水道水が濁った。被害は長いところでは丸1日に及んでいたそうだ。影響をもろに受けた知人によると、近所のスーパーマーケットで水のペットボトルが争奪戦になったという。

 真夏なので涼しい話も加えようと思うが、北海道では真冬の停電が多い。荒れ狂ったような吹雪によるもので、昨年も取材先に車で向かっている途中、突然の停電で周囲の信号がすべて止まったことがあった。吹雪による視界不良で、しかもつるつる路面のアイスバーン。そんな環境下で信号がまったく機能せず、自分で状況判断して運転するしかなかった。

 こういう出来事を振り返ると、天災、人災にかかわらず災難はいきなり降りかかってくるものだと痛感する。電気、水など日々の生活に直結するものが、突然断たれることも十分に想定して、対策を講じておかなければいけないと感じる。停戦決議が発効されたレバノン、飢餓や内戦に苦しむアフリカ諸国などに比べれば、日本は確かに「平和ボケ」しているのかもしれない。ただ、予期せず訪れる災難に対しての対策は忘れないようにしたいものだ。

August 22, 2006 09:16 AM

2006年08月12日

難しい自然体の対処

夏真っ盛りなのに、しばらくフリーズしていた。声を出すのが遅れていた。自分は何をしてあげれば良かったのか。あらためて考えさせられた。

 出張中の函館で、洗濯物を洗うためコインランドリーに行ったときのこと。一通り終えて、建物前の駐車場に止めていたレンタカーに戻り、後部座席に洗濯物を積んでいると、前から1人の小柄な中年男性が歩いてきた。右手に持ったつえを左右に動かしながら、近づいてきた。

 サングラスをかけ、つえで前の障害物を確認する姿から、目の不自由な方だとすぐに認識できた。駐車場の車の止まっていない場所をリズミカルに歩き、そのまま前進すると、自分のレンタカーの後部にぶつかりそうだという勢いだった。だが、ギリギリまで声が出なかった。何と言えばいいのか迷ってしまったのだ。

 「危ないですよ」。ようやく声を発したが、その瞬間、男性のつえがレンタカー後部にぶつかり「カチン」という接触音が響き、体の一部も車に当たっていた。幸い何事もなかったように、「すいません」と話した男性は方向転換して歩き始め、目的地と思われる近くのバス停留所にたどり着いていた。

 果たして、どう対処すれば、この男性のためだったのだろうか。車にぶつかる前に体を使って止めてあげれば良いのか。いつものコースかもしれないので、余計な介助は混乱をきたす逆効果だろうか。手助けすることで逆にプライドを傷つけるのではないか。いろんなことが頭を巡って、結局のところ、声を出すことすら遅れてしまった。

 数年前、右目に硬式ボールがぶつかり視力がほとんどなくなった高校球児を取材したことがある。ポジションは捕手で右利きの選手だったが、アクシデント直後は、投手が投げる外角球が捕球できなかった。左目は通常通り見えていたが、遠近感が完全になくなっていたからだ。それでも、外角球の捕球だけを特訓し、立派に大会出場を果たしていた。

 目の不自由ではないが、かつて北海道の高校の名門相撲部で隻腕のアマチュア力士が活躍した。小学生のころ、草刈り機に巻き込まれる事故で右腕を失ったが、北海道の高校チャンピオンになり、大学は強豪拓大に進学。各種の全国大会で活躍するなど、ハンディを感じさせなかった。とにかくたくましかった。

 スポーツ取材で接したハンディを抱えた選手たちは、競技にかかわらず、屈強な精神を持ち、とことん前向きだった。つらい気持ちを表に出していないだけかもしれないが「ハンディとは思っていない」というせりふを何度も聞いた。「仕方ないが、ほかの人を見る目と違った目で見られるのが1番つらい」。最も印象に残っている言葉だ。

 車にぶつかっても、再びつえを駆使して前進を続けた男性の背中を見て、考えさせられた。結局は、こちらも自然体で接するのが1番なのだろうか。もちろん困った様子なら手を差し伸べるが、こっちが変に意識している時点でおかしいのではないか。そんな気になっているが、皆さんはどう考えますか。

August 12, 2006 08:46 AM

2006年08月02日

取り戻せ「温泉天国」

 「ちょいワル」なんて言葉が流行しているが、「ちょい感じワル」な気持ちになった。

 先日、北海道浦河町の第3セクターが運営する施設内の「浦河温泉あえるの湯」が、「温泉」の看板を下ろした。町が源泉周辺を掘削調査すると川の水を引き込むためと見られるパイプが見つかったからだ。入浴客だけで年間約11万人を集めている人気施設が、「大浴場」に姿を変えた。

 今年3月、浦河保健所に送られた投書が発端になったそうだ。「川の水を引き込んでいる」。7月上旬には温泉掘削業者の下請け業者が「小川から加水した」と告白したことが一部で表面化していた。同12日には浦河町と北海道が泉源水を調査し、温泉の基準(25度)を下回る約13度しかなかったことも分かった。

 実は同9日に、この温泉施設に1泊していた。乗馬体験施設「うらかわ優駿ビレッジAERU」の中にある宿泊施設で、広大な土地を活用しての乗馬、パークゴルフなどが楽しめ、何より広大な自然を満喫できる。休日を利用して夫婦で訪れたが、恥ずかしながら今回の疑惑騒動をまったく知らなかった。

 問題の「温泉」にも入っていた。思い返せば、温泉と銘打った浴槽が、色もにおいもあっさりしたお湯だったなという印象はあるが、その時は何の疑いもなく、タオルを頭にのせ湯船につかっていた。もともと「大浴場」だったらこんな気持ちにもならなかっただろうが、看板を下ろしたことで「温泉に入った」という満足感が消去され、何か損をした気分になった。

 なぜ、早い段階で徹底的な調査がされなかったのかと思う。実際、3月の投書を受け、北海道が源泉と施設の調査をしたことがあったという。その時は目視で「異常なし」だったようだが、結局は不審なパイプが見つかり、3月から疑惑渦中の「灰色営業」だったといえないか。確かに匿名の投書1枚では動きにくいかもしれないが、対応の甘さがあったのではと言いたくなる。

 細かい話だが「温泉」だと入湯税(同町は100円)が発生する。金額の問題ではないが、疑惑の期間中の入浴者にとっては、だまされたという印象はぬぐえない。町は一切の関与を否定し、管理していた掘削業者に対して「法的措置を考える」としているが、それ以上に裏切られたのは入浴者にほかならない。

 北海道は全国有数の温泉地だと思う。函館市内では銭湯料金ほどで日帰り入浴ができる温泉施設が多く、北海道内の市町村にとっても「温泉施設」は「パークゴルフ場」「YOSAKOIソーランチーム」と並んで町に欠かせない3大要素ともいわれている。そんな町の核になるスポットだけに、調査は早くから徹底してほしかった。

 温泉から大浴場への転換だが、ガッカリさせられた入浴客は自分だけではないだろう。今回の問題を受け、北海道が約1200の温泉施設に源泉管理の徹底を求める通知を出したが、これを機に集中的にやってもらいたいものだ。せっかくの温泉天国なのだから。

August 2, 2006 12:16 PM

2006年07月23日

信念貫いた全国制覇

 毎年、夏が来ると謝らなければと思い出すことがある。高校野球の駒大苫小牧の選手たちがその相手だ。南北海道代表として昨夏の甲子園で連覇を果たし、今ではすっかり全国区の知名度を確立した。小倉(福岡)以来、57年ぶりの夏連覇は、個人的にはうれしさを通り越して信じられない心境だった。

 自分が高校野球を担当していた7~9年前は、駒大苫小牧が甲子園に出場することはなかった。洗練されたチームの印象はあったが、南北海道の予選で惜敗していた。ただ、当時の選手たちからも、この言葉をよく聞かされていた。今の選手たちが当然のように口にする「目標は全国制覇です」。

 95年に顧問として就任した香田誉士史監督の教えだったのだろうが、志は当時から本当に高かった。甲子園での上位進出すら珍しかった当時の北海道では、選手に目標を聞くと「甲子園出場」がほとんどだった。そんな中、間髪を入れず「全国制覇」と言ってのける野球部は、北海道では異色の存在だったと言える。

 ナインの意気込みを頼もしく感じる一方で、記者として全国レベルも目にしていただけに「そんなに簡単な世界じゃないよ」なんて心の中で意地悪なことを思っていたものだ。だが、選手こそ変わったが、04年夏には優勝旗が本当に津軽海峡を渡ってきた。「全国制覇」が現実になり、当時の部員の意気込みに冷めた感情を持っていた自分が恥ずかしくなった。

 05年優勝時には野球部長の暴力問題が発覚、3月には3年生部員の飲酒、喫煙が表ざたになり、快挙に水を差した形になったが、選手たちが甲子園で残した戦績が変わることはない。以前の北海道の選手では考えられなかったが、駒大苫小牧の選手が高校野球雑誌の表紙を飾るのも珍しくなくなった。何より北海道関係者の意識改革を果たした功績は大きい。

 揺るがない信念が大きかったのではと思っている。歴代の選手が「全国制覇」と言い続けてきた思いが引き継がれ、開花させたのだと思う。「雪国のハンディ」を覆し、北海道民にやればできるという勇気を与えてくれたが、それと同時に、個人的には信念を持った取り組みは必ず成就すると教えてもらった気がする(それだけに一連の不祥事は本当に残念だったが)。

 この人も信念を強く感じた選手の1人だ。スピードスケート女子短距離の第一人者、岡崎朋美(富士急)で「夢を現実に」を座右の銘として活躍を続けている。高校時代まではまったくの無名だったが、実業団入り後のたゆまぬ努力で花開いた選手の言葉だけに重みがある。「努力は必ず報われる」を実証し続けているアスリートだろう。

 会社に入ってから学ぶことは多いが、駒大苫小牧の「全国制覇の信念」は強いインパクトがあり、教訓として心に残っている。夏が来ると当時の選手への謝罪の念を覚えるとともにこう思う。何事にも信念を持って取り組まなければと。

July 23, 2006 11:35 AM

2006年07月13日

応援ダンス必要なの

 それって必要なの? 高校野球のスタンド応援の様子を見るたびに感じることがある。個人的には、どうしても有意義なことには見えてこない。

 夏の甲子園切符をかけた各都道府県の地区予選が始まっている。夏の大会は、3年生にとっては最後の公式戦で必死さが伝わってくるプレーが多い。自分も一端の高校球児だったので懐かしくもほろ苦くもある。高校野球がすべてきれいな感動物語だとは言わないが、熱いドラマには拍手を送りたいものだ。
 ただ、高校野球で1つだけ理解できないことがある。スタンドでの控え部員の応援用ダンスである。全国的な事情は明確には分からないが、北海道の高校には、ベンチに入れないスタンド応援の部員が、統一した踊りを踊って盛り上げ役をしている。部員の多い強豪校など一部の高校に見受けられるが、それは今も昔も変わらない光景と言える。

 もちろん、父母やOBなどが多数集まったスタンドを盛り上げようという意図は分かる。専門の応援団やブラスバンド不在で手拍子、メガホンだけの応援だけでは寂しいと言う人もいるだろう。それを築き上げてきた伝統だと言う人もいるかもしれない。個人的には、そんな伝統なら必要ないのでは、と思う。もっとやるべきこと、意味のあることがあるのではないだろうか。

 踊っている控え部員は、はっきり言って真剣に試合を見ることができない。控え部員は下級生が多いだろうし、先輩の1つ1つのプレーを目に焼き付け、今後に生かした方が、よっぽど財産になるのではないか。大声を出すだけの応援なら試合は見られる。腰をくねくねして踊っている場合かな、こっけいなポーズを決めている場合かな、と思ってしまう。

 「毎日2~3時間のダンス特訓をした」とコメントした控え部員がいた。チームに貢献しようという気持ちに好感は持てるが、スタンド応援でダンスをするために野球部に入ったのだろうか。ほぼ100%に近い部員の答えは「NO」だろう。実際にダンスしている部員も、伝統という枠にとらわれ、もしかしたら半強制的に踊らされているのかもしれない。

 仮に伝統を守るために恒例化しているなら、その学校の指導者がどう考えているのか、ぜひ意見を聞いてみたい。足腰に負担が掛かりそうな結構ハードな踊りで、実は体力づくりの一環として課しているのだったら納得はできるのだが…。生徒の自主性に任せているという指導者が多いのではないだろうか。スタンド応援組に、有意義な観戦(応援)の仕方を教えてあげるのも指導の1つではないだろうか。

 踊り、ダンスそのものは楽しいし、みんなで踊れば一体感も生まれる。テレビ番組のダンス企画も見入ってしまうことがある。タレント山本太郎(別名メロリンQ)らを輩出したバラエティー番組の人気企画「ダンス甲子園」が当時、高校生にダンスブームを巻き起こしたことを思い出す(余談だが8月の「24時間テレビ」の企画で復活するとのこと)。ただ、スタンドでの「ダンス甲子園」に意義を感じない。

July 13, 2006 10:36 AM

2006年07月03日

大事にしたい郷土愛

 唐突ですが、芸能クイズを出題。

 Q 次の4組の著名人(グループ)の共通点は何か?

 ◆男性4人組人気バンドのGLAY

 ◆アニメ「ルパン三世」の銭形警部の声でおなじみ納谷悟朗

 ◆日本映画界の往年の大女優・高峰秀子

 ◆演歌界の大御所・北島三郎

 一瞬にして解答が分かった方は相当な芸能通か、ある特定地域の出身者もしくは現在住んでいる方だと思うが、いかがだったでしょうか。答えは北海道出身であること。さらに詳しく付け加えるなら、函館市にゆかりのある著名人になる。

 さて、6月23日付の本紙芸能面で、大手芸能プロダクションが、九州限定で歌と演技を目指す若者のオーディションを行うという記事があった。なぜ限定かというと「歌謡曲のトップスターは九州出身が多い」という関係者のコメントが出ていた。一緒に掲載されていた九州出身の主な著名人の一覧表も確かに見応えがあった。

 九州もかなり多いが、北海道も負けてないぞという気持ちになった。歌手では細川たかし、松山千春、中島みゆき、玉置浩二、大黒摩季、ドリカムの吉田美和、「モーニング娘。」では藤本美貴ら現役・引退合わせて5人など。女優・俳優では高橋恵子、沢田亜矢子、水谷豊、小野寺昭、長谷川初範ら。タレントでは武田真治、極楽とんぼの加藤浩次、藤崎奈々子、大泉洋らがいる。

 思い付いた著名人を並べただけでもかなりの数で、書き切れなかった著名人もたくさんいる。なぜ、スターを多く輩出しているのかは、九州と同じく諸説あるようだ。「歴史が新しく自由に挑戦する開拓者の気質がある」「特に女性は決断力があって、あっけらかんとして前向き」「四季がきれいで感性が育ちやすい」などの記述を目にするが、正解はないだろうし、単に偶然かもしれない。

 名前を挙げた著名人は、個人的には何の血縁関係もないが、各方面で活躍しているのを目にすると誇りに思う。「あの人は北海道出身なんだぞ」と自慢したくもなる。郷土愛に近いものなのかなと思う。

 北海道室蘭市出身で、大相撲の元大関北天佑の二十山親方が6月23日に腎臓がんで亡くなった。45歳という若さだった。何度か取材でお世話になったが、数年前の九州場所では、宿舎まで行って「ちゃんこ鍋」の作り方を教えてもらった。口数の多いタイプではなかったが、柔らかい物腰が印象的だった。「遠くからよく来てくれたね」「北海道の子(弟子)もいるから、いい記事書いて応援してよ」。郷土愛にあふれた親方だった。

 故郷の代表校に注目する人も多いだろう高校野球の夏の甲子園大会は、地区予選が始まっている。毎年、熱く盛り上がる理由の1つに故郷への意識があると思う。故郷にあまり興味のない人もいるだろうが、個人的には大事にしたい「愛」である。

July 3, 2006 10:46 AM

2006年06月23日

結局は主役が頑張れ

 競馬場に最も遠い存在だと思っていた子どもや女子高生が、場内で陣取っている光景を目にした。中央競馬の北海道シリーズが17日から函館競馬場で開幕。函館、札幌で計4カ月のロングラン開催となる毎年恒例の夏競馬だ。格の高いG1レースが行われる東京競馬場など数万人の観衆が集まる本州開催とは違い、芝生の上に敷物を敷き、だんらんしながら、のんびりムードで楽しんでいるファンが多い。

 そんな函館競馬場に、先週末に集まった子どもや女子高生のお目当ては、1日2度のライブを披露しに来たお笑いコンビの南海キャンディーズ(17日)とフットボールアワー(18日)だった。集客力のある人気コンビの来場は、集客効果の期待や場内を盛り上げるためで、タレント招聘(しょうへい)は中央競馬の各競馬場でも頻繁に行われているが、函館開催でも恒例になりつつある。

 確かに、この2日間は前年比100%以上の来場者があった。JRA関係者はもっと多い来場者数を期待していたかもしれないが、数字としては確保していた。ただ、競馬場に足を運んでもらったという数年、数十年後の「先行投資」にはなるが、子ども、女子高生は勝馬投票権(馬券)が法律で買えない。これだけが理由ではないが、案の定、売り上げは前年比84%にとどまった。

 こう考えるとイベントの集客は本当に難しい。人の数は集められるが、イベント自体は盛り上がったのかどうか。数年前、高校野球の甲子園取材時に、開幕セレモニーでジャニーズの人気タレントがグラウンドにいるのを見た。バックネット裏には若い女性が大挙集まり「キャーキャー」と黄色い声が響いていた。だが、そのセレモニーが終わると女性ファンも一斉に撤収。試合開始時には、ほぼ埋まった内野席で、バックネット裏だけが空席だらけの異様な光景だった。

 函館開幕の土、日曜も、競馬場内に設置されたミニステージの前で、南海キャンディーズやフットボールアワーの出番待ちで200人ほどが場所取りをしていた。その50メートルほど横の場所で、最後の3レースで騎手などの表彰式を行っているが、その表彰式を見ているファンは20人程度だった。何か寂しい気持ちになると同時に「主役がもう少し頑張れ」と叫びたくなった。

 競馬の主役は競走馬、そして騎手だろう。レース前日は、競馬の公正を確保するためと心身の調整を目的に、宿泊施設の調整ルーム入りが義務で、外部との接触から引き離される。大けがと隣り合わせの命懸けの仕事で、平日も早朝から調教の手綱を取る。競馬場内でサイン会などをやっているが、なかなか外部に出てファンと触れ合う機会が少ないのは事実だが。

 いろんな企画で注目されるきっかけをつくっても、集客の決め手は、結局のところ主役の活躍が不可欠ではないか。スターホースのディープインパクトのおかげで競馬が注目を集める今だからこそ、若手ジョッキーも多数集まっている函館競馬から、第2の武豊騎手の出現を期待せずにはいられない。

June 23, 2006 02:00 PM

2006年06月13日

戦いは恋人探しから

 恋人探しから戦いは始まっていた。

 トリノ冬季五輪から約4カ月が過ぎた。当時は脚光を浴びた選手たちだが、暖かくなるにつれ、メディア露出は減ってくる。テレビに引っ張りだこの金メダリスト荒川静香ら一部選手をのぞけば、つかの間の休息を経て、春から再び4年後に向け動き始めている。

 覚えているだろうか、桧野真奈美(26)という選手を。今回、日本女子で史上初めてボブスレー競技に出場した1人だ。重量200キロ以上ある鋼鉄のそりを操縦し速度を競うスポーツで、最高速度は時速130キロ以上にもなる。「氷上のF1」と呼ばれる競技で、女子のパイオニア的存在の選手だ。

 マイナー競技ながら、激動の五輪初出場で注目を浴びた。トリノへの出発5日前、出場取り消しの可能性が突然、耳に飛び込んできた。地元で壮行会を開いてもらっていた後で、寝耳に水の話。国際オリンピック委員会の結論が出るまで、北海道帯広市の自宅で待機したが、家の前にはコメントを求める報道陣が張り付き、2日間缶詰め状態だった。

 睡眠もままならず、体重も3キロ減った。出場が認められ、イタリア・ミラノ空港で取材した時「何で私がテレビに映っているのって思った」と、戸惑いの日々だった。全国でも競技人口約60人の代表だが、歩くたびにテレビ、カメラに囲まれた。それでも「こんな形でも注目してもらうのはいいこと」と、話していたのが印象的だった。

 そんな桧野と久しぶりに話をした。「また同じ4年間ではダメなんです」。女子2人乗りで16チーム中15位に終わったトリノを振り返り、そう言った。事実、特に不満もなかった職場を5月末に辞め、帯広市民チームとして発足したクラブチームに所属。当初は引退するつもりだったが、バンクーバー五輪への新たな道を歩み始めた。

 スピードスケート女子500メートル日本記録保持者の大菅小百合(25)も、7年間所属した実業団を退社し、五輪への新しいアプローチを模索し始めた。「環境を変えたい」。ほとんどの選手が「4年間が1区切り」と考え、五輪が終わると次に向けた動きがすぐに始まる。理由はどうあれ、新しい環境に飛び込むのは、勇気がいることだと思う。

 5月下旬、ボブスレーの桧野が札幌市で行われた大学生の陸上競技会で、精力的に動き回っていた。目的は勧誘。バンクーバー五輪に向けた新パートナー探しだった。競技をするには相方は絶対条件で、スカウトも大事な活動。自身も元陸上の投てき選手で、パワーやスプリント力を秘めた選手1人1人に声を掛けているのだ。

 夏場でも地味な筋力トレーニング、海外合宿など、冬季競技のアスリートたちの努力は続いている。中には「夏を制した者が冬に勝つ」という言葉を選手たちに伝える指導者もいる。「もう戦いは始まっていますから」。汗を流し相棒を探す桧野の言葉に、五輪の重みを感じた。

June 13, 2006 09:40 AM

2006年06月03日

プロならお客様第一

 カツ定食を食べて、こんなに気分が悪くなったことはなかった。味はまずまずだったのに…。

 個人的な話で恐縮だが、先日、連休を利用して夫婦で名古屋に旅行したときのこと。本場のみそカツを食べようと、旅行のガイドブックに掲載されていた専門店に足を運んだ。テーブル3席とカウンター5席ほどの小さな店で、老夫婦と息子らしき3人で切り盛りしていた。

 夜7時15分ころに入店し、食べ終わったとき、時計の針は8時近くを指していた。この店は8時ラストオーダーで、8時30分閉店と張り紙があった。ところが、だ。食べ終わって、お茶をすすり始めると「8時30分閉店ですのでそろそろ」と老婦人から声が掛かった。驚いた。「えっ、まだ30分もあるでしょ」。心の中で絶句していた。

 もっと驚いたのが、隣のテーブルにいた若い女性2人組にも、同じ声を掛けていたことだ。しかも、5分ほど前にみそカツ丼が運ばれたばかりで、2人は食べ始めた直後のこと。確かに、店内には残り2組で、何らかの事情で早く店を片付けたかったかもしれない。だが、そんな雰囲気もなく「早く帰ってよ」という態度丸出しだったのだ。

 数々のヒット曲を世に送り出した国民的歌手の故三波春夫さんは「お客さまは神様です」という名文句を残した。真意は別にあるとしても、お客へのサービス精神を表したと理解されている言葉。お客だから何をやってもいいとは思わないが、お金をもらっている以上、いかにお客を気分良く満足させるかが、プロの商売ではないのか。

 それを考えると、日本ハムの新庄はプロ中のプロだと思う。「襟問題」で物議を醸したが、単純にお客が見て楽しい選手には違いない。数々の「演出」はお客を1番に考えたサービス精神だろう。野球ファンの中には「度が過ぎている」「ふざけている」「まじめにやれ」という意見もあるが、真剣にお客を楽しませようとする姿に違いないのだ。

 当コラムで先輩記者も賛同していたが、記者席から見ても新庄の動き、リアクションは楽しい。3月下旬の札幌ドームの今季開幕戦で、新庄の演出予告もあってか、ほぼ満員となる4万2393人の大観衆を集めた。私自身は、札幌ドームが満員になったのを生で見たのは、選挙取材中の数年前に某政党が決起集会を開いたとき以来、2度目だった。これだけでも「すごいな」と思わされた。

 みそカツ店を出たときは「店側の勝手な都合で…」と怒っていたが、ふと思った。新聞社も作り手で、お客(読者)がいて成り立つ商売。果たして、読者が求めている情報を提供しているだろうか。勝手な都合、エゴだけで進めてはいないだろうか。こちらが「面白い」「ためになる」「価値がある」と判断したものでも、本当に読者に喜んでもらえているのだろうか、と考えさせられる。

 みそカツ店を反面教師とし、新庄先生を見習い、紙面上で最高のパフォーマンスをしたいものだ。

June 3, 2006 11:36 AM

2006年05月24日

認められた30歳の涙

 30歳の男が人目をはばからず涙を流した。肩を震わせ、グッとこらえるように男泣きした。かっこいい涙だった。

 14日、シンガポール競馬の国際G1レース「シンガポール航空国際カップ」を、ホッカイドウ競馬所属のコスモバルク(牡5)が制した。地方競馬所属の競走馬が、世界舞台のレースで優勝するのは史上初めての快挙。バルクの頑張りもそうだが、牧場スタッフ、関係者が一丸となった取り組みで、歴史に名前を残した瞬間に立ち会えたことは、記者みょうりに尽きる。

 さらに、同日に帰国予定だった関係者がフライトをキャンセルし、現地ホテルのバーで開いた「緊急」の祝勝会に参加させてもらった。十数人の宴だったが、ゴールの瞬間に派手なガッツポーズを決めたホッカイドウ競馬の五十嵐冬樹騎手(30)も、穏やかな表情で祝杯を挙げていた。夜0時を過ぎていたが、笑いが絶えなかった。

 祝勝会の開始から数十分が過ぎ、ふと五十嵐騎手を見ると、右手で目頭を押さえ、前かがみになって肩を小刻みに震えさせていた。「優勝したから泣いているんじゃないんです。認めてもらったことがうれしいんです」。同じフレーズを2度繰り返した。レース直後も感激で目を赤くはらしていたが、心から涙を流したのはレース後3時間以上も過ぎてからだった。

 同席した関係者から、国内で朗報を聞いたバルクの岡田繁幸オーナー代行のメッセージを伝え聞いた。「本当によくやってくれた」。ねぎらいの言葉だった。「認められた」と表現した五十嵐騎手は、心の底から喜びが込み上げたのだろう。せき止めた土砂が流れでるように、涙が止まらなくなっていた。

 競馬の世界では、騎手はオーナーサイドに起用される立場というのが一般的。五十嵐騎手は03年11月の中央競馬初挑戦からバルクに騎乗し、G1制覇を託された。だが、04年皐月賞は1番人気に推されながら2着。「優勝した外国人騎手が日本語で『やった~』と喜んでいたのは悔しかった」。日本ダービーで8着に敗れた際は「自分の騎乗ミスです」と、青ざめた顔でうなだれた。

 岡田氏とはバルクの騎乗方法で意見がずれたこともあった。04年10月の菊花賞4着後、次走のジャパンカップで騎乗を外され、同年末の有馬記念で再び騎乗機会が与えられたが、そのレースで11着を最後に再び外野から5戦を見守った。悪く言えば「失格」の烙印(らくいん)を押されたが、昨年末から再び与えられたチャンスに何とかこたえたかった。今度こそ、認めてもらいたかったのだ。

 敗戦続きのときは、心ないファンから騎乗批判も受けた。五十嵐は「いろんな経験をさせてもらって皮が厚くなった」と冗談交じりに話したことがあったが、たまりにたまっていた思いを異国の地で晴らした。ヒット曲の歌詞ではないが、涙の数だけ強くなった。そんな男がボロボロになって流した涙は美しかった。

 血液検査ではっきりした結果が出ず、帰国にストップがかかっているコスモバルクの無事の帰還を信じ、祈りながら、再び五十嵐バルクに訪れるであろう明日を心待ちにしている。

May 24, 2006 10:23 AM

2006年05月14日

熱く戦うボスがいい

 赤道直下での熱い熱い口げんかだった。

 競馬の国際G1レースを取材のため、9日にシンガポール入りしたが、激しい口論に巻き込まれたのは、その日だった。スコールと呼ばれる激しい雷雨のため、ホテル玄関からタクシーに乗車しようとした際、ロビーでデスクを構え客のリクエストにこたえるコンシェルジュ(接客係)が、近くに待機していたタクシーを呼んでくれた。

 そこまでは何でもない話だったが…。行き先を告げると、中国系と思われる運転手が突然、「今日の仕事は終わりだから後ろの車に乗れ」と乗車拒否。確かに車で5分程度の近距離だったが、あまりの横柄な態度で「WHY」と言うのが精いっぱい。結局、苦笑いとともに降車すると、タクシーを手配してくれた接客係が近寄ってきた。

 そこからが「中国系運転手VSアフリカ系接客係」の幕開けだった。事情をコンシェルジュに説明すると、立ち去ろうとするタクシーの後部ドアを開けて、運転手に聞き取れないほどの早口で文句を言った。玄関付近の人々が足を止めるほどの大声だったが、運転手も何やら言い返していた。5分ほどの言い争いだったが、最後は接客係が怒りを込めて思い切りドアを閉めて、戦いの幕は閉じた。

 横にいた自分はあ然としながら見ているだけだったが、代わりに文句を言ってくれた接客係に何かをしてあげたいという気持ちがわいた。素直に恩義を感じたのである。接客係が真っ赤なタキシードを着ていたからかもしれないが、その戦う姿から真っ先に脳裏に浮かんだのが、赤交じりのユニホームを着用するプロ野球広島のブラウン監督だった。

 同監督は、今月7日の試合で先発したロマノ投手が退場になったことに抗議し、一塁ベースを放り投げて自らも退場になった。その様子は翌日付の紙面で紹介されたが「選手を守るためなら退場もOK」との考え方があるという。もちろん、退場がいいというわけではないが、サポートを受ける側は、自分に代わって戦ってくれる行為を、当然のごとく意気に感じると思う。

 ブラウン監督は大リーグの下部組織3Aの監督時代も、3年間で計22回の退場を経験しているという。大リーグでは歴代2位の2763勝を誇るジョン・マグロー監督(ジャイアンツ)が史上最多の131回を記録。大リーグの退場回数は審判の権威が大きいという理由もあるだろうが、少なくとも退場=ダメ監督ではない、ということは言えそうだ。

 客とコンシェルジュに、選手と監督では、立場は全く違うが、代理で戦ってくれる仲間なりボスは、ありがたい存在に違いはない。闘将のイメージがある星野仙一氏が、理想の上司アンケートで上位の常連であることもうなずける。ここ数日間、援護してくれた黒人のコンシェルジュを見掛けるたびに、思うことがある。逆の立場になった場合、少しでも人のために立ち上がって熱く戦えるようになりたいと。

May 14, 2006 10:37 AM

2006年05月04日

固定観念捨て去ろう

 先日、遅ればせながら、ようやく携帯型ゲーム機を手に入れた。3月の発売から、ずっと品切れが続いていた人気のタイプで、タイミング良く近所の大型電器店で購入できた。ゲームソフトも2本買った。超合金のおもちゃやプラモデルを買い与えてもらい大喜びした時のような、子供に戻った気分になった。

 ただ、購入したゲームソフトは、脳を活性化するという内容のものと、英語のトレーニングをするもの。脳を鍛えるゲームは瞬間記憶、計算、色彩識別などができ、ゲームというよりは知能検査。英語のゲームも聴く、書くという上達のためのテキストをこなしている気分になる。対象は完全に大人と言ってもいい。

 1970年代後半からインベーダーゲームが一世を風靡(ふうび)し、大人も熱狂する社会現象になった。自分が小学生のときも、家庭用テレビゲーム機が次々と登場し、持っている子供の家にみんなが集まった。近所の駄菓子屋に置いてあった1回100円のテーブルゲームも、数人で取り囲んで一喜一憂したものだ。

 ただ、一昔前は大人向けのゲームソフトが今より少なかった気がする。マージャン、将棋など一部は記憶にあるが、今ではゲームタイトルに「大人の○○」とストレートな表現もある。久々のゲーム売り場散策で、近年の大人向けソフトのバリエーションの豊富さに驚かされた。

 ゲーム世代がそのまま大人になったのだから、企業戦略として当然といえば当然だが、そんなことを感じている時点で、世の中の流れに乗れていないと痛感した。自分の中でこびりついていた「ゲーム=子供」の固定観念は消滅させなければいけないと思う。

 固定観念といえば、北海道・室蘭市で新しい動きを聞いた。先月末に「室蘭カレーラーメンの会」が発足した。言葉の通り、カレー味のラーメンを名物にしようという動きで、すでに取り扱いのある市内21店舗が賛同。発祥の地は別にあるというが、みそ、しょうゆ、塩に続く北海道第4の味として大々的にPRしていくという。

 カレーとラーメンという珍しい組み合わせに、聞いた瞬間に「げぇ!」と思った人もいるだろうが、ラーメンの味は決まっているという固定観念をなくした新たな動きといえる。人気定着の程はどうあれ、果敢な? 挑戦に声援を送りたくなる。

 約1トンのそりを引っ張るばんえい競馬でも、史上初の女性調教師が今春、デビューした。泥だらけになりながらのパワー勝負という圧倒的な男性世界と言われている。そんな中で「女子は難しい」という固定観念を打ち破ろうとするチャレンジに注目したい。

 時代の流れに乗るには、先入観を捨てて、真新しい気持ちで物事を見つめたいものだ。固定観念の打破から新しい流れが生まれると思う。ちなみに、脳の活性化させるゲームで、自分の脳年齢が57歳という判定が出た。就寝直前だったという言い訳をする前に、固定観念を捨て去ることから、若返りを図ろうと思う。

May 4, 2006 12:22 PM

2006年04月24日

森の生活にクマ困る!?

 <歌詞>ある~日(ある~日)、森の中(森の中)、熊さんに(熊さんに)、出会~った(出会~った)

 幼いころ、童謡「森の熊さん」を歌いながら、頭の中では「実際に会ったらすごいけど、あり得ねえ~」なんて考えていた。日本ハムの球団マスコット「B・B(ビー・ビー)」もクマだが、北海道とはいえ、そんなに身近な存在ではないのだ。だが、それに近い状態になりそうな施設がオープンする。

 北海道・新得町のサホロリゾート内に、ヒグマの放し飼い施設「ベア・マウンテン」が29日に開業する。約15ヘクタール(東京ドーム3・2個分)の敷地に野生に近い状態で飼育、展示。園内専用の巡回バスや高さ5メートルの遊歩道から見学でき、ほかには例がないヒグマ専門の施設だ。

 初めてのケースだけに当然、巡回バスの安全性、飼育密度、客による餌付けなどの面で、クマ研究者でつくる「日本クマネットワーク」から質問状を受けた。意見交換を進めながら今月に入って、北海道から条例に基づく飼育許可が出た。「自然の状態」を優先に考え、観光客による餌付けは実施しないという。

 施設の周囲は二重のフェンスで、電流が流れる電気牧柵も設置。クマは穴を掘る習性もあるが、フェンスの下には巨岩を埋設し、安全性確保に努めている。巡回バスの窓も金網で覆われる。営業時間が終わると、網のついた4輪駆動車で誘導し獣舎に1頭ずつ戻す。クマには「個室」が与えられるという。

 さて、肝心の主役たちだが、系列会社「のぼりべつクマ牧場」から雄12頭(15~30歳)がすでに移送された。温泉街にある登別市の「のぼりべつ-」には、訪れたことのある方もいると思うが、クマたちは人間を見ると愛想良く手を挙げる。お菓子をねだる姿はかわいらしく、猛獣のイメージを忘れさせるほどだ。

 1つの疑問がわいた。果たして、コンクリートで固め、造られた施設だった「のぼりべつ-」から移送されたクマは、野生に近い環境にすぐに戻れるのだろうか。飼い慣らされた感のあるクマたちが、森に帰れるのだろうか。

 「ベア・マウンテン」の職員の返答はこうだった。「長年住み慣れたところから環境が変わったので、周囲のにおいをかぎ続けたり、到着して数日が過ぎた現在でも少し戸惑いがある。でも、頭のいい動物なのですぐに慣れてくれるはず。ただ(森に放されているとき)集団でいるのか、個別に行動するのか、未知の面も多い。森の中を歩いているクマ次第」。

 人間にも同じことが言えないだろうか。スポーツ選手も所属チームが変われば、周囲の環境が大きく変化する。会社員も転職、人事異動で取り巻く環境が変わる。慣れ親しんだ環境が変わり、高いモチベーションに変える人もいれば、逆にストレスと感じる人もいるだろう。結局、その人次第ではないだろうか。

 数週間が過ぎて、環境を変えたクマたちが、どうなっているか今から興味がわいている。

April 24, 2006 11:24 AM

2006年04月14日

強烈!目力にやられた

 17歳の愛ちゃんに圧倒された。目にやられたのである。

 9日、北海道・帯広市にやって来た卓球の福原愛(グランプリ)の取材に行った。日本リーグのビッグトーナメントが開催され、「愛ちゃん効果」もあってか、体育館いっぱいの約2000人が集まった。自分も取材現場では初対面で、写真を撮りながら、フレーム内にいる愛ちゃんに注目した。

 伝わってきたのは強烈な気迫だった。試合後の記者会見では別人のような柔らかい表情で話したが、試合中は「怖さ」まで感じさせた。スイッチをONにしたかのように、相手を威圧する雰囲気があった。結果的に一般シングルスで3年ぶりの優勝を果たしたが、すべての試合で共通した姿だった。

 幼少時に「天才少女」としてテレビで涙を流していた、かつての姿はまったく想像できなかった。もちろん、どの選手も真剣な表情だったが、愛ちゃんはひと味違うように感じた。にらんでいるわけではないだろうが、目から飛び出るんじゃないかと思わせるパワー。「目力(めぢから)」が印象的だった。

 この目力は広辞苑の定義では見当たらないが、数年前から芸能界やメークの世界で使われることが多いようだ。目のクリッとしたタレントが「目力がある」と注目を浴びる。目元に存在感をもたせるつけまつげ、マスカラ、カラーコンタクトなどの売り文句に「これで目力アップ!」という言葉もよく目にする。

 これらの目力には、目の輝き、人を引きつける強い視線などの意味合いがあるが、愛ちゃんの場合は「負けない」という秘めた意志の強さを示す力だと感じた。愛ちゃんが好きなアニメ「名探偵コナン」の主人公、江戸川コナンも放送開始10年で表情も変わって、目力が出てきたという(本紙3月18日付参照)。「絶対に解決する」という強い意志の表れと、解釈したい。

 過去の取材を振り返ると、目に力を感じた対象者が何人かいた。中でも、アイドルグループ「モーニング娘。」の元メンバー石黒彩が強く印象に残っている。98年秋、北海道版のインタビュー企画で取材した。当時は絶頂期を迎える直前くらいで、トレードマークの鼻ピアスも気になったが、何より目がキラキラしていた。もともとクリッと丸い目だが、夢と希望にあふれ、とにかく発言も前向きだった。

 04年春、大リーグのサンディエゴ・パドレスに渡った大塚晶則投手(現レンジャーズ)にも同じ「目」を感じた。縁があってデビュー戦を現地取材したが、サヨナラ打を浴びても、とことん前向きだった。02年シーズン終了後に1度断念した大リーグ行きがようやく実現。その充実感が目からあふれ出ているように見えた。

 「目は口ほどにものをいう」「目は心の鏡」というフレーズは、その通りだと思う。目力を確認しようと、鏡で自分のたれ目を見てみたが…。いつも、生き生きした目をしていたいものだ。

April 14, 2006 11:19 AM

2006年04月04日

欽ちゃんが教えてくれた

 伝説とも言える「欽ちゃん走り」に勇気づけられた気がした。

 今日3日は、入社式に臨む新入社員の方も多いだろう。もうすでに式典を終えた企業もあるが、いわゆるフレッシュマンが社会人生活のスタートを切る。新年度の恒例だが、新鮮な気持ちになりワクワクできる「社会人1年生」を、本当にうらやましく思う。

 ちょうど10年前。自分も真新しいスーツを着込んで、初出社したことを思い出した。目に入る光景がすべて新鮮で、緊張感もかなりあったと思う。今思えば笑ってしまうが、使い慣れない敬語を間違いながら使い、体を硬くしながら、いすに座っていた記憶がある。不安を抱きながらの初日だろう。

 それでも、自分もそうだったが、不安の中でも「何かやってみたい」という野望は大なり小なり持っているはずだ。就職先が希望の業種ではないにしても「できればこっちをやりたい」という希望を持っている人の方が多いと思う。「1年生」がまぶしく見えるのは、このような向上心に満ちあふれている(ように見える)からだろう。

 私事で恐縮だが、小学生のころ、テレビドラマ「事件記者チャボ」を見て、最初に新聞記者に興味を持った。俳優水谷豊が演じるトサカヘアーの新米記者が奮闘する姿にあこがれた。野球部に在籍した高校時代に、取材される側に立ち、さらに興味を深めた。心からやりたいものがある業種に入社できたのは、本当に恵まれていると思う。

 ただ、入社10年目を迎え、つくづく実感することは「新鮮さ」を持ち続けることの難しさだ。新入社員のときには感じていたフレッシュ感が、まひしてしまっている。同じような毎日の連続。マンネリを感じながら、何とか打破したいと考え、それでも行動に移せない。世代に関係なく、そんな日々をこなしているだけのサラリーマンも多いと思う。

 与えられた状況で、自力で何か楽しみを探しだす。言葉では簡単だが、そう実践できるものではないと思う。自分から徹底的に楽しもうとする姿勢は尊敬できる。タレントで、社会人野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」の萩本欽一監督をテレビで見て、そう思った。3月31日の巨人の開幕戦で始球式を行っていた64歳の欽ちゃんに、笑いながら感心した。

 マウンド周囲を「欽ちゃん走り」で回り、投球後も独特の足運びでグラウンドから引き揚げ、最後はとどめの「欽ちゃん跳び」。昔からの持ちネタを徹底的に披露し、エンターテイナーぶりを発揮。熱気漂う試合前の球場を盛り上げたが、本人が一番楽しんでいたように見えた。全身金ラメ衣装に身を包んだ欽ちゃんの生き生きしている姿がとても印象的だった。

 新入社員当時のがむしゃらな気持ちを継続するのは難しいが、還暦を過ぎてあれだけはしゃげる欽ちゃんの前向きな姿勢が、思い出させてくれたような気がした。「楽しもうとする姿勢を忘れないこと」。

April 4, 2006 11:56 AM

2006年03月25日

おばあちゃんと原田

 3日前、北海道釧路市阿寒町の雌阿寒(めあかん)岳(1499メートル)が噴火した。降灰はあったが、ごく小規模なもので、現時点では大規模な噴火につながる心配はないというが、いい気分ではない。北海道は十勝岳、駒ケ岳など多数の活火山を抱え、天災に悩まされてきた歴史がある。今回も、火山に詳しいおなじみの大学教授が分析する様子がテレビに映っていた。「あれから丸6年か」と記憶がよみがえってきた。

 2000年3月31日。火山活動が活発化していた北海道の有珠山(標高737メートル)が噴火した。住民の避難を伴う噴火は77年8月以来で、水蒸気爆発で5つの火口ができ、噴煙の高さは約3200メートルに達した。山ろくの虻田町は、札幌から車で約2時間の地点だが、テレビに映し出された黒い空と噴火シーンは、つくられた特撮映像のようで、現実に受け入れるまで時間がかかったことを覚えている。

 札幌からも取材陣が飛び出していった。自分も避難所や町役場を回ったが、想像以上に過酷な現場だった。民宿が主体となる近隣の宿泊先はどこもいっぱいだった。確保できた10畳1間の部屋に4~5人の雑魚寝なら、まだましな方で、車中泊もあった。起床すると、車のフロントガラスに積もった降灰で現実に引き戻された。

 もちろん、もっと過酷だったのは被災者だった。避難生活をしていた虻田町民の中には、風呂や洗濯の場所確保や受け入れ先の諸事情で、最初の1週間で4回の避難所移動を余儀なくされた住民もいた。体育館の冷たい床に毛布を敷いて寝る生活に、相当のストレスがたまったはず。最終的に約40キロ離れた長万部町まで避難した町民の憔悴(しょうすい)しきった表情を見続けると心が痛んだ。

 何人もの避難住民の叫びを聞いたが、70歳代と思われるおばあさんだけは今でも鮮明に覚えている。避難所の隅に1人ぼっちで毛布にくるまり、配給されたジャムパンをかじっていたとき、声を掛けた。一通り現状を聞いた後「大変ですね」と声を掛けると、こう返ってきた。「また町さ、戻ったら畑(仕事)をやるよ。ボロになったけど生きているし、新聞屋さんも遊びにおいで」。そのたくましさに、逆に勇気づけられた。

 「ボロボロになるまで飛んでいたい。その願いはかなった」。スキージャンプの原田雅彦は20日の引退会見でそう話した。世界現役最年長選手として37歳になってまで空を飛んだ。98年長野五輪団体の金メダリストだが、ここ数年は惨敗が続いた。プライドは何度も傷ついただろうが、それでも飛び続け、自らの美学を最後まで貫いたように見えた。

 スポーツ選手の考えの中には「惜しまれながらやめたい」と、余力を残しながらの引き際もあるだろう。その姿勢に正解、不正解はない。ただ、避難所のおばあさんと原田の2人に共通することは、例え格好が悪くても必死に歯を食いしばり、前に突き進んだ、もしくは突き進もうとする姿だと思う。それは、とてもかっこいいと感じた。

March 25, 2006 11:22 AM

2006年03月15日

泥水が教える気配り

 突然、目の前を横切った泥水を見て、1つの教訓があらためて身に染みた。

 この時期になると毎年同じ気持ちになる。現在住んでいる大好きな札幌が大嫌いになる、ということだ。全国5位の人口約188万人を有する都市で、個人的にはとても生活がしやすいと感じる。時計台、大通公園など全国的に有名なスポットがあり、観光地としても誇りに思う。自慢できる食べ物も多く、ラーメン、ジンギスカン、スープカレーなど全国に発信する食文化もある。夏のさわやかな気候を考えると、本当にいい街だと思う。

 ただ、この季節だけはどうしても好きになれない。理由は単純だ。町の中が1年間で一番汚くなるからだ。春の訪れとともに、道路脇の残雪から雪解け水が歩道や道路に流れ出す。歩くことではねた泥水がズボンのすそに付く。雪が解けないと春が来ないのだから、どうしても仕方のないことだが、札幌を含めた雪国の住民には共通の悩みではないだろうか。

 先日、通勤中に歩いていると泥水が横からシャワーのように飛んできた。走行中の車が、道路にできた水たまりを減速せずに通過した時のものだった。間一髪で、頭からかぶることは免れたが、想像したらぞっとした。これまで何度も車に泥水をかけられた人を見てきた。お笑い番組のコントでも見ない光景だが、この時期には珍しい話ではないといえる。

 ただ、自分も車の運転をする機会は多い。運転中に歩行者に対し水をはねてしまったかな、と反省した場面を思い出した。夜道の水たまりなど、運転していて避けにくいケースもあるだろうが、ちょっとした配慮で嫌な気分になる人は少なくなる。「もし自分が歩いている側だったら」。反面教師として、そんな気持ちを忘れないようにしようと思った。

 相手の気持ちになってみる。それを完全に忘れてしまったのが、札幌で表面化した耐震強度偽装問題の当事者、浅沼良一2級建築士ではないか。7日の記者会見で最後にこんな問答があった。

 記者「あなたなら(自分が構造計算を行った)マンションを買いますか」。

 浅沼建築士「…。(数秒間の沈黙後)やはり、ユーザーの立場からすると、安全を数値で立証しないと理解いただけないと思う」。

 記者「買わないということですか」。

 浅沼建築士「はい」。

 結局、自分が買わないと思っているものを売ろうとしていたことになる。構造計算書の作製中に一瞬でも、もし自分が購入者になったらという思いがあれば、こんなことは起きなかったのではないか。

 慌てたり、急いでいるとき、必死になっているときこそ、少し立ち止まって相手の気持ちになってみようと思った。自戒、反省の意味を込めて、もう少し余裕がほしいなと感じた。自己満足かもしれないが、相手に配慮する気持ちを持つことで、少しは快適な生活になりそうだから。飛んできた泥水を見て、そんなことを考えた。

March 15, 2006 10:40 AM

2006年03月05日

ミス喜ぶ寂しい歓声

 輝かしい金メダルの裏で、寂しい思いがした。

 2月26日に閉幕したトリノ五輪。日本勢最高の盛り上がりは、もちろん同23日のフィギュアスケート女子シングル・フリーだった。各国のメディア、オリンピック委員会の事務所ブースが集まったメーンメディアセンター(MMC)で、日本の関係者が隣接するエリアでは、テ